自分って何だろう?自分ってあるの?ないの?~自分を幸せにする考え方を常に採用すればいいんじゃね?~

自分という存在の有無についての哲学的命題を心理学的というかカウンセリング的に解析してみました。
カウンセリングって幸せになるために使うモノなので、結局はその場その場に合った「幸せな考え方」を採用すればいいよね?という話です。

ねもと先生こんにちは。
曇天の日曜日の朝ですが、ねもとさん本セラピーの効果か、なんかスッキリ余裕のある心地です。
先日のヨガ講師をされてるお弟子様とのコラボとても興味深く拝聴しました。
心理学もヨガも興味があって、前々からこれってどういうことなのだろう?と配信聴きながらもムクムクと疑問が浮かんで居たのですが、言葉には纏まらず、他の方へのご回答を共感しながら聴いておりました。

まだ上手くまとまってはいないのですが「自分て何だろう?」という哲学めいた疑問です。
前に仏教の本で「自分などいうのはホントは‘ない’」と読んだことがあり、その時はそれが響いて「自分が無いなら傷つくこともないな」と行動力があがり、それまで躊躇してたことを色々動けるようになり人生が加速したことがありました。
ですが、それがどこか自分を粗末にする自棄めいた心理もあったのか、段々と面倒だと思うことが増えたり好きじゃない人間関係に悩まされたりしてそんな時に「自己肯定感」を知り根本さん本を読むようになりました。

またヨガも少し本や動画などで触れるようになり、その時ヨガでは「本当の自分である‘真我’を見つけることが目的」と本にあり、それって仏教と反対だなーと思いました。

心理学でも「自分軸」や「本当の気持ち」や「本当の自分」を大切にしますよね?
根本さん本でも、環境で後天的に作っていった自分の殻を脱いで本来の自分と繋がることを説いていらっしゃるように理解しています。

執着は苦しみを生むからということを仏教は言いたいのかなと思います。
根本さんも「手放し」や「ニュートラル」は時々語られると思うのですが、それと「自分軸」や「本当の自分」というのは、どう関わって来るのでしょうか?
(Hさん)

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意地っ張り同士のパートナーシップを幸せに導く秘訣~勝ち負けや正しさよりも「幸せ」を選べる自分になる~

自立同士の恋愛だとどうしても競争心が刺激されてパワーストラグル(主導権争い)という状態になります。
そうすると二人の関係は敵同士となり、一緒に暮らす家は戦場になってしまいます。
そこを抜け出すにはヴィジョンがまず必要で、そのために幸せを選べる自分になることが求められているのです。

根本先生、いつもお世話になってます。
最近どうしたもんかな、と思ったことの相談兼ネタ提供になれば、と思い送らせていただきます。

今年、今まで遠距離だった彼の元へ移住することを決意しました。

経緯としては、
彼もプライドが高いし私も意地っ張りな上ちょっと女王様気質なので、お互い好きなはずなのにすれ違ってばかり

私がそばに行きたいと素直になってみたところ、彼も素直になり出す

お互いの気持ちを一応は確認できた(私が察した部分が8割ではあるものの)

移住決意

と言う流れで、これだけみると綺麗なんですがちょっと引っかかるところが出てきました。

彼が忙しいのはわかってるものの、移住までまだ時間がかかるしやっぱり接触したくて、ちょいちょい電話したいだの話したいだのとLINEを入れてました。

彼の基本原理は誰に対しても優位に立ちたいプライドエベレストさんなので、私からのメッセージは、
お仕事お疲れさま とか
忙しいのわかってるんだけど今度電話してもいい? とか
私のわがままなんだからと下手に出てたんです。
でも、なんか彼も私のこと好きなんだなってわかってきちゃったので、私のわがまま女王様がたまに顔を出してしまうようになってきました。

ちょっと彼に対して煽っちゃうというかなんというか…

で、当然そうすると相手は黙っちゃうんです。

私が女王様なのは気質だから仕方ないし、もう隠せないと思うんです。実際彼も私のそういうところは嫌いではなさそうなんです。でも、特にLINEとかのやり取りで素の私を出しすぎるとうまくいかないな、と感じています。

やりたいようにやったら、うまくいきません。でも隠すのもなんか違うような気もします。意地っ張り同士のパートナーシップって、何かポイントってあるんでしょうか?
(Yさん)

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女性性が豊かな人のためのヴィジョン設定の方法(ライフワークデザインの仕方)~感情・感覚・気分的なヴィジョンでOKという話~

思考的な方は具体的なヴィジョンを設定し、そこまでのプロセスを考えるのが好きなのですが、女性性が豊かで感情・感覚派の方はそもそもそんな具体的な目標にあんまり興味がないものです。
だから、やはり感情・感覚的なヴィジョンを描けばよく、それはたいてい抽象的かつあいまいな感じがするものだと思います。

ケイティさんとのライブ配信お疲れ様でした!
滑り込みで後半20分は生で拝聴しアーカイブでしっかり楽しませて頂きました。
ケイティさんの女王さま…じゃなかった姫様オーラに加え、コメントの「根本さんかわいい」に根本さんが「そなの」とリアクションした下りには鼻血出るかと思いました(笑)
とにかくほろ酔い配信いいですね!
是非またwithアルコール回リクエストします。

ところでご回答で何度かビジョンの話があったのですが、それについて質問です。
「女性性のビジョンの描き方」といいますか…以前、女性性は目標を立てるのが苦手とあり、私も目標設定が子供の頃から苦手で、達成したとしてもその後が続かなかったりする質です。

また根本さんのライフワーク本でビジョン描こうとワークにせっせと取り組んでいるのですが、過去を回想し自分の人となりを知るなどは割と楽しく取り組めているのですが、そこからビジョンを描く段階で立ち往生してる感じです。
具体的なことはまた出て来ず「ひとつひとつ向き合いながら生きていく」とか「誰かにこう見られたい自分じゃなくて、正直な自分で生きていく」など一年半、断続的にライフワークと向き合って出てきた答えです。

これは女性性の「未来より現在」の指向性や能動より受容(受身?)の特性もあるのでしょうか?
また先日の「変われないのは現在にそれなりに満足してるから」もあるからでしょうか?
ずっとモヤモヤはしてるけど、ストレスは強くないからビジョンを描いてまた色々と変わりはじめ楽しいこともあるだろうけど嫌なこともあるだろうから(今までがそうだったから)ライフワークビジョンを曖昧にしてしまってるのかもしれません…

自己肯定感や癖の問題かもしれませんが私は9割の楽しいことより1割の嫌なことで一杯になってしまう所があります。

ビジョン設定のいろは改めてお願い申し上げます。
(Iさん)

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自分が苦手で向いてない仕事も何とかこなしてしまうので、その苦しさを周りに理解されないんだけどどうしたらいい?

器用な方とか順応性が高い方って、苦手だったり、向いてない仕事も何とかこなしてしまうので、周りからは逆に重宝がられて嫌な思いばかりが募っていくことがよくあるものです。
そういうときはこんな風に意識を変えるところから始めてみましょう!という話です。

根本先生こんにちは。いつもブログやVoicyに助けられています。ありがとうございます。
以前こちらのブログで取り上げていただきました。
今では小さな頃から好きだった絵を習ったり、以前から比べると本当に楽しく生活できるようになりました。ありがとうございました。

以前と比べると本当に幸せに生活しているのですが、最近は仕事上ですが自分が苦手で苦しいのに、周りにはあまり理解されないということに悩んでいます。

例えば、(コロナ以前ですが)仕事で立食パーティーのようなものを主催することがありましたが、私はとても内向的なのでそのような場が苦手です。
ただ、ずっと不足を埋めるように努力するような人生だったので、状況に応じて外向的風に振る舞うことができるようです。外向的な相手にはそのように振る舞い、内向的な方には、その方の気持ちがとても分かるので話しかけていたりすると、そのようなパーティ対応がとても得意な人とみなされてしまうと気がつきました。

以前は何がなんでも自分は不足しているとしか思えなかったので、全く気が付きませんでした。
その他の仕事でもそういうことがとても多いです。

私は本来はとても内向的で、苦手な業務だと訴えてもあまり理解されず、自信を持つように促されたり、適当に励まされ終わることが多いです。
自分では向いていないと思っていても周りには逆に向いていると認識されてしまったりすることも多く、異動希望もなかなか通りません。

今の上司は、とても信頼でき、私の本音などにも耳を傾けてくださる方でした。その方のおかげで頑張ってこれた部分もありますが、その方が異動になってしまいとても不安に思っていて、なんだか本当にネガティブな気持ちになっています。

職場で問題をきちんと周りに認識されている方を見ると、私は問題を形にすることができないのかな?と思うこともあります。
苦手なことがきちんと表せていていいなと思うこともあります。

なんだか変な悩みかもしれませんが、ずっと同じ悩みから抜け出せません。

もし可能であれば、ネタにしていただけると嬉しいです。

季節の変わり目ですので、お体にお気をつけてください。
いつもありがとうございます。
(Eさん)

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他人に「奪われる怖れ」「侵略される怖れ」とは何か?そして、その対策について。

人にエネルギーや時間やモノを奪われるような怖れがあったり、他人に自分の心の中に侵略されることを拒む思いがある場合、真っ先に考えられるのは「誰がそんなことをしたの?」という質問です。
そこをきっかけにどうしたらその怖れを手放して親密感を手に入れられるか?を考えてみました。

根本先生、こんにちは!
3/13のケイティさんとのYoutubeライブ拝見しました。とても楽しかったし、参考になりました。ありがとうございます。

ライブ中に出てきた「奪われる怖れ」について詳しく知りたいです。

わたしは昔から、お金に限らず、じぶんの労力(エネルギー)や自由な時間を奪われることへの嫌悪感が強めです。
かしずかれるのが好きな姫気質も自覚してますが笑、同じくらい、奪われる嫌悪感も強い気がします。

この嫌悪感、根っこにあるのは、根本先生がライブ中に仰ってたような「侵略・攻撃されることへの怖れ」「傷つけられることへの怖れ」っぽい、とじぶんでは思っています。
一番それをはっきりと感じるのは、パートナーシップ。というかセックス。侵略されている感じがして、しんどい。相手をかえても、ほぼずっとこんな感じ。
地味にストレスです(いまは幸か不幸か相手がいないので、平気だけど!泣)
このしんどさをマイルドにしたものが、お金・時間・エネルギーにもついてまわっているように感じます。
パートナーシップはもちろんのこと、その他に関してもじんわりストレスなので、もう少しどうにかしたいです。

カウンセリングを受けよう!とか、自分軸を鍛えよう!って言われちゃいそうですが、「よくあるケース」的なものも聞きたいので、よかったらネタにしていただけるとうれしいです。よろしくお願いします~!
(Rさん)

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【続】虚しさについて~その感情と向き合って自分に素直になると情熱が復活してくる~

虚しさシリーズ!?昨日の話をさらに一歩踏み込んで、具体的にどのようにアプローチするのかをお話しします。
その結果、どうなるのか、そして、どんな風に問題が解決していくのかを描いてみたいと思います。

根本先生こんにちは。一昨年の新潟お茶会・セミナーでお世話になりました。その節はありがとうございました!いつも書籍、ブログ、YouTube、Twitterなどなどで先生には本当に支えていただいております。ありがとうございます。
長年の夫からのレスでひどく苦しんでいた頃にお付き合いが始まった不倫の彼とも、紆余曲折ありながら、ひと月前にさよならができました。まだ毎日思い出して胸が痛みますが、きっと時間が解決してくれるでしょう…。
今は、夫とも仲良く、子どもたちもいい子、わたしも彼との苦しい関係で自分を見つめる時期を経て、自分の好きなこと(絵や物語を書くこと・ライフワーク?)を始めたりと、なんだかいい方向に進んでいる気がして、幸せを感じる日々です。
ただ…やはり、空虚な気持ちがふと顔を覗かせます。
わたしはやっぱり女でいたいし、求められたい。
ほとんど性の経験がないせいか、(夫とも彼とも数回程度)まだまだしたいのか?その一方で、夫への穏やかな愛情もあり、また彼氏ができたとしても、罪悪感で苦しむのは目に見えている。わたしはこの空虚な気持ちをどう昇華したらよいのか…。ひとりの時など、ふと涙がでてきます。
自分を愛すること、受け入れること。ライフワークに取り組むこと。セクシュアリティの解放…。突破口を見出したくて、根本先生の本やらブログを読み漁る毎日です。
わたしは一生、この空虚な満たされなさを抱えて歳をとっていくのかな、と考えると泣いてしまいます。何もかも持っていて、幸せなはずなのに。わたしは贅沢なのかな…。もし、同じような方がいたら、そのネタになれば幸いです。
いつも本当に、ありがとうございます。
(Kさん)

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虚しさって何?~自分のご機嫌を取ろうとしても何かを目指しても虚しさがなくならない理由~

心の真ん中にぽっかりと空いた穴があってね、それが何をしても埋まらない状態が「虚しさ」と定義できるかもしれません。
それってほんとうに欲しいモノをどこかで諦めていて、何かでごまかそうとしているからなかなかなくならないのかもしれません。

根本さま

いつもお世話になっております。
先日のblog「タイプ別自信の付け方」大変参考になり読んだ瞬間心に灯火がついた思い出した。

そこで「自分のご機嫌を取る」を実践する中での感触のご報告と厚かましくもアドバイス頂けたらとお便りしました。

上記のblog記事の通り、私は結果が出る程燃え尽きというか、全く喜べないことが度重なり、ならばきっと根本さん言う所の感覚タイプなのだろう!と読んだ日から自分のご機嫌をとることに取り組みはじめました。

食材買う時は、よく自分に問いかけ安いからとか調理が楽だからという理由だけでなく、食べたいものは?とじっくり感じ旬のモノを買ったり、お風呂に入浴剤を入れてゆっくり入ったりなど。

ですが慣れてないせいか、そういう自愛行動をする程「虚しさ」を感じてしまうのです~
これってその場を楽しむことより、何か「期待」を込めてしまってるのでしょうか…?

こういう疑問をまとめてる時などは虚しさは感じません。
ということは、私は食事にも入浴にも実はそんなに関心がないということなのでしょうか?
(知らんがな!お前さんのことやろが!のツッコミ聞こえてきそうですが笑)

何かを目指して結果が出ても虚しく、何かを目指さず時間を楽しもうとしても虚しいというのは、私には虚しさオバケが取り憑いてるんでしょうかね…笑

そういうば子どもの頃から感じてる気もしますね。
厳しい家に育ったので、子どもらしい欲望(あれが欲しい、これをしたい、遊びたい、知らない場所に行ってみたい)とか流す癖がついてる気がします。

そのせいか行動せずに頭の中であれこれ想像することは虚しさは伴いません。
時間無駄にしたなーとか罪悪感や自己嫌悪は多少ありますが、自分のために行動やお金を使ったあとの虚しさの方が辛いです。

そう、行動に伴う虚しさかもしれません。
虚しさて何なんでしょうか?
仕事など日常ルーティンをこなしてる時「退屈」を感じてますが、そこから脱却しようと創意工夫や行動や出費をした時に「強い虚しさ」を感じるようです。

日々を愛でて自分で自分を充たせる、そんな人に憧れて本や動画を参考に真似っこしてるのですが「虚しさ」に足を取られ中です。

虚しさって何なんでしょうか??
(Rさん)

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