砂漠みたいな心の渇きを癒すのは「感謝」と「自己充足」に尽きる。

「自立の依存」問題についてご紹介しています。
心の渇きを「誰か」や「何か」に満たしてもらおうとすると、その「誰か」や「何か」に依存するようになってしまいます。
それを「自分で自分を満たす=自己充足」に切り替えることで、周りの人に対しては感謝が溢れ、その愛を受け取ることができるようになり、より満たされることになるのです。

先生、こんにちは。この数日のブログをとても興味深く拝読させていただいております。ありがとうございます。
やっぱり私も恋愛至上主義の女だったという確認もできて、常にヒリヒリとした焦燥感の中にいてこそ「あー私、今生きている」としみじみ思う女なんですね。
私がバズーカ砲をぶっばなしても、平然といつも通り私に接してくる彼を見て、あんたも成長したやんと思う一方で、もう本当に恋のジェットコースターではなくなったこともわかりました。
今仕事で彼と私の共同での事業説明会を開催すると120名以上の人が集まります。彼も私も人の目をひく、集める何かがあるみたいです。おかげさまでお互いにたくさんのファンがいます。
自分ごとの仕事の面、も彼から要求されていることも、主人から要求されていることも一応私自身はできているみたいです。ただ、私の中の暴れ馬がいうことを聞かない(笑)
この砂漠みたいな心の渇きは何なのでしょうね。自分自身の手綱を引くのに苦労しています
(Yさん)

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自分軸だと思ってたけど、実は他人軸だった問題

好きなことややりたいことをやっているのは「自分軸」じゃないとできないのですが、それが成功すると、気が付けば「他人軸」になってしまうことがライフワークに関するテーマを扱っているとよくあるんです。

「好きなことをやってるのに、なぜか最近面白くない」
「やりたいことをやって楽しいはずなのに、なんだかやる気が出ない」
「ライフワークを生きているつもりだけれど、どうも腑に落ちない」
「好きなことだと思っていたけど、これって違うのかもしれない」

そんな感覚を覚えたことはありませんか???

これって意外と仕事ができる人に多い傾向で、「自分軸だと思ってたけど、他人軸だった問題」と個人的に呼んでおります。

HくんはBBQが好きで、ちょいちょい家族や友達を誘って近所の公園で焚き火をして肉を焼いて楽しんでいたとします。

それを聞いた別の友人が「今度、僕たちもBBQやりたいんだけど、よく分からないから一緒にやらない?」と声をかけてくれました。

自分としてはBBQもできるし、友人と語らうこともできるし、彼らを喜ばせたい気持ちも強いので二つ返事でOKを出します。

そして、その日はとても楽しい時間を過ごすことができました。

その噂を聞き付けた別の友人や、友人の友人もHくんとBBQをしたいと声をかけてくれるようになっていきました。

もちろん、嬉しいです。しかし、気が付けば毎週、公園で火を起こして、肉を焼いて、語らいの時間を過ごすようになってきました。

みんなめちゃくちゃ喜んでくれます。
しかし、自分は少しずつ疲れて来てしまいました。

朝早くから場所取りに行ったり、買い出しに行ったり、火を起こしたり。
そのもの自体は嬉しいし、喜んでもらえることも幸せなんだけど、なんだか気が重くなってきたのです。

「なんか、俺、ほんとうはBBQあんまり好きじゃないのかなあ」なんて風に思うようになってきたのです。
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怖れを手放して、愛をベースに仕事を始めると売り上げが激減する!?

怖れは自分に鞭を与え、頑張らせ、無理をさせるんですよね。だから、売上って意外と伸びるんです。疲れるんだけど、しんどいんだけど。
それを愛をベースにし始めると、「自分を愛する」という思いが出てくるので、そこまで自分に無理をかけなくなります。だから売上が減少します。
しかし、そこからが違うんです。

こんにちは。いつもいつも本当にお世話になっております。
根本さんの著書・ブログは手放せない「心の辞書」です。
先日アップされた『その「やりたいこと」は「愛」からのもの?それとも「怖れ」からのもの?』を読んで

自分の仕事が「親に認められない怖れ」からの選択だと改めて再認識しました。

私は昨年の秋頃から「自分軸で仕事をしよう」と決め改善したものの、サッパリ情熱が湧かずに困っているところでした(理由が分かってスッキリ!)

しかも、その頃から客足がバッタリと減り、嫌なお客さんは減ったけど収入も激減し「おいおい頼むぜ自分軸!」て感じ。泣

ただ、おかげさまで「もしかして我儘?」と自分を責めることはなく、一緒に居て心から楽しい友達もできました。

それにアプローチ下手くそ過ぎる選手権に優勝しそうな男子がそばにいることに気づき「私ならこの男をヘラクレスに育てられるんじゃないか?」と浮かれて、仕事への集中力すら失っています。汗

でも生活費がキツくなってきたので、仕事に情熱を復活させる方法は無いでしょうか?

正直、怖れからとはいえ情熱(使命感?)があった頃の方が「親への愛」もあったし、お客さん(困ってる人)を助けたい「愛」があった気がするんですけど

もう一度「愛」から選ぼうとしても良く分からないなって。来て欲しいはずなのにお客さんが来ると疲れている自分がいます。コレもはや転職ですかね?

根本さん、もしよかったら「愛から」もう少し補足お願いしたいです。
(Yさん)

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「気にし過ぎ」と「人の気持ちを考える」の違いは何なんでしょうか。

あれこれ考えることは悪いことではないのですが、それが自分の頭の中だけで、相手不在になってしまうと、すれ違いや勘違い、思い込みが生まれやすくなりますね。
ただ、そうした「気にし過ぎ」なところからも「長所」や「価値」を見出すことは可能です。
肯定的にものごとを見つめるのは、どんな問題に対しても同じですね。

「気にし過ぎ」と「人の気持ちを考える」の違いは何なんでしょうか。
既出のテーマかもしれませんが、過去記事や根本先生本をしつこく読んでるのに自分の中でブロックがあるのか理解出来ないテーマです。

私は時々「気にし過ぎ」と言われてしまいます。
でも人に気を使って自分の気持ちが言えないのかと言うとむしろ逆で、ふつうは言わないような自分の内面の葛藤までポロポロとつい言ってしまうので、ちょっと相手を面くらわせてしまうという感じです。

私は少しだけ作曲の仕事をしているのですが、私の作るものは上記のエピソードと同じく受け手の気持ちを配慮出来てなくて、ちょっとヘビーな感じぽいです。

ぽいと言うのは、自分では、十分自覚してるつもりなので、自分が表現したいことは大事にしつつも、口当たりを少しよくしているつもりなのですが、依然として同じ印象を与えてる…という認識のズレが何度となく起こるからです。

私は表現者の端くれなので、自分の感じてることを何とか表現をしたいという大前提があります。

でも、それをそのまま出してしまったらお茶を濾さずにお茶カスと一緒に出すようなもので、飲めたものじゃないとなってしまいます。

なので、そこのところの濾過作業をなんとか試行錯誤しているのですが、もう何年も何年もぐるぐるしています。

この葛藤をついポロりしてしまうと、上記の通り「気にし過ぎ」と言われてしまうのですが、そう言う人に限ってめちゃくちゃ濾過作業がうまかったりするんですよね…

それって言外に「君は濾過作業できるタイプじゃないからね…気にしてもムダ」ということなのでしょうか。

でも作り手の本能としては、飲んでもらわないことには意味がない…!のです。

ということで、今日も今日とて焙煎からの抽出濾過作業励んでおります。

根本先生流のツッコミいただけたらめちゃんこしあわせとリクエストさせて頂きました!
ではいつもたくさんの愛と示唆を誠にありがとうございます!
(Hさん)

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罪悪感ワークショップの内容を思い切って大公開!

好評発売中のこの本をベースにした、ワークショップを企画しました。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)

すなわち、『罪悪感から自分を解放する4時間ワークショップ』。
そのレジュメを作っていたのですが、内容を考えているうちにどんどんワクワクしてしまい、なかなか良いものができたんじゃないか?と自画自賛しているので、思わず、ブログ/メルマガとして公開しちゃうことにしました(笑)

へぇ、こんなことをするんだ・・・という目で見て頂けたら幸いです。
(レジュメの内容は当日多少変わるかもしれませんが、基本、こんな感じです。また、ブログ/メルマガ用に少し解説を加えているのでレジュメそのものではありません)
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子どもの頃から当たり前にある「孤独感」を癒すには○○をするといい!?

何となく「釣り」のようなタイトルを付けてみましたが(笑)、かなりガチで、ちょっと専門的な視点も入った記事になっております。
「習慣」が作り出す「変わりたいけど変われない問題」をどうしたら抜け出せるのか?をセッション風にお届けしています。

仙台で個人セッションをしていて、立て続けに同じテーマが出てきたので皆さんにもシェアしてみようと思いました。

例えば、子どもの頃、親が共働きだったり、病気だったり、あるいは、ネグレクト(育児放棄)まではいかなくてもあまり親に愛されなかったりした場合、心の中には「孤独感、寂しさ」や「居場所のなさ」といった思いがずっと積み重なるようになります。

もちろん、そうしたケースばかりではなく、「お金がない!!」「我慢しなさい!!」「お姉ちゃんの方が愛されてる」「彼氏ができない!!」などなど、そうして積み重なる思いは人それぞれです。

子ども時代にそうした思いをずっと持つようになると、ある種の「耐性」ができて、孤独でも平気、お金がないのが当たり前、我慢するのがふつう、という状態になります。

これも「習慣」の一つですね。

もちろん、それは嫌なことなんだけど、「慣れてしまう」わけです。

さて、そうすると「私は孤独である」ということが、一種のアイデンティティになってしまうんです。

同じように「私はお金がない」「私は我慢する人」「私は誰かよりも愛されない存在」という風に自分自身を定義づけてしまうわけです。

そうすると、今度は摩訶不思議な現象が起きてきます。

私たちは潜在意識の中で当たり前になってしまった習慣を、なんと「維持」しようとしてしまうのです。
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環境が作る罪悪感について。

ツイッターに連続投稿したので、それをシェアします~♪