「自分の感情に責任を持つ」と「誰かに自分を助けさせてあげる」は同じ意味?~救われない「依存心」から抜け出すヒント~



「誰か何とかして」という依存心は満たされることがなく、むしろその苦しみは拡大していく一方になります。
だから、そこで誰かの肩を借りて自分の足で立つことが求められるのですが、それは自分を助けさせてあげることでもあり、自分の感情に責任を持つことでもあるのです。

しんどいときって「誰かに何とかしてほしい」と思うものじゃないですか。やっぱり。
そうすると自分を抱っこして、おんぶしてくれる人がいたらいいな、と思うんですけど、それは相手からすれば重たいって分かるんですけど、けど、そういう依存心が出てきてしまうのも無理なきことかもしれません。

寂しいから、その寂しさを何とかしてくれる人が欲しいと思う。
辛いから、その辛い気持ちを何とかしてくれる人が欲しいと思う。
しんどいから、そのしんどさを持ってくれる人が欲しいと思う。
苦しいから、自分の代わりにその苦しみを持ってくれる人が欲しいと思う。

そう思うこと自体はふつうのことなのですが、それをじゃあ具体的に誰かに求めたとして、それを引き受けてくれる人というのは果たしているのか?ということになるんです。

頭では重々承知だけど、その「欲求(ニーズ)」というのは暴走しがちです。

もちろん、その気持ちを我慢して我慢していると何かで爆発してしまい、ますます暴走に拍車がかかって大事故につながることも多いもんです。

だから、その辛い気持ちを「誰か何とかして」という依存心は実は一層自分を傷つけるものでもあります。

そこで「何とかしてあげる」と登場する人物はたぶん一時しのぎにはなるけれど恒久的にサービスをしてくれるわけではありませんよね。

時には都合よく扱われて拒絶されることもあるでしょう。

また、そのときは一時的に満たされたとしても、他人の力で何とかなったもんですから、再びその感情がやってきたときに同じことをしてしまいがちなんですね。

つまり、誰かに何とかしてもらう、というのは一時的な痛み止めの注射にしかならないわけです。

離婚したり、大失恋した方がその寂しさ、辛さ、悲しみ、不安等を紛らわせるためにとっかえひっかえ男と付き合う事例がまさにそれでして、痛み止めの注射を求めて自分から連絡取ったり、ナンパされてそのままホテルに行ったり、そりゃあ、その一瞬は紛れるんですけど、翌朝になればまた寂しさが疼きます。

それどころか一回その寂しさがマシになった分だけニーズはより強くなるんですね。

だから、そうした一時凌ぎの手段は繰り返され、結果、依存症みたいなことになるんです。

それで友達や親にこっぴどく怒られて目が覚めて「こりゃ何とかせんといかんわ」とカウンセリングに訪れて、根本さんに「よくあることだよねー。しゃあないよねー。」と笑われて思い切り脛を蹴飛ばすことになるわけですな。(レガース、準備してますっ!)

もちろん、そこで依存するのは男だけじゃなくて、お酒だったり、仕事だったり、ギャンブルだったり様々な刺激物が対象となります。

自分の寂しさや辛さをより強い刺激物でごまかそうとするわけです。

「歯痛を一瞬で止める方法って知ってる?それはね、誰かに思い切り頭をド突いてもらうことなんだよ」というわけです。

頭の痛みに気を取られている間は歯痛は感じなくなるんですけど、でも、たぶん、頭の痛みが去った後は再び歯が痛くなります。

それは歯医者さんに行って「なんでこんなになるまで放っておいたの」と怒られながらウィーーーーンと治療してもらうまでは続くわけです。

こうした寂しさや辛さを何とかしたくて、自分ではどうにもならないと思って誰かに依存してしまう傾向は誰にでもあると思います。

ふだんは自立的に振舞っている人の中にもそんな弱さは隠れてますし、いつも頑張って何かに一生懸命な人ほど、そうした穴に落ちやすいのかもしれません。

「この寂しさは自分ではどうにもならない。誰かに埋めてもらわないと」という依存心を持っていると、その寂しさを埋めてくれる誰かが現れるまではその寂しさは放置されます。

ただ放置されるのならばいいんですが、そんなわけないですよね。
放っておけば放っておくほど、その寂しさは募っていくようになります。

だから、その感情を今日癒してもいいし、1か月後でもいいんですけど、後回しすればするほど処理しなきゃいけない感情派膨らんでいくわけです。

「誰かこの気持ちを何とかして」と誰かや何かに依存しようとすると、その誰かが現れるまでずっとその気持ちは膨らみ続けます。
そして、仮にその人が現れたとしても一時的な痛み止めにしかならないので、やっぱりその気持ちはなくなりません。

皆さんの中にずっと消えない感情ってありませんか?
寂しさだったり、罪悪感だったり、心の痛みだったり、悲しさだったり、無価値感だったり。

もしかすると自分ではそうと意識していないけれど、「誰か何とかして」と思い続けている感情なのかもしれません。

もちろん、誰か何とかして、だけではないですけどね。
同じ感情をずっと持ち続けるのは相手への復讐の場合もあるし、自分を許したくなくて抱え続けているものもあります。

つまり「誰か何とかして」は結局のところ何ら解決策にならないのです。

それで昨日の『相互依存と依存の違い。そして、自立から相互依存への移行しやすくする意識の持ち方について。』という話につながっていきます。

「誰か何とかして」は相手に抱っこしておんぶしてもらおうとする依存心。
けれど、「肩を貸して」は相互依存的な立ち直り方。

カウンセリングで「ただ話を聴いてもらう」ということだって「肩を貸してもらう行為」です。

友達に「1時間だけ付き合って」とお願いして話を聴いてもらうこともそう。

けれど、相手の都合も考えずに自分が苦しいという理由で友達を何時間も拘束してしまうのは依存心。

とはいえ、やっぱり藁をもつかむような辛さの中ではそこまで相手への配慮ができないこともあるでしょう。

だから、そうやって依存心丸出しで友達に甘えちゃうことも決して悪いことじゃないと思うんですね。

友達だってあなたの役に立ちたいし、力になりたいと思ってくれているから、あなたが辛いときにはいつまでも話を聴いてあげようと思ってくれるはず。

お互い様だしね。

でも、それってやっぱりふだんから関係性があるからできることですよね。

10年会ってなかったかつての同級生から電話がかかってきて「話を聴いてほしい」と言われても複雑な気持ちになるでしょ?

ふだんからいろいろと話をしたり、お誕生日を祝ったり、プレゼントを交換したり、買い物に行ったり、カフェでだらだらとおしゃべりしたりしてるからいざって時におんぶしてくれるんです。

けど、おんぶし続けてもらうのも違いますよね。

一昨日は5時間聴いてもらって、昨日は3時間、そして、今日も・・・となったらさすがに友達も音を上げるでしょう。

だから、なんだかんだいって「自分の足で立つ」ということはすごく大事なのです。

「自分の感情に責任を持つ」という言葉があります。

その感情を感じているのは誰?そう、私。だから、原因が何だろうと、その感情を感じているのは自分自身。

だから、友達やカウンセラーに肩を貸してもらったとしてもそれは「自分の足で立つためのサポート」に過ぎないのです。

彼らが全部あなたの面倒を見てくれるわけではないんです。

 一人で立つのは痛いし、辛い。だから、肩を貸してもらう。
 素直に感謝の気持ちが出てくる。
 また、そんな友達がいることに誇りが持てる。
 それは幸せだと思える。
 辛いことがあってまだその痛みは残っているけど、
 友達の存在、感謝、誇りが少し立ち直らせてくれた。
 一人になったらまた悲しくなって泣いてしまうかもしれないけれど、
 その友達の存在をしっかり心に感じられるからただ悲しいだけではない。

そうして少しずつ痛みから回復していくんです。

つまり、友達に話を聴いてもらうのも、カウンセリングを受けるのも、自分の感情に責任を持つことの一環だし、言い換えれば「自分で自分のご機嫌を取る」という大切なあり方のひとつです。

何も一人で全部なんとかしなくても良いのです。

自立系な方々はそこで踏ん張って踏ん張って頑張ってしまいますよね。
誰かに頼ることが迷惑だと思って笑顔を一生懸命作りますよね。
早く立ち直らなければ、と感情を抑圧してしまいますよね。

それもしなくて良いのです。

そうして友達や誰かの肩を借りるのも「自分に優しくすること」であり、「自分を大切にすること」です。

「誰か何とかして」という依存心とは真逆ですね。

そうして肩を借りつつ、その存在に感謝や幸せを感じつつしていると、徐々にその辛い気持ちは減っていくものです。

そうすると気持ちをノートに書き出すだけでもずいぶん楽になったり、ご飯の味がするようになったり、動画を観て笑えるようになったりしていきます。

「自分の中にある弱さを許せることがほんとうの強さである」と言います。

なかなか哲学的な話ですけれど、ここで言う弱さというのは依存心そのものを指すだけではなく、辛いときに一人で頑張ってしまう自立心も含みます。

「誰かにあなたを助けさせてみませんか?」

そんな提案をすることも多いのですが、「助けさせる」というのは「与える行為」の一つで、決して、依存心ではありません。

肩を借りる、という行為です。

助けてもらう、というのは、おんぶにだっこではないんですよね。

あくまで自分の足で立つために肩を借りるだけです。

この辺のバランスはほんとうに難しいのですが、ふだんから自然体で、自分らしさを大切にし、自分の心や体のケアを常にしていることで分かって来るものです。

その話をするとまた長くなってしまうのでまたの機会に。

今日は「誰か何とかして」という依存心では救われないし、どんどんひどくなっていくので、自分の足で立てるよう、誰かの肩をちゃんと借りましょう、という「自分の感情に自分で責任を持つ」というお話でした。

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『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)

「敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法」(フォレスト出版)

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