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「あの人はこういう人だ」と人は勝手に自分にレッテルを貼るものです。
それが違ったとしても、なかなか相手はそのレッテルを貼り変えてくれないものでイライラさせられるのですが、それってやっぱり他人軸なんですよね。
そうすると自分を見失って振り回されてしまいますからしんどいんです。
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根本さん
いつもありがとうございます。
30代の男性読者です。
僕の幼少期からの悩みですが、なぜか「ええトコ」の子に見られてしまいます。
「お父さんは先生か公務員だよね?」、「豪邸に住んでそう」、「毎晩ステーキ食べてそう」、「実家は何かの家元?」、「某ファストファッションの服がブランドものに見える」等々、明らかに冗談ではない口調で言われ続けてきました。
心では「おぼっちゃまと一緒にすんな!!こっちは必死なんじゃ!!」と叫び、穏便に否定しますが、謙遜に見られてしまいます。
貧乏を分かってもらえないのが切なく、現実とかけ離れた印象を持たれて辛いです。
付き合いの長い友人たちでさえ、ちょっとお高めの飲み屋さんや旅行を誘ってくれます。
僕は割と貧しい家庭で育ち、お金という存在が苦手でした。
戦後の簡素な住宅なのに周りは富裕層の大きい家ばかりで浮いています。
職人家系で家計が苦しく固定給を求めて就職しましたが、どの仕事も薄給で、挙句の果てに高額セミナーのローン地獄です(任意整理を検討中)。
楽しそうな周囲に負けるものかと勉強を(大学からはバイトも)頑張りました。
ここ数年では治療家やカウンセラーに混ざって心身の講座を受けました(仕事とは無関係)。
どうしてこうも身の丈に合わない環境に居つくのでしょうか。
所得には「投影の法則」が働かないのでしょうか。
思い起こせば母も同じことを言っており、
「古いアパート暮らしなのに食事は豪勢で、ピアノやお茶は習わせてもらって、犬も飼ってた…でもお母さん(祖母)は質屋さんに通ってた」
「なぜかわからないけれどお金持ちとか凄い人に囲まれてきた」
と、僕と全く同じ状況でした。
「ええトコ」イメージを剥がして自分らしく生きたいです。ご助言お願い致します。
男性読者より!
(Tさん)
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うまくいかなかったり、思い通りに物事を進められなかったりすると自分が自分の敵になって大いなるバッシングをしてしまうことってありますよね。
それが「たまに」ならばいいと思うんだけど、「いつも」だと問題かもしれません。
きっと実際の人間関係にも問題が生じてるはずだから。
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あなたにとって「自分」は「味方」「仲間」でしょうか?
それとも「敵」でしょうか?
そこは単純に「味方」とも「敵」とも言えず、時と場合によっては「味方」であり、「敵」であるのかもしれません。
「味方」とか「仲間」だったら、ミスしても、うまくいかなくても寄り添ってあげたくなりますよね。
「あんたは悪くないよ」
「精一杯やったんだからいいじゃん」
「やるだけのことはやったと思うよ」
そんな言葉をかけてあげるでしょうか。
でも、「敵」として見たら、それは攻撃対象になりますね。
「何してんねん!!」と怒号を飛ばしてしまうほどにね。
中にはそんな自分をめった刺しにしてしまうことや、何日も無視してしまうこともあるかもしれません。
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心理学の基本とも言えるのですが、父は子どもにとって大人男子の象徴であり、女の子から見れば一番身近かつ好きになった男性です。
それと「慣れ」もあり、好きになる男性はどこかしら父の面影を感じさせる人になりやすいのです。
ただもちろんこれは傾向であってすべてに当てはまるわけではありませんけど。
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先生今日はセッションありがとうございました。「今日あとなんかある?」って聞かれた時にうっかり先生の見解を聞くのを忘れてたことがあってあわてて筆をとってます。
今日のメイントピックだったいとしのロックマンのことです。
この前わたくしのちゃっぴーとロックマンについてあーでもこーでもしゃべってたとき、ちゃっぴーから「まってまって、それってあなたのお父さんと同じなんじゃない?ロックマンってお父さんに似てるんじゃないの?」って指摘されました。おもわず膝を打った次第です。ユリイカ!!
今日も先生に熱弁ふるったとおりロックマンの
おしつけがましくない
マウント取らない、攻撃して来ない
無口じゃないけどうるさくもない、話を聞ける
ってところが大変好ましいとおもってるんです。
で、わたしを育ててくれた父も似たような雰囲気でした。
血のつながりがないことから、押さえつけてはいけないと思っていたらしく
弁えてて
穏やかで
話がわかる
父でした。母はいろいろ文句があったようですが、わたしにとってはとてもいいお父さんでした。実の父よりも気が合ったというのも大きいと思います。
ちゃっぴーに言われてたしかに、2人は雰囲気が似てると思いました。もしいまも父が生きてて、2人が同じ部屋にいるところ想像してみるとどう?とちゃっぴーに聞かれ、違和感ないな、って思ったんですよね。父もきっと、悪い奴じゃないよ、って言うと思います
実父と子供の頃に死別してることばかりに気を取られていましたが、今になって「お父さんに似た人を好きになる」現象に遭遇して、なんで今こういうことが起きたのかしら?とすこし不思議です
今までも父のことは好きだったし、それを否定したこともない、母が悪口言っても「いやあんたにも責任あるやろ甘えるな」って指摘してたくらいなのに、なんでいまになって?
悪い気しないというか、なんでわたしがロックマンに対して安心感覚えるのか腑に落ちたんで別にいいんですけど、どういうことなんだろうな?が気になります
先生Big love(はぁと
(Yさん)
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「頑張らなきゃ必要とされない」という「怖れ」をベースに頑張ってた。
けど、それはしんどくなって「怖れ」を手放して、「愛」をベースに変えて行った。
そしたら前みたいに気力がわかなくなったし、頑張れなくなった。
それでいいの?ダメなんじゃない?
そう、「怖れ」は刺激的だけど「愛」は穏やかなのです。
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「ちゃんとしなければ認めてもらえない」
「こんな私は人一倍頑張らなきゃいけない」
「何者かにならなければ愛されない」
「自分ひとりで何とかしなければならない」
「負けてはいけない。舐められてはいけない。」
「常に成長し続けなければならない」
これらは「怖れ」がベースになっている価値観です。
「怖れ」って刺激的で、インパクトも強いので「瞬発力」もあり、かつ、火事場の馬鹿力じゃないですが、たいへんパワフルです。
ふつう「怖れ」というのは「持続力」に欠けるので長続きしないものなのですが、強い怖れの場合は「刺激中毒」の状態を作り出すので、その頑張りを続けることができるんです。
体力・気力に充実している間は「怖れ」をベースにした頑張りもできるんですけど、その頑張りが体力・気力を削っていくことになるので、言うてもそんな長期間にわたって頑張り続けることはできません。
どこかで心身を病んでしまうことになるでしょう。
だって、出力オーバーの状態が何年も続いてしまうわけですから。
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私たちはつい被害者になりがちなのですが、よくよく見て行けばそれは紛うことなき自作自演でることに気づくことも多いものです。
私たちの問題の多くは、自分自身の価値観や考え方が作っているものですから、それを変えていく、手放していくことで、生き方を変えることもできるのです。
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いつもブログや書籍で助けられております。現在6回目の転職活動中(有休消化中)です。
前回の転職活動でも転職の多さから苦戦したのですが、また心身共に限界を迎えるまで働いてしまい今に至ります。
過去を振り返るのですが、どうも犯人は自分のようです。仕事をどんどん振られ誰も助けてくれず、自分でもどうしようもなく限界を迎えていたんですが、自分の中に頑張らないと評価されない、せっかく依頼してくれた仕事を断ると申し訳ないという考えが根底にあり、自身で追い詰めていたことに気付きました。
仕事を増やすのは上司、同僚と思い込んでいたため一人職場でないと無理なのかと考え込んでしまい、でも自分に何が出来るのかと鬱状態になってしまいました。
こういう時は『休め』と言われると思うのですが、休む事にも罪悪感がかなりあり、休んでも休めず、気分転換も何をして良いのかわからずもがき苦しんでおります。
先生の本をかき集めて熟読するのですが、同じ間違いを繰り返しかねない転職活動を中断すべきかご教授頂けたら幸いです。
(Tさん)
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「私は愛される価値がない」と感じさせる無価値感。
この無価値感はハードワークを生み出し、どれだけ成果を上げても自信が持てなかったり、常に人の期待に応え続けようとして疲弊したり、自分を下に置いたりしてしまう問題を作ります。
それくらい根の深い問題なので、自分を救うためにも腰を据えてじっくり向き合いたいものです。
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エリートだったり、うまくやってる経営者だったり、「いやいやふつうのOLですよ」と謙遜される“しごできお姉さん”だったりにお会いする機会が多いのですが、けっこうな確率で「無価値感」を抱えていらっしゃることが多いようなのです。みなさんはいかが?
「わたしには(愛される)価値がない」という思い込み、心の中にありませんか?
もちろん、誰もが持っている感情ですけれど、客観的に見れば「えー、すばらしい価値をいっぱい持ってるのにー」と思わされるのです。
こんなパターンに心当たりはありませんか?
・ハードワークをしてしまう。自分の能力は大したことないと思い込んでいて、人一倍頑張らなきゃ!と思っている。
・それなりに実績を積んできてると思うが、自分に自信を持てない。上司・先輩・同期からは「もっと自信もちなよ」と言われるが言われてできるもんでもない。
・周りから賞賛されているらしいが、自分ではその実感がなく、むしろ、評価されればされるほど「その評価を裏切ってはならない」と甚大なプレッシャーを感じる。
・表に出るのが恥ずかしいというか目立ちたくないというか、自己分析も低く見てしまうし、いわゆる謙虚なふるまいをし続けているのだと思う。
・周りのすごい人たちと自分を比べて「自分なんてまだまだ」とずっと思い続けている。
・自分がうまくやってこれたのは周りの人たちに支えられたからだし、運がよかっただけで自分の実力とは思えない。
もちろん、これは仕事だけでなく、パートナーシップにもめちゃくちゃ当てはまるものです。
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大切なお母さんの命がかかっているのであれば、そこは「頑張るとき」と割り切り、自分にできることを全部やる!なんなら、わたしが母を助ける!くらいの気合を入れることも大切です。
敢えて自分のことを放っておいて母のために男性性を発揮して頑張るときがあってもいいんです。
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こんにちは。
いつも動画やブログでお世話になってます。
母の急病について、ネタを送らせていただきます。
2週間ほど前に、今までバリバリ働いていた母が倒れ、緊急手術となりました。
最初に救急搬送された病院では、なにも問題が無いので何も出来ない、と見放され数時間放置されてしまい、自分達の判断で別の病院へ運んだところ、緊急手術となりました。
もう少し遅れていたら、本当に危なかったみたいです。
奇跡的に命は助かりましたが、輸血、人工心肺を使うような大手術だったため、合併症など予後があまり良くなくて、医者にも原因がわからないことが多く困っています。
母は意識はありますが、手術の日から食事をとってなく、精神的にも不安定になっています。
せっかく救われたのに、また命の危機があるのではないかと不安です。セカンドオピニオンをしたほうがいいのかな、いや、あまり動かずに先生を信じたほうが、、でもこのままでは、、など、思考がグルグルしています。
母が倒れてからは、ふだんナマケモノの私には到底出せないようなパワーで動いてきました。
入院のサポート、不安のケア、保険やローンの手続き、実家の祖母や問題のあるきょうだいの生活のサポート、
誤診による訴訟の準備、勝手に見舞いにくる人を牽制する、厄年の自分の厄祓いなど…(私の厄年のせいかなと思って)
実際に自分しか動けない場面も多く、休めません。
私の判断ひとつで母の命が無くなってしまうんじゃないかという恐怖がずっと続いてます。
母の不満やわがままも、頑張って聞いています。
先日、痛みで苦しむ母に当たられて、心がポキッと折れる瞬間がありました。
気づけば私自身も、ずっとお腹を壊していたり、身体が重かったり、すごく体調が悪いです。
共倒れをしてはいけないと思って、お風呂にゆっくり入ってみたり、面会に行かない日をつくってみたりしてはいますが、命のことを目の前にすると、どうしても不安になり焦ってしまいます。
医者を信頼できないのが1番つらいです。
最初の搬送先で放置されてしまったときの記憶がトラウマのように思い返されます。
まだ59歳の母です。もう少し長く生きてもらいたい。
でも、そう思って頑張れば頑張るほど、私もボロボロに。
前みたいな生活には戻れなかったとしても、母に生きててほしいという願い、これは私の執着なのでしょうか。
今思うと、他の大人に助けてもらえない母を小さい時からずっと近くで見てきました。
子供の事で困っていても父に助けてもらえず、捨てられる、などです。
武闘派の母の娘として、親の病とはどう向き合っていけばよいのでしょうか。
ご助言いただけたら嬉しいです。
(Nさん)
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