「自己犠牲」のパターンを手放すと「与え上手な人」になる。



自己犠牲がパターンになると苦しくて、辛い上に、恨み辛み憎しみが増えていくものです。
しかし、自己犠牲ができるということはそこに素晴らしい価値や才能がある証拠でもあるので、犠牲の部分を上手に切り離していけば、与え上手な人になり、苦労せずとも欲しいものを手に入れられるようになるのです。

根本先生初めまして。
最近ブログに辿り着き、本も何冊か読ませていただいてるところです。

私は35歳で独身の女です。
自己犠牲を払って人を恨むパターンと親密感と身動きが取れなくなる恐怖が結びつくパターンを持っててめんどいし怖いから緩めたいのでネタになってあわよくばヒントを・・・

母がブログでよくでてくる天職を得た自武女タイプで父も忙しいですが強靭な自分軸があるタイプです。
私は多分姫かお嬢かなと思います。
帰宅してからもお互いの仕事の愚痴や改善策を相談していて戦場の野営地みたいだなと思っていました。
金銭的に困ったことはなくて、いざという時には頼りになります。
でも忙しいので下のきょうだいたちの日々の悩み事を聞いたり励ましたりは主に私がしていました。(あと母のも)
人間にはそれが必要だと思ったんですけどあてにされるようになり、ずっとその役割から抜け出せず、逆に自分には精神的な支えが感じられず不登校になり鬱っぽい時期もありました。
自力で回復しましたが今もそこに戻りそうになるときもあります。

両親はなにかにつけて私に感謝を示してくれますが、ずっとお腹の底に恨みを持っていて、いつか何か酷いことを言ったりやったりしそうで怖くて、きょうだいたちがみんな独り立ちしたタイミングで近場に一人暮らしを始めました。

自己犠牲を払って、発言権を得てコントロールできると学んでしまったのかなと思うのですが、仕事をしていても、自分がひどく忙しいとか辛い状況でないと居心地の悪い感じがしてることに最近気がつきました。
自ら辛くなりにいって全部嫌になってしまうところがあります。
評価されると会社に取り込まれて身動きがとれなくなる怖さが湧いてきます。
人と関わるのも苦手で、同じような怖さがでてきます。

暗・・・この暗さが嫌で笑!
どっから手をつけたらいいものか被ってるかもですが、ネタになればうれしいです。
(Nさん)

なるほど、そうして立派な戦略家となり策士として暗躍するポジションが得意になったわけですな。文章を見れば分かるようにコミュ力もたいへん高いし、頭の回転も早い方なのでしょう。

人と関わるのが苦手ということはたぶん自己犠牲的な関わりがベースになっているからで、本来はもっと上手に立ち回ることができる方だと思います。

>自ら辛くなりにいって全部嫌になってしまうところがあります。

これがとても象徴的かもしれません。
とはいえ、成果をあげたり、うまく場を回したりして、気が付けばチームの陰の立役者になっているのかもしれないですねー。どこでも評価されませんか?

自己犠牲がパターンになってしまっている方ってとても多いと思います。

なぜならば、Nさんもそうなのですが、自己犠牲ってある種の「成功」をもたらしてくれるからです。

犠牲ってあまりしたくないものですから、それをしている人は何かと重宝されます。
頼られたり、相談されたりするなどの信頼も得やすいものです。

本人は辛いのですが、周りから必要とされるという代えがたいメリットがあるので分かっていてもやめられないんです。

例えば、飲み会で食べ物を取り分けたり、空いてるグラスを見つけたら「次何か頼みますか?」と聞いてオーダーするし、自分が食べたいものよりも周りの人の好みに合わせますし、上級者になれば、盛り上がるであろう話題を提供することもできます。

我を出さずにうまく回してくれるので、参加メンバーたちは楽しく飲み会を過ごすことができますし、「Nちゃん、ありがとうね~♪」「いてくれてよかったよー!」などのお褒めの言葉も頂戴できます。

とはいえ、自分は全然楽しくないんですけどね。

職場でも、他の人が気づかないことに気付いて自分の仕事を増やしてみたり、誰も嫌がってやろうとしないコピー機のトレイを交換したり、仕事が山積みでも「それ、あたしやりましょうか」と買って出たりします。

自己犠牲が癖になっている人は「名もなき仕事」を多く抱えてるケースも多く、数字上には現れない貢献をたくさんしてるんですが、名もなき仕事ゆえに給料に反映されることは少なく、これもまた辛いところです。

でも、表面上はニコニコしているので、周りの人は自分の辛さなんて分かっていません。
「いてくれてよかったなあ」という人物になります。

とはいえ、本人は別にしたくもないことを他の人が誰もしないから仕方なくやっているだけであり、我慢がいっぱいの毎日になるわけですね。

ほんとは嫌だけど仕方なくやる。
ほんとはやりたくないけど誰もやらないからやる。

だから腹の中にはどんどん辛い感情が溜まっていくわけです。

それが「恨み辛み」となり、「憎しみ」となり、果ては「恨み」になり、「絶対死んだら化けて出てやる!」というモードになっていくのです。

これだけの立ち回りができるわけですから、自分では“絶対”そう思わないでしょうけど、器用だし、感受性高いし、視野が広いんです。

その長所がまた自己犠牲に拍車をかけてしまう、という悪循環も起こります。

特にNさんも「押し引き」が得意なんだろうな、と思います。

ここはあまり出しゃばらない方がいいな、と感じたら、絶妙な間合いを取れるんです。
存在を消すわけではないけれど、邪魔にならないような場所に自分を置くし、相手にとってほど良い距離感で動きます。

サッカーの戦術的にはボランチの名手という感じでしょうか。
そうすると「チームの心臓」と呼ばれる重要なポジションを担ってることになるのですけどね。

出身地が戦場ということで、紛うことなき自立系武闘派女子として大人になられたわけですね。

両親が夜な夜な作戦会議に明け暮れてるとすれば、下のきょうだいたちの面倒を「本当は望んでもいないのに」引き受けて来られたわけですね。

ほんとは自分だって甘えたいのに、弟妹を甘えさせてあげるというのは、相当な自立心が養われたかと思います。

それで、

>自分には精神的な支えが感じられず不登校になり鬱っぽい時期もありました。

となってしまうのも無理はないかと思います。

今も精神的な支えを感じる人はいませんか?

ふつう、こういう場合はその支えを求めて恋愛をしたり、何なら「年上の既婚者」あたりを捕まえて恋人であり、親代わりであり、という関係を作るもんなんですけど、Nさんの場合はどうだったんでしょうか?

ただ、ポイントなのは「それができてしまったんだよねー」というところです。

これ、「できる人はそれが当たり前だからその価値に気付かない」という点でして、何ならその「できてしまったこと」が恨み辛み憎しみ呪いを生み出す元凶になるものですから、なおさらその価値は受け取れないものですよね。

すなわち

「精神的な支えを外に求めることなく、気合と根性と自立心で補い、その場で必要とされる役割を進んで引き受け、家族が円満になるように、場が円滑に回るように、自らを犠牲にして立ち振る舞う」

という偉業を成し遂げられたんです。

これができるってのがまさに才能というか長所というか価値なのです。

そして、この価値を活かすことでライフワークを見つけることもできるってわけです。

まあ、ものすごく抵抗があるでしょうけれど、そして、このままでは原石なので、ちゃんと磨いて輝かせてあげる必要があるんですけれど。

詳細にライフワークをデザインするならより情報を必要とするものですから、一般論でお話します。Nさん、同志のみなさまは応用して当てはめていただくか、然るべき場をご利用くださいませ。(要するに課金せよってことですよ?笑)

自己犠牲は苦しく、我慢の連続で恨みを生むものでもありますが、それができるということは実に大きな価値なのです。

ちゃんとそれを「コントロール」できれば、ビジネスにおいてもパートナーシップにおいても大きな成功を収めることができるんです。

また、特にビジネスにおいてはものすごく重要な能力でもありますから、経済的豊かさはもちろん、他者からのぶ厚い信頼を得られるものですし、後進からは憧れになる要素です。

とはいえ、ご本人としては苦しいもんですから、それが才能で価値でライフワークだ、とか言われると「死んだら化けて出るリスト」に筆者の名前が墨痕鮮やかに刻まれる可能性がありますので、ここはちゃんと説明しておかなければなりません。

「自己犠牲」というのは、やり方を変えると「与える」ということになります。

この「与える」と「犠牲」というのはシームレスに繋がっていると言えるほど微妙なものでして、「あるレベルまでは与えてるんだけど、それを越えると犠牲になる」と配分が難しいものです。

例えばNさんが「弟妹の面倒をみる」というシーンでも、「面倒を見てあげたい」「面倒を見てあげても良い」という日もあったと思います。

これは「与える」という行為になります。

しかし、「うわー、しんど」「なんであたしがやらなあかんねん」「あたしだって面倒見てほしいわ」と思う日もあったかと思います。

それは「犠牲」という行為になります。

つまり「面倒を見る」という行為は同じでも、それをご機嫌にやるか不機嫌にやるかで「与える」になったり、「犠牲」になったりするのです。

とはいえ、多くの場合、そこに「役割」というものが発生してしまうのです。

つまり「弟妹の面倒を見るのはお姉ちゃんの役割(仕事)」というわけです。

そうするとご機嫌だろうが不機嫌だろうが関わりなく面倒を見なきゃいけなくなります。

その結果、ご機嫌だったことも不機嫌になりますし、不機嫌だったらもっと不機嫌になります。

つまり、「役割」になってしまうとそれまで「与える」ことだったものも「犠牲」になってしまうのですね。つまり、それが「義務」というものです。

だから苦しいんです。

とはいえ、「役割」ってのは何らかの報酬が伴うこともあるんです。

親が褒めてくれたり、弟妹が喜んでくれたり。
必要とされたり、頼られたり。
時には自分のスキルが向上することが喜びになることもあります。

でも、お察しのようにこの報酬は「他人軸」なものが多く、「自分軸」として内側から喜びを感じられる部分は少ないんですね。

また、その役割をこなしていると、自分に「居場所」が与えられたような気分になるものです。

「弟妹の面倒を見ることで、自分はこの家にいてもいい」みたいな感じ。

それと同時に、犠牲的な役割というのはみんなの助けになっていることも多いので、感謝を集めることができるますから「いなくてはならない人」になります。

それによってNさんが感じているように「発言権」や「決定権」を得られるんです。
つまり「やりたいようにできる」という権力も手に入れられるんです。

自分が犠牲をして苦しむことにより、権力が手に入るとしたら・・・その役割にしがみついてしまい、手放せなくなります。

>自己犠牲を払って、発言権を得てコントロールできると学んでしまったのかなと思うのですが、仕事をしていても、自分がひどく忙しいとか辛い状況でないと居心地の悪い感じがしてることに最近気がつきました。

という形になってしまうのですよね。

「犠牲して忙しくして辛い状況になることで、発言権を得て周りをコントロールできる」という“成功体験”にしがみついてしまっていると言ってもいいんです。

※Nさんの例で「弟妹の面倒を見る」ということをお話してるんですけど、これ、職場や家庭に当てはめてみてください。多くの方がこの役割、犠牲、他人軸、報酬という話に合致するはずです。

さて、カウンセラーってのはその自己犠牲の中から「価値」となる要素を取り出すんです。

「ほほー、Nさんはとても面倒見が良いのですね?」
「なるほど、Nさんは家族の中の“扇の要”という重要ポジションをこなしていらっしゃったようですね?」
「両親に対しても心配や迷惑をかけぬよう、だいぶ配慮されてきたんですね?」

そして、そこから先に述べた「器用さ」「視野の広さ」「場の空気を読める感受性の高さ」「押し引きのバランス」「コミュ力」と言った価値が見えてくるのです。

ただ、自己犠牲が癖になってしまってますよね?
そして、支えなく突っ走ることもまたパターンですよね?

どうでしょう?

今、Nさんにとって心の支えとなってくれる人はいますか?あ、推しでもいいんですけど、できればもっとリアルに身近に関われる相談相手の方がいいんですけど。

カウンセラー、コーチ、コンサル的な人が最適だとは思うのですが、ラッキーガールちゃんの場合、パートナーがそこに当てはまってくれます。

が!!

自武女はよく「たいへん手のかかる、面倒を見なきゃいけない男をパートナーにして、そこでも自己犠牲のパターンを再現させる」というプレイを選択しやすいのですよね。
そこでも自らを成長させようとするあくなき欲求をお持ちで、ただただ尊敬です。(棒読み)

Nさんの場合はどう?

仕事上でまずそれを改善していければと筆者は考えます。

最近の筆者はけっこうなコントローラーですので、こうしたパターンのある方にはガッチガチにルールを作って縛り付けてM女として調教しようとするものです。

「残業ならびに休日出勤は禁止。始業前出勤も当然禁止。」
「自分の担当業務が終わるまでは他の業務には手を出すな」
「自分の作業を小さいホワイトボードに書くか、付箋に書き出して貼りだして見える化し、周りにアピールせよ」
「仕事を頼まれたときにすぐにYesと言うな。一旦検討します、と回答せよ」
「気が付いた作業は誰かに振れ。黙って自分から動くな。」
「しなきゃいけない、してあげなきゃいけないと思ったことはやるな」
「してあげたい!したい!と思うことはやってよし」

そうして「犠牲」から「与える」に移る準備をするわけです。

できれば、Nさんの本質のひとつである「気分屋」を周りの人に認知させたいので、「551の蓬莱」のCMを100回以上視聴し、「やる気のあるとき」と「ないとき」を明確に表現できるようになりたいものです。

そうして「自分の気分の良いとき」に行動するようにしていきたいんですよね。

そうすると「与える」という部分がより顕著に出せるようになり、犠牲は影を潜めていきます。

その過程ではけっこう不安になりますよね。

発言権を失う、頑張ってないと思われるんじゃないか?必要とされなくなるんじゃないか?という風に。

けど、ご機嫌ようやっていくと案外、「ん?そこまで自己犠牲せんでも全然大丈夫ちゃう?」という経験が得られるようになります。

つまり、「自己犠牲をして辛い思いをしていたから発言権を得てると思ったけど、元々仕事できる女やから発言権持ってたわ。辛い思いをしないと発言権を受け取れなかっただけやわ」という真実に気づけるのですね。

その結果「裏の事業本部長」から「表の権力者」という風に身分も転換されることでしょう。

まあ、この「犠牲を取り除いて与える部分だけを残す」というのはなかなか調整が難しく、試行錯誤が必要になるかもしれませんので、少し時間を見てください。

ただ、そうしていくと「表に出て周りを引っ張っていくタイプ」なのか「陰で操るプロデューサータイプ」なのかも見えてくるのでライフワークもデザインしやすくなるものですね。

◎オンライン:6/2(日)11:00-13:00 特別心理学講座「どうしたらもっと自分の魅力や価値を受け取れるようになるのだろう?~他者評価と自己評価と潜在意識評価~」
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◎オンライン:6/22(土)14:00-17:00 本気の手放しワーク・オンライン
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/52830

◎根本のカウンセリングスキルを伝授する根本式アクティベーション・カウンセリング講座
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