相手に「愛情を人質に取られた」ときはどう対処すべきだろうか?~自分自身ととことん向き合い覚悟を一つ一つ決めていくとき~

「俺のこと好きだったら○○してくれよ」と好きな人に言われたら、○○したくなくてもしなきゃいけないように思っちゃうし、しちゃうことありませんか?
これを「愛情を人質に取られた」と表現するんですけど、でも、それだと自分は全然ハッピーじゃないんですよね。

根本さん、初めまして。途方に暮れている時に根本さんのブログに行きつき過去のブログから読み漁っております。自称自立系武闘派情熱女子です。
私がバツイチシングルマザーの時に今の主人(外国人7歳下初婚)と知り合い子連れ再婚して15年になります。
今では子供達も結婚してこれからは主人と二人の生活を楽しもうと思ってた矢先に主人から『子供が欲しい。誰かに産んでもらう』という爆弾発言が飛び出し、夫婦で何度も話し合いを重ねましたが着地点が見つからず、最終的に子供ができるかどうかも分からないし、今回のことさえなければ別れようなどと思っていなかったのだから、今はまだ別れないで行くとこまで行こうと決め、子供ができた時には即刻別れようというのが私の出した結論でした。
ところがつい先日、実はすでに自国の女性を妊娠させていたというのが発覚。じゃあ即刻別れましょう♪といけば、スッキリで(きっと根本さんのブログにも出会わなかったかと( ;∀;))
家は出て行ってもらい別れるつもりで別居はしましたが、徒歩15分と近い上に、彼自身は私と別れるつもりがなく連絡をしてきたり会いに来たり。そんな彼を拒否も拒絶もできず、連絡がなければ待ってしまうという情けなさ。
要するに、別れるのも続けるのもどちらも辛く毎日毎日心が揺れていて、八方塞な状態です(;_;)
もちろん『執着を手放して幸せになる本』も読んでおりますが、ワークまで行くのが怖くて躊躇している状態です。まずは自分軸に戻し、自己肯定感を上げと頭ではわかっているのに気持ちがついていかず。どうしたもんでしょうか?
やっぱり好きにすればいいんちゃう?ですかね…苦笑
(Hさん)

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自分と他人と比べるのは悪いことなのか?~「で、その目的は?」が超重要!~

よく「比較は良くないよー!」という発信をしている私ですが、その理由は「自己否定につながってる」からです。
そして、この「比較→自己否定」の流れはクセになっていて自分でもそのことに気づきにくいからややこしいんです。
結局は自己肯定感の話になるんですけどね・・・。

誰かと自分を比べることってみんなもやってしまうと思うのですが、じゃあ、それって悪いことなのか?という話をしたいと思います。

カウンセリングをしていても、誰かと雑談していても、けっこうこの「比較」ってのは出てくるものです。

先日も行きつけのバーでおしゃべりしてましたら「あの店はうちと比べるとモルトの数が多いからウィスキーが好きって人はうれしいでしょうねー。うちはご覧の通りバックバーが狭いからあんまり数は置けないんですよね。その分、こだわってますけどね」なんて話題になりました。

これも「比較」ですね。

また、先日とあるクライアントさんとカウンセリングしていましたら「私もけっこう頑張って数字上げてるんですけど、去年中途で入ってきたAさんはあっという間にいい成績出してるんですよね。それにすごくいい刺激もらってて自分も頑張らなきゃ!って思えてありがたいんです。」と話してました。

これも「比較」ですね。

さらに、別のクライアントさんは「私も先輩みたいに自分の言いたいことをちゃんと主張できるようになりたいんですよね。ついつい周りに合わせちゃうし、いざ意見求められても何が言いたいのか分からなくなっちゃって。ほんとダメだなあって思うんですよね」と嘆いてました。

これも「比較」ですね。

皆さんはいかがでしょうか?
誰かとの会話の中で、あるいは、頭の中で「誰かと自分を比べる」ということをどれくらいしてるでしょうか?(比較してること前提の問い。笑)

ブログでもセミナーでも本の中でも「比較」は良くないことだぞ!やめたほうがいいぞ!というニュアンスで語っているんですけど、ほんとに「比較」って良くないことなんでしょうか?

で、すでにお察しの方もいらっしゃると思うのですが、「比較」そのものは悪くないと思ってます。けど、その先になにがあるか?によって良いの悪いのが決まると思ってます。
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“おこがましい”生き方をしようぜ!!~おこがましいと思って自分をちっぽけに扱っていませんか?~

「おこがましい」というのは謙虚さを表すときに使うことが多いと思いますが、その言葉に縛られて自分の夢を小さくしてしまったり、自分の価値を受け取れなかったり、ちょっともったいないことになってるかもしれません。
そこで、敢えて「おこがましい生き方」をしてみませんか?という提案です。

昨日はオンラインでライフワークについてのグループセッションをしておりました。
筋金入りの武闘派の皆様にお集まりいただいた故に、

・一匹狼が好き。けど、寂しいからたまにはチームプレイも好む。
・専門家、プロフェッショナル思考。
・すでにある程度ライフワークを進んでいる。

と言った「え?参加者は全員男子だったんですか?」と素人なら思ってしまうメンツに恵まれてけっこう深く、いいセッションになったんじゃないかと自画自賛中です。

・・・ええ、私もがっつり集中してたので疲れました。笑

さて、そんな中で、決して自己肯定感が低いとは言えないメンツの方々だったのですが、何度か「ん?」と思われるセリフが飛び出しておりました。

「こういうこと言うてしまうとおこがましいんですけど~」

それは自分の魅力や能力や今後のヴィジョンに関するお話だったのですけど、もちろん、謙虚さの表れでもあるのですけれど、そう思っちゃうのもアリだけども、私はその言葉からあるヒントを頂いたわけです。

「おこがましく生きようぜ!」

鬼畜生。
不義理非人情。

そんな言葉を投げかけてきた私ですが、「おこがましく生きる」って良くないっすか?
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お金持ちの叔父叔母が苦手だったので今もお金に対して様々なブロックがあるんですが。~子ども目線ではなく大人目線で彼らを理解することの重要さ~

お金持ちの叔父叔母に両親が気を使い、惨めな思いをしてきたとするなら、子どもだった自分も両親と同じ感情を抱くようになるものです。
でも、今は大人になったわけですから、大人目線で彼らを見つめ直すことで、お金持ちやお金に対する意識を変えることができるのです。

以前有料メルマガで「夫のモラハラが原因で別居することになったのですが、子どもたちの~」で取り上げて頂きありがとうございました!お陰様で子供は以前に比べて明らかに明るく穏やかになりました。おっしゃる通り心配はいりませんでした(^^)
その後、子供を育てていくため、お金と向き合うワークを始めました。しかしなかなか手強い心理的ブロックがかかっており、また相談させて頂きました。

「お金を人としてイメージしてみる」というワークに取り組んだのですが、そこで出てくるのが父方の叔父叔母で、この2人が私に強烈な影響を与えている事に気付きました。
私の両親は引っ越しなど大きなライフイベントの度にお金持ちの叔父叔母にお金を借りていました。
会う時はわざとみすぼらしい格好をして私や兄に服を買ってもらっていました。
両親はいつもその2人にとても気を遣って緊張していて、私も子供ながらに可愛がってもらってはいたものの、2人がとても苦手で緊張し萎縮していました。家に帰ると叔父叔母の陰口を言ってる父と母にもモヤモヤを感じていました。

しかし、私も兄もその叔父叔母が経験させてくれた海外旅行などのおかげで将来の道が開け、今の仕事につながっているので、苦手だけど感謝もしています。

お金に豊かな生活がしたいと思う一方で、お金持ちの人に対する苦手意識が半端なく、大人になった今でも目上のお金持ちの人と接すると異常に緊張します。

この「お金=叔父叔母=緊張し萎縮する」というイメージをどうやったら穏やかで温かなイメージに変えられるでしょうか?
「お金は優しい。私を幸せにしてくれるもの」と自分で考えた言葉を毎日唱えていますが、お金持ちに対する苦手意識は変わりません(涙)

いつかネタとして取り上げて頂けたら嬉しいです。
(Mさん)

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今の人生がうまく行ってないのはもしかして自分の長所を自分で潰しちゃってるからじゃない?

職人気質な人は職人故に好きな仕事を好きなようにやっていると力を発揮できるのですが、コミュニケーションは苦手な人が多いものです。
そんな職人がコミュニケーションを何とかしようと頑張れば頑張るほど、仕事の質が落ちて自信をますます失う結果になってしまうんです。もったいなくないですかね?

根本先生

いつもブログを拝見しています。

さて、早速ご相談というかネタの提供です。内容としては仕事のことです。

今自分に任されている仕事があります、それは自分ではとても好きな仕事であり、責任をもってやっています。
先日同じ担当に新しい人が入ってきました。
ある日、私の上司がその新しく入ってきた人にこれまで私がやっていた仕事をやらせていました。

それを知った瞬間「は?なんであの人なの?俺の仕事だよ?」「もう俺のやることないじゃん。上司もそんな人なんだ」とすごく頭にきて腹が立ちました。

とはいえ、「こんなことでヘソ曲げたらダメ」とか思い、自分の気持ちを上司に伝えることもできませんし、最近は上司や新しく入ってきた人は常に腹立たしいですが、理想は今回のことがあっても余裕持って「別にいいや」くらいになりたいと思ってます。

今回のこと以外でも、仕事に対して変なところに拘りがあって、すぐに頭に血が昇ったりしてしまいます。正直、もっと人の話を聞けたり、気持ちがわかるようになりたいのですが、アドバイスなどあれば教えていただきたいです。

長々申し訳ございません、よろしくお願いします。
(Kさん)

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このコロナ禍でライフワークはどう変わった?変わらない?~ライフスタイルが変わった今だからこそ、改めてライフワークをデザインし直してみては?~

オンラインで仕事ができるようになったり、家で過ごす時間が増えたり、近くの自然に出かける機会が増えたり、あまり服にお金をかけなくなったり、この1年半であなたの生活はどう変わりましたか?
ライフスタイルが変わったならライフワークも見つめ直してみるのもいい機会じゃないかな?と思うのです。

このところ「ライフワーク」に関するお話をあまりしていないなあ、と薄々思っていまして、かつ、こんどの日曜日にそのテーマでグループセッション(グループワーク)をするのですが、少数精鋭での開催になりそうなので(チャンスよ!みなさん!!)、ちょっとそんな話をしていきたいと思います。

コロナ禍によって私たちの生活はだいぶ変わり、完全に元に戻るってことはないと思います。

そのひとつがオンラインでの会議、セミナー、打ち合わせ等が一般化したことであり、すっかり在宅勤務に馴染んで「もう出社はできんのじゃ」という悟りを得た方も多いことかと思います。

私のセミナーも以前はほとんどが会場のみでの開催でしたが、今は会場+オンラインのハイブリッド形式が一般的になりました。

遠方や忙しい方などもオンラインなら参加できるわけですし、見逃し配信(アーカイブ配信)もありますから、遅刻したり、受講できなかったりしても安心です。

このシステムはかなり優秀なのでこれからも継続していこうと思うわけで、以前のように東京、名古屋、大阪、福岡やそのほかの街をツアーしてセミナーする生活はたぶん戻ってこないと思います。

だからといって札幌や仙台や広島にはもう行かないよー!なんて言うつもりはなく、オンラインが一般化したお陰で「リアルに会える」ということの価値は確実に上がっていると思うんですね。

だからリアルで会えるからこその価値を提供していければと思ってます。(お茶会とかグループセッションとか少人数の集まりとかいいと思う。)

また、個人的にはなじみの店が各地にあり、また、うまい飯屋もゴマンとあるとなれば行かない理由はないので、無理やりでもまた押しかけたい所存です。

でも、確実にセミナーのスタイルや出張への意識は変わりました。

みなさんの生活もこの1年半で大きく変わった点があると思います。
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「自分の感情に責任を持つ」と「誰かに自分を助けさせてあげる」は同じ意味?~救われない「依存心」から抜け出すヒント~

「誰か何とかして」という依存心は満たされることがなく、むしろその苦しみは拡大していく一方になります。
だから、そこで誰かの肩を借りて自分の足で立つことが求められるのですが、それは自分を助けさせてあげることでもあり、自分の感情に責任を持つことでもあるのです。

しんどいときって「誰かに何とかしてほしい」と思うものじゃないですか。やっぱり。
そうすると自分を抱っこして、おんぶしてくれる人がいたらいいな、と思うんですけど、それは相手からすれば重たいって分かるんですけど、けど、そういう依存心が出てきてしまうのも無理なきことかもしれません。

寂しいから、その寂しさを何とかしてくれる人が欲しいと思う。
辛いから、その辛い気持ちを何とかしてくれる人が欲しいと思う。
しんどいから、そのしんどさを持ってくれる人が欲しいと思う。
苦しいから、自分の代わりにその苦しみを持ってくれる人が欲しいと思う。

そう思うこと自体はふつうのことなのですが、それをじゃあ具体的に誰かに求めたとして、それを引き受けてくれる人というのは果たしているのか?ということになるんです。
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