頑張りすぎると、ストレスが溜まってイライラして、他人に嫉妬したり、干渉したりしやすくなるもの。

当たり前じゃないか?と思われるんですけど、意外と自分がその立場になると気づきにくいものなんです。
そもそも頑張ってることに気づいていなかったりしますね。
だから、イライラするなあ、とか、他人のことが気になるなあ、と思ったら「頑張りすぎてる自分」にも目を向けてみるといいですね。

根本さん

以前こちらの質問をさせていただいたYです。
「神様のテストに合格も落第もあるものなの?」
その節はありがとうございました。

今回は仕事において、何をどう手放せばハッピーになるのだろう、と思い質問させていただきます。

何かといいますと、後輩に対する嫉妬です。

後から入社した年下の後輩が仕事の出来る人だと、羨ましくて妬ましくて、でも頼もしくてありがたくて、でも自分と比較して落ち込みます。
後から入社した年上の方には、前向きな挑戦をされたにも関わらず、私が余計なことを言って気を使わせてしまったりして、また落ち込みます。

このままいくと意地悪なお局様になってしまうのではないかと恐怖です。

それならもっと頑張ればいい、と思うのですが、上司の言葉も穿った受け取り方をしてしまい、卑屈になる一方です。
(とはいえ、土日もオンライン講座で仕事に関する勉強をしていますけど。)

これ、何なのでしょうか。
私も入社した当初はもっと健気で積極的だったはずなのに。
最近は毎日イライラしている気がします。
何かアドバイスいただけると幸いです。
(武闘派のお姉さま方は嫉妬される側が多いようですが、あえて質問させていただきました)

ちなみに野良猫とは特に進展はないですが、まぁ大したことはないと思ってます!
よろしくお願い致します。
(Yさん)

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早くに自立して子ども時代にちゃんと子どもができなかった人が持つ問題と魅力について。

親や家庭環境によっては早い時期に自立して、子ども時代に子どもがちゃんとできないケースが多々存在します。
そうすると独りで何でもできたり、セクシュアリティが豊かだったりという長所の一方で、人に頼ることが苦手だったり、燃え尽き症候群の危険があったりするものです。
そんな方がどう生きれば幸せを感じられるようになるか?と一端をお話しします。

根本さん、こんばんは。
いつも心に響く言葉達を届けてくださってありがとうございます。救われています。
今回リクエストさせてもらったのは、漠然とした「生きることに疲れた」という気持ちについてです。
恐らく自立系武闘派なのですが、カテゴライズはさておき心理的虐待を受けたいた過去はありますが、彼らも私の望む形でないにせよ愛情は持っていたのだろうと思えています。
今30代後半にさしかかり、私の過去を全て知って理解ある夫(レス)と未就学児の息子がいます。見た目はアジアンビューティー的なきれいめ?で体型も独身時代とほぼ変わらず、また自分を受け入れている無邪気さ?を察してか時々ナンパされます。
仕事は望む業務でなくても、ある程度の努力でできてしまう為知らぬ間に業務に追加されちゃう感じです。見た目etcで常に男女ともに嫉妬されるが、役員とはなぜか馬が合います。
子育ては自分がされてないことが多過ぎて戸惑いましたが、今はなんとか自分の(父母)のスタイルでできているかなとは思います。
レスについては、夫と話せており理由はふせますが、「自分はもうしないから、他の人としてもいいよ。」と言われています。そして、そんな折に出会った方とお互いの家族は大切にしつつ、時にそんな機会を持つこともあります。
一見望む形になっている、感情と思考と向き合えている様ですが先述の「生きるのに疲れた」という気持ちが拭えない時があります。あと何年生きなければならないのだろうと辛い気持ちになります…
ライフワークも今秋からスクールに行くことを計画しているのですが、それとは別の感情の様な気がして…
根本さんの目に留まったら、何かお話し聞かせてもらえるとうれしいです。
(Yさん)

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彼女ができてもSNSで寂しいキャラを変えない彼の心理と、幸せを素直に受け取れない彼女の心理。

今まで過酷な恋愛を経験してきたとするならば、降ってわいたような「幸せな恋」は素直に受け取れません。となると、ついついあら捜しをして問題を発見してしまうのですが、果たしてそれはどれくらい大きな問題なのでしょう?
そして、その一方で、彼女ができてもSNSなどで「彼女がいないキャラ」を演じ続ける彼の心理とは?

根本さん、こんにちは!
いつもブログを楽しく、興味深く拝読しています。
質問される方の文章もとても上手く、根本さんの返しも面白く、感心している次第です。
わたくしめは、小洒落た文章は一切書けませんので、ド直球でいきます。それは付き合って8ヶ月位になる彼の事です。
趣味の仲間として知り合い、1年半位はお互いに単なる大勢の中の一人でしたが、ある時急接近して付き合う事になり、今に至ります。
今までは、根本さん界隈で言うところの、ロックマンさんとの付き合いがほとんどでした。悩んだり振り回されるのに本当に疲れ、恋愛はしばらくお休みしていた時に、ひょんな事から付き合う事になったのです。

歴代彼氏達とは違い、連絡は超マメ、週末はかかさずデート、飲み食いや映画などの趣味も合い、スキンシップもそれなりにあり幸せっちゃ幸せです。
まだご両親にはお会いしてませんが、彼の妹さん夫妻には紹介してもらい、「お兄ちゃんをよろしくお願いします!」なーんて言われて有頂天になったりもしてます(笑)。
将来の話も、なんとなくですが、してくれたりして、ありがたい事この上ないです。

しかし、時々気になるのは、彼はツイッターやFacebookといったSNSが好きなのですが、やたら寂しい独身ぶるんです。

例えば年末年始は二人で小旅行に行ったのに「独りで寂しいお正月でした」とか、昨日一緒に出掛けて新しい時計を見せてもらったばっかりなのに「時計を買っても出掛ける所が無いから家でしてます」みたいな文章とともに写真をアップしてたりとか…

あれは何なんですかね?
まだモテたいんですかね?

確かに趣味の仲間に中途半端に知られると、現状ちょっとやりづらくなるというのはあるので、当面黙ってようとはお互いに決めています。
仮に趣味のコミュニティが関係なかったとしても、別に「彼女がいます」と大々的に宣伝して欲しいとかは一切ありません。
しかし、わざわざ自分から、独りとか寂しいとか言う必要がありますか??
バカなんじゃ無いかとさえ思い、見るたびに毎回パソコンをかち割りたくなります。

ただ、言論の自由はあるし、私がそれに文句を言う筋合いは無いと思うし、でも一言言ってやりたい気もするし、どうしたらいいか悶々としてます。
こいつ、いったい何なんすかね?!
(Mさん)

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亡くなった母から解放されたいけれど、自分軸を確立するアファメーションが言葉にできない。

もし、お母さんに罪悪感があり、癒着しているとするならば、私たちのマインドは「手放さないために」あらゆる手段を講じるものです。
自分軸を確立するアファメーションを言えなくするのもその一つ。自分を責めたり、お母さんを許せなくするのもその一つ。
そして、そのパターンはお母さん以外の人に対しても起きているかもしれません。

いつもブログ読ませていただいています。
いろいろ読ませていただき、根本さんならこういうかな、という感じで自分で自分にカウンセリングしたりしています。

自分が他人軸なのは、今こども、結婚前は夫、そして子供の頃は母だったんだな、そこから始まっていたことに気づきました。
母に認められたくて、頑張っていたんだと。
そして、母への恨み少し、とありがとうをいろいろ書き出しました。

母が亡くなってもう18年。
母のことを忘れつつある自分に若干の自己嫌悪を感じつつ、母と同じ病気であることや母が早くに亡くなったことで母を恨んでいる?と、同時に同じ病気であることが、母と私を結びつけているとも感じている。
そこから、解放されたいと思うようになりました。

母は母。
私はわたし。
母が早くに亡くなったことと、わたしがこれからどう生きるかは別の問題。
わたしはわたしでしあわせになれる。
わたしはわたしがしあわせと思うように生きる。
母は母で、しあわせだった。
でも、もう死んでしまったから、母は母でしあわせになれる、と書けないのです。
そこでストップしてしまいます。
(Hさん)

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母の愚痴の聞き役だったように、いつしかカウンセラーさんの話を聴く側になっています。

母親の愚痴を聞き続けてきた人は、その役割をこなすのが上手になっているので、他の人に対しても話を聴くのが上手になってしまうことがあります。
そして、それが才能レベルであるならば、カウンセラーさんの愚痴だって聞いてしまうようになるのです。

根本さん、ブログ、voicyなど、お世話になっています。ありがとうございます。
根本さんのブログを参考に女性性を癒すことを心がけていたら、確かに胸が大きくなりました。びっくりしました。本題です。
私、カウンセラーさんに相談していると、カウンセラーさんが日常生活の中で出会った方の愚痴を言い始めます。私の参考になるように、ではなく、無意識でカウンセラーさんは私にうっぷんを晴らしていると思われます。

私は心の中で、「カウンセラーさん、カウンセラーなんだから、愚痴るんじゃなくて、その方に優しい気持ち持ってよ」とムカつきつつ(笑)、カウンセラーさんしんどいんだな、と思い、そして私は愚痴を言われている方の擁護と、人間完璧じゃないよね、と心の中で思っています。本当は私のことを受け止めてもらいたいのですが。

私は家族(メインは母)から散々に悪口をきいてきて、このカウンセラーさんとも同じようなことになっているのではと状況にうんざりしています。そして、話を持っていかれるという私のパターンではないかと気づきました。
「お母さん、私の話をきいてよー」という気持ちが、私の心の中で渦巻いているのでしょうか?

母は出来ないこともありますし、それひどくない?という時もありますが、母は母なりに私のことを守ろうとしてくれている部分はあると思えるのですが・・・。

私のことを受け止めてくれる方と関わりたいのですが、この場合どうしたらいいのでしょうか?
(Mさん)

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成長段階では自分や他人の問題がよく見えるもの。そこで自分の魅力や価値を受け取り始めると人間関係も変わり出す。

自己肯定感をあげようとしたり、いい女になったろうと思ったりしてるとき、問題を見つけて癒す、解決する、ということが癖になるものです。
そうすると私たちは自分を見るように他人を見るので、つい他人の問題点ばかりが目に付くようになるものなんですね。
そうなったら、意識的に自分の魅力や価値、成長に目を向けてみるといいのです。

私は自己肯定感が低いことを自覚していて、自分を幸せにする!と決めてからのここ3年間は激動でした。
自分の変化と共に環境も人間関係も次々と移り変わっていきました。新しく人と出会うと、つきあっていくうちに相手が自分と同じ問題を抱えていることがわかってきます。
そこで自分の課題に気づき昇華していくと、その人と価値観が違ってしまうので違和感を感じるようになり、会いたくなくなってしまいます。そして距離を置いて疎遠になっていく、この繰り返しです。
最初は成長した証拠だと思っていたのですが、最近は人と知り合っても「この人にも問題があるんじゃないか」「課題が終わったら縁が切れるんじゃないか」と勘ぐるようになってしまいました。

出会っては別れの繰り返しで気づけば親しい人があまりいません。
特に誰にも会いたくないけどまあいいか、の状態が1年以上続いています。
不満というわけでもないのですが、ずっとこれでいいのだろうかという思いもあり少しさびしいです。
また会いたい、長くつきあいたい、と思えるような人間関係を築きたいです。
もっと自己肯定感が上がっていけばそのような出会いがあるのでしょうか?
今はまだ準備期間なのでしょうか??

どうぞよろしくお願いいたします。
(Aさん)

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今の外出自粛生活の中で意識してみたい6つのこと。

この6つを意識してみるとだいぶ、心が穏やかになっていくんじゃないかと思い、ご提案です。
(1)自分の気持ちを話せる場所(2)誰かとのつながりを感じられる方法(3)今できることをひとつずつやっていくこと(4)自分軸であること(5)自分のご機嫌を自分で取ること(6)感謝すること

こんにちは
毎日に時間ができ、いつも以上にメルマガを拝見してはほうほうと言うております。
今回は3/11に書かれていたコロナちゃんについて、もう少し聞きたいと思い、質問させていただきます。ネタとして扱って頂けたら嬉しいです。

前回の記事から1ヶ月以上経ち、情勢は変わりました。緊急事態にまで発展し、自粛ムードとなりましたが、お考えはあの頃と変わっていませんか?
私は正直、コロナは落ち着くことなく季節性の病気へと変わるのではと思っています。(根拠なし)
もちろん大切な人を失いたくはないけれど、でも毎年毎回こんなことをしていては経済は回らないし、失業者は増えるし、学校へは行けないし、本音は日常を送りたいです。大きな声では言えませんが。
子供も学校に通わせたいし(検温やマスクはしながら)昭恵夫人ばりにランチだってしたい。
次々と大事にしていた行事がことごとく消えてゆき、子供も私もがっかりしています。日本にオンライン文化が根付いてない以上、どこかで日常に切り替えていってほしいと思っています。
予定がなくなっていくことや、いつもならばできていたことが出来なくなっていることにすごくイライラします。
大丈夫だと言う根拠のない自信がある一方、やはり実際蔓延しつつあるし、ウイルスは存在しているし、罹るとしんどいみたいだし、罹りたくないなという相反する思いもしんどいです。(必要以上に恐れてはいないと思います)
根本さんはこの1ヶ月でどう思われましたか?
(はなさん)

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