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自分の価値や魅力が受け取れなーい!という話はカウンセラーをしているとそこかしこに転がっているものですし、読者のみなさまも「受け取る」って聞いた瞬間に死んだふりをしてしまう方も少なくないと思われます。
じゃあ、そんな方々が受け取れるようになるにはどうしたらいいか?
自己評価と他者評価を別もんとして捉えることがポイントなのです。
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今日はまた誤解を招きやすい話をさせていただくのですけれど、今日の話はそれなりに自己肯定感があがってきていて、自分軸で行動できることが増えた方々向けのお話です。
自分の価値や長所、魅力、強み、才能をどうしたら受け取れるのか?というテーマは古今東西老若男女未来永劫なものでございます。
例えば、人から価値を伝えられたときに「そうは思えない」という反応をしてしまうことってありますよね?よくありますよね?すっごくありますよね?
一応、根本さんのブログ読者だから「あ、ありがとうございます」と棒読みで答えるのだけど、内心は「違うよなあ、そんなことないよなあ」と思っちゃうわけです。
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自立系な女子が「姫」になるのはなかなか難易度が高いのですが、とはいえ、姫要素を少しでも使えるようになっておくのは仕事でもパートナーシップでもたいへん役立つものです。
ということで、そんな姫に憧れる自武女のみなさまのために4つの提案をさせていただきました。
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昨日は東京・丸の内で「お茶会」なる企画をしておりまして、ストベリーフェアなアフタヌーンティセット(とてもかわいい)を頂きながら武闘派なお話に花を咲かせておりました。
そこで色々な話題とか質問とかが飛び交うのですが、その中で「姫になりたい!」というリクエストが多く寄せられまして、「自武女が姫になれるわけねーだろ」と一蹴するのが忙しかった次第です。笑
少し前に「姫」という才能について語ってから、「あたしも姫になりたい」「どうしたら姫になれますか?」「姫に憧れるんですぅ」というおよそ姫とは似つかわない武士のみなさまからリクエストを頂くので、そいつらを黙らせるために今日のネタを書こうと思い立ったものです。
で、他にどんな才能があるんですか?ということもよく聞かれるので実は裏でこっそりいろいろとまとめているんです。(姫、ハブ、ヒーラー、セイバー、ホームメイカー、女王、アーティスト、職人、研究者(探求者)、賢者等々。まだまだ適当です。)
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嫌いな人ってのは相当エネルギーを食うでしょう?
最悪、好きなモノも嫌いになっちゃうパワーがあるのです。
でも、それだけじゃなく、「嫌い」と「好き」って私たちのマインドでは同じ動きをしちゃうんです。
そうするとさらに葛藤を引き起こす気持ちが出てくるんですよね。
だから、嫌いが強いときはちゃんと向き合った方がいいんです。
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「嫌い」って感情って色々と大変だぞ?というお話です。
先日のザ・リトリートセミナー3日間で「大嫌いな上司がいる」というシェアがありました。
そのシェアをしてくださった方はお仕事も恋愛も家族もそしてイニシャルもドMでございましたから遠慮なくイジらせていただいて笑いをたくさん提供していただいたのですけれど、「え?その上司はは独身?そっかバツイチか。じゃあ、良かったー。心置きなく好きになれるね!」と話をしまして「は?ちょっとお前、表に出るか?」という狙い通りの反応を頂いておりました。その節はありがとうございました。
で、その際は「大嫌いな上司」ってのはいわゆる「同族嫌悪」であり、その人に見る要素は自分が抑圧しているものだ、という話をさせてもらいましたし、レポ的に記事にしました。
大嫌い→自己嫌悪→ニーズ→痛み→才能。
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お察しの通りその寂しさは子ども時代から溜め込んできたもの。
それが「その当時と似た状況」によって再現されると考えるんです。
だから、今なおそれを生み出しているその仕組みを変えていくことが必要で、やはり、ラスボスおかんと向き合うことが求められているのかもしれません。
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根本先生こんばんわ!
以前、ランチセッションでお会いしたことがあります自武女とは自分では認めてないけどきっとそうなんだろうなぁとも思ってる者ですw
ランチセッションから2年。死闘を繰り返し少しは成長したかなと思っていましたがどうにも処理しきれない感情にモヤモヤしてます。
旦那もいるけど彼氏もいる問題の代表的な自分と、ロックマンなのか野良猫なのかよくわからない彼と訳のわからない関係を続けること2年。
この彼、嘘つきでワーカホリックで他の女の影もあるかも?的なやつで自分のことは多く語りません。少しの時間を作ることも困難でかなり手が焼けます。
それでも私が時間を作れと言えばなんとか時間を作って会いにきます。
SEXも最高で彼の愛を魂レベルで感じます。私の中のセクシャリティが解き放たれなんとも言えない幸福感に満たされます。
以前の私は一緒にいない時の彼の対応で一喜一憂もしていていましたが、今はそれもなくなり、彼の中での私の不動の定位置はきっと変わらないだなぁ、、それなら一緒にいない時間に彼が何をしてようと連絡がなかろうとまぁどーでもいっか。という境地に至るまでになりました。
それなのに彼と会った次の日にはなんとも言えない寂しさや孤独感みたいなものが襲ってくるんです。
彼の愛も伝わるし、もっともっと一緒にいたいとかいう感情でもなく、ただただ寂しさと孤独感みたいなものがくるんです。例えて言うなら日曜日の午後にテレビのザ・ノンフィクションを見た時の気分?日曜日の夕方のサザエさんを見た時の気分?に似ています。この感情ってどこからきてるですかね?
成育環境からきてることは根本信者のはしくれなのでわかるのですが、処理が出来ないのです。
ちなみに両親は小さい頃から仕事で夜もいなく祖母に育てられたようなものでした。母は私に罪悪感を持たせるやり方で私をコントロールしてきました。
私は反発しながらも結局は母の気にいるような選択をしてきたと思います。結婚もこの人なら母は喜ぶんじゃないか、納得するじゃないかと思って決めた節もあります。子供も母のために作ったようなとこもあります。
母は私が女性としてのセクシャリティを持つことを極端に嫌悪してた部分がありました。
今でも母に対する反発心もあるのに癒着してる自分もいます。
なんだか、訳がわかない状態になっていて、私次は何をしたらいいんですかね?
ライフワークの話になりますかね?
(Mさん)
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自分の生き方ってのはそれが普通なので、仮に荷物を背負い過ぎたり、思考的になりすぎたりしても「問題」が起こらない限り、なかなかそこに気付くことはできません。
でも、その問題が起きる時ってのは突然「強制終了」になってしまうわけで、そうするとパニックにもなるし、自己嫌悪も激しくなるし、ということで大変なのです。
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根本先生、こんにちは。
日々、先生のブログに助けられ沢山学ばせてもらっています。
今回仕事に関して相談したいなと思い投稿させていただきました。
私は30代後半で人前に出る仕事をしていて、今回の大きめな仕事が決まった時から、全くやる気が湧かなくなってしまい、、自分と作品が乖離しているというか、、
準備期間の2ヶ月程は何とかがんばって無理をしながらも本を読んだり準備をしてきたのですが、自分でもどうしてしまったのか、、自分が全くわからなくなりました。
今、何とか稽古に通っていますが、普段の自分の仕事に取り組む度合いに比べると6割位で、情けないなと思っています。
こんなの人に見てもらうレベルじゃないです。
理由としては、劇中でこれまで私が割り振られてきた役と違う事を割り振られていて、戸惑っていることと、これまで仕事のために自分のほぼ全ての時間を費やしてきた事とパワハラみたいな扱いをされても耐えてきた事が仇になったと思います。
ちなみにパートナーはいません。情報量が少ないのでもしかしたら読んでも状況がわからないかもしれませんが、今この状況をどう抜けたらいいのか、アドバイスを頂けるとありがたいです。
かつて、お弟子さんにカウンセリングを受けた際超自立で東南アジアを走るバスみたいだと言ってもらった事があります。
何か目に留まりましたら幸いです。よろしくお願いします。
(Sさん)
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自分にとっては良くない状況であっても後から振り返ればいい経験、学びをしたってことってありますよね?
もし、今の状況を神様が愛をもって与えてくれているのだとしたらなぜなのか?何を学ばせようとしているのか?という視点を持つことで得られるものって多いと思うんです。
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リトリートセミナーも三日目ともなれば潜在意識から無意識の深い層に入ってきてるのでひたすら怪しい話になってしまう。
その場にいればそのプロセスを一緒に体感できるから「頭ではよく分からんけど、感覚的には何となく分かる」という状態なのだけど、その部分だけを切り抜いてブログに描いてしまうと「根本さんって・・・そんな人だったの???見損なったわ!」と推しを辞めてしまう人が出てしまうリスクがあるので実は大変ヤバい話を今から書こうとしているのかもしれない。
さて、恋愛に行き詰まり、仕事も停滞気味で未来に希望を描けないような、そんなデッドゾーンみたいな状態において二進も三進もいかないときに、たぶんこんなことを言われたらふつうにムカついてしまうであろうと思う。
「なぜ、神様はあなたの前にそのような状況を用意したの?」
「なぜ、あなたを愛する神様は、あなたをそのような目に遭わせるの?」
「そこに愛があるとするならば、神様はあなたに何を学ばせようと、何を与えようとしているの?」
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リトリートセミナー中につき、特別バージョンでお届けしております。(ま、時間がないってことっす。)
2日目のリトリートセミナーは「つながり」がテーマでした。
よって、癒すべきテーマは必然的に「分離」になります。
あ、このテーマというのは予め決まっているものではなく、セッションを重ねることによって見えてくる「本日のお題」です。
意図的に分離を扱うわけではなく、フォーカスパーソンの問題が分離だったり、それに関するものだったりして、そんなセッションが不思議と続くことで「ああ、今日はつながりがテーマなんだなあ」と思わされるわけです。
で、「痛みを癒すと才能が開く」という基本原則があるわけで、「分離」を「つながり」によって癒すことでその奥に隠れていた才能が顔を出してきます。
でも、それはあくまで顔を覗かせるだけで、そのままでは自分も周りも「何となくは分かるけどはっきりとは認識できない」という状態になるんです。
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