「抵抗がある」ということは「興味がある」ということ。

私たちは「興味がない」ことには関心を示さないので、抵抗が出てくるどころか見向きもしないものです。
「○○することに抵抗がある」ということは、「○○にとても興味がある」ということなんですよね。
まずは、その気持ちを素直に認めちゃうことがものすごく大事なんです!

根本さんこんにちは。
いつもブログに助けられております。
私は現在大学に入ったばかりなのですが、化粧をしたりおしゃれなど女性らしいことにとても抵抗があります。
恋愛面でも、自分には彼氏なんて100年早いなどと思ってしまいます。
好きな人のために頑張って可愛くなる!といった発想もあまり理解できません。
中学時代から自分に自信がなく人と話すのも苦手で、最近は少しマシにはなりましたが、まだまだ自分を認められないところがあります。
女性らしくなりたいという思いはあるにはありますが、恥ずかしさ、劣等感、自分の素材では努力しても無駄だという気持ちが勝ってしまいます。
大人の女性として成熟するために、このような気持ちを乗り越えるにはどうしたらよいのか、アドバイス頂けたら幸いです。
(Mさん)

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心理学を学び始めた頃によく起きる「これって自分の投影だから」の罠。

投影の法則などの心理学の知識を学び始めると、何かでムカついたときにも「それって何かの投影なんだよね?怒るのって違うんだよね?」と解釈してしまい、その感情が行き場を失ってしまうものです。
心理学ってとても多面性があるので「これはこれ、それはそれ」という見方をしていくことで、使いこなせるようになっていきます。

はじめまして。
夫婦仲が迷宮入りして以来、もう2年ほど、ブログを読んで勉強させて頂いている者です。
今回はさすがに自分に関係ないな、と思うテーマのブログも毎回ばっちり食らってしまう内容ばかりで、大ファンになりました。
「起きていることは全て正しい」という言葉と「方法は100万通りある」という言葉をお守りに、日々過ごしています。
1日の終わりに布団の中でブログを読んでから眠りにつくのを習慣にしているせいか、夢の中に何度か根本さんが出てくるほどです。(この前は神戸を歩いていて、テレビ収録中の根本さんに遭遇するという夢でした)。

今日は頭がこんがらがってしまって、どうにも分からなくなってしまったので、ネタ(?)というか質問をリクエストさせて頂きます。
心理学を勉強し、これはどうも、子どもの頃母親に感じていた恐怖心と向き合った方がいいと思い至りました。
(ものすごく一生懸命育ててくれた愛情は理解していて昔も今も仲は良いと思うのですが、今でも実家に帰るときは手土産を持っていかないといけない気持ちになったり、親に対して接客モード(?)のようなスイッチが入り、沈黙が怖かったり、自分を卑下して親を持ち上げてみたりする不自然な癖が抜けません)。

そこで、紙に書き出してちゃんと感情を感じてみよう!とやってみたのですが、一方で投影という法則を学んでしまったので、「そもそも傷つけられたと思っているのは自分の捉え方であって投影なのだから、親にこんな感情を抱くのは間違いなのでは、、、」とぐるぐる考えてしまい、迷路に入ってしまいました。

(実際に過去に参加したとあるセミナーでは、投影なのだから、親に対する期待の高さ、自分の傲慢さに気づかないといけないという指摘を受け、よく分からなくなってしまいました)。

また、投影を真剣に理解しようと色々勉強した結果、仕事上で無茶なクレームをつけてくるお客様も、何か自分を映し出しているのだから、感情を乱されてはいけない、という思考のスイッチが入るようになり、「でも感情を感じ切ることが大事なんだよな??、、、」と迷走しています。
もしかすると心理学をちゃんと理解出来ていない人あるあるな質問なのかもしれませんが、もしよろしければ教えてください!首をキリンよりも長くして待っていますー!
(Mさん)

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愛を受け取らせない罪悪感は自らを孤独にさせようとするもの。

武闘派女子の皆さんがこよなく愛するロックマン氏&野良猫君たち。
その心理がまた少し理解できる話を今日はしてみたいと思います。
もちろん、ご自身に当てはまる要素がバンバンあるかもしれませんし、また、貴重な男性読者の皆さんもご自身に照らし合わせてみると良いかもしれません。

カギとなるのは「罪悪感」。

武闘派女子の皆さんもそうなんですけど、「自立的」な生き方をしている方にもれなく付いてくるのが「罪悪感」という感情です。

とはいえ、「いやー、俺、罪悪感強いからなあ」と自覚している人ばかりではなく、「自分には罪悪感なんてない」と言い切る人の中にも必ずと言っていいほどあるものです。

その辺は絶賛発売中のこの本に詳しく書きました。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)

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私は「涼しい」と言い、彼らは「暑い」と言う。どっちが正解なんだろうか?

昨日は岩橋くんと一緒にお届けしているYoutubeチャンネル「独立してライフワークを生きる道」の収録をしてきました。

私はこの日曜日まで沖縄にいました。
梅雨明け直後の彼の地は一言で言えば「暑い」。もう真夏です。

未練たらたらな沖縄旅レポはこちらです。
https://nemotohiroyuki.jp/travel/31315

まだ余裕をこいていた滞在中に書いたレポはこちらです。
https://nemotohiroyuki.jp/travel/31236

沖縄の夏は紫外線も湿気も強いわけで、ジョギングなんかをしようもんならものの数分で汗がたらたら流れ落ちてきます。

ただ、青い空、海、濃い緑は途方もなく魅惑的で、ますます彼の地に家を借りるモチベーションは右肩上がりです。

大阪に戻ってくると梅雨空で毎日雨が降っているわけですが、その分、とても涼しい。めちゃくちゃ過ごしやすい。「ああ、なんか体が楽だわ~」と思っていました。

さて、一方、岩橋家は軽井沢でのプレミアムリトリートセミナーが終わったのちも、現地に滞在していました。
向こうは最高気温が20度そこそこで涼しく、過ごしやすい気候だったそうで、大阪に戻って来るなり、「暑い、湿気がすごい。体がまだこの暑さに慣れてなくて変な感じ」と収録時にボヤいていました。

同じ大阪にいながらにして、この感度の違い。

沖縄から帰って来た私は「涼しい、過ごしやすい」と言い、軽井沢から帰って来た彼らは「暑い、むしむしする」と言います。

当たり前っちゃ当たり前なんですけど、これ、どんな事象にも当てはまる「違い」なんです。

私と岩橋夫妻、どっちが正しいことを言っていると思います??

そう、どっちも正しいんです。
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転職活動で魅力的な会社に同時に2社出会ってしまったときはどうしたらいい?

会社だけでなく、恋愛でも、趣味でも、車の購入でも、何でもそうなんですけど、頭で考えて決めるのではなく、心で決めることをお勧めしています。
それは心で決めた分、入社後に起きる問題も前向きに乗り越えやすくなるからです。

ブログや本など人生の教科書として読ませて頂き、いつも救われております。
今回ご相談させて頂きたく、メール致しました。ネタにして頂けると幸いです。

私は前職を退職し、現在は転職活動をしております。
今までの仕事は、本当にやりたい仕事ではなく、世間体を気にしていたり、周りの人達が安心してくれるだろうと大企業に入社していたことに気付きました。体調を崩し働けなくなってしまい退職しました。自分が本当にワクワクするような仕事がしたいと思い、転職を希望しています。
現在は2社に応募しているのですが、どちらもとても興味のある仕事です。2つは全く違う業種です。併願で受けているので、とちらも良い結果だった場合、決めかねることになりそうで考えがまとまりません。
自分が何を1番重視しているのか、どのように人生を歩んでいきたいのか、考えれば考えるほど分からなくなってしまいます。
どちらの仕事も、働けることになったとして想像するとワクワクします。やってみたいな~楽しそうだな~という感覚です。
根本様のライフワークの本を読み、実践しながら今は転職活動をしているところです。
どちらも内定をいただけるとは限らないし、結果はどうなるか分からないので、とりあえず今出来ることに一生懸命に取り組もうと、応募書類や面接の準備をしております。
このように、どちらも前向きな思いがあり決めかねるとき、決断しやすくなる考え方はありますか?
アドバイス頂けると嬉しいです。
(Mさん)

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罪悪感ってこんな簡単なことでも生まれてしまうもの。

「自分が罪悪感がこんなに強いとは思わなかった」
「自分にはないと思っていた罪悪感が実はあったことの驚いた」

罪悪感本を読んだ感想で多かったのがコレでした。

カウンセリングや心理学の世界に20年以上もいると、罪悪感なんてあって当たり前だし、ほとんどの問題の影に罪悪感があることは当たり前のことだったので、その感想はとても意外に感じましたし、それゆえ、この本を書いた意義があったんだと思っています。

私たちの心の奥深くにはいわゆる「良心」とよく言われるものがあります。
心理学的にはハイアーマインド、ハイアーセルフなどと呼ばれるもので、いわば「心の中に神様がいる」のです。

その心の中の神様は人を愛することを喜びとし、ワクワクや親密感、そして、その人の才能(ギフト)を与えてくれるものなのですが、一方、それに反する行為については罪悪感を覚えるものです。

例えば、誰かに対して攻撃的な感情が湧いたとします。
それは「思考的」あるいは「感情的」には「正当」だったとしても、「良心」からすれば愛ではないので罪悪感を覚えてしまうんです。

それは車の運転中にサッと割り込みされた瞬間に、部下が頼んでおいた仕事をやらなかった瞬間に、はたまた凶悪な事件をニュースで見た瞬間にも起こり得ます。

だから、皆さんが朝起きてこの記事を読まれる間にも「相当数」の罪悪感が心の中に生まれていると言っても過言ではないと思います。

つまり、そんな些細なことで私たちは罪悪感を覚えてしまうのです。
私たちは「愛せなかったとき」にもれなく罪悪感を覚えてしまうのです。
言い方を変えれば、それくらい愛に忠実な生き物とも言えるでしょう。

だから、明確に人を傷つけてしまった、とか、力になれなかったとか、周りに比べて自分が恵まれていると感じたとか、そんな場面では相当強めの罪悪感を覚えます。
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温厚な仮面の裏にいる攻撃的な自分が怖い。

嫌われたくない→嫌われないようにする→いい人の仮面をかぶる、というのは、誰もが少なからずやっていることですが、その裏にある「嫌われると思ってる自分」を肯定することで、自分らしく生き易くなるものです。
そして、その仮面の奥の奥にはちゃんと大きな愛があることに気付くと肩の力がとても抜けますね。

根本先生

はじめまして。
彼氏とかゴタゴタが続いて悩んでる時に「7日間で自己肯定感をあげる」本とブログにたどり着き、少しずつ自分軸と手放しを進めています。
ハッとするお言葉ばかりで、その度にわんわん泣いたり、何かに気付いたり、なかなか読み進めるのにパワー要りますが、今までこんなに自分自身に対して向き合ったことないなぁと思い、根本先生と出会えて(実際お会いしていないですが)感謝しています。

自分らしさを取り戻すにあたり、質問したいことがあります。
自分の中に人を嫌な気持ちにさせるいわゆる性悪本性がある場合、自分らしさはどこまで優先すべきでしょうか。

私は元々自分の世界があり、その中に入ってこようとしたりペースを乱す人に対して、とても冷たい対応や攻撃的になります。(これ武闘派女子の一種でしょうか)
成長の過程で人に嫌われたくないと思うようになり、それを隠すために、とても温厚な仮面を被るようになり、今では周りからは「人当たりがよくて怒ることなんてないでしょ」と言われ、自分でも仮面なのか自分なのかわからないくらいです。
しかし、人によっては掴み所がないとか、もしかして羊の皮を被った狼?と言われたり、今までの彼氏からも何人か、私ののんびりした人格について強い否定や言葉のDVを受けたりします。
根本先生のブログを読んでて、おそらく自分の中の隠しきれない攻撃性みたいなのが見え隠れして、距離が近い人から見たらそれが恐れに感じてるんではないかと、分析しています。

自分軸に移行していくにあたり、自分の仮面を少しずつ剥がしていく必要があるのでは、と思うのですが、剥がしていくと攻撃的で人に不快を与える迷惑な自分が出てくるのが怖いです。

もしネタになれば幸いです。
よろしくお願いいたします。
(Aさん)

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