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「忙しいマインド」が習慣になっていると、何も予定がない休日も何かをしなきゃって気分になって朝から忙しくしてしまいます。
状況が変わっても、実態が変わらないなあ、という場合はそのマインドを変える必要があるんですね。
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いつもブログ楽しみにしています!
ありがとうございます。
さて、今回は急展開を見せる人生の流れに心が付いていかない時の対処法について、ネタで扱っていただけたら嬉しいです。
現在、28歳。地方の田舎から上京してから、大学・就職・転職とずっと身の丈以上を目指し走ってきました。
昔から要領も勉強もできる方ではなかったので、常に人の倍頑張らなければと戦ってきた気がします。
ところが…現在付き合って4年の彼に出会ってから徐々に頑張りがきかなくなり、少し休養したいと、あれだけ熱を入れていた仕事を退職。結婚もしていないのに、生活のあれこれを彼に頼ってしまっています。
が、しかし!退職を決めたタイミングで、来秋から彼が海外駐在に決まり。私も結婚と同時について行くことに。
あまりに急展開で気持ちがついていかず、自ら退職を決めたのに「キャリアは?」「この人で大丈夫?」「海外でやっていけるの?」など、不安が大放出!!
休養のために退職したはずが、まさかの展開で気が休まらず…
仕事もしていないため毎日不安ばかりが先行!笑
彼は「ゆっくり自分のしたいことをしたらいいよ」と仏の様なことを言うので、なおさら申し訳なく…
急ピッチで進む人生をどう乗り切れば!?
アドバイスいただけると嬉しいです。
(Yさん)
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ほんとうは私たちってもっと自由なんです。
でも、それを不自由にしているのは、パートナーでも、親でも、お金でも、仕事でもなく、「自分」。
特に「自分の思考」。
あれしちゃいけない。
こうしなきゃいけない。
この方がいい。
そうしない方がいい。
その思考は「怖れ」をベースにしてることが多いと思います。
私たちには防衛本能があって、怖れという感情には敏感です。
それを回避する方が心穏やかに暮らせるような気がするからです。
しかし、それがゆえに、自分で自分を縛ることにもなりかねません。
自分らしく、好きなことをやって生きることもできまるんです。今すぐに。
それをあなたの思考が邪魔しているのです。
「どうやって生活するの?」
「失敗したらどうするの?」
「他人に迷惑かけちゃうでしょ?」
そういう理由をでっちあげて、自分の意志で、そうしないことを選択しているのです。
ほんとは大丈夫なんです。
それをしたい!って思ったってことは。
それをしない選択を自分がしているだけなのです。
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怒りはとてもパワフルな感情ゆえに、それを抑圧してしまうと無気力さが訪れます。
いい人や優しい人ほど怒りを嫌い、封印してしまう傾向にある一方で、どんどん怒りを溜め込んでしんどくなってしまいます。
そんな自分に許可を出す、という提案です。
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待ち合わせに30分以上遅刻する彼氏、友人に約束を蔑ろにされたときなど、一応でも「ごめん」と謝られると、反射的に笑顔で「いいよー、大丈夫」と言ってしまう私。
他人に対して怒りを感じることがあまりなく、でも帰って一人になるとモヤモヤして、「ナメられてるのでは」などと考えては、「次は、嫌って言わなきゃ」と思うのですが結局は毎回胸の内に封印していました。
が、
いつもの暇潰しに根本さんのブログを読んでいたら、ふと、
「怒りを抑圧してんのかなー、私。自分大事にできてないのかなー」
と思って、頑張って意識するようにしていたのです。
そしたら、この前彼氏が遅刻してきたときに、
「いつまで待たせるの!! 30分経っても来ないで!」
と、その場で言えたんです!
ほんのちょっとのことなのですが気持ちがスッと楽でした。
そこで、「怒りがわかない人」あるいは「怒りを表現できない人」ってどういう心の仕組みなのかなって思って投稿した次第です。
母が育児ストレスでヒステリックだった時期が少しあって、子供心に「ああはなりたくない」と思った記憶が…その辺も絡んでるのかなーと思いますが…良かったらネタに使ってください!笑
(Aさん)
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もし、それが幸せだったらそれがいいんじゃない?というのが、私のライフワーク論です。
「どうあるのが正しいか?」よりも「何が私にとっての幸せか?」の方がずっと大切だと思うのです。
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「自分軸」についてお聞きしたいです。
自分軸をもつと、周りへ目が向かず、自分の世界や価値観にのめり込み、気づいたら「世界がものすごくせまくなっていた」「世の中に置いていかれていた」「井の中の蛙だった」となりそうで恐ろしいです。
私は地方の田舎出身で、その地域では守られ、また家族親族の仕事のこともあり、学校でも地域でも優遇されていたように感じます。
学校も保育園から中学までみんな一緒。同級生はよくも悪くも家族のようなところでした。
「親密感」はたっぷりでした。
でも一方で、学校の先生たちのいうことと世の中の流れが解離しているように感じたり、雑誌を読んでほしいものがあっても手に入らない環境にそこはかとない怖さと劣等感をもっていました。
大学は都内でも有名なお坊っちゃまお嬢様学校だったため、育ちの違いと環境の差に、猛烈に恥ずかしさを感じたのを覚えています。
大学は劣等感で苦しくてたまりませんでしたが、不思議と自分のしたいことをやるぞ!とテレビに出たり、有名クリエイターとつながったり、会いたい人どんどん会いに行くような、面白い友人6名に出会い、お陰さまで私も好きな仕事をし、晩婚?ではありますが結婚し、40歳前にさくっと年子をうみ、今は二児の母です。
そして今、根本さんの自分軸やらライフワークやらの記事を読んで、「もう自分の気持ちを大事に生きるんだ!」と心が叫んでいるのを感じています。やらねばならないことが山積みなのに、自分を押さえられないのです…!
自分軸なんか持っちゃって周りが見えなくなったら大変。常に人と比べて落ち込んだり、卑下させたりしておかないと、田舎にいたころような井の中の蛙になるようで恐ろしくなります。
自分軸の捉え方を誤っているのでしょうか。皆さんはそういった恐怖はお持ちではないのでしょうか。
いつも記事を読むたびに混乱するので、ぜひ教えてください。
まとまりなくてすみません!
(Sさん)
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確かに他人のことがどうでもよくなっていった後に、やっぱり人は大切だ!と思い直して近づくこともありますし、通過点だと思ってたら、それが本来の私だった!ということもあるでしょう。
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初めまして!いつも楽しく読んでいます。
私は御多分に盛れず野良猫問題に苦しんでいた自立系武闘派女子です。
自分自身が問題を抱えているとも気づかずブログにたどり着き、衝撃を受けました。
当初は一語一句胸に突き刺さるような気持ちで読んでいたのですが、システムを一度理解してしまうと早いですね。
3ヵ月も経った今は全くの平常心で気楽な読み物として読んでいます(笑
本当にありがとうございます。
一つ質問をしたいのですが
自分軸で生きようとする過程で他人のことが極端にどうでもよくなってくるのは、通過点といえるのでしょうか?
人は人、自分は自分という考えが当たり前になりすぎて、他人の言動にどんどん興味がなくなってきました。
ずっと家にいたい、一人で好きなことをしていたいという欲求が強くなり、その他のことは如何に省エネで済ませるか、くらいになっています。
他人って煩わしいなという気持ちは幼い頃から持っていて、週5の通勤も不要と思ったので転職して在宅中心に変えました。
自由な時間が増えると生きるのが本当に楽になり、体調も良くなりました。一人最高!家って最高!と思いながら暮らしています。
やりたいことはどんどん湧いてくるし、絵や文章などの創作もしているので飽きないし。
ただ、今の自分の状況って「自分され良ければ全てよし」と紙一重なのでは?と思います。
自分はそれで居心地がいいのですが、これって我儘や傲慢さとどう違うのかなと思いました。
他人と過ごしてても帰りたくなるし、面倒になって予定をドタキャンしちゃったり。人が話していることも創作のネタになるかな、くらいには思うけど大体聞き流してます。
ある意味、他人からもらうもので感動することが少なくなったように思います。
ほら、例の野良猫くんのことだって書いていて今やっと思い出したり、、笑
これでいいんだ!と自信を持てないということはまだ肯定が足りない?自分への愛が溢れるほどになったら他人へ向かうの??と想像もするんですけどね。
ネタにしていただけたら嬉しいです!
(Kさん)
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自由じゃない、と思う時、私たちは、自分を自由にしない思考に縛られています。
だから、自分を自由にしてあげるには、自由な思考を手に入れるといいんです。
そのカギのひとつは「許可(許し)」だと思います。
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先生、こんにちわ。
ネタになるかどうかわかりませんが、いつかとりあげてもらえたら幸せです。
私は、自由になりたいです。
親には、老後の面倒はみたくない!生涯独身でも実家には戻らぬ!宣言をしています。そのときがきたら、面倒みると思いますが。好きなので。
相方はふりんです。
家出してきてますが、やっぱり一緒にいればそれでいい!なんて思えません。
1年後に誰と結婚してるかなんて、わかりませんが。好きなので。
仕事も朝からいきたくありません。
頑張れません。仮病という風邪をひいています。
他人からみれば自由です。
好きなように生きてるみたいです。
でも、私は窮屈です。
(Mさん)
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自分の気持ちに素直になる、という話をあちこちで書き散らしている私ですけれど、かく言う私も素直になれないときがままあって、そのたびに「反省→次からは気を付けよう」というルーティンをこなしています。
忙しくて焦っているときは、のんびりしたいなあ、と思いつつ、ついスケジュールを詰め詰めにしてしまいがちなことに6,7月のスケジュール帳を眺めながら気付きました。
「誰や、こんなスケジュール立てたのは?」
と一人ぶつぶつ言ってるのは、他ならぬ自分自身が決めたのであって、誰のことも責められないからです。
4月は本の締め切りもあり、今月から運営を開始する神楽坂のセミナールームについての決め事もあり、また、セミナーの準備やら焚き火の用意やらでバタバタしていたのですね。
ついでに7月のリトリートセミナーやその後の休暇、さらには、深刻な沖縄病の治療のための日程確保、そして、新刊が6月下旬に出ることが何となく見えていたので、講演会の日程調整などをしてました。
予定に縛られたくない私はたいてい2~3か月前にようやく仕事のスケジュールを決めるので、6、7月の予定はそんな「やべ、忙しい!」とバタバタしているときに決めたわけです。
結果、大阪から飛行機で移動した日に講演会だとか、東京から帰った3日後に再び東京だとか、「おい、自宅にいられるのは月に10日もねーぞ」というスケジュールが完成して、ぶつぶつ一人文句を言うことになるのです。
ちなみに5月はかなりゆっくりしたスケジュールを組んでいたのですが、それは「こんないい季節に仕事ばっかりしてる場合じゃね!」という長年の経験から、無理やり予定のない日をたくさん作ったわけで、そんな自分を「えらいなあ」と思いながら過ごしていました。
その予定を組んだのは2,3月でその頃は比較的余裕あるスケジュールの時だったんです。
もし、その時に講演会のスケジュールを決めていたならば、夕方移動して夜は地元の仲間とグルメを堪能し、翌日の午前中はジムに行って汗を流したのち街を散歩し、午後は気持ちのよいカフェでブログを書いて、夕方から講演会に出かけるようにしていたでしょう。
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