原動力が「怖れ」から「愛」に変わると全然モチベーションが上がらなくなる!?

「頑張らなきゃ必要とされない」という「怖れ」をベースに頑張ってた。
けど、それはしんどくなって「怖れ」を手放して、「愛」をベースに変えて行った。
そしたら前みたいに気力がわかなくなったし、頑張れなくなった。
それでいいの?ダメなんじゃない?

そう、「怖れ」は刺激的だけど「愛」は穏やかなのです。

「ちゃんとしなければ認めてもらえない」
「こんな私は人一倍頑張らなきゃいけない」
「何者かにならなければ愛されない」
「自分ひとりで何とかしなければならない」
「負けてはいけない。舐められてはいけない。」
「常に成長し続けなければならない」

これらは「怖れ」がベースになっている価値観です。
「怖れ」って刺激的で、インパクトも強いので「瞬発力」もあり、かつ、火事場の馬鹿力じゃないですが、たいへんパワフルです。

ふつう「怖れ」というのは「持続力」に欠けるので長続きしないものなのですが、強い怖れの場合は「刺激中毒」の状態を作り出すので、その頑張りを続けることができるんです。

体力・気力に充実している間は「怖れ」をベースにした頑張りもできるんですけど、その頑張りが体力・気力を削っていくことになるので、言うてもそんな長期間にわたって頑張り続けることはできません。

どこかで心身を病んでしまうことになるでしょう。
だって、出力オーバーの状態が何年も続いてしまうわけですから。
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その考え方はどこからきたのか?どうやってそれを変えていけばいいのか?

私たちはつい被害者になりがちなのですが、よくよく見て行けばそれは紛うことなき自作自演でることに気づくことも多いものです。
私たちの問題の多くは、自分自身の価値観や考え方が作っているものですから、それを変えていく、手放していくことで、生き方を変えることもできるのです。

いつもブログや書籍で助けられております。現在6回目の転職活動中(有休消化中)です。
前回の転職活動でも転職の多さから苦戦したのですが、また心身共に限界を迎えるまで働いてしまい今に至ります。
過去を振り返るのですが、どうも犯人は自分のようです。仕事をどんどん振られ誰も助けてくれず、自分でもどうしようもなく限界を迎えていたんですが、自分の中に頑張らないと評価されない、せっかく依頼してくれた仕事を断ると申し訳ないという考えが根底にあり、自身で追い詰めていたことに気付きました。
仕事を増やすのは上司、同僚と思い込んでいたため一人職場でないと無理なのかと考え込んでしまい、でも自分に何が出来るのかと鬱状態になってしまいました。
こういう時は『休め』と言われると思うのですが、休む事にも罪悪感がかなりあり、休んでも休めず、気分転換も何をして良いのかわからずもがき苦しんでおります。
先生の本をかき集めて熟読するのですが、同じ間違いを繰り返しかねない転職活動を中断すべきかご教授頂けたら幸いです。
(Tさん)

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しごできお姉さんの無価値感問題~あなたのその生き方を作る無価値感のお話~

「私は愛される価値がない」と感じさせる無価値感。
この無価値感はハードワークを生み出し、どれだけ成果を上げても自信が持てなかったり、常に人の期待に応え続けようとして疲弊したり、自分を下に置いたりしてしまう問題を作ります。
それくらい根の深い問題なので、自分を救うためにも腰を据えてじっくり向き合いたいものです。

エリートだったり、うまくやってる経営者だったり、「いやいやふつうのOLですよ」と謙遜される“しごできお姉さん”だったりにお会いする機会が多いのですが、けっこうな確率で「無価値感」を抱えていらっしゃることが多いようなのです。みなさんはいかが?

「わたしには(愛される)価値がない」という思い込み、心の中にありませんか?

もちろん、誰もが持っている感情ですけれど、客観的に見れば「えー、すばらしい価値をいっぱい持ってるのにー」と思わされるのです。

こんなパターンに心当たりはありませんか?

・ハードワークをしてしまう。自分の能力は大したことないと思い込んでいて、人一倍頑張らなきゃ!と思っている。

・それなりに実績を積んできてると思うが、自分に自信を持てない。上司・先輩・同期からは「もっと自信もちなよ」と言われるが言われてできるもんでもない。

・周りから賞賛されているらしいが、自分ではその実感がなく、むしろ、評価されればされるほど「その評価を裏切ってはならない」と甚大なプレッシャーを感じる。

・表に出るのが恥ずかしいというか目立ちたくないというか、自己分析も低く見てしまうし、いわゆる謙虚なふるまいをし続けているのだと思う。

・周りのすごい人たちと自分を比べて「自分なんてまだまだ」とずっと思い続けている。

・自分がうまくやってこれたのは周りの人たちに支えられたからだし、運がよかっただけで自分の実力とは思えない。

もちろん、これは仕事だけでなく、パートナーシップにもめちゃくちゃ当てはまるものです。
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大切な人が大変なときは緊急時特別対応を取り、腹を括って向き合うこと~敢えて「頑張る」ときもある~

大切なお母さんの命がかかっているのであれば、そこは「頑張るとき」と割り切り、自分にできることを全部やる!なんなら、わたしが母を助ける!くらいの気合を入れることも大切です。
敢えて自分のことを放っておいて母のために男性性を発揮して頑張るときがあってもいいんです。

こんにちは。
いつも動画やブログでお世話になってます。

母の急病について、ネタを送らせていただきます。
2週間ほど前に、今までバリバリ働いていた母が倒れ、緊急手術となりました。
最初に救急搬送された病院では、なにも問題が無いので何も出来ない、と見放され数時間放置されてしまい、自分達の判断で別の病院へ運んだところ、緊急手術となりました。
もう少し遅れていたら、本当に危なかったみたいです。
奇跡的に命は助かりましたが、輸血、人工心肺を使うような大手術だったため、合併症など予後があまり良くなくて、医者にも原因がわからないことが多く困っています。
母は意識はありますが、手術の日から食事をとってなく、精神的にも不安定になっています。
せっかく救われたのに、また命の危機があるのではないかと不安です。セカンドオピニオンをしたほうがいいのかな、いや、あまり動かずに先生を信じたほうが、、でもこのままでは、、など、思考がグルグルしています。
母が倒れてからは、ふだんナマケモノの私には到底出せないようなパワーで動いてきました。
入院のサポート、不安のケア、保険やローンの手続き、実家の祖母や問題のあるきょうだいの生活のサポート、
誤診による訴訟の準備、勝手に見舞いにくる人を牽制する、厄年の自分の厄祓いなど…(私の厄年のせいかなと思って)

実際に自分しか動けない場面も多く、休めません。
私の判断ひとつで母の命が無くなってしまうんじゃないかという恐怖がずっと続いてます。
母の不満やわがままも、頑張って聞いています。
先日、痛みで苦しむ母に当たられて、心がポキッと折れる瞬間がありました。
気づけば私自身も、ずっとお腹を壊していたり、身体が重かったり、すごく体調が悪いです。
共倒れをしてはいけないと思って、お風呂にゆっくり入ってみたり、面会に行かない日をつくってみたりしてはいますが、命のことを目の前にすると、どうしても不安になり焦ってしまいます。
医者を信頼できないのが1番つらいです。
最初の搬送先で放置されてしまったときの記憶がトラウマのように思い返されます。
まだ59歳の母です。もう少し長く生きてもらいたい。
でも、そう思って頑張れば頑張るほど、私もボロボロに。
前みたいな生活には戻れなかったとしても、母に生きててほしいという願い、これは私の執着なのでしょうか。
今思うと、他の大人に助けてもらえない母を小さい時からずっと近くで見てきました。
子供の事で困っていても父に助けてもらえず、捨てられる、などです。
武闘派の母の娘として、親の病とはどう向き合っていけばよいのでしょうか。
ご助言いただけたら嬉しいです。
(Nさん)

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なぜ自立している人ほど「安心できない」と感じるのか?

恋愛で相手は優しいのに、なぜか「安心できない」と感じることはありませんか?
実はこの感覚は、自立して生きてきた人ほど起こりやすいものです。子どもの頃から自分で何とかする習慣が身についていると、「安心させてほしい」と素直に言えず、不安を一人で抱え込んでしまいます。
さらに、子ども時代に家庭が安心できる場所でなかった場合、人の顔色を読む癖が大人になっても残りやすいのです。
本当の安心は誰かから与えられるものではなく、自分の感情に気づき、自分とつながることから育っていきます。
安心とは「自分の中に帰ってこられる感覚」。自分を裏切らず、自分との信頼関係を築くことで、私たちは少しずつ安心して生きられるようになるのです。

カウンセリングをしていると、よくこんな言葉を聞きます。

「なんか安心できないんです」

恋愛でも、仕事でも、人生でも。特に多いのは恋愛の場面ですね、やっぱり。

彼は優しい。
浮気しているわけでもない。
ちゃんと愛情を示してくれる。
いい関係を築けてると思う。

でも、、、、

「なんか安心できない」

そんな風に思うことはありませんか?
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ずっと優しかったカウンセラーさんが最近厳しくなって辛い。

カウンセラーとの関係も人間関係のひとつであり、お互いが持つパターンが出やすいものです。それでトラブルになることもありますね。
また、そろそろこの関係は終わりにして、次に進んだ方がいいですよー!というメッセージでカウンセラーさんとぎくしゃくすることもあるんです。エネルギーのバランスが崩れたんですね。

カウンセリングについての悩みです。よろしくお願い致します。
私は数年前から地元のカウンセラーさん(女性)のカウンセリングを受けているのですが、ずっと優しかったその方が、最近厳しいように感じております。
私が変われない・前に進めていないため、促す為に厳しくして下さるようになったのだろうと思うのですが、正直それが辛く、カウンセリングを続けるか迷ってしまっております。
安心出来る場所を失ったようで悲しい、自分は駄目だという気持ちが増している、という状況です。私が甘いだけなのだろうと思いますが、苦しいです。
この様な場合はやはり、カウンセリングは継続し、私が何とか頑張って努力して自分を変えるのが良いでしょうか。
情けない悩みでお恥ずかしいですが、ご回答頂けましたら幸いです。
(Yさん)

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自分の価値は“正しく”使いましょう!~それが価値だと知らずに使っていると消耗しちゃうかもよ!って話~

例えば「話を聞くことが上手」という価値を知らず知らずで使ってしまうと、相手からディープな話を引き出したり、そんなつもりじゃなかったんだけど・・・という状況になったりしてしまいます。
だから価値を知らないって怖いことなのです。
そのお話と、どうしたらそれを正しく使えるかを考えてみたいと思います。

根本先生、こんにちは。
既婚の30代女性です。
ブログやご著書で勉強させていただいています。

人とお喋りしている時に同じパターンを繰り返してしまうことについて、ご相談させてください。

女同士のお喋りで愚痴が出てくるのってよくあることだと思うんですが、私はそういう時に「なんでその問題が起きているんだろう」とつい好奇心から深いところまでぐいぐい質問してしまい、たぶん相手はそこまで喋るつもりじゃなかったんだろうなという部分まで喋らせてしまうことがあります。

それ自体はそんなに問題にならないんですが、そうやってぐいぐい聞いているうちに、ただの愚痴から本格的な相談モードに変わることがあり、そうなると、急にプレッシャーを感じてあたふたしてしまうんです。

人に助言ができるほど経験積んでないから大したことは言えない!どうしよう!でも相手は頼ってくれてるんだから何か言ってあげなきゃ!と無理してそれっぽいことを言って、後から無責任に適当なことを言ってしまったと後悔します。

また、相手にばかり深い話をさせて悪いかな?と気になって、別に聞かれていないけど自分の深い話もして、あんなこと打ち明けるつもりなかったのに…と後悔します。

そして、お互いに深い話をしたことで心の距離が急接近した感じがして、そのことにも戸惑います。

自分がぐいぐい質問したことが発端なのに、後始末が下手だなと思います。

ぐいぐい質問している時は自分軸だったのに、相手が相談モードになると急に他人軸になってしまうからあたふたするような気がします。
それを上手くコントロールできません。

昔は、こちらが聞いていないのにあまり親しくない人から重たい身の上話をされて、頭の中に危険信号が鳴り響き、距離をとりたいけどやり方が分からず、急に冷たくしてしまって罪悪感に苛まれるというパターンもあったんですが、経験を積んでそういう人からはフェードアウトができるようになりました。

子どもの頃、母の愚痴の聞き役で、母の感情に圧倒されて自分まで不安定になってしまうことがあったので、昔のパターンはそれが原因だろうなと思うんですが、今起きているパターンは他に要因がある気がします。

どうしたら、あたふたせずにいられるでしょうか?
(Mさん)

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