叶姉妹は札束をぶら下げてスラム街を歩いているんじゃないの?~自分の才能や価値を受け入れている状態って?~

そりゃ歩かんでしょ?と誰もが思うと思うのですが、でも、どう違うのでしょう?
つまり、「自分の才能や価値を受け入れている状態ってどんなんや?」という疑問にお答えしたいと思います。

こんにちは。先日の「自分の魅力に気づいていないのは札束をぶら下げながらスラム街を歩くようなもの。」の記事を拝読しました。
才能に対して無自覚だと振りまいてしまい、嫉妬や搾取で傷つけられる。という現象が起きる一方、才能を大切にして「ここでは出さないぞ」と判断し隠してると、それを暴きたくなる輩からのアクション・ストーカー・嫉妬攻撃をされかねないので、この場合の対策として[叶姉妹にセクハラするやついない。出る杭も出すぎてしまえば打たれない]策を採用した場合は前者の方法と真逆な感じがいたします。
このあたりの矛盾に感じる解釈の違いはどのような差異があり、受け止め方・各々自分に当てはめてられる解釈などありましたらご教示いただきたいです!よろしくお願いいたします。
(Nさん)

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マグマのように燃える情熱をクールな思考でコーティングしてきたので本来の自分を見失ってしまっているのでは?

器用さもあれば、処世術としてでもあり、本来の自分が持っている情熱を何かで覆い隠してしまい、本来の自分を見失ってしまっていることって少なからず誰にでもあるでしょう。
そういうときに「問題」が起きて「ほんまのあんたはそれちゃうで」と神様が教えてくれてるのかもしれません。

恋がアンダーグラウンドかどうかの規準はあるのか、という問題と、結局はライフワークにフォーカスしなさい、というなら人生の路線変更が迫られていると思うべきなのか?

以前にDVDや書籍でお世話になりましたが、最近考えることがあり、再びブログに舞い戻って読みあさる日々を送る者です。
根本先生がこれだけの情報を公開されているのは、日本人にとっては生存を左右するソーシャルインフラストラクチャーであると心の底から思い、感謝する日々です。

掲題の通りですが、既婚ですが最近、恋心を抱きました。
夫は出張が多くワンオペで主婦をしてきましたが、寂しさに押しつぶされて生きてきました。

そんな中、たまたま出会った既婚者のお相手です。
単身赴任中で時間があり、優しくしてくれること、心配してくれること、話を聞いてくれること、私を尊重してくれることに、心が傾きました。
プラトニックですがお互いの気持ちがあることは言外に分かります。
頭を冷やすべく、なるべく連絡を取らないようにしようと伝え、だいぶ落ち着いてきましたが、まだまだ時間がかかりそうです。

私の状況はおそらく恵まれていて、以前カウンセラーに頼った時も「特に大きな問題の無い人ね」と一蹴されたりしました。
ですが、これまで心の平穏が続いたことは殆どありません。
とはいえ、カウンセラーが見ても「問題なしの人」認定される訳で、私のこの恋心はアンダーグラウンドではなく、単に夫への気持ちが冷めて次の人にいきたくなっているだけなのか?と一人悶々とする日々です。

私の親は、
・社会的地位は高いが仕事人間で自分のことしか頭にないと母に責められる父
・母親との確執と植え付けられた強烈なコンプレックスに苛まれながら、子ども達を愛してくれたが確実に過干渉で、娘である私とは共依存状態にあった母
です。

今の夫は私が共依存状態にあることを理解しながらも一緒にいてくれ、いつか私が私らしく生きられる日が来ると言ってくれて私もそれを信じてきました。

ですが子ども達に恵まれて主婦としてやってくる中で、結局自分の学歴も活かせずライフワークに巡り会うこともできず40代半ばを迎え、与えられた環境や恵まれて生きてきたにも関わらず社会的に役に立つ自分でないことに負い目を感じ、辛くて仕方ありません。

昔から色々な方に、「あなたには能力があり、何でもできる」と期待され、社会で活躍することを前提に見られることが多かったです。
また父のやってきたことを尊敬して、自分も社会に役立つ人間でありたいといわゆる「良い職」にも着きましたが、理想と違いすぎてすぐに見限ってしまいました。

夫とは、もともと対等な気持ちでいましたが、何でもよく出来る人で、仕事も尊敬している一方、それに比して何も前進のない自分にどんどん卑屈になってしまいました。

親元に居た頃から、心の中はいつもざらざらの荒野のようで強風吹き荒れている感触があり、それが夫との関係で今また酷くなっていると自覚しています。

そんな中出会った彼には、その優しさに安心感をもらっただけでなく、根本先生の仰る女性生の開花やライフワークという概念を直球で突きつけられる経験となり、感謝しかありません。

未来はないと分かっていながらも、もっと彼を知りたい、会いたいという気持ちも大きく、下手に近づけばまた火が大きくなることに怖いながらも夢見てしまう日々です。

これも、アンダーグランドと言えるのでしょうか。
あるいは、単に冷たい夫に気持ちがしぼみ、別の人がよく見えているだけなのでしょうか。

そして、どうしたら自分が安心して生きていくことができるのかが分かりません。
今まで夢見続けてきた路線での社会的活躍をすっぱり忘れないと、同じ轍を踏むだけなのでは、と思いつつもどうすればいいのか分からず立ち往生です。

女子校出の私はおそらく自武女でもあり、私の母も、自分の父を求めて父を生きようとしてきた自武女なのだろうと思います。
でもどこかで、多々ある選択肢を選ばず静かに生きている私の選択こそが私らしさなのではないかとも思い、自己嫌悪も増して悶々としています。

砂嵐吹き荒れる荒野の心に鮮やかなメスをお願いします。
(Wさん)

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仕事のやる気もでないし、創作活動もやれてないし、逃げてばかりの自分が嫌になるんですけど!~女性性が豊かな人って“怠け者”なのですよ~

動きたいのに動けないにもちゃんと理由がありまして、疲れてる、イヤなイメージがある、などのネガティブなものだけでなく、内的充実が大事みたいにポジティブな要素もあるんですね。
今日も女性性に関する話題なのですが、自分の生き方を見つめる参考になれば幸いです。

こんにちは。
ネタにして頂けたら嬉しいです。

相談内容は「どうしたら前に進めるか」です。

体調を崩して仕事を辞め、2年程休養して現在はギリギリの収入で仕事をしています。

自分のことが全くわからなかった私ですが、根本さんのブログや本のおかげでわかることが増えました。
本当にありがとうございます。

ライフワークの本を読み、ライフワークストーリーを作成しました。
これからは自分のために生きると決め、動き始めたいのですが、仕事にしたいと思っている創作活動を含め、なんにもしたくないという気持ちになります。

ストーリーを毎日読むぞ、と決めたのにまだ一度も読めず、
ならば自己肯定感だ!と毎日褒めるところを書く用の可愛いノートを買っても実行できず。

どうしてだろうと考えた結果、自分が幸せになるのが許せないという気持ちが出てきました。

ラスボスはオカンと思い、手放しワークを週一回するようにしていますが、できたりできなかったりです。

今できていることは「私は私、人は人。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいい」と毎日20回言うことくらいです。

自分にどうしたい?何がしたい?と聞いても「、、、」だし、気分はどう?と聞いても「普通」としか返ってきません。

仕事のやる気も出ないし、やりたいはずの創作活動もやれてないし、逃げてばかりの自分が嫌になります。

ウダウダ言わずにやれ!って感じなのですが、何かアドバイス頂ければ嬉しいです。
(Kさん)

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「起きてることはすべて正しく、それを望んでいる自分がいる」という前提で現実を見てみると「なるほどな~」と辻褄が合う心理が見えてくる。

「なんでこんなことになっちゃうんだろう?望んでなんかいないのに!」という現実が起きることってよくあるのですが、その心の中を掘り下げていくと「なるほどー。だからなのかー」と納得できる理由が見つかってきます。
今日はそんなお話を事例を交えてお届けしたいと思います。

根本先生、ユーモアありがとうございます。いつも記事、私のことかと。。

ヘラクレスくんって誤解して間違って捕まえてしまったみたいなんですけど?
好きだけど、リリースしたほうがよい気がしています。
私は、男性に癒されたいです。守ってもらって本当は、癒したいわけじゃないんです。

以前の記事で、
・札束をぶら下げながらスラム街を歩くんじゃなくて、ちゃんと信用できる銀行にお金を預けて、自分の身を守る術をきちんと整えてからスラム街の男たちを助けに行くことができる
→難しいー。
・癒されたいのに、頼りないヘラクレスくんを選んでしまった私に、どう進んでいくべきか、ヒントをください。
好きには好きなんです。ただ、実際はかなり頼りなかったんです。キツいです。
(Nさん)

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ふわっと生きてきて「自分が分からない」とか「これ!というものがない」とお嘆きの女性性豊かなみなさまへ。

「それがあんたらしさなんだからさ、受け入れるしかないやん?」
「ええー、分かるけどなんかやだ。やっぱこれ!というものが欲しい」
「けど、本来はそういうものを必要としない人なんだけどね?」
「ええー、それでいいの?良くないよね?」
そんな水掛け論がカウンセリングルームではよく繰り広げられております。

女性性が豊かな人の特徴として

「これ!ってやりたいことがあるわけでもなく、逆に、これだけはイヤだ!というのがあるわけでもなく(でも、もちろん常識内で、ですよ)、何となくふわっとした感じで生きて来ちゃった問題」

を抱えることがあります。

特にこの仕事がしたかった!というわけではなく、採用されたからここで働いているわけですし、今の家も「絶対ここに住みたい!」と思ったわけではなく「この辺でいい家があればなあ」という感じで出会った物件だし、「結婚しよう!」と強く言ってくれる人がいなかったから独身のままだし、結婚は願望ではあるけれど、じゃあ、ほんとにしたいか?と言われたらどっちでもいいかな?いい人がいれば?という感じだし・・・。

こんな感じで女性性が豊かな分だけふわっとした話が延々と続くんです。

ただ、その話の末尾には必ず

「こんなんじゃいけないと思うんですー」
「今のまんまじゃダメだと思うんですー!」
「もっとメリハリ付いた人生の方が面白いですよねえ?」
「やりたいことがはっきりしてる人が羨ましいんです!」
「結局、自分は何もしてない、残せてないって思っちゃうんです!」
「自分が何者か分からないままなんですー!」

等々の、「頭で考えた“正しさ”に対して、それができていない自分への嫌悪」もしくは「周りの人と“比較して”出た自己否定的な見解」になるものです。

・・・。
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人に自分のことを真似されるのがすごく不快なんですがどうしたら気にならなくなりますか?

勝手に人が自分を真似るってのは気持ち悪いことなのですが、ちょっと見方を変えると「ああ、自分の偉大さを受け取ってないんだなあ」ということに気付けます。
だって自分が目標となるべき価値を持っているからこそ、真似されるんですよね?

根本先生、こんにちは
先日は、“社会への反発”についてお返事頂き、ありがとうございました。自分の中で整理することができました。

さて、今回なんですが、、また全然違う話で、とにかく真似をする人がいて、自分の感情のやり場に困っています。
以前は友達付き合いをしていましたが、今は、距離をとっていて、ただ、snsで繋がっているので、とにかく私と同じような投稿を繰り返すのです。

彼女は、私と同じ種類の作品を作っている作家なのですが、もともとは、全然違うタイプの作品だったのに、私の作るもの作るものに、似せた作品を投稿し、また写真も、私が“影がきれい”と投稿すれば、また日にちをおいて彼女も同じような写真を投稿してます

気にしないようにはしてますが、文面まで似せてきていて、ちょっと私の方が参ってきています。
一応、もう私の方ではミュートにしているんですが、たまにのぞくとそのような状態で、ドカンとやられるかんじ。。
たまにのぞかなければいいんでしょうが、結局のぞいてしまう自分もいるわけで。。

以前は、怒りもありましたが、今は、“またまたでました~”っていうのと、“あぁかわいそうに”とか、“あぁしんどっっ”てかんじではあります。

こういう場合、どこに感情をもっていくのがいいでしょうか?最終的には、なんとも思わない状態になりたいですー。
(Jさん)

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人生をハードモードにする「女でごめんなさい」の罪悪感と「自分なんていらん子では?」の無価値感とどう向き合っていけばいいのか?

旧家であれば男の子は大切にされる一方で、女の子は肩身の狭い思いをしやすいものです。しかも、弟が生まれてしまえば自分の存在価値なんて感じられなくなるものです。
そうすると人生が一気にハードモードになり、生粋の自立系武闘派女子になるわけですが、その先にあるヴィジョンまで意識を向けたい問題です。

ブログを拝読し、いてもたってもいられずリクエストをお送りいたしました。
お尋ねしたいのは「頼りにしていた王子を突如失った女王は、どうすれば迷い道から抜け出せるのか」です。

武闘派女子アラフォー(独身・離婚歴なし)です。3つ下に弟がいたこともあり、23日に書かれていたブログそのままのような人生を過ごしてきました。

母方の家が代々続いてきた旧家で、弟が生まれたときの大人たちの喜びようは、筆舌しがたいほどでした(母も祖母も一人っ子なので、おそらく各々が「女に生まれてごめんなさい」を感じている気がします)。
これまでの私の立場が一転したことは言うまでもなく、母親の弟への愛情は異常にさえ感じられました。

子どもの頃の弟に対して、憎い部分も少なからずあったのですが、基本的に仲は良く、大きくなってからは同志にさえなっていました。
学生時代も社会人になってからも、男性と無意味な衝突をすることなく、いつも良い関係が築けてきたのは、弟のおかげだと感謝しています。

ところが、今から20年近く前に、10代だった弟が病のために一夜にして帰らぬ人となりました。
元々病弱なところはありましたが、急なことで受け入れられず、溺愛していた母の気持ちも考えると「私は残ってよかったの?女に生まれてよかったの?」と、子どもの頃以上に悩む日々。
また、良好な姉弟関係と思っていたものの、亡くなったときは年甲斐もなく「これで母親を独占できる」と考えもしました。

生前「お姉ちゃんは企業で働くより、研究者向きだよね」と言われていた言葉どおり、私は大学卒業後すぐその道に進みましたが、経済的なこともあり企業に転職→ハードワークがたたって離職→転職するも前職を凌ぐハードワーク→ 企業向きじゃないのかしら、という迷いを持ちつつ、また転職…を繰り返しています。
パートナーもずっといますが、結婚出来ない相手だったり、遠距離だったりです。他にもプロポーズらしきことを仄めかす人が現れても、どことなくお茶を濁す私がいます。
落ち着いて過ごしたいし、結婚したいのに。

20代に差し掛かる頃からずっと迷子なのは、これは弟の在不在に関わらず、自分軸がブレブレなだけでしょうか。これまで「恋人の席」に座り続けているのも、父親?母親?元彼?と混乱していましたが、まさか弟だったのか?とも思い、ますます何をどうしたらいいかわかりません。
新刊を拝読する前に申し訳ないですが(採用される頃には読み終わってるかも!)よろしくお願いいたします。
(Mさん)

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