嫉妬するのも嫉妬されるのも、自分の価値や魅力を過小評価しているから起きること。

嫉妬はすごく苦しい感情でできれば認めたくないのですが、なぜ嫉妬は情熱の女(男)について回るのでしょう?
また、嫉妬されるのはすごくめんどくさいですけれど、なぜそんなことが起きてしまうのでしょう?

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第3の反抗期とは?~アラサーになって自分の人生を見つめ直し、社会的に自立をしていくときに何をしたらいいのか?~

私は30歳前後に多く訪れる「これからどう生きていけばよいのか?」を悩む時期を第3の反抗期と呼んでます。社会的自立を果たそうとされてるわけですね。
そんなときはこれからのことを考えつつ、自分をより深く知ることがお勧めなのです。

根本さんこんにちは。
お金の話の記事を読み、まさに自分だ!と思いいてもたってもいられずメッセージを書いています。

私も相談者様と同じように、比較的お金に困らない家で育ちました。
習い事や旅行などもたくさん行かせてもらいました。
が、お金を出してもらう時、いつも母に小言を言われていました。

そして今、自分のためにお金を使うのにかなり抵抗感があります。
学歴の割にお金を稼げておらず、自分としてもなぜかそれが当然のような感覚でいました。

また、キャリアに関しても結婚に関しても、30になった最近「全然向き合ってこなかったのでは…?」と焦り始めました。

母はいわゆるバリキャリです。
学生時代の恋人(父)と結婚し、子供も二人。
その状況を当たり前だと思ってぼんやり生きていた自分。
今何も手に入っていません。

全てが私にとって「遠くてあいまいなもの」になってたのかな…?と思いました。

30になって周りは結婚、子供、キャリア…
一方自分はキャリアも中途半端、お金なし、恋人無し。
必死に根本さんの本を読んで自分軸形成に励んでいる状態です(笑)。

これからもブログ、楽しみにしています!
乱文失礼いたしました!
(Cさん)

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【保存版】自己肯定感があがれば手土産を持たずとも知人宅を訪れることができるようになるのか?

自分を変えるのではなく、まずはただただ受け入れる「自己肯定感」。
ここに意識を向けるとどんな風に自分の感じ方が変わっていくかのプロセスを描いてみました。
変えようとせずとも、自分を受け入れ続けるだけで人は変われてしまう、という話です。
保存版かも!

根本先生、こんにちは。
行き方に迷ったらGoogle先生、生き方に迷ったら根本先生とばかりに、日々何かあるたび参考にさせていただいております。

恋愛ネタでなくて恐縮ですが、私は好きな人に会いに行ったり好きな人が集まる場所を訪ねたいとき、なにかその場での役割や用事がなければ行ってはいけないような気がして、それでもいいよ、と言ってくれたところに行く場合も、おじゃまするのだからせめてなにか手土産を持っていかなければ、という気持ちが強くあるようです。
なにか特に用や役に立つわけでもないしのに手ぶらで行ってしまうと、失礼だと感じてしまいます。

根本先生のブログもSNSもYouTubeもVoicyもほぼ網羅し、本も買って読み漁っていますが、やはり投影として考えた時に、でも思い当たらないんですよね。
自分はどちらかというと寂しがりで、誰かがなんでもないのに訪ねて来てくれたり、連絡をくれるのはすごく嬉しいのに、もちろんその時ただ会いに来てくれることが嬉しいのですが。

なんでもなく気軽に人に会いにいける人を尊敬します。
…とここまで書いて、もしかしたらまだ私は自己肯定感が低い!?と感じてしまいました。
ただ自分が会いに行くだけで喜んでもらえる、安心してもらったりいて欲しいと思われる、と自分がそう思えないのでは…

なんでだろうと考えた時、昔、我が家はどちらかというとお客さんが多い方で、人が来るとなると片付けたり掃除しなければならない、長居されると家のことが遅くなる、など母がよくボヤいていたことを思い出します。
私自身も末っ子で、母に役に立たないというようなことでよく叱られてたような気がします。
「役に立たない」「目障り」「じゃま」という言葉に特に身体がこわばるような感覚もあります。
そんな思いや感覚をどうすれば払拭できるのか、もっと気軽に人と付き合えるようになるには、どうすればいいのか、なにかのネタとして、お導きいただけるとありがたいです。
(Mさん)

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本気でライフワークを生きたいから「ないもの」に目が行ってしまう心理~何かを足すのではなく、むしろ引いて、より自分に忠実になること~

本気でライフワークを生きたい気持ちが強い分だけ、自分に足りないものが目に付くものです。
けれど、そうして足りないことを追い求めることが果たして本当に“自分らしい”のか?については改めて自分と向き合う必要がありそうです。

いつもありがとうございます。
根本先生のおかげで、ライフワークに忙しく楽しく生きています。
本当に、めっっっちゃ楽しいです。

そんな私ですが、最近、仕事のことで、長らく自分の中心に装備していた無価値感が発動して、苦しい気持ちになることがあります。

その仕事は、ライフワークのうちのひとつ(ライフワークはもうひとつあって、そっちも同じぐらいめっちゃくちゃ楽しいです。2つのライフワークの共通項がかなり多いので、どちらともに相乗的にのめり込んでいます)で、日々呼吸をするように勉強しているし(超楽しい)、将来、その分野の「職人」になりたいです。

その仕事は、ざっくり言うと「お子さんとその保護者さん」と接する仕事です。
そして、私自身は、子どもがいなくて、子どもを持つ予定も今のところありません。
そのことが、仕事に本気になればなるほど、私にとって「問題」になってきました。

子どもと関わる職種で、お子さんがいない方ですごく素敵な仕事をしていらっしゃる人を実際知っていますし、きっと世の中にたくさんいらっしゃると思います。

でも、自分自身については、「子どものいない私じゃあ、この仕事では職人になんてなれないじゃん」という思いが消えません。

お母さん方とお話する時も、相手は私のプライベートはご存知ないのに、勝手に心の中で「こんな私が生意気を言ってごめんなさい」と思います。そして純粋にお母さん方を尊敬しています。

お子さんのいる友人に相談したところ、「お母さん同士の話がしたいわけじゃなくて、その分野の専門知識を求めて来ているわけだから、そう思わなくていい」と言ってもらい、少し安心しました。

ですが、一応、元々資格職ではありますが、さらに別の資格を取るという行動にも出ている自分は、熱心なのか、自己攻撃をしているのか、分かりません。

このように「仕事の悩み」として悩んでいるのも、ダミーのような気がしてきています。
仕事については、お母さんの気持ちにより共感できるだろう育児中の同僚に、私にできない部分は頼ればいいと思えてきています。

私は、ここからどんな風にこの問題と向き合えばいいでしょうか?
もしかしてパートナーシップでしょうか?(唐突)
おかんでしょうか?(唐突)
情報が足りていない部分もあると思いますが、
よろしくお願いします。
(Sさん)

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才能は諸刃の剣で人を救うこともできれば傷けることもできるもの~その才能をもっと活かすことで平和利用が実現できる!~

豊かな才能を持つ人は、その才能故に人や自分自身を傷つけてしまうことも少なくありません。
でも、それはその才能の価値を十分に受け取れてないからかもしれません。
その才能が活かせる場をもっと自分に与えることで破壊的な使い方はしなくなるものです。

いつもお世話になっております。
本も購入させていただき、セミナーにも参加させていただいています。

今回ご相談させていただきたいのは、私が「人が一番言われたくない言葉を見つける天才」である点についてです。本当に神がかった能力です。

普段は人の良いところを自然と言語化していると褒められることが多く、仕事ではどこに行ってもいつの間にか教育係になっています。

なのに、些細な不安を感じた時と体調のバランスが崩れたときに、ものすごく文才のあるロジカルで冷静な暴言をスラスラと相手にかましてしまうのです。
その内容の酷さは、相手が大切な人であればあるほど、増します。
絶対に言ってはいけないことや、取り返しのないことを、一番心に突き刺さる言い方で、相手に伝えてしまいます。
(ちなみに「暴言に文才がある」、とは、実際に恋人から言われました。)

言うまでは、「私の不安や正しさを相手に伝わるように丁寧に言語化しなきゃ」と必死なくらいです。
言葉を放った後に相手が見たことないくらいに傷ついた姿見てようやく、自分の言葉に自分で震え、記憶を消したいくらい後悔します。

その後は、心から謝罪と本当の想いを伝えます。でも何故か暴言のような文才は発揮できないのです泣。
見窄らしい謝罪になり、より一層、先の暴言の説得力を高めてしまう始末です。

この前は遂に、恋人にセックスについてズタボロに言ってしまい、優しい彼のメンタルも、2人で積み上げてきた幸せな思い出も、ボロボロにしてしまいました。
本当は、私は今までの恋人の中で彼とのセックスが一番安心感があるのに、真逆と捉えられるような発言を文才豊かに放ってしまいました。

こういったことを、大切な人に、何度も繰り返してしまっています。

その度に、目の前の人はもちろん、過去に傷つけた人や場面を思い出して、「あぁまだ反省が足りなかった」と二重にも三重にも後悔します。

諸悪の根源は罪悪感でしかないのは明らか(?)なのですが、私はなぜ幸せになることを壊してしまうのでしょうか。
仕事も恋愛も順調で、親との関係も修復し、数年続いていた体調不良も改善してきたのに…。

せめてテクニックとして、「相手の心を殺す言葉を生み出さない」方法を知りたいです…。もう大切な人の心を壊したくありません。
おすすめのアファメーションなどあればぜひ教えてください。
(Yさん)

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芸術家タイプで天命遂行型で女性性が豊かな人は一つの仕事を続けるのが苦手でいろんな世界をふらふらするのが好き。

特に仕事において「こうあるのが正しい」みたいな考えに捉われると女性性が豊かな人ほど自己否定が激しくなるものです。
男性性優位な仕事はそもそも合わないので、そのことをちゃんと受け入れることが前提で、その上で直感・感覚・感情的に振舞うのが合っているのです。

Dear根本先生

北京五輪な昨今(2月現在)、いかがおすごしでしょうか。現在、絶賛無職のSと申します。転職活動ではや3か月、そろそろ追い詰められてきました。先生、助けてー涙

進学校卒で周りは医者やら官僚やら、なんですが、私はその時々の直感でふらふら仕事を選んできました。ジャーナリスト、営業、事務方、まちおこし、通訳、モデル、声優など。結果、友人に比べて専門性も稼ぎもないことが、ずっとコンプレックスです。

半年前にとても大きな仕事がきまして、とある業界内では時の人になりました。その道でいったろかな!と思いましたが、数か月の契約がすぎたらポイ。一気に無職の現在です。

いまは、これまた直感で、外資系の仕事にチャレンジしたろかなーと思って、英語の勉強など頑張っているんですが、なかなかうまくいかず「自分、なんも意味のある(人にアピールできる)仕事なんかしてなかったんじゃないかー」と悲しくなります。

無職時のメンタルってどう保ったら良いんでしょう?
今の自分が許せないわ屑だわ、という思いも、過去の自分の仕事を認めたら楽になりますか?考えすぎてもうわからんとです!涙

季節の変わり目です、何卒ご自愛ください
(Sさん)

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表は武闘派、でも、心の中には姫がいる!?周りの人たちが何かと手を貸してくれるならお姫様マインドを開花させるのが解決の秘訣かも。

自分は一人で大丈夫なのに、何かと心配されたり、手を貸そうとする人が現れたりするって方が時々いらっしゃいます。
それは表向きは自立しようとしているのに、内面にお姫様マインドが強いので、周りの人が何かと助けたくなっちゃうキャラだからなんです。

こんにちは。ブログや本でお世話になっております。
私がご提供するネタは「助けられたくない」という思いについてです。

私の彼は世話焼きです。私が少し困っているとすぐ助けてこようとします。
私にはそれが鬱陶しいのです。
彼に限らず、どの職場に行っても異常なほどに面倒を見てくる男性が近付いてきます。
女性の集団でも、世話される側のポジションになります。

そんな私なのですが、内心では積極的に世話してこようとする人が怖いです。
彼らは、私が期待に応えるような成果をださないと不機嫌になり、お礼を言ったり喜んだりしないと不機嫌になり、それならと、最初から助けたいという申し出を断っても不機嫌になります。
でも、勝手に助けようとしておいて、自分の思い通りに「助けられてくれない」と不機嫌になるなんて、私にとっては加害なのです。

色々な経験が積み重なって、助けられることを愛ではなく「干渉」や「加害」だと感じる変な回路ができてしまいました。

これは親密感や相互依存への恐れが原因なのでしょうか。

なお、私は過干渉な母、モラハラの父、反抗的な弟、いい子ちゃんで成績優秀の私という家族構成で育った長女です。
(Mさん)

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