おぼろ豆腐メンタルが、せめて木綿豆腐くらいになれば岩の鎧を脱げるんでしょうか?~もしかしてその奥にさらに違う自分がいるのかもしれないよ?~

よく自分のマインドは「強い私」と「弱い私」二重構造だと思ってしまうものなんですが、心ってのはもっと深く、さらにその奥に別の私も隠れているものなんです。
だから、より深く自分を見つめることでさらに新しい自分が発見できるのです。

こんにちは!いつもブログや書籍などでお世話になっています。
ネタのひとつに取り上げていただけるとうれしいです。

質問は、

「わたしの岩の鎧の中にいたのは、とろふわおぼろ豆腐メンタルの自分だったので、この世を生きるためには鎧を着続けないと生きていけない。
だって少しの力でぐちゃぐちゃになってしまうもん。
岩の鎧を脱ぐために、せめて木綿豆腐ぐらいになることはできますか?」

です。

最近やっと「自分ってロックウーマンかも…?」と自覚できるようになりました。

幼少期に両親との関わりの中で、「この親は変わらない。だから、自分がなにも感じないようにすればいい。そうすれば、なにも問題が起こらない」と、心を石化させる術を心得ました。

そのおかげで、思考的、感情が表出されない、我慢強い、鈍感なマシンのような人間に成長。

そこから、ハードワーカー、燃え尽き症候群、パートナーシップの問題を経て、このブログに辿り着きました。

おかげさまで、自分と向き合い続けていると、ようやく両親に対して怒りの感情が湧いてくるようにもなりました。

そんな中、幼少期の自分をイメージすると、岩の鎧を着ていたので、鎧をはいで中を覗いてみました。

すると、繊細で、敏感で、弱くて、傷つきやすい、とろふわおぼろ豆腐みたいな自分がいて、「裸のまま外には出られない!」と思わずまた蓋をしてしまいました。

「岩の鎧は、弱いわたしがぐちゃぐちゃにならないように、守ってくれてるんだな」と温もりを感じて脱げなくなりました。

わたしは今世は岩の鎧で生きていくしかないのでしょうか?

それとも、おぼろ豆腐メンタルが木綿豆腐ぐらい強くなる日はくるのでしょうか?

わかりにくい質問ですが、根本先生のお考えをぜひお聞きしたいです。
(Sさん)

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令和4年10月11日(火)午後9時Youtube生配信「いい子ちゃんの心理学」with サトヒ

10/22(土)に「いい子の心理学講座」を開催するサトヒとYoutubeライブ配信を行う所存でございます。

ということで「いい子」「優等生」「生真面目」「融通が利かない」「人の気持ちを考えすぎる」「他人軸が癖になっている」「人に嫌われるのが怖い」「人のために頑張りすぎる」「何かと考えすぎる」「自分の気持ちが分からない」等々のテーマをお持ちの方は、「いい子代表」を自負するサトヒとのライブ配信を視聴するといいと思います。

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「時間という観念」から自由になって人間らしさを取り戻すには?~時間に追われるのは時間に対して他人軸になっているから~

「時間」に縛られてる人って日本人は特に多いと思います。
そうすると何よりも「時間」が優先されるので、自分の気持ちは置いてけぼりを喰らい、それがストレスとなって自分を傷つけるんです。
そのためには時間に対しても自分軸であることを目指していくのです。

こんにちは!
リクエストさせていただきます。

私は時間貧乏です。
いつも時間に追われている感覚があります。
夫がお金に渋いな~と思ったのがきっかけで、このことに気付きました。夫の「お金無い意識」が投影によるものだとしたら、私には何が無いんだ?
あぁ、時間だなーと。
他人の時間を「奪う」のも、テンポの速い人もマイペース過ぎる人も苦手です。

学生時代は、焦る気持ちが全く無く…遅刻も多く、就活も周回遅れの怠け者でした。
人生に計画という時間軸を取り入れてなかったです。
それが、社会人になったら、三年寝太郎のようにシャキシャキになっちゃいました。
15年以上は必死でしたが、今は非正規雇用で責任も無いので、少しだけ楽になりました。

時間は充分ある、のんびり行こう、大丈夫!と思いたいのですが、うまく行きません。周りの目(幼い頃の母の目ですよね…)を気にしてしまいます。
私にとって豊かな生活のイメージとは、ゆったり充実した時間を過ごすことです。
マインド&思考・行動のリズムを一致させるには、どうすればいいでしょうか?
(Aさん)

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イップスを乗り越えるための心理的なアプローチとは?~感情の問題なので頭で考えてもなかなか難しいものです~

何らかのきっかけで今まで当たり前にできていたことができなくなる現象(イップス)についてのお話です。
また失敗したらどうしよう、という怖れが強く出てきているのですが、それに対処するアプローチを考えてみたいと思います。

こんにちは。
イップスを乗り越える手段をお伺いしたいです。

私は声楽を学んでいるのですが、ここ2.3年ほど、試験やオーディション、授業で歌う際時や、突然声が出なくなってしまいます。自分の意志に反して、声が出なくなります。
音声外来にも行きましたが、喉に異常はなく、大学院受験のために厳しいレッスンを受けたことによる精神的なものと、技術面の問題だと思われます。

ちょうどこの後にあった出来事です!

恋に生きる女なのだから、本気の恋も夢も両方手に入れちゃいましょう。


(余談ですが、その後、そやつと再会、「忘れられなかった」と告白され付き合いましたが、半年で音信不通。根本さんとアフタヌーンティーを楽しみ、お弟子さんも認める素敵な彼と落ち着いた恋愛をしています!笑 )

症状に理解があり安心できる人、安心できる空間ではそのような症状はほとんどなく、のびのび自分らしく歌うことができます。

歌も、演じることも大好きで、感情表現が豊かな方なので、こうしたい!ああしたい!という気持ちは湧き上がってきますが、歌う日が近づくと「ちゃんと声が出るのだろうか」という怖さを感じます。

声が出ない度に、周りの評価や目が気になり、恥ずかしさ、惨めさを感じてしまいます。
どんどん自信もなくなっていきます。

彼氏がいないときは、自分の中に理想の彼氏を召喚し、よしよししてもらいながら、成長を認めながらやってきましたが、それでもつらいのが現状です。

なんとか乗り越えたくて、挑戦は続けています。12月と3月には成功させたい本番があり、少しでも現状を変えたい気持ちです。
向いてないで片付けたくなくて、できることはしたいです。

もしよければ取り上げて下さい!
よろしくお願いします。
(Sさん)

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観念に強く縛られているとそこから抜け出すには「死」しかないと思うようになってしまうもの~夢や目標が自分を救いだしてくれる~

働かざる者食うべからずと強く思っていたら、仕事を辞める=死と考えてしまうものです。
なぜそんな強い観念を持つようになったか?がカウンセラーとしては興味深いところなのですが、その思いを抜け出すには夢が大きな役割を果たしてくれるものです。

「お仕事を辞めたいと思った時に死にたいと感じる」
こんにちは、はじめまして。
現在、自分を知る作業に取り組んでいる?取り組み始めていてちょうど「仕事を辞めたい=死にたい感情」にそろそろ向き合う時が来た!と思いネタ提供をさせていただきました。
私は元々、仕事に対していいイメージがなく仕事が嫌いです。なので正社員で働いた事は数回しかなく契約社員か今現在は派遣で働いています。
仕事辞めたい!頭で仕事が続かない自分はダメ人間だ!生活が出来なくなる!働かざる者食うべからず!心は仕事辞めたい!辞めれない!死にたい!みたいな感じです…
今の職種は事務ですが電話対応が多く私は直接、人と接して少し動きのあるお仕事の方が向いていると思っています。
夢は旦那さんと2人で田舎で野菜やハーブなどを育てながら取れたお野菜でメニューは1種類しかないけれど毎日違うメニューのお店をする事です。
夢の話をしても今は恋人はいませんし、1人で生活をしていかないといけないので働かないといけません…でも死にたい感情も消えません…どう、生きていけばよいのか…
是非、アドバイスお願いします。
(Sさん)

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あまり複数の人にカウンセリングを受けるのはよくないでしょうか?

いや、むしろ興味を抱いたカウンセラーとは何人でも話してみるといいですよ。
ただし、「自分軸」がないと見解が異なったとき振り回されるので、その点だけ注意してくださいませ。

メッセージというかネタ提供というか質問というか、お聞きしたいことがあります。
なにかの機会に触れてもらえたら嬉しいです。

私は、根本さんのお弟子さん達のブログやTwitterも読んでいます。
お弟子さん達も皆さま魅力的で、「この人と話してみたいな」と思う人が何人もいます。

そこで疑問なのですが、いろんな人と話してみたいと思っても、あまり複数の人にカウンセリングを受けるのはよくないでしょうか。

決してイタズラに冷やかしたいわけではなく、自分と似てそうな人の話も聞いてみたい、逆に全く自分と違いそうな人とも話してみたい、というようなイメージです。
(Aさん)

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社会に対しても“被害者意識”を持ってしまうことってあるんでしょうか?

「社会」というのも「人」で構成されるわけでして、また、その「社会」というのは「親」を投影することが非常に多いものでして、それ故に、社会に対して被害者意識を持つことは非常によくあることです。
しかし、社会が相手だとそれに気付きにくく、何もできないと諦めやすくなるんですよね。

“被害者意識”についてですが、、社会へ対しても同じような“被害者意識”ってあるんでしょうか?

最近ふと思うのが、私自身、とても日本社会特有の全体主義(“皆が同じようにするのがいいこと”といった右向け右、、の傾向。マスクをみんながしてるから、外さないとか)への、反発が強く、普段はあまり気にしていないのですが(個人の人への反発はないです)、snsなど、そういった記事に深く共感していたり、、。
子どもの学校教育への反発もとても強く(中学くらいまでに、その全体主義が完成されてることに対して)、非常に腹立たしい思いがあります。
それも子どもはあまり気にしていないけど、頭ごなしな先生に対して(押しつけられること、抑え込み)、私1人が怒っていたり、ふとした時に、なんでこんな反発感情がでてくるんだろう、、って気持ちになるのです。

我が子は、小さな頃はのびのび周りの目なんて気にしてなかったのに、小学校へ行き高学年になるに従って、没個性になっていきました。周りから浮かないようにすることが、大事みたいです。
私は、自分に対してももっと自由で、周りの目なんて関係なく生きていきたいと思っているので、子どもがどんどん変わっていくのが、残念です。

で、根本先生の記事に出会ったのですが、これも社会に対する“被害者意識”なんでしょうか?社会が、こんなだから自分は、うまく生きれないんだ!っていう何かがあるのか、、??
ふとした時に湧いてくる、社会への怒りの感情が気になって。(かなり大きく湧き出ます)
もし自分がのびのび生きれてたら、こんな感情にならないようにも思うのですが、、
自分の人生を社会の問題のせいにしてしまってるとこがあるんでしょうか?

被害者意識であるとしたら、これも自立、自分軸で生きていくため、自覚して頑張ることが大事ですか?
今の自分は、やりたいこともやっていますが、満足感が薄く、もがいている状態です。
(Jさん)

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