私たちは寂しさや孤独感を「役割」で埋めてきた。

私たちは何かと寂しさや孤独感を覚える生き物ですが、しっかり者の長女などは特にその役割を使って寂しさや孤独感に蓋をして成長することが多いと思います。
だから、大人になってもその役割を続けてしまうのですが、何かの拍子にずっと寂しかったことを悟るのです。

根本先生こんにちは。
いつも遠くから勝手にお世話になっています。ありがとうございます。

まんまとステマにはめられまして(そんなことない)出版記念の講演会に申込みました!楽しみです。

寂しさ本についての、前のめりな質問です。

先生のvoicyで「ずっと、寂しかった」の回を運転しながら聞いていました。
流し聞きしていたつもりなのに、ワークの部分でうっかり泣きが入りそうになり、慌てました。

これまで、遠くから勝手に先生にお世話になる中で、自分の中の罪悪感や無価値感には、何度も何度も遭遇し、向き合いながら今日に至ります。
でも、自分が寂しさを持ってるなんて、これっぽっちも思っていませんでした。
びっくりしました。

運転中は危ないので、家に帰ってから改めて、「ずっと、寂しかった」と伝えたいのは誰かなと思ったとき、浮かんだのは父と母です。
イメージの中で伝えようとしても、言葉が出なくて、変わりに涙がボロボロ流れて、こんなに泣くかと思うほどに号泣しました。

自分の中に罪悪感と無価値感と並ぶ、寂しさ孤独感のでっかい穴を見つけてしまい、ホントに驚いています。
今までどれだけ埋めて隠してたんだろうと。

「寂しさ・孤独感を感じるシーンと、その感情を癒す方法について。」を読ませてもらい、自分の愛を止めると寂しさ孤独感がやってくるとあり、質問なのですが、

私の寂しさは、小さい頃からの父と母への思いにくっついてる気がしたのですが(両親共働き、私は3人弟妹の長女)子どもってただただ、親に愛を与え続ける存在だと思うし、きっと私もそうだったんだろうと思うのですが、こんなに寂しさのでっかい穴があるのは、両親への愛を止めちゃったからなんでしょうか?

罪悪感や無価値感と同じように、寂しさ孤独感も人の内側にある、でっかい穴の一つなのでしょうか。
(Aさん)

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自己肯定感があがってきたら、こんどは「自分を捨てる」ということ~サレンダーとは何か?自己肯定感とは何か?~

自己肯定感があがってきたら今度はそれまでのやり方を捨てて新しい方法でライフワークに向けて歩み始めるのですが、そのカギとなるのが女性性であり、サレンダーです。
そこではそれまでとは全く逆の「自分を捨てる」という意識が役立つのです。

このところ「自己肯定感があがってきたのだけどさ。けどさ。あのさ。」的な話をよく耳にするようになりまして、その先の話を今日はしていこうかと思ってます。

自己肯定感というのは私にとっては「現在地の確認」と言えるものです。

今、自分がどこにいるのか?
その自分はどんな状態なのか?

ということを受け入れることです。

例えば、みなさんが東京・神楽坂にある弊社セミナールームに行こうと思ったとしたら、どんな手段を使って行きますか?
最寄りの駅は東西線神楽坂駅ですが、大江戸線牛込神楽坂駅も近く、各線飯田橋駅からも、有楽町線江戸川橋からも歩いていけます。

となるとポイントは現在地ですよね?

私は今、大阪におりますので、神楽坂に行こうと思ったらとりあえず新大阪に出て新幹線で東京駅を目指すか、伊丹に向かって飛行機で羽田に行く必要があります。

東京駅からは東西線で一本。
羽田空港からは京急線~浅草線で日本橋。そこから東西線に乗り換えます。
めんどくさかったらタクシーに乗っちまう手もあります。けど、さすがに大阪の自宅からセミナールームまでタクシーは利用しません。
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なぜ、みんながふつうにできていることが自分にはできないのか?

みんながふつうにできてることが自分にできないと思うと惨めや虚しさや悔しさやいろんな感情が出てきますよね。
でも、なぜそんなことが起きるのか?そして、どうしたらいいのか?を感覚的に話してみたいと思います。

タイトルのような思いを抱くことはないでしょうか?

周りの人が当たり前にしていることが自分にはなぜかできない、ということ。
このテーマはほんと多岐にわたります。

「みんなふつうに○○できているのに自分にはなぜできないのか?」ということ。

例えば、

「みんなはちゃんと仕事ができているのに自分にはなぜできないのか?」

「ふつうに結婚していく人ばかりなのになぜ自分にはご縁がないのか?」

「周りの人はみんな成功していっているのに、なぜ自分はこんなところにとどまっているのか?」

「みんな元気に過ごしているのに、自分だけ元気になれないのはなぜなんだろう?」

まあ、ちょっと痛みに触れちゃうかもしれないので、この辺にしておきますが。

あと、子育てとか夫婦とか職場で他人にそれを要求しちゃうこともあるかも。

「ほかの子はちゃんとできてるのに、なんでうちの子はできないんだろう?」

「最近の旦那は家事を手伝ってくれる人も多いのに、なんでうちの人は・・・」

「他の部下たちはちゃんと締め切り守るのに、なんでこいつはそれができないんだ」

自己肯定感を下げる意味ではとても効果的なこの問いかけです。笑

もちろん、そこには「比較」という罠に引っ掛かってます。

他の人、しかも、ちゃんとできてる人、と、できてない自分、を比べてるわけです。
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自己肯定感をあげようとしたら中身がなんもないホリボテの自分と出会ってしまった・・・。

他人軸で生きてきた人(けっこう多いよね!)は自分と向き合い始めるとはじめに「中身のない自分」を見つけてゾッとしちゃうもんです。
でも、それが一歩目なんですよね。そこがスタート地点なんです。
そこから中身がないんじゃなくて、単に光を当ててなかったことに気付けばいいんです。

本日のメルマガ「虚しさ」についての心理学、読んで「自分だけじゃなかった!」とホッと出来ました。

そして提案されてたレッスンわたしも地道にとりくみたいと思いました。
エステはちとまだハードル高い(人の目が気になったり過度に感じよく振舞って帰宅後どっと疲れる癖があるため)ので、前から気になってたぬいぐるみセラピー?(人の代わり笑)をやるために、目をつけたおしゃかわぬいぐるみやっぱ買おうかなと思っとるところです。

ところで「虚しさ」に近く、自己肯定感向上レッスンでもしかしてこれもあるあるかもしれないとあるネガティブ感情について、陳情&対策案の所望で参りました笑

自己肯定感上げるために私もあれこれ取り組ませて頂いてます。
私の場合「消えもの」である、外食や食べたら即無くなるもの(スイーツや一食分のおかずなど)は虚しさとかそんなに感じません。

ただ「身につけるモノ」服や靴などを自己肯定感あげようと好きなモノに買い替えたりして、買った時は勿論、身につけるとやはり気分は良いのですが、同時にそんな素敵なモノを身につけてる自分を『ハリボテ』に感じる感覚もあります。
いつも薄っすらある感じです。

新しく選んだお気に入りのデザインや素材の靴や服を耳つけて、確かに心はウキウキと爽やかなのに、その膜の下にはそんな自分を中身のないハリボテにも感じてるという、アンビバレントな心境です。

「人付き合い」にも多少同じ傾向があって、「ワンナイト」とか「その日、その場だけ」「ビジネス上」など目的や役割、期間などがお互い明白だと平気だし、どちらかと言うと結構楽しめる?方です(あ、SEXに限っての話しではありませんよ笑 主にコミュニケーションの話です)

それが距離感や役割、とくに関係性の期間について曖昧な関係になってくると、どう振舞っていいか分からなくなってくるし、上記の明白であっさーい関係なら「ハリボテ」な自分でもいい気がしてるのですが、曖昧でパーソナルで無期限(これが1番恐ろしい条件かも)な付き合いになってくると、人間としての真正を突きつけられてるような怖さを感じ、より、自分の「ハリボテ」感を強く感じ人付き合いから「傷み」のような感覚が生じます。

自己肯定感取り組み中に『自分をハリボテに感じる心理と対策』のリクエストでしたー。
(Uさん)

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自己肯定感とは、かくも複雑なものなのでしょうか…?

何でもそうなんですけどね。シンプルに見ようと思えばシンプルに見えるし、複雑化しようと思えばナンボでも複雑化できます。
でも、複雑に見てしまうのも何らかの理由があるんですな。そこを読み解いていきましょうか。

自己肯定感とは?と改めてお聞きしたいことがありネタとして投稿失礼いたします。
根本さんのご本やblogにて、自己肯定感について学ばせて頂いてる者です。

自分では自己肯定感が低いと思っていて取り組ませて頂いてたのですが、先日友人にむしろ高いのではないか?的な反応を受け、改めて自己肯定感とは?と考えています。

仕事で上手く行かないことがあり落ち込んだという話を友人にしたところ、
「自分のことよほど完璧に思ってるんだね。じゃなきゃそんなことで落ち込まないよ」
と言われました。

確かに、理屈では理解できます。
出来ない前提なら落ち込まずに受け入れて改善策に心が向かっているでしょう。

ですが…自分の心の反応のとしては、
「こんな簡単なことも出来ないだな自分は。。ほんとしょうもないなぁ。なんでもっと冷静に対応出来なかったんだろ…?」
というものだったので、やはり自己肯定感は低い?のではないかとも思えます。

ただ友人の理論で考えると
「私はほんとは出来るはずなのに失敗したから悔しい」ということになるのだと思います。

その立場でもう一度ミスを振り返ると、確かに「慢心」があったようにも思います。
「出来ない前提」が自分に心底周知されていたら、もっと慎重にことにあたったのではないかと。

ここまで考えて混乱して来ました。
出来ない前提があったから気もそぞろで、慌ててしまった気もするし、逆にどうにかなるとホントは楽観視してるところがあったから、雑さが出てしまったのではないかと。

自己肯定感とは、かくも複雑なものなのでしょうか…?
(Mさん)

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私たちは「幸せになること」から逃げ続けているのかもしれない。

漠然と、あるいは確信をもって「私は何かから逃げてる」と感じている方、実は少なくないと思います。
向き合わなきゃいけない嫌なものから逃げてるように思えるんですけど、実はそれも罠。
ほんとうは幸せとか成功から逃げ続けているのかもしれません。

YouTube単独ライブ配信お疲れ様でした!
コメントするタイミング難しくてひたすら観覧に徹してました。

ライブ配信聞いてても改めて思ったのですが、根本さんのお話を摂取すると囚われから自由になる感覚があります。
多分ガッチガッチの無意識の枷がある私にはもう手放せない常備薬です。

そんな有効成分が効いたのか、ふっと力が抜けていつもより自分を俯瞰して今見れてる気がします。

それで何というか、私の人生(というかとくにここ数年のこと)は、それが何か分からないけど、希望を求めて行動して、一つ一つ潰して行くような作業だなと思いました。

「あれはダメだった。そしてここもダメだった」みたいな。

格子にひかれたマスの中にマッキーでばつ印をつけてる自分の姿が浮かびました。

そして、今なかなか『詰んでる』状態なんだなと(笑)

でもここでふと、心の中のスーパーバイザー根本先生ならどう見るかな?と思ったら「いよいよ年貢の納め時で、問題と向き合う時」なのかもと思いました。

「外」や「行動」に答えを求めるんじゃなくて、自分の「内側」と「感情」に。

ライブ拝聴した後、更新されたblogの最新記事がスッーと身体に染み込んで来てそんな風に思えた気がします。
というか、その記事で根本先生が言われてたことそのまんまですね私が言ってることて(我田引水!笑)

ライブの中で「逃げる系男」の話があった時めちゃ共感しました。
わたしいつも逃げたくて。
で、時々自分は一体何から逃げたいんだろう?と思うのですが、まぁよくわからないままで。

逃げたい系の心理てどんななんだろう?と根本さんのお話で一度聞いてみたいと思いました。

それではいつも誠にありがとうございます。
新刊の「孤独本」拝読出来ること、とても楽しみです。
(Tさん)

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背負いすぎる癖があると対等なパートナーシップを築く障害になる~相手を信頼し、対等な関係性を築くコツ~

子ども時代から母親の面倒を見るなど誰かを背負ってきた人はそれが癖になってしまい、仕事もパートナーシップも背負おうとしてしまうものです。
でも、そうすると対等な関係って築けないし、結婚への抵抗も強くなりますよね。

私は33歳の男です。
先生のライフワーク本のお陰で念願の自営業になれました。
ありがとうございました。

私には付き合って3年になる彼女がいます。
私の収入が月平均で30万を越えたら結婚する予定です。来年には達成出来そうです。
ですが時々迷いが出てしまいます。
私は以前からプレッシャーに人一倍弱く、会社で部下を持たされることに耐えられずフリーランスになった人間です。

彼女は今まで付き合って来た人と比べると自立的というかドライな性格で1番相性が良いです。
ですが時々とても怒ることがあり情け無い話ですが、そんな時は気が遠くなって心がシャットダウンする感覚になります。

自分はやはり結婚の責任など、増してや子供を持つことなどやり通せるなのだろうかと不安になります。

今日のことですが同業の友人と飲むことがあり店で呑んだあと酔い覚ましに近くの公園を散歩しました。
友人はかなり酔ってたのか私の肩にしなだれかかって来たり手を繋いで来たりしました(同性の友人です)
酔ってると思ったしとくに意味はないと思いされるがままにしてたのですが公園の暗い方へずんずんと歩いて行こうとするので、なだめてタクシーに乗せて帰らせました。
私は一駅だったので歩いて帰りました。
精神的に少し動揺してたからです。

大学の時も親しい友人と似たようなことがあり、その時は友人には明確な意志があったのですが、当時女性とも何の経験も無かった私は固まってしまって、それに彼は気を悪くしてキスをしかけてましたが、やめてふて寝してそれ以来何もありませんでした。

帰途を歩きながらその当時のことを思い出し、自分は別に嫌じゃなかったし今日も嫌じゃなかったと思いました。
大学時代の彼も今日の彼も背が高く体格が良いので中肉中背な私は同性としての憧れはあります。
じゃ同性愛者或いは両性愛者かと言えばそれとも何か違う感覚があります。
何となく確信としてあるのは、責任を取りたくないという感覚です。
同性ならそれが無いから楽で、そういう意味で嫌悪感がないというか。

また私は若干の女性への苦手意識があります。
それは母が依存的で情緒不安定な人だったので、必要以上に要求に応えなくてはいけないという意識とまた癖があります。

自立系武闘派の皆様にお怒り頂きそうな話ですがサンドバッグ資材くらいにはなるかもしれないと思い吐き出させて頂きました。
(Aさん)

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