結婚を視野に入れた場合、甘言ではなく、諫言を聞くべきなのでしょうか?~自分の心に従って決めるのが一番幸せじゃね?~

婚活に限らずビジネスにおいてもそうなのですが、けっこう厳しいことを言う先生がいらっしゃいます。言ってることはすごく正しいので納得してしまうのですが、でも、なんか心がざわつくんです。
そういうのってどういう風に捉えたらいいのか、私なりの見解をお話ししたいと思います。

ライフワーク本愛読書にさせて頂いている者です。
おかげさまで仕事や生活が良い方に変化できました。ありがとうございました。
心に余裕が出来たので以前は念頭にも無かった恋愛や結婚も意識するようになりました。

好きな仕事を副業でするようになったり、その仕事でそれまで出会わなかったような素敵な男性達と仕事関係や同業者として親しくなり、またとても丁寧に扱ってくれて価値をみてくれこれがいわゆるモテ期か!と浮足立っています。

その自信もあり恋愛や結婚に積極的になったところがあります。
それを会社の同僚に言ったところ、その子が少し前から通ってる恋愛塾に一緒に行かないかと誘われました。
その恋愛塾のことは以前から彼女から聞いており塾長のマダムがYouTubeもされていて、それはとても小気味良いお話ぷりで私も気になってました。
ただ小気味良い半面少し辛口というか根本先生とは真逆な女性ならではの辛辣さも感じてました。

お試のお茶会したのですがアドバイスは以下でした。

・結婚が目的なら、今時々食事してる男性達とは距離を置いた方がいい。
・年齢を考えたらナシと初見で思った人ともデートした方がいい。
・姿勢や食べ方などを学んだ方がいい(その塾で教えている)
・自分を客観視出来てない。
等辛辣だけど図星感もあり圧倒されました。

同僚には一緒に通いたいと改めて誘われたのですが気持ちは半々で迷ってます。
私に足りない視点を具体的なハウツーを提示されながら導いてくれそうだけど、気になるのは、根本先生の本やblogを読んで心が温かくなる感覚とは違うというか、冷や水を浴びてシャンとするけど、自尊心が傷つく感覚もあるのです。

何を根本先生に聞きたいのか意味不明でスミマセンが、そこの塾長さんに言われたのは
「男性は本能で下に見た女性にほど甘いことを言う。それは優しくすれば自分を好きになってくれたり、何より性的な欲望を満たせるから。だから幸せになりたいなら賢くならないと。男性の甘言を信じてる所から抜け出さないと」
と言うことです。

敬愛している根本先生に結婚を視野に入れた場合、甘言ではなく、諫言を聞くべきか、そういう強さを持つべきかお聞きしたくたりました。
(Aさん)

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すべての出会いにはタイミングがあり遅いも早いもなく、常に今がベスト・タイミング。

周りの人と比べて「私は今頃これに気づいた。めちゃくちゃ遅い」という声をよく耳にするのですが、それって他人と比較して自分を凹ませるためのこじつけなんですよね。
今気づいた、今出会ったならば、今がそのベストなタイミングなんです。

いつもお世話になってます!
是非辛口でお願い致します!

日々根本先生の文章を読み自分の心にも向き合うようになったおかげか、心のキビというか、そういうのが少しわかるようになったら(以前は全く分からなかった)軽く扱わられていたということが分かり今、軽く男性不信になっています笑

それまでは自分はわりとモテてる方だと思って来ました。
疑念を持つようになってから、何となく本命と都合のよい女の違いをググってみたら、見事に都合の良い方に該当してて、ネット情報を鵜呑みにするのもアホらしいけど、遊ばれてる女程、自分はモテてると思ってるという話をYouTubeやブログでいくつか見つけてしまいフリーズ中です笑

コロナ前まで数年間同じ習い事をしてました。
綺麗な子や魅力的な子、若い子などより私の方が飲み会に誘われたり近い距離で親しく付き合うことが多く楽しかったし嬉しく思ってました。
ですが、根本さんのブログで「女性性」を知り、何となく自分にはそれがキーワードじゃないかなと想い意識して女性性に取り組みはじめたら、以前は感じなかったような感情を感じるようになりました。

男性は女性性が成熟した女性が好きだけど、緊張して意識しちゃうから遠巻きにして、私のような異性を意識しないような女に絡んでお茶を濁すという行動をとりがちというのが、誰に教えられたわけでもなくなんとなく感じられるようになりました。

これは心の成長としてプラスに捉えるべきでしょうか?

女性が中学生くらいには知ってることを今少し気づきはじめた感じで、アラフィフなのに女性性向上の出遅れ感が洒落にならない感にどんよりしてます笑

同世代は結婚どころか出産に子育てと女の階段を遥か頭上でどんどん登って行ってるのに、私はそのギャップに気づいた途端余計に立ち往生してしまってる…。

しかも必死に求めてたライフワークも今曖昧になってしまってて、自失状態かもしれません。

心のこと学ぶと一時的に谷底に落ちることてありますか?
また、女性性の成長が極端に遅いパターンへのアドバイスなど頂けたら大変ありがたいです!
(Rさん)

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恵まれていると思っている自分の中に潜む闇のような心とどう付き合っていけばいいのか~幸せな私と悪魔な私~

自己否定的な自分を見つけるとなんかホッとすることありませんか?
一種の自傷行為に当たるんですけど、それは心の中にある闇の部分が顕在化したものかもしれません。
私たちの心の奥底に潜む闇の話を今日はしてみようと思います。

こんにちは。
根本先生のYouTube聴いたりブログ読むほど「素直な自分になりたい」という想いが強くなります。
そこで質問なのですが、自己肯定感の棚卸しとして自己否定的な感情を書き出すのはアリでしょうか?

昔から私は残念なことになってしまった人(スミマセン)借金だらけで呑んだくれてる人とか、人に迷惑かけても自堕落なまま生きる人とか、自分の妄想の中に生きる人とか、とにかく人にまともに相手されない人を映像とかで見ると、自分のことのように胸がキリキリして強く共感します。
同情とかではありません。
文字通り「ああ、この人とわたしは同じだ」と感じるということです。

私は客観的に見たら恵まれてる方だと思います。
容姿や学歴、仕事、パートナーなど。
上の癖を時々友達やパートナーにそんな映像を観てる時などに軽く言うと「何言ってんだか」と理解されません。
友人達にはどうやらそんな気持ちは一切無いようです。

それは癖のようなもので、まぁとくに気にしてなかったのですが、根本先生の本のワークなど通して、上記は投影でわたしは私のことをずっと本当はそう感じていて、それは今も進行中だということがわかりました。

だからほんとは自分をどう感じてるのか書き出したら、「価値がない」「醜い」「下品」「低俗」など出るわ出るわで。
しかも終わらないのです。
一旦スッキリしても、また数日、数カ月後にはこの「膿み」のような自己認識を確認せずにはいられません。

昔「ほめ日記」をやってたことがあり、その本には決して自分を否定する言葉は書いてはいけないとあり、イケナイことをしてるのかなと気にはなってます。

でも、自己肯定感をあげるにはまずは「本当は自分のことをどう感じてるのか?」というのを知ることが必要に思います。

ですが根本先生の文や他の方の自分との向き合い方のハウツーにも、希望や「私はどうしたいか?」などのポジティブな側面に光を当てるアプローチで、私がやってるのは少し危ういのかなとも思えたり。

また「御恨み帳」は他人への恨みつらみで、自分への攻撃ではないと思うので。

では何故わたしがこの自己攻撃と紙一重なネガティブな自己認識を確認する作業を時々やるのかと言うと、感情的にまろやかになるといいますか…やった後に肩の力が抜けて楽になる感覚があるからです。

根本先生のご意見いただけたら幸いと思い失礼しました。
(Yさん)

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私たちは寂しさや孤独感を「役割」で埋めてきた。

私たちは何かと寂しさや孤独感を覚える生き物ですが、しっかり者の長女などは特にその役割を使って寂しさや孤独感に蓋をして成長することが多いと思います。
だから、大人になってもその役割を続けてしまうのですが、何かの拍子にずっと寂しかったことを悟るのです。

根本先生こんにちは。
いつも遠くから勝手にお世話になっています。ありがとうございます。

まんまとステマにはめられまして(そんなことない)出版記念の講演会に申込みました!楽しみです。

寂しさ本についての、前のめりな質問です。

先生のvoicyで「ずっと、寂しかった」の回を運転しながら聞いていました。
流し聞きしていたつもりなのに、ワークの部分でうっかり泣きが入りそうになり、慌てました。

これまで、遠くから勝手に先生にお世話になる中で、自分の中の罪悪感や無価値感には、何度も何度も遭遇し、向き合いながら今日に至ります。
でも、自分が寂しさを持ってるなんて、これっぽっちも思っていませんでした。
びっくりしました。

運転中は危ないので、家に帰ってから改めて、「ずっと、寂しかった」と伝えたいのは誰かなと思ったとき、浮かんだのは父と母です。
イメージの中で伝えようとしても、言葉が出なくて、変わりに涙がボロボロ流れて、こんなに泣くかと思うほどに号泣しました。

自分の中に罪悪感と無価値感と並ぶ、寂しさ孤独感のでっかい穴を見つけてしまい、ホントに驚いています。
今までどれだけ埋めて隠してたんだろうと。

「寂しさ・孤独感を感じるシーンと、その感情を癒す方法について。」を読ませてもらい、自分の愛を止めると寂しさ孤独感がやってくるとあり、質問なのですが、

私の寂しさは、小さい頃からの父と母への思いにくっついてる気がしたのですが(両親共働き、私は3人弟妹の長女)子どもってただただ、親に愛を与え続ける存在だと思うし、きっと私もそうだったんだろうと思うのですが、こんなに寂しさのでっかい穴があるのは、両親への愛を止めちゃったからなんでしょうか?

罪悪感や無価値感と同じように、寂しさ孤独感も人の内側にある、でっかい穴の一つなのでしょうか。
(Aさん)

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自己肯定感があがってきたら、こんどは「自分を捨てる」ということ~サレンダーとは何か?自己肯定感とは何か?~

自己肯定感があがってきたら今度はそれまでのやり方を捨てて新しい方法でライフワークに向けて歩み始めるのですが、そのカギとなるのが女性性であり、サレンダーです。
そこではそれまでとは全く逆の「自分を捨てる」という意識が役立つのです。

このところ「自己肯定感があがってきたのだけどさ。けどさ。あのさ。」的な話をよく耳にするようになりまして、その先の話を今日はしていこうかと思ってます。

自己肯定感というのは私にとっては「現在地の確認」と言えるものです。

今、自分がどこにいるのか?
その自分はどんな状態なのか?

ということを受け入れることです。

例えば、みなさんが東京・神楽坂にある弊社セミナールームに行こうと思ったとしたら、どんな手段を使って行きますか?
最寄りの駅は東西線神楽坂駅ですが、大江戸線牛込神楽坂駅も近く、各線飯田橋駅からも、有楽町線江戸川橋からも歩いていけます。

となるとポイントは現在地ですよね?

私は今、大阪におりますので、神楽坂に行こうと思ったらとりあえず新大阪に出て新幹線で東京駅を目指すか、伊丹に向かって飛行機で羽田に行く必要があります。

東京駅からは東西線で一本。
羽田空港からは京急線~浅草線で日本橋。そこから東西線に乗り換えます。
めんどくさかったらタクシーに乗っちまう手もあります。けど、さすがに大阪の自宅からセミナールームまでタクシーは利用しません。
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なぜ、みんながふつうにできていることが自分にはできないのか?

みんながふつうにできてることが自分にできないと思うと惨めや虚しさや悔しさやいろんな感情が出てきますよね。
でも、なぜそんなことが起きるのか?そして、どうしたらいいのか?を感覚的に話してみたいと思います。

タイトルのような思いを抱くことはないでしょうか?

周りの人が当たり前にしていることが自分にはなぜかできない、ということ。
このテーマはほんと多岐にわたります。

「みんなふつうに○○できているのに自分にはなぜできないのか?」ということ。

例えば、

「みんなはちゃんと仕事ができているのに自分にはなぜできないのか?」

「ふつうに結婚していく人ばかりなのになぜ自分にはご縁がないのか?」

「周りの人はみんな成功していっているのに、なぜ自分はこんなところにとどまっているのか?」

「みんな元気に過ごしているのに、自分だけ元気になれないのはなぜなんだろう?」

まあ、ちょっと痛みに触れちゃうかもしれないので、この辺にしておきますが。

あと、子育てとか夫婦とか職場で他人にそれを要求しちゃうこともあるかも。

「ほかの子はちゃんとできてるのに、なんでうちの子はできないんだろう?」

「最近の旦那は家事を手伝ってくれる人も多いのに、なんでうちの人は・・・」

「他の部下たちはちゃんと締め切り守るのに、なんでこいつはそれができないんだ」

自己肯定感を下げる意味ではとても効果的なこの問いかけです。笑

もちろん、そこには「比較」という罠に引っ掛かってます。

他の人、しかも、ちゃんとできてる人、と、できてない自分、を比べてるわけです。
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自己肯定感をあげようとしたら中身がなんもないホリボテの自分と出会ってしまった・・・。

他人軸で生きてきた人(けっこう多いよね!)は自分と向き合い始めるとはじめに「中身のない自分」を見つけてゾッとしちゃうもんです。
でも、それが一歩目なんですよね。そこがスタート地点なんです。
そこから中身がないんじゃなくて、単に光を当ててなかったことに気付けばいいんです。

本日のメルマガ「虚しさ」についての心理学、読んで「自分だけじゃなかった!」とホッと出来ました。

そして提案されてたレッスンわたしも地道にとりくみたいと思いました。
エステはちとまだハードル高い(人の目が気になったり過度に感じよく振舞って帰宅後どっと疲れる癖があるため)ので、前から気になってたぬいぐるみセラピー?(人の代わり笑)をやるために、目をつけたおしゃかわぬいぐるみやっぱ買おうかなと思っとるところです。

ところで「虚しさ」に近く、自己肯定感向上レッスンでもしかしてこれもあるあるかもしれないとあるネガティブ感情について、陳情&対策案の所望で参りました笑

自己肯定感上げるために私もあれこれ取り組ませて頂いてます。
私の場合「消えもの」である、外食や食べたら即無くなるもの(スイーツや一食分のおかずなど)は虚しさとかそんなに感じません。

ただ「身につけるモノ」服や靴などを自己肯定感あげようと好きなモノに買い替えたりして、買った時は勿論、身につけるとやはり気分は良いのですが、同時にそんな素敵なモノを身につけてる自分を『ハリボテ』に感じる感覚もあります。
いつも薄っすらある感じです。

新しく選んだお気に入りのデザインや素材の靴や服を耳つけて、確かに心はウキウキと爽やかなのに、その膜の下にはそんな自分を中身のないハリボテにも感じてるという、アンビバレントな心境です。

「人付き合い」にも多少同じ傾向があって、「ワンナイト」とか「その日、その場だけ」「ビジネス上」など目的や役割、期間などがお互い明白だと平気だし、どちらかと言うと結構楽しめる?方です(あ、SEXに限っての話しではありませんよ笑 主にコミュニケーションの話です)

それが距離感や役割、とくに関係性の期間について曖昧な関係になってくると、どう振舞っていいか分からなくなってくるし、上記の明白であっさーい関係なら「ハリボテ」な自分でもいい気がしてるのですが、曖昧でパーソナルで無期限(これが1番恐ろしい条件かも)な付き合いになってくると、人間としての真正を突きつけられてるような怖さを感じ、より、自分の「ハリボテ」感を強く感じ人付き合いから「傷み」のような感覚が生じます。

自己肯定感取り組み中に『自分をハリボテに感じる心理と対策』のリクエストでしたー。
(Uさん)

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