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「本来の自分は怒りっぽい」とか「本来の自分は人嫌いだ」とか思って、そんな自分では生きていけないと思い、「穏やかな人」「人付き合いの良い人」を演じているのですが、ここで言う「本来の自分」というのは、心の痛みからくる別の仮面である可能性が高いものです。
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本当の自分を受け入れようとすることの恐怖心についてご相談させて下さい。
根本さんのご本とblogを拝読するようになったのは4.5年前になると思います。
その頃仕事がほんとにキツくて…
と言ってもそんな難しい仕事じゃなくて、ただ私には恐ろしく難解でした。
で、根本さんのサレンダーや好きなこと心に従うことなど参考に本来の自分を生きることを数年かけて取り組みました。
すると恋愛も人間関係もライフワークもガラッと好転しました。
でも段々とこのまま行ったらヤバいという心の声が大きくなりました。
それは本来の私というのは社会性がゼロ属性だからです。
それを補うために実直、根気、諦観の3種の神器で人生乗り切って来たのですが、本来の自分に戻るほど真逆の性質が露わになって自己嫌悪だし、どう扱っていいか分からないし、何よりこのままでは河川敷の段ボールハウスに直行な未来しか見えずガクブルしてます。
現にうちの家系で本質発露した自由人の末路は落伍者です。
仮にそれがペルソナでも本来の自分は週末かアンダーグラウンドにとどめて表の顔は勤勉誠実にやってる成功例しか私は知りません。
私はそのような原因が考えられますが、本来の自分で生きるというのは、誰にでも怖いことのなのでは?と思いリクエストさせて頂きました。
(Mさん)
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つながりと自己充足で寂しさと孤独感を癒す3時間ワークショップのご感想をいただきました。ありがとうございます!!
東京/オンライン:6/27(日)14:00-17:00 つながりと自己充足で寂しさと孤独感を癒す3時間ワークショップ(1週間アーカイブ視聴可)
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お金がないことが当たり前だとそこにストレスがかかり、そのストレスを緩和するために「お金があったら・・・」というファンタジーが生まれて、それが慰みとなります。
しかし、慰みなので現実は変わらず、八方ふさがりになりやすいものです。
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根本先生、こんにちは!
先生のブログや本のおかげで優しい夫と結婚でき、ライフワークにも気づけたのですが私の1番の課題は“お金ちゃん“だったようです。。
私はシングルマザーの元であまり裕福でない家庭で育ったせいか、お金を使う事が苦手です。そして今はパートタイマーで低収入、旦那さんも低収入。
しかし理想はとても高く、いつもそのギャップに苦しんでいます。
小さい頃から常に“いつか終わるから我慢我慢“という考え方の癖があるのですがそんなことをしていたらもう32歳、理想は都会に暮らし素敵な家具と素敵な服、たまに弾丸で海外旅行!みたいな暮らしが理想なのに、何一つ叶えられていません。
全然満足してないのに、“こうしたら収入が上がるかも!“と思考優位に考えたものは全然やる気が出ず、八方塞がりです泣
根本先生のブログを読んでいて思ったのですが、詰まるところ“お尻に火がつくまではいくとこまでいっちゃえよ?!“という事でしょうか、、、、。
だいぶ欲しいものを買えるようになったのですが、“貯金が減っていくのが怖い!我慢しなきゃ!“と“ライフワークにつながるものは我慢したくない!“の狭間でストレスがすごいです。
“今の現状は自分で作ったもの“ならば、とりあえず貯金が底を尽きるまで買いたいものは全て買ってみればいいんでしょうか、、、?泣
先生のようにお金ちゃんと上手にお付き合いできるような考え方を教えていただきたいです…!
(Yさん)
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パートナーができたり、成功したりして幸せになると途端に体調を崩すなんてケースを時々耳にします。
そこには罪悪感が居座っている・・・という見方もできますが、ほかにも「旦那さんに甘えるチャンス!」「デトックス期」などの見方もあるものです。
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根本先生、こんにちは。
私は自武女の自覚はないのですが、数年前から根本先生のブログを拝読し、だいぶ自己肯定感があがり、愛し愛されるパートナーもできました。お陰様で昔と比べとても生きやすくなっています。
とは言え、ここ1,2年、特にパートナーができてからのここ数ヶ月は、体の不調のオンパレードです。
もともと私は神経過敏(心身ともに)なタイプなのですが、原因不明の手足の痛みや、それが寛解したと思ったら婦人科系の問題(これも原因不明)、それが良くなりそうと思った矢先、また他のものが勃発、のような感じで健康の問題が絶えません。
なのでどうしてももろ手を挙げて、パートナーとの幸せを思いっきり味わえないのです(いつも何かしらの症状が気になっている状態)。
体と心は繋がっているとそこここで見聞きするので、体からのアプローチだけでなく心とも向き合い続けています。
常々感じているのが、幸せを心から感じると、そこから引きずり下ろすかのように間髪入れず何かしらの症状や病気が出るのです。
どうにかして自分を幸せにしないよう、かなり強い反対勢力が働いている感覚です。
幸せになるのが怖いのか、自分的にはかなり向き合ったと思っているのですが、自覚できていない罪悪感が、まだまだふかーい所にあるのか。
パートナーに対しては、不健康な自分で申し訳なく思ってしまいます。
こういう幸せになりたい自分と、それを許さない自分の攻防戦で、自分の健康を使ってなされる場合もあるのでしょうか??
ひとまず根本先生の罪悪感本を読み返し、ワークに勤しんでおります。
罪悪感については今まで沢山書かれてこられたと思うのですが、いつかネタにして頂ければ幸いです。
(Rさん)
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今まで自分に厳しくしていたり、自分を否定しまくっていたり、自分の気持ちを抑圧しまくっていたりした方が「自分を解放」し始めると何が起きると思いますか?
そう、今まで抑圧していた様々なものが出てくるんです。それが病気のような形で出ることもあるのです。
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根本先生
いつも心に染み渡り、刺さりまくる記事ありがとうございます。
以前、女性性に特化したグループセッションに参加した際、先生から『女性性が強いと自分で自分を呪い倒す(?)威力がある』ようなことを言われまして、えーそんなに呪った記憶はないがなぁ。。とその場は終わりましたが、が!!!
とんでもなく呪っていたことが肚落ちしました。
鋭すぎるご指摘ありがとうございました。
私の脳内トークは物心ついてからというもの大抵『こんな自分嫌だ』だったんです。そして言いたいことを言えず、やりたいことをやれないとあきらめて我慢しまくってました。
これを自分を責めてたり、罪悪感コッテコテにする言葉だと思えていなかったんです。
自分との対話を深めるにつれ物凄く責めてる自分、そして親兄弟からの言動にかなり傷つき自分のことが認められず、自分も他人も大嫌いだったことがようやく腑に落ちました。
自分に謝り倒し、内面の私との仲直りを図っていた矢先、身体からメッセージが続きました。
昔に治療した歯がとれてしまい、歯医者さんにいったら大学病院行きレベルの治療が必要だったようで治療をはじめた矢先、今度はお腹と排便痛が起こり、大腸のCT検査&内視鏡検査をすることになり、大腸には問題なく安心したもつかの間、CTにたまたま映った子宮が肥大してるようだとの指摘が。。
大腸をみてくれたドクターの機転ですぐさま同じ病院に入ってる婦人科にいったのですけど、まさかの子宮内膜症で手術を勧められました。
婦人科(男性ドクター)では卵巣とることに抵抗ありますか?と淡々ときかれ軽んじられてるようで悲しくなりました。
そして、自分に女性であることをたくさん我慢させてきたことを申し訳ない気持ちになりました(;_;)
過去に女性性を抑圧しなきゃいけないことが多々あったんです‥
と、同時に大切な自分にこの偏屈ドクターの執刀は許さんと思いました。こういうときは武闘派の血が良い方向に騒いてくれるのがありがたいです。
病院から戻りネットで探したところ内膜症を小さくしたりする治療もあることがわかり安堵してます。
ただ、身体からのメッセージにまつわる一連のことが1ヶ月以内に起こったので若干放心状態といいますか。。
自分への愛しさは増すばかりなのですけど何とも言えない気持ちです。
親とはほぼ絶縁だし、兄弟は親とツーカーなのでこの件で関わりたくないです。
こんなとき自分は心理的安全性を感じられる場所がなく、ずっと心がひとりぼっちだったのだと、それを恥ながら責めて生きてきたんだなと痛感しています。
そんな中で大腸を診てくれた先生にヘラクレスオーラを感知したんです。サインをつい吹き消すとこでしたが、こんなとこでうれしいオーラをキャッチできたことを喜ぼうと思えてきて、女性性の高さもジワジワ自覚できるようになってきました。
執着が作動しそうになりましたが気持ちを書きなぐって自分をなだめ、サレンダーしつつ、まずは自分の身体のケア、心のケアをしていこうかと思えているところです
もし記事で取り上げていただけるようでしたら、叱咤激励応援メッセージをお願いしたいです。
毎日心ほぐす記事をありがとうございます。
(Sさん)
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怖すぎて手を出せない、ということにも実は何らかの意味があり、目的があるもので、カウンセラーはそこを突っつくことを生業としているのですね。
そして、その怖れを越える方法もいろいろとあるわけですが、でも、大事なのは「本音」なんです。どうしたいのか?という。
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ライフワークについてネタリクエストです。
本当にしたいことをやることが、怖すぎます。
私はすごく弱く臆病です。
だから本当にやりたいことに内容が近くて周りも認めてくれることをずっとやって来ました。
もうすぐ40歳です。
私がやりたいことをやってる人を見ると辛いです。
これをもう15年は感じてるけど、手を出すのが怖すぎて、仕事打ち込んだり、ヨガや瞑想で心頭滅却したり、土弄りしたり、ボディメイクしたり、恋愛して、仲間とワイワイしたりと…簡単に抵抗なくやれることで自分埋めて埋めて埋めてたけど…埋まりませんでした。
でも怖い。今も怖い。
手を出せない…ということはそんなにやりたいことじゃないんだ!そうだ!と納得して今目の前にある縁ある楽しいことでまた埋めて埋めて埋めて…(以下ループ)
とっととやってみれば「あ、なんだそんなにでもなかったな、気が済んだわ」とかなるかもしれないのに。
なんだかんだそれがわかってて夢みてるのかもしれません。
夢見る夢子の処女膜さっさとぶち抜いて前に進みたいでス!
(Tさん)
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自分が自然にできることよりも、難解と思える山にチャレンジする方がコーフンするし魅力を感じるというケースがあります。
それならそれで全然いいんじゃないの?という前提ですが、ちょっとチェックしていただきたいこともあるのです。
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いつも大変お世話になっております!
ありがとうございます!
才能についてお聞きしたく失礼しました。
才能とは言っても大袈裟なものではなく、強みとかお金になりやすいジャンルや方向性についてです。
よく心理学系とかビジネス系で「才能は頑張らなくても出来ること、その人自身は意識しないで出来ること」とききますし、根本さんも言われてたと記憶しています。
わたしも経験的にそうだと思います。
ただそこで長年解消出来ない葛藤があります。
それは「自分が自然に出来ることには魅力を感じ辛い」ということです。
自然に出来るので抵抗がなく楽なのですが、魅力はどうしても見えてこないというか。
また、楽なところで安住してるようで、そこからどう成長し発展して行けばいいのか見えないというか。
対象的に、自分の外にあることの魅力は見えやすく、ですがそれを自分がやるには努力や根気が必要です。
大変なのですが、それが出来た時はその結果が振り返っても好きだし、でも努力が必要なのでいつもは出来なくて腰が重くなりがち。
これが好き、こうなりたい、のワクワクするけど、やってる時しんどい。でも出来た時の達成感と満足感はある。
自然にやれるけど、自分では価値も魅力も感じない、でもするするやれるので割り切れさえすれば楽に生きられそう。
根本さんは以前、得意なことよりワクワクするような好きなことを選んだ方が良いと言われてた記憶があります。
そうしないと心がやがて枯渇する的なニュアンスだったと思います。
お考えお聞かせ頂けたら幸いです。
(Rさん)
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