亡くなった母から解放されたいけれど、自分軸を確立するアファメーションが言葉にできない。



もし、お母さんに罪悪感があり、癒着しているとするならば、私たちのマインドは「手放さないために」あらゆる手段を講じるものです。
自分軸を確立するアファメーションを言えなくするのもその一つ。自分を責めたり、お母さんを許せなくするのもその一つ。
そして、そのパターンはお母さん以外の人に対しても起きているかもしれません。

いつもブログ読ませていただいています。
いろいろ読ませていただき、根本さんならこういうかな、という感じで自分で自分にカウンセリングしたりしています。

自分が他人軸なのは、今こども、結婚前は夫、そして子供の頃は母だったんだな、そこから始まっていたことに気づきました。
母に認められたくて、頑張っていたんだと。
そして、母への恨み少し、とありがとうをいろいろ書き出しました。

母が亡くなってもう18年。
母のことを忘れつつある自分に若干の自己嫌悪を感じつつ、母と同じ病気であることや母が早くに亡くなったことで母を恨んでいる?と、同時に同じ病気であることが、母と私を結びつけているとも感じている。
そこから、解放されたいと思うようになりました。

母は母。
私はわたし。
母が早くに亡くなったことと、わたしがこれからどう生きるかは別の問題。
わたしはわたしでしあわせになれる。
わたしはわたしがしあわせと思うように生きる。
母は母で、しあわせだった。
でも、もう死んでしまったから、母は母でしあわせになれる、と書けないのです。
そこでストップしてしまいます。
(Hさん)

もし、そんなご相談を受けたら根本さんならどうカウンセリングすると思います??
それが分かんねーからリクエストしてんだよ!というお怒りはごもっともでございますけれど、ちょっとそれを横に置いて、改めてご自身が書かれた文章を読まれて、どう話をしていくんだろうと思われますか?

みなさんも、自分なら、あるいは、根本さんならどんな風に笑いにもっていく、あ、いや、違いますね、どうカウンセリングしていくんでしょう?

※これを見てるお弟子な人々はこの先を読む前に自分ならどうするか?をぜひ考えてみると良いですぞ。

少なくても「おお、御恨み帳書いたり、感謝を書き出したりして素晴らしいやん!全然順調っすね!!}って話をするのは想像できますかね?(っていうか、しろ!)

で、ここからは私ならどう見るのか?というお話をいつも通りさせていただくのですが、これが「正しい!」という主張ではなく、あくまでも私の個人的な見方であることは含みおきくださいね。

私から見ると、このHさんの抱えている気持ちというのは、たぶん、罪悪感なんだろうな、と思うのです。

もしかするとあまりピンと来ないかもしれませんけれど、罪悪感。

お母さんに対する罪悪感。

なんでだろう?と私も思うんですけど(えっ!?)、その文章のタッチや傾向はたぶん、罪悪感が作り出しているんだろうと思いました。

で、一旦話を逸らすのですが、Hさんにとって「死」というのはどのような意味を持つもので、「母の死」というものは、Hさんにどんな影響を与えているものなのでしょう?

お母さんと同じ病気、とのことですが、それはお母さんの死因と結びつくものでしょうか?もしそうならば、Hさんは自分自身の死と、その病気とをつなげて考えてしまいますか?

もし、お話する機会があれば、Hさんの死生観、そして、お母さんの死について、そして、その病気について、じっくりとお話を伺ってみたいと思います。

それは、

>でも、もう死んでしまったから、母は母でしあわせになれる、と書けないのです。

という思いを解決する上で、とても役立つと思うんですね。

なぜ、死んでしまったら、お母さんはしあわせになれると書けないのでしょう?

死んでしまったら幸せになれないのでしょうか?

私も体験がありますが、身近な人、大切な人の死は、「生」について深く考える機会を与えられますね。

お母さんが18年前に亡くなられたことが、Hさんにどのような影響を与え、また、どのような死生観を作り出すようになったのか、とても大切だと思うのです。

そこを改めて見つめ直してみると(18年前にイヤっちゅうほど考えたことを思い出してみると)、その思いがクリアになるかもしれません。

とはいえ、自分軸を確立するのに、実はこの死生観にまつわる話はあまり重要ではないかもしれません。

というのも、人は「手放したくない」「許したくない」と思うときに、それらしい「一見、正しい理由」を作り出すからです。

例えば、Hさんは子どもの頃から「母軸」だったという記述をされています。その後「夫軸」「子ども軸」と移っていきますね(←これは後々重要な話になります)。

そこにお母さんが病気になったならば、もしかすると「癒着」が起きている可能性も見過ごせません。

だから、お母さんが病気になったとき、あるいは、死に向かって少しずつ弱っていくとき、Hさんが何を感じていたのか?というのは、とても重要な話になります。

もし、そのプロセスにおいて「癒着」が起きているとするならば、お母さんの死をまるで自分のせいのように抱え込み(=罪悪感)、自分を幸せにすることを諦めようとします。
つまり、罪人のような人生を歩もうとするわけですね。

すなわち、

>でも、もう死んでしまったから、母は母でしあわせになれる、と書けないのです。

とHさんが感じるのは、Hさんの死生観とは関係なく、お母さんとの癒着が切れていないために、母軸を手放せないから、と言えるわけです。

つまり、「母軸を手放さないようにするために、“母はもう死んでいるから”という理由を作り出している」可能性もあるってことです。

※こういう書き方をすると決め付けているように見えるかもしれませんけど、あくまで、可能性のひとつですので、ご容赦くださいませ~♪

そもそもお母さんと同じ病を背負っているHさんは、それだけでも十分、お母さんとの癒着を想像させるんですね。

お母さんもこんな気持ちだったのだろうか?
お母さんはどんな気持ちで死に向かっていったのだろうか?

その病気を感じるとき、お母さんのことも思い出せますよね?

つまり、その病気がお母さんと自分を結びつける「鎖」の役割を果たしてくれるのです。

そうだとすると、当然ながら、お母さんを手放す、癒着を切る、ということは現実的には思えません。

それはまるで母親を捨てるような感じがして罪悪感がいや増しますし、自分がその病気を持っている以上、その鎖が切れることはイメージできません。

つまり、母=病気=私、という堅固なつながりが生まれてしまっている可能性があるわけです。

でも、もうお気づきだと思いますけれど、Hさんはそれくらいお母さんのことが大好きだった、ということになりますね。

依存側、他人軸(母軸)側の立場でみると見えないものかもしれませんが、頂いた文章だけを見ると、Hさんがものすごくお母さんのことを愛していらっしゃった様子が見えるわけです。

大好きだから、手放したくない。
大好きだから、癒着を切りたくない。

もっと言えば、その病気がまるでお母さんの“形見”のようにHさんの心を支配しているのかもしれません(だから、病気も手放せなかったりします)。

大好きなお母さんとのつながりを切りたくないから、たとえ癒着していたとしても、お母さんを手放したくない、母軸のままでいたい、と思うのも、無理からぬことです。

こういうのは恋愛でもよくあるものです。
「彼を失わないためだったら何でもする。奴隷にでも何でもなる」という思いです。

それくらい大好きなんだよね、ということです。

だから、手放し云々の前に、まずはその愛とちゃんと繋がってみるといいでしょう。
そして、その愛と同居する罪悪感にも注目してみるといいでしょう。

例えば、こんなセッションをすることがあります。

「お母さんを思い出してみてくださいね。どんな表情をしたお母さんが目に浮かびますか?そこで、まずは声に出してお母さんを読んでみてください。実際、声に出すことが大切ですよ。
もし、それが言えたら、今度は次のセリフをお母さんに向けて言ってみましょう。
『お母さん、ずっと寂しかった。』
『わたし、今でもお母さんのことが大好き』
そのとき、どんな気持ちがするのかをちょっと感じてみます。
涙が流れるのならば、そのまま流してあげます。
寂しさや怒りが出てくるのであれば、ただそのまま感じてみます。
そうして気持ちが穏やかになるまで、自分の気持ちをただお母さんに伝え続けてみてください。」

もしかしたら、早くに亡くなってしまったお母さんを恨んでいる私が出てくることもありますし、なぜかお母さんの死に罪悪感を覚えている自分と出会うかもしれませんし、このセッションは多くの気付きを与えてくれるでしょう。

さて、そうして愛とつながると、より手放しは加速します。

手放しって別に忘れることじゃないですからね。
お母さんとただ愛でつながる行為が手放しですからね。

自分軸を確立するのも、お互いが自由になることが目的です。関係を終わらせることが目的ではありません。

だから、こうした愛とつながり、ある程度手放しが進んでいくと、「母は今、天国で幸せに暮らしているような気がする」みたいな思いを得られるようになります。

そういう意味では重要なのは「夫」であり「子ども」ですね。

改めてその自分軸のアファメーションを「夫」「子ども」でやってみてください。

夫は夫でしあわせになれる。
子どもは子どもでしあわせになれる。

このアファメーションをぜひ日常に採り入れてください。

罪悪感の連鎖を止めるためにもとっても大切なことですね。
もちろん、それは家族への愛を再確認する行為でもありますから、とても素晴らしいセッションになることと思います。

★ということでお母さんを手放すならコレっすね。

「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本」(学研プラス)
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★オンラインで手放しセミナーもやります。

オンライン:5/1(金)20:00-22:00 あの人を手放して幸せと自由を手に入れるぜ!!~御恨み帳と手放しワークの会~

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「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
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私たちは手放したくないときにそれらしい理由を付けてしまうもの
 
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https://youtu.be/27aEycbl9_4
 

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