自分軸を持つと自分の世界にのめりこみ「井の中の蛙だった」ということにならないでしょうか?

もし、それが幸せだったらそれがいいんじゃない?というのが、私のライフワーク論です。
「どうあるのが正しいか?」よりも「何が私にとっての幸せか?」の方がずっと大切だと思うのです。

 「自分軸」についてお聞きしたいです。

自分軸をもつと、周りへ目が向かず、自分の世界や価値観にのめり込み、気づいたら「世界がものすごくせまくなっていた」「世の中に置いていかれていた」「井の中の蛙だった」となりそうで恐ろしいです。

私は地方の田舎出身で、その地域では守られ、また家族親族の仕事のこともあり、学校でも地域でも優遇されていたように感じます。
学校も保育園から中学までみんな一緒。同級生はよくも悪くも家族のようなところでした。

「親密感」はたっぷりでした。

でも一方で、学校の先生たちのいうことと世の中の流れが解離しているように感じたり、雑誌を読んでほしいものがあっても手に入らない環境にそこはかとない怖さと劣等感をもっていました。

大学は都内でも有名なお坊っちゃまお嬢様学校だったため、育ちの違いと環境の差に、猛烈に恥ずかしさを感じたのを覚えています。

大学は劣等感で苦しくてたまりませんでしたが、不思議と自分のしたいことをやるぞ!とテレビに出たり、有名クリエイターとつながったり、会いたい人どんどん会いに行くような、面白い友人6名に出会い、お陰さまで私も好きな仕事をし、晩婚?ではありますが結婚し、40歳前にさくっと年子をうみ、今は二児の母です。

そして今、根本さんの自分軸やらライフワークやらの記事を読んで、「もう自分の気持ちを大事に生きるんだ!」と心が叫んでいるのを感じています。やらねばならないことが山積みなのに、自分を押さえられないのです…!

自分軸なんか持っちゃって周りが見えなくなったら大変。常に人と比べて落ち込んだり、卑下させたりしておかないと、田舎にいたころような井の中の蛙になるようで恐ろしくなります。

自分軸の捉え方を誤っているのでしょうか。皆さんはそういった恐怖はお持ちではないのでしょうか。
いつも記事を読むたびに混乱するので、ぜひ教えてください。

まとまりなくてすみません!
(Sさん)

人ってなかなか自分の気持ちだけでは変わられないので、「怖れ」という感情を使って何かを頑張ろう、成し遂げようとすることがあるんですね。

「綺麗にしていないと彼に嫌われちゃう」
「ちゃんとしてないと人から信頼されない」
「しっかり成果を出さないと会社では認められない」
「このままでは嫁に行けなくなるから婚活を頑張らなきゃ」
「変な奴だと思われないように、ふつうの人のふりをしなきゃ」
「武闘派だってバレたら警戒されるからお淑やかなふりをしなきゃ」

ま、そんなことがたくさんあるんですね。

で、怖れから行動を起こすのってのは意外と簡単なのですが、しかし、継続性というところで問題が出てきます。
だから、最初は怖れからの行動でもいいのですが、継続していくうちにその根拠を「愛」をベースにしたものに変えていくことが望ましいのですね。

しかし、一般的にはその切り替えよりも「新たな怖れ」をぶち込んで、その怖れを継続させようとすることも珍しくありません。

でも、ずっと怖れがベースにあるものだから、当然ストレスになりますし、疲れますし、燃え尽きていきます。また、不満も出てくるし、余裕もなくなるし、イライラしやすくなります。
つまり、怖れをベースに行動することは「しなければならない」的な束縛のもと、自分に鞭を打って頑張ってることに等しいのです。

例えば、

「綺麗にしていないと彼に嫌われちゃう」と思っている場合、綺麗にしていることは彼に嫌われないことが目的です。

だから、それなのに彼に嫌われちゃったら「くそーっ!なんでだよ!むかつくなー!あいつ、東京湾に沈めたろか!」って思っちゃいますし、彼からの愛情があまり感じなければ「まだまだダメなのか!私じゃダメなのか!もっと頑張らなきゃダメ!」と執着していきます。

さらに、怖れって「期待」も生みますから「あなたのために綺麗にしているんだから気付いてよね?褒めてよね?ね?ね?おら、気付けよ!ボケ!」という風に心情が展開していきます。

また、街でそんなに頑張ってないのに男の子に愛される女子を見つけるとムカッと来ます。

怖れがベースだからです。

そして、その時、私たちは「他人軸」になっています。
「私」ではなく「彼」に軸があるので、彼の言動に振り回されます。

「ちゃんと綺麗って褒めてくれるかな?あ、褒めてくれない。このワンピース、彼のお気に召さなかったのかな?頑張って選んだのに。悲しい」という風に。

それが自分軸で生きられてる女子の場合だと「おい、あんたのために頑張ってこのワンピース選んだんだぞ、気付けよ!こいつにはこの可愛さが分からんのか!センスなさすぎるぞ!」と思って、「ねえ、私、今日可愛くしてると思わない?ね?ね?褒めて!」などと主張できるわけです。
もちろん、そこで彼の答えによっては「は?そんなセンスのねーやつ、いらねーし」と斬り捨てることも可能です。

他人軸の状態だと、怖れがベースにあるので、相手や周りのことが気になり、意識が外にばかり向きます。
そうすると、自分がなくなって、自分の気持ちや思いや考えよりも、他者優先になるので、しんどくなってしまうのです。

だから、デートでワンピースを選ぶときも、「彼に嫌われないように」ではなく、「私、これ、好き。かわいいよね」から選ぶ方をお勧めしてるんです。

でも、彼がワンピースよりもパンツの方が好きだって場合もあるでしょう?

そういう時に「パンツにしないと嫌われる」と怖れを使うのは他人軸だけど、「しゃあないなー、彼のために今日はパンツを履いたろか」と思うのは自分軸なので、ストレスではありません。

自分軸で生きられているときは人間関係が

1.自分
2.相手
3.二人の関係性

という優先順位で考えられます。

1.ほんとはワンピースが好きなんだよねー
2.でも、彼はパンツの方がいいって言うタイプなんだよねー。
3.じゃ、今日は大サービスで彼の好みに合わせてやろうか?

という風に行動を選択します。

一方、他人軸の場合、その順番が狂っちゃって

1.相手
2.二人の関係性
3.自分

という風になります。(3.自分が消えてるケースも多いですね。)
そうすると、

1.彼はパンツが好きなんだよね
2.じゃ、パンツにしないとね。

という風になります。

3.ほんとはワンピースが好きなんだけど。

という私の気持ちは置き去りになります。

ちなみにこの話が書かれている本がコレです。

「敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法」(フォレスト出版)

さて、そこで、

>自分軸なんか持っちゃって周りが見えなくなったら大変。常に人と比べて落ち込んだり、卑下させたりしておかないと、田舎にいたころような井の中の蛙になるようで恐ろしくなります。

というSさんの恐れについて考えてみましょう。

周りが見えなくなってしまうのはむしろ他人軸にある時で、自分軸になればなるほど、周りのことがよく見えるようになります。

自分軸ってのは自己中心的というわけではなく、「私」が主人公の世界に生きることです。

私、がいて、他人がいる、という世界です。

しかし、他人軸の世界では、まず他人ありきとなるので、「嫌われないように」などの怖れに基づいた行動が優先されることになりますが、実は、それこそが自己中心的な行動に結びつくことが理解できるでしょうか?

「彼に嫌われないようにパンツを履く」というのが、一見、彼のために行動しているようで、実は「嫌われなたくない」という自分中心の考えであることが分かるでしょうか?

つまり他人軸であるときは常に意識は自分ばかりを見ていて相手のことなんて見えていないんです。
嫌われない、ということが優先であって、彼が嬉しいなどの彼の気持ちまでは意識が向かないのです。

こういうところが「自分軸」と「他人軸が生む自己中心的行動」の区別が分かりづらくなるところですよね。

「他人軸」というのは「嫌われたくない」などの怖れがベースにありますから、その怖れを解消する行動に目を向けます。つまり、自意識過剰になりやすいのです。

「自分軸」というのは自己肯定感とか愛がベースにありますから、相手の喜びにもきちんと意識が向けられます。

もし「???」ってなった場合はじっくり自分の行動を振り返って考えてみてください。

怖れがベースなのか?
自己肯定感や愛がベースなのか?

そういう視点で見てみると、Sさんは田舎時代の自分や環境を否定していることが分かりますよね。その時代を肯定できていないので、今もまだ怖れになっているのです。

その世界を否定し、恥ずかしく思うので、そうならないように、という怖れから頑張ってこられたんだろうと思います。

そして、それがある程度成功を収めたので、その成功法則が身に染みてしまっているのかもしれません。

もちろん、それだけ大学時代に受けた衝撃が大きく、また、そこで頑張って得たものに価値を感じていらっしゃるからだと思います。

でも、大切なことは「その生き方がかつては通用したけど、今現在の自分には当てはまらなくなってきた」ということですよね?
だから、押さえられない衝動が湧き上がってきているのですよね?

>自分軸をもつと、周りへ目が向かず、自分の世界や価値観にのめり込み、気づいたら「世界がものすごくせまくなっていた」「世の中に置いていかれていた」「井の中の蛙だった」となりそうで恐ろしいです。

そうなったらそうなってしょうがないですよね~(笑)というのが自己肯定感という奴です。
それはそれで楽しいならいいんじゃない?と。

自分軸を持って自分の世界観を築いたときに、「他人とあまり関わらないことが私にとっての幸せ」って気付く人もいます。
でも、それが悪いってことはなく、むしろ、それがその人の幸せになります。

井の中の蛙で何がいけないのでしょうか?
その中にいて幸せだと自分が感じられたらそれでいいんじゃない?
他人にどう思われようと。

ね?自分の中に怖れがあることがよく分かるでしょう?

「世の中に置いて行かれてはいけない。それは恥ずかしいことだ」という思い込みがSさんの中にあるから、自分がそれが好きかどうか?やりたいかどうか?を別にして、世の中の流れに敏感になろうとしてしまいます。

「井の中の蛙ではいけない」と思うから、自分がそうしたいのか?それが好きなのか?は別として、井戸の中から這い出ようとしてしまいます。

でも、井の中が幸せならば、そこから出ることは幸せじゃないんじゃね?と思います。

私がいうライフワークというのは、そういう「自分らしさ」に軸を置いて見ていきます。
つまり、自己肯定感や自分軸というのがベースになるんです。

この本の中で1~3日目に「今と今までの自分を肯定する」というレッスンがあります。
良かったら、田舎時代の自分を許す目的で使ってみてはいかがでしょうか?

「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

そして、ようやく本題なのですが(笑)(笑)(笑)

>そして今、根本さんの自分軸やらライフワークやらの記事を読んで、「もう自分の気持ちを大事に生きるんだ!」と心が叫んでいるのを感じています。やらねばならないことが山積みなのに、自分を押さえられないのです…!

ということは、いよいよ他人軸でいることに飽きて、自分軸を生きようかな~というSさんの意志ですよね。それって素晴らしいですよね。脱皮ですよね。悟りですよね。

自分の気持ちを押さえなくていいんじゃない?
これからはもっとわがままに自分らしさにこだわって生きて来ていいんじゃない?
もう成功したんだし、自分の気持ちを大事にしてもバツは当たらないんじゃない?
やらねばならないことなんてどうでもよくて、したいことをやっていったらいいんじゃない?

そんな悪魔のささやきをたくさんお伝えしたいと思います(笑)

ということで、こちらをどうぞ。

「つい「他人軸」になるあなたが7日間で自分らしい生き方を見つける方法」(あさ出版)

セミナーならこれね。

大阪:6/24(日)13:00-17:00
ワークショップ「好きなことをして自由な人生を生きる3~ライフワークを見つける~」
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/23467

講演会「自分らしい幸せな人生を生きる方法~ライフワークの見つけ方・生き方~」
大阪・東京・名古屋・札幌・広島・福岡・那覇で開催。
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/24779


関連記事