自分が放っているエネルギーで世界は創られている~あなたは今、どんな世界に住んでいる?~

怖れを放っている人にとって、世の中は怖いところになるでしょう。
愛を放っている人にとって、人々は優しく、輝いていて、助け合うでしょう。
怒りを放っている人にって、世界は常に争いが絶えないところになるでしょう。

自分が放っているエネルギーによって、世界は創られているのです。なんせ、すべて投影ですから。

根本先生

はじめまして。
根本先生の本やブログに出会い、自分に似ている方への教えにいつも感銘を受け、救われている毎日です。

さて、とても苦しいことがあり、初めてで緊張しながらもメールをさせていただきました。

私は小学校の先生をしています。2年前に布団から起き上がらなくなり、3ヶ月休養したことがあります。
これまで10年間、辛くて辛くて、やめたいと思いながらも、心の中では実は辞めたくないのか今も続けています。

どうしても辛いことがあります。
私は子どもたちの前に立つと、全員に真剣に話を聞いてもらっていないこと、自分に注意を引きつけることができないことで自分を否定してしまい、理屈より何より古傷が痛み、自動的に自己否定、自己嫌悪にとらわれてしまいます。
他にも子どもに話しかけるにしても、「あの先生の方がいいよね、面白いし愛があるし。」とこれまた自動的に自分を卑下する感覚でいっぱいになり、案の定子どもから「あの先生の方がよかった。」と言われることもあり傷つきます。
一時期は、あいさつが返ってこないだけですごく苦しく、「やっぱり私はダメなんだ。」を繰り返し味わっていました。

私は過干渉&無視の母と「役立たず」等暴言を言う父に育てられました。
本当は子どもを思い、悩みにも耳を傾けて支えられる存在になりたいと思っています。
しかし、カウンセリングに通ったり色々な方のブログを長年読み漁り、少しずついい方向に向かっています。
最近はライトワークに出会いたく、火に対して言いようもないワクワクを感じ、(危ない人じゃないんですが)キャンプや暖炉など、趣味の方向性も見えてきました。

私生活が安定してきたために、余計仕事で苦しい気持ちになりたくない気持ちが増してきました。

落語を見ていて、観客を悪者にしてしまう方もいれば、同じ観客でも一瞬で良い人の集まりにしてしまう達人もいて、その辺りの仕組みも知りたいです。

根本先生に読んでいただけると思うだけでドキドキしますが、ネタにしていただけたら嬉しいです。
(Nさん)

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「そこそこ」という言葉に気をつけろ!~自分の気持ちに妥協したり、蓋をしたりしてないか?~

「そこそこ楽しい」とか「まあまあうまく行ってる」とか「それなりに幸せ」という言葉を使うときって、あまり楽しくないし、うまく行ってないし、幸せじゃないって気持ちも含んでますよね?
つまり、そういうネガティブな気持ちに蓋をして、今の状況に妥協しようとするニュアンスで使われることが多いと思うんです。だから、実はとても危険な言葉だと思うのです。

仕事への「執着」、転職について悩んでいるアラサー男子です。私は、幸いにも幼い頃からやりたいと思っていた仕事に就けているのですが、ここ3年くらい転職したい気持ちがあります。今の仕事が心から楽しいとは言えませんが、そこそこには楽しいです。残業もほとんどなく人間関係も良好で収入も安定しています。

しかし、働いているうちに、人が好きなことに気づき、教師や看護師のような仕事がしたいと思うようになりました。
実際に働いてる人に聞くと、今の仕事よりも忙しくなりプライベートの時間が減るのは確実で、収入もとんとんかちょっと下がるかもしれません。
転職したら後悔するかもしれないなという思いもあり、要は今の仕事に「執着」しているんだと思います。
ただ、そのような仕事に転職さえできれば今より人生が楽しくなるという様な「〇〇を手に入れれば幸せになる」という考えも、〇〇に「執着」しているということになる気がしていてどのように整理すれば良いかわからず混乱しています。

色々と考えるほど焦りが出て、満足に眠れなくなってしまいました・・。

仕事への執着や転職については、どう考えれば良いですか。
やはり行きつく先は自己肯定感でしょうか。
(Sさん)

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体調が崩れるほど誰かを熱狂的に崇拝してしまう心理

崇拝と言っても意味は広いのですが、体調を崩すほどに崇拝してしまうとすれば、それは心の中に何らかの「渇望」が広がっていると解釈できます。
それはおそらく無価値感や劣等感と呼ばれるもので、その多くは完璧主義や比較・競争といった思春期に端を発する行動にあると思うのです。

「崇拝」についてリクエストします。私は、有名人、天才肌の人、手の届かない相手等、羨ましく感じる「才能や魅力」のある人を好きになると、崇拝してしまう事に気がつきました。

生きてる、死んでる、現実、架空、関係なしに…です。

「彼らに愛され、認めて貰えるような人間になりたい」
「彼らはすごくて、自分はちっぽけだ」と思い、体調が崩れたりする事があります。

崇拝の対象がいる時は、幸せも感じますが…
のめり込みすぎて、妄想も止められず、胸も締め付けられ、全てを乗っ取られる感じがして辛いです。
でも、手に入らないモノを憂うのもまた気持ちいいような…
自分がキモいです。笑

私自身、小学生の頃、友人に崇拝のような輝いた目で見られ困ったことがありました。
最初は仲良くしていましたが、何でも私の言うことにはYESなので、それではダメだよと思い、不完全な部分をあえて表すのですが、余計好きになられ…。
段々、つまらない、鬱陶しい、怖い、という感情から離れてしまいました。
それから、誰かと親密になる事を避けるようになった気がします。

それなのに…自分も同じ事をしています。

どうして人は誰かを崇拝してしまうのでしょうか。
しっくりくる答を探せなかったので、回答していただけたら幸いです。
(Kさん)

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自分が成長して周りの人が下に見えるようになったら意識したいこと。

自分が成長すると周りの人が未熟に見えることってよくあるものです。それは急激に成長したときほど顕著で、それが新たな葛藤になります。
自分が成長したことを実感できていることは素晴らしいのですが、実はまだその新しい自分に慣れていないし、新しい世界の生き方も学んでいない状態です。
そこで何に意識を向けたらよいのかを解説いたします。

いつも首を縦にブンブン振りながら記事を拝読させて頂いてます。お世話になっております。
ロックマン兼野良猫くんによるいい女養成所上級者コースを卒業後、人生最大のモテ期到来、周囲からの絶大な尊敬、一部の女性からの嫉妬、場の雰囲気をいい方向に変える影響力を得ました。
ところが、幸せじゃないんです。
女神レベルまで向上した結果、(大変失礼ですが)周りが未熟に見え、幼稚園児の中で自分がたった一人の大人のように感じてしまいます。
そんな状況の自分が惨めで、周囲と接しても退屈で物足りなく孤独です。
自分が選んだ相手だからなのか、プライベートの友人知人には、そのような感情はありません。
職場でだけ強く感じます。
人として同格の人達の中で働きたいと願っています。
ライフワークも見つけ、ブログに書かれていることは全て実践しました。
かなり傲慢ですが、本音を書かせて頂きました。
ブログにはまだ書かれていない、女神として君臨した後の、その先を教えて頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。
(Oさん)

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女性性の花を開いても最初に寄って来るのはザコキャラばかり!?

スターは遅れてやってくる、ではないですけれど、こちらも花開いたばかりで受け皿が十分用意できていないので、どうしても最初はアブやカナブンがやってきてしまうのです。
なので、そこで花を閉じてしまうのではなく、さらに咲き続けるようにしてみると、いよいよ大本命、ヘラクレスオオカブト君が登場するのです。

根本先生、こんにちは。
いつも先生のブログと本でたくさん学ばせていただいているNです。ロックマンとの出会いとその後の大変から先生につながり、今は「自己肯定感をあげる」ために自分を褒め続け、私自身が大きく変わってきています。本当にありがとうございます。

そのおかげで「この大変なロックマンが嫌なら自分から離れればいい」と思えるようになり、とても気持ちが楽になりました。大変でも大好きだから自分が彼を選び続けている、と意識できるようにもなりました。すごい変化です!

ところが、同時に不思議な事が起きています。それは、自分の女性性を感じて受け入れられるようになりましたら、今までに経験した事がないくらいに後輩のかなり若い男性(日本人3名、外国人2名)から懐かれるようになりました。
私の女性性は一人の女性ではなく、いきなり姉か母になってしまうのでしょうか?先生、本命の同年代のロックマンから女性として懐かれるにはどうするといいのでしょうか?
(Nさん)

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コロナ鬱などコロナ禍で起こりやすいメンタル面での不調とその改善の仕方について。

意外と人は物事の渦中は大丈夫だったりするのですが、その緊張がゆるんだ後に、ドッとそれまでのストレスが出て不調になったりします。
今回はコロナ禍における精神的ダメージの受け方やその見分け方、さらに対処法までを考えてみました。
緊急事態宣言が解かれた後に起こりやすいことをまとめてみましたので参考にしていただけましたら幸いです。

「コロナ鬱」という言葉が3月くらいからちらほら聞かれるようになりました。
主に「コロナにかかったらどうしよう」という不安から来るものが多かったようですが、4月以降、緊急事態宣言からのテレワークが始まったことで、また違う形で鬱っぽい状態になる人が増えてきました。
そして、その数は今後も増えていくでしょうし、すでに始まっている経済的不況からメンタルを病んでしまう人も増えるかと思います。

今日はそんなコロナちゃん騒動によるメンタル面でのダメージについてカウンセラーの立場から少しお話をしてみたいと思います。

ええ、珍しく時事ネタを書いております(笑)
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自分軸のあり方と、できごとを「愛の物語」として見る、ということ。

他人の人生を背負ったり、面倒を見たりすることが「他人軸」ではありません。それを自らの意志で選択したのであれば、それは「自分軸」と言えるでしょう。
さらに今回は起きた出来事を「娘」「父」の立場から「愛の物語」として読み替えてみました。こういう見方もできるよ、という感じで。

根本さん、こんにちは。
今日は年老いた父への関わりかたについて質問があります。
私は機能不完全家族で育った40歳女です。いわゆるアダルトチルドレンで、生きづらさを抱えながらずっと生きてきました。
父親が大嫌いで、保護者欄に母の名前を書き「私に父は居ないんだ、母子家庭」として生きていた学生時代もありました。

男性と上手くお付き合いできないのも、この人(父)のせいだと憎んだりもしました。
また、死んでも絶対葬式には出ないと復讐を心に誓った時期もありました。

しかし、そんな父(70歳)が一昨年突然難病を発症し思うように体を動かすことが出来なくなってしまいました。

告知をされたとき「ショック」で泣きました。

痩せて体も小さくなりデイサービスに通い始め、急におじいちゃんになってしまい、どう受け止めて関わっていけば良いのかわかりません。

私自身40歳になり、これから先は自分軸で生きていきたいと思うなか、父が可哀相だから何とかしてあげたいと悩むのでは他人軸に戻ってしまいます。

某カウンセラーには「それはお父さんの人生だから。お父さんはお気の毒。できる範囲で関わればいい」と言われました。

そりゃそうなんですけど、私はやっぱり他人の問題を背負ってしまうみたいです。世の中には「どうにもならないこと」があり、それが今回は「病気」です。

アドバイス頂けると嬉しいです。
(Sさん)

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