強い衝撃を受けたり、内観して自分と向き合うと、それまで付けていた仮面が吹っ飛んで無気力になってエンジンがかからなくなることがよくあるものです。

人生には何が起こるか分からない!と言いますが、何かのきっかけで大きなカルチャーショックを受けるようなできごとに遭ったり、自分の内面を深く掘り下げてみたりすると、今までの自分や生き方がまがい物のような気がしてきて何も手に着かなくなります。
それって実はすごく大きなチャンスで、自分らしい生き方に踏み出すきっかけを与えてくれるものなのです。

根本先生、はじめまして。
いつもブログや本を楽しく読ませていただいてます。

私は28歳の専業主婦で、夫と2歳の子供がいます。が、10歳上の既婚男性と不倫してます。
彼とは5年前に職場で知り合いました。2人でご飯に行く関係となり、人生でこの人が1番好き!と思ってましたが片想いが辛く、私の退職を期に何も言わずに連絡を断ちました。
その後私は結婚出産し、夫の冷たい態度、娘のイヤイヤ期、母親の過干渉とストレス祭りで、封じ込めていた彼への思いが再燃。
3ヶ月ほど前に彼と再会し、流れでホテルへ…。
彼とのセックスは、まさに女を目覚めさせるもので、その日以来少しぼーっとしてます。笑
彼にはその日、お前のことは好きじゃない、人のこと好きにならない、と言われ、彼の寂しさを察知し、あれやこれやしてるうちに、根本先生のブログにたどり着き着きました。

そこから自分に集中して自己肯定感をあげ、両親に愛されなかった問題を解決し、苦手だったおしゃれも楽しめるようになったのですが、最近エンジンが全く掛かりません。
なにもしたくない。
彼と、夫と、どうなりたいかもわからない。
誰ともなんかうまくいかない。
今の私はなにをするべきなのでしょうか?
根本先生、優しく教えてくださいはーと
(Yさん)

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ライフワークを生きる人のための「前に出る恐怖」克服法~自分軸、イマココ、与える、受け取るのサイクルを回す~

自分がほんとうにしたいことや夢を実現していくプロセスでは、喜びだけでなく、それ以上に「前に出る恐怖」が出て来ることが少なからずあります。
それはむしろ順調にプロセスが進んでいる証拠で、よいことなのですが、怖れが強すぎて逃げたくなることもありますね。なので、そんなときにどうしたらいいのか?を語ってみました。

根本先生こんにちは。

いつも著作はじめVoicyにブログにとてもお世話になっている読者の1人です。
おかげさまで以前のように頑張れなくなった今の自分が本来の自分なのかもしないと受け入れて新しい生き方を模索中です。

先日の4期お弟子さん制度コンセプト記事、私は他分野でライフワークに悪戦苦闘中ですがジャンル関係なく胸熱なお話に、つい感想かねてネタリクエストしてしまいました。
とくに後半のせっかくデビューしたのに道半ばで諦めた方々への根本先生の想いの優しさと取り組みにホロっと、してしまいました。

私自身、師匠と呼べるような稀有な先生と出会い人生が変わった経験があります。
その時に「人を導く才能」というのを知りました。
ですがそういう常人離れした熱量の人がつくる「場の力」を借りないと力を出せない自分の依存心にも気づき危機感も芽生えました。

社会に出て自分らしさを失った時に10代での師との出会いを思い出し新たな師を探してまた素晴らしい師に出会いました。
改めて「師」の才能を持つ方の「場」の力を体感しました。
そういう場って、根本先生のコンセプト文の全くその通りで…型を模倣するのではなく、個々人の本来の資質が芽吹き育ってく肥沃な土壌という感じです。
私もその土壌に居る間すくすくと成長しいくつもの実をつけ業界デビューに至ったのですか…

そこで根本さんが記事で書かれた「前に出る恐怖」「自己肯定感」「お金」などなど、ほぼ記事の事例フルコンボでグダグタになり一旦失速、休止しました。

今は根本さんの心理学毎日読んでなんとか仕切り直そうと暗中模索です。
本当にこの道なのだろうか…とかそういうことも含めて。

先日の「仕事に抵抗がある人へのワーク」とても参考になりました。
そんな感じで「前に出る恐怖」などのライフワークを歩み出す時に人によってはかなりの峠になる問題への質問やワークいつか記事にして頂けたら幸いです。
(Tさん)

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逆NTR願望について深掘りしてみた~幼少期のトラウマを性的快楽によって慰める心理~

「彼が他の女性とセックスするシーンに興奮する」というテーマを深掘りして、単なる性癖ではなく、幼少期のトラウマと結びつける非常に心理学的なアプローチをご紹介します。
心の痛みを性的興奮によって緩和させる心理は実は誰にでもあり、それによってファンタジーの世界の住人になってしまうこともよくあるのですが、決してそれは悪いことではない、という話です。

根本先生、こんにちは。いつもためになるVoicyやブログをありがとうございます。

「逆」寝取られ願望について質問です。先日「NTR願望」についてお話されていましたが、私の場合は「逆NTR願望」があります。

自分の夫や彼氏が、別の女性とセックスをしているシーンを想像しながら(時にはそんな状況のAVを見ながら)オナニーをしてしまいます。自分は同じ部屋にいながら、傍観者として観察しているイメージです。気持ちよくなっている女性を見て、興奮してしまいます。

彼氏には、私と付き合う以前から別の恋人がいます。その人と彼が仲良くしているシーンを妄想しても、すごく胸が苦しいのに心のどこかで甘酸っぱく興奮している自分がいます。

「どうしてこの気持ちを感じさせたいの?」と心のエゴちゃんに聞いてみたら・・・「手に入らない”お預け”のジュルジュル感がいいんだ」「手に入らないものは余計に輝いて見えるから」などという答えが返ってきました。

これも、罪悪感という刺激物を感じたいからなのでしょうか? それとも、無価値感??

ちなみに、自分は子ども時代に母から暴力や過干渉を10年ほど受けておりました。父はそれに気づかなかった(?)どころか、大人になってカミングアウトしたときは母をかばっていました。夫や恋人に、父の姿を重ねるときもたまにあります。

そのあたりも関係あるのでしょうか?

甘酸っぱいお預け感は感じたい。でも、今の状態は辛いので、前向きなことにエネルギーを使いたい。

この辛い気持ちから、いい加減卒業したいです。

今からわたしは、どんなことに手を付けたらよいのでしょうか?

先般のNTR願望さんのケースと、何か違う点があればお教えいただけますとうれしいです。
よろしくお願いいたします。
(Nさん)

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「私はどうしたいの?」という問いかけに迷いが生じるのは他人軸でいるからか、もしくは考えすぎる傾向があるから。

「私はどうしたいの?」という問いかけをあちこちでお勧めしている私ですが、そもそも他人軸を自分軸に移行するための方法なので、当初は迷いが生じるのも無理はありません。
また、考えすぎる傾向のある方もまた、心の声を思考で分析しちゃったりしてややこしくしてしまいがちなのです。

「本心」とはどこにあるのでしょうか…?

根本さんがいつも言われる「私はどうしたいの?」の問いかけは、文言はシンプルですが、私には一筋縄では行かない難問です。

というのも、問いかけの角度や切り口少し変えるだけで返ってくる答えは違ってくるからです。
またそれと関連してかなり声を大にしてお聞きしたいことがあります。

それは「無意識はどこまで信用していいのか…?」ということです。

自問自答の問いかけのバリエーションですが、端的に言えば平時の意識から無意識へのバリエーションと言えます。
私はだいぶマシになったのですがかなりの、いい人属性だったので平時の意識と無意識での欲求にかなり乖離がありました。

ですが、そもそも乖離があるので、どちらを優先すべきがいつも振り子のように揺れており、アクセス出来た無意識も本心と呼ぶにはあまりにも自由で無邪気で、これは私個人の無意識というより、無意識そのものなんじゃないかな??とも思えます。

ただ、意識で思うことよりは無意識が惹かれることこ方が本心には近い確信は自分自身が証明してるというか、、意識が選んだ(仕事、ステップアップの資格試験、人間関係)をなぎ倒すように、無意識で出た答え(感覚的なものに浸りたい、感受性のままに行きたい)の方向に結局のところ人生が流れています。

ただ繰り返しになりますが、程良い答え(本心だろうし、現実味もある)に未だ行き着くことがなく…(無意識で出た答えを意識で現実的に具体化してけばいいんじゃない??でしょうが…)頭では分かるのですが、無意識に近い答えと平時で出る答えを分けて保留してたゆたっている自分がいます。
と言いますか、どちらかを交互にある一定の期間試して中途半端な結果になる、を繰り返す感じです。
何度も融合試みて失敗しています。融合しようとすると50+50で100にならずに50のままでかなりの欠落感があるまま進まざる得ない感じです。

そんなあんたこそ「自分で決める」だよ!でしょうが、、勿論完読しました。精読は出来てませんが…ワークも全てやってます。

劣等生に赤字入れて下さい~!!!
(Nさん)

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禁欲とセクシャリティについて~自分らしい表現方法とは何だろう?~

セクシャリティについては怖れもあり、よく分からないものでもあり、またタブー的な色合いもあるので、なかなか向き合いにくいものかもしれません。
が、基本は何でも同じでありのままの自分の感情と向き合い、自分らしく解放してあげればいいんじゃない?というシンプルな答えに行きつくのです。

こんにちは!
都内在住の会社員です。
セクシャリティについてちょっと分かりづらいかもしれませんが質問があります。

禁欲とセクシャリティについてです。
最近の根本さんのセクシャリティの記事とても好きです。
そして基本、自覚と解放を推奨されていると思うのですが、自覚にとどまって解放は直接的ではないというのはやはり難しいのでしょうか?

私は趣味で「歌い手」や作詞をやってるのですが「エロい」表現を目指したいかと言うとそうでもなくて…
なんというか、表面は淡々としてるけど奥にあるセクシャリティにゾクリとするほうなので、自分もそういう表現をしたいし、気質としても直接的なのはどうにも無理ぽいです。

わかりずらいかもしれまんせが、オタクらしい例えで行けば、漫画の神様の手塚治虫や引退撤回された宮崎駿さんなどとても道徳的な作品性を感じると思うのですが、
(手塚氏は成人向けのも描いてますが、そんな作品でもテーマは社会的だったり人間の普遍的葛藤だったりして高尚)
お2人ともかなりエロさの値が半端ないのは好きな人間程当たり前に感じてる事実で。

抑制というより多分隠されたエロで、そこには「充分な自覚」が前提なのだろうとは思うのですが、巨匠達のように深い見識や現代社会への問題提起が何もない私には、その第一階層(外に提示された見てとれるテーマ)がカスカスなうえに、
エロも隠そうとするとただの中身も外見も味も旨味もない出がらしのようになってしまって…まぁ、その通りの反応ばかり貰います。

そう思って分かりやすくエロやろうとした時期もあったのですが、なんか辛くなって続かなかったし、禁欲的なとこがいいと尊敬してる人に反応貰ったこともあるで、もう何年も「セクシャリティと禁欲」の間で揺れながら表現模索しています。

表現の話とすると限定されてしまいそうですが、例えば服装でも露出や身体のラインが出るものに惹かれないけど、魅力(魅力てつまるところ性的魅力だと思います)は出したいという方もいると思うのです。
また「モテ」とかでも言えるかなと。別に誘うような格好しなくても誘えないかなと…
机上の空論感な虚しさ感じつつリクエストです。
(Rさん)

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他人軸から自分軸に移行してきたら無気力になってしまってなかなか抜け出せません!!

他人のためにずっと犠牲して我慢して生きてきたなら、自分軸に移行すると無気力になっちゃうことって意外とあるものです。
自分が分からなかったり、何かする気力が湧いてこなかったり。
けど、そこにも何らかの意味があるんですよね。そこを見ていきましょう。

あるあるで、何度も書いてるやん!かもしれないネタなのですがかれこれ2年近く抜け出せなく管を巻いてる状態なので根本さんにアドバイス願いたいです!

他人軸から自分軸に移行しようと試みたら無気力というかエネルギーが出なくなって久しいです。
それはどれだけ自分が他人軸でこれまで生きて来たか教えてくれるのですが、いつになったらここから抜け出せるのかと少し不安もあります。

人の目が無くなったら(他人軸になるの必至なので自粛にかこつけて人付き合いやめた)好きだと思ってたファッションやメイクに全く関心が向かず、食欲ばかり増して身体もかなり太ってしまいました。

でも心は無気力だけど他人軸で比較の嵐の中に居た時より穏やかです。
ただ身体が動きません(ご飯食べる時だけ動く!笑)

他人軸から自分軸への移行時間は個人差があるのは重々承知なのですが、このままではぶくぶく肥えた廃人になりそうで根本先生の助言欲しくなっちゃいました。

自分軸構築までの空っぽ無気力状態が長期化してしまった場合のアドバイスお願い申し上げます~~
(Rさん)

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内面の世界が外側の世界を創り出しているのだから自分と向き合い続けていれば大丈夫!~世界は自分が創造している~

内側の世界が外の世界に投影されて現実世界として認識されているので、外側の世界を変えようとして闇雲に行動しても、心が付いてこなければ狙った効果は期待できないものです。
世界は自分が創っているという原則に従い、自分と向き合い、内側の世界を変えていけば、目に映る世界はどんどん良くなるのです。

昨年ほど、根本さんの文を読んで声を聴きまくった年はありませんでした。
大変お世話になりました!
今年も何卒よろしくお願い致しまっす。

さて先日の「大人のナルシズム」のお話とても面白かったです。
共感したし対処法(とにかく書く)もすぐやれることで何度も読んで聴いてます。

欲望や願望を書き出すことにも言えるのですが「感情的事実」についてお聞きしたいです。
よく自己啓発とかビジネス本には「行動」が全てとあり、二十代の私は諸手を挙げて賛成し、あれやこれやと行動してたのですが、ガラクタが積み上がるだけというか、ガラクタさえほんとは作れて無かったというほど「感情的事実」が伴ってませんでした。

それで根本さんはじめ心理学やセラピーの手法でセルフカウンセリング(と言ってもピンと来たワークや質問を紙に書き出す)ことをやったら、相性の良い切口(夢日記など)だと、ぐっーと自分の欲望の奥の奥に入れたりして、その時の「感情的事実」感は説明し難いエモーショナルな体験です。

しかも行動しても何も変わらなかったのに何も行動してない(紙に書き出して感情体験をするだけ)のに、現実(環境、人間関係、仕事)が変化することを経験しました。

でもだからこそ、元々怠け者の私は内面での体験にばかり関心が向かって最近では、本当に外のことに関心が向かなくなりました。
根本さんの「精神性と現実に降ろす」ワークもはじめは取り組めたのですが、具体的なこと(場所や物)に関心を向けようとするほど気が削がれて、気がつくと、また抽象的だったり現実とはすぐ繋がらないイメージの連想がはじまります。

それは長い目で見れば効果はあるとは知ってるのですが、最近の自分の外への拒否は目に余るので、一度根本さんに「感情的事実」と現実の関係をおききしたいと思いました。
(Eさん)

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