相互依存と依存の違い。そして、自立から相互依存への移行しやすくする意識の持ち方について。



肩を借りるのは相互依存、相手におんぶしてもらうのが依存。肩を借りるとはいえ、その力加減とかタイミングとか難しいですよね。恥ずかしさもあるかもしれないし。
だから、そこで自分でやる!と自立してしまうんですけど、敢えてそこは肩を借りるのもアリだと思うのですよね。

相互依存と依存の違いについて最近考える機会がありまして、要するに「肩を借りて立ち上がる」のが相互依存で、「相手に寄りかかる」が依存なんだよな、と思ったので今日はそんな話をしたいと思います。

ということで皆さん、ちょっとイメージして下さいませ。

段差で躓いてコケてしまったとき、膝をすりむいて痛くて、周りの目が恥ずかしくて、さっさとその場を離れたくなるわけですけど、多くの自立系な方は誰の手も借りずにすくっと立ち上がってカツカツかつと走り出すと思うんですね。

まあ、それで全然OKならいいんですけど、隣にいる人はそこに置いてけぼりを喰らってしまうんですな。

で、話を戻して、豪快にコケたあと「ちょっと肩貸してくんない」とお願いして支えてもらい、よっこらしょと立ち上がるんです。

相手の肩に体重はかけるものの自分の足で立ち上がろうとします。

そして、自分の足も痛いんだけど相手への配慮も欠かせませんよね。
「重たくないっすか?」とか。

だから、あなたがコケて、あなたが立ち上がるんですけど、その作業は相手との共同作業になります。うまく力やタイミングを合わせて立ち上がるわけですから。

それで立ち上がった後は「あざっす!!」と丁重に例を言ってふつうに歩き出しますね。

その時、相手も「ええことしたわー」とうれしくなるものです。

これが相互依存のイメージですね。

一方、依存というのは、コケたときに「痛いー。無理―。立ち上がれない―」と言って相手に抱き起してもらいます。

相手が力を入れてよいしょとあなたを抱き上げるわけですけれど、それが3歳児の可愛い女子なら軽くていいんですけど、あなたは(以下検閲削除)。

でも、相手に起こしてほしいあなたはそこで相手に任せて手は貸しません。
しかも、「早くしてよ。痛いじゃないのー」なんて文句を言ったりします。

だから、ほとんど100%相手の力です。
そして、身体が起きたとしたら今度は「おんぶして」ということになるんですな。

じゃあ、そこに感謝があるかというと・・・微妙ですよねー。

かつて私は各地の床に転がる娘を幾度となく抱き上げ、抱っこしてきましたけど、一度として感謝されたことはありません。娘は「こんなに可愛いあたしを抱っこできて幸せでしょ」と言う目で見下ろしてきました。

もちろん、うれしいっす!(でれ)

そして、その伝統は息子にも引き継がれ、いまだにお布団からリビングまで抱っこして運ぶことがあるくらいです。(息子は10歳!)

話が逸れた上に、思い切り脱線しておりますが、じゃあ、それが大人同士の場合どうか?て話ですよねー。

もちろん、あなたのことを可愛い可愛いしてくれる人もいるかもしれませんが、それは私が娘を見るように、あなたを子ども扱いしているわけで対等ではないのです。

お互いそのニーズが一致すればいいと思いますが、皆さんはどうでしょう?

まあ、うちの読者のみなさまは「そんなナメたことするなら〇す」という武闘派なみなさんですから、まあそんな関係は許せないですよね。

なのでもちろん主題は依存ではなく、相互依存の方です。

相手の肩を借りて、タイミングを合わせて、せーので立ち上がるわけですが、この力加減って難しいと思いませんか?

相手に体を預け過ぎたら相手の負担は大きくなるし、その逆だと立ち上がるのに苦労します。

自分が立ち上がるだけの力をもらえて、相手が負担にならない程度に体を預ける程度って感覚的なものだし、相手の力も分からないとなればここで多くの自立系な方は失礼がない程度に軽く肩を借りてほとんど自力で立ち上がっちゃいます。

そこで血が噴き出ようがお構いなしで、相手の迷惑になるくらいなら、相手の負担になるくらいならと自立するわけですね。

もちろんそれもアリっちゃアリなんですけれど、相手からすれば「あたし、役に立ったんかな?」と思っちゃうかもしれません。

また、それで「イタタタタターーー」となるのも本末転倒ですよねー。

なのでやっぱり相互依存的関係にはコミュニケーションが必要になるわけで、「これくらい力を入れても大丈夫っすか?」「ええ、まだまだイケまっせ」「これはどうっすか?」「ちょっとしんどいっすね」なんてやり取りしながら力を調整します。

そして「せーの」と声を合わせてグイっと立ち上がるんですが、やっぱりこれもコミュニケーションです。

あなたが日ごろのうっ憤を晴らすべく100均で大人買いをします。
とりあえず目に付いたものを鼻息荒くカゴに放り込むので、レジに並ぶ頃にはカゴ4つ分が満杯になっていてレジのお姉さんも「めんどくさ」という顔をしています。

そして、100均にしては見たことのない金額をお支払いして袋に商品を詰め込むわけですが、当然「ん?こんなの買ったっけ?」「え?これ、絶対使わんよな」という品もたくさん出てきます。

とはいえ、武士に二言はないので払い戻しなどせず、パンパンに詰まったレジ袋を8個ほどぶら下げて店を出るんですな。

そんなときあなたの様子を不憫に思ったのか、親切でイケメンの紳士、あ、いや、んなわけない、大阪のおばちゃんが「姉ちゃん、どないしたの?そんな荷物ようさん持って。店でも開くんかと思ったわ。おばちゃんが手伝うたろか?」と近づいてきました。

つい自立系の癖で「あ、大丈夫っす。これ、筋トレっすから」と断ろうとしたのですが、口では叶わぬ大阪のおばちゃんですから、「ええから、ええから。おばちゃんに任せとき」と強引にあなたが持ってるビニル袋に手を伸ばします。

そこでさらに拒否するとめんどくさいことになるので「じゃ、お願いしますー。そこの車までー。ありがとうございますー。」なんてよそ行きの声で言うんですけど、じゃあ、そこで8個の袋のうち、いくつをおばちゃんに任せますか?

2つくらい?それとも半分の4つくらい?

正解はないんですけどね。

ここでの問題ってのは相手が大阪のおばちゃんだったから「姉ちゃん、どないしてん」と近づいてくれたわけで、それが一般人だったらたぶん見て見ぬふりをすると思うんです。

もし、8個もビニル袋を掲げていて、店の出入り口に暇そうにしてる警備員がいた場合、あなたは素直に「すいませーん。そこまでちょっと持ってもらえませんか?」って頼めますか?

これ、仕事を抱え込みがちな人にとっては必須の実習かもしれません。

自分から「荷物持ってください」とお願いすること。
自分から「肩貸してくれませんか?」とお願いすること。

自立から相互依存に移行する際にとても大切なもの。

「大丈夫、大丈夫、自分で何とかできるから」なんて強がらないこと。

相互依存に意識を移す際に役立つ意識としてお勧めしていることがあります。

「助けさせてあげること。役に立つことは相手もうれしいこと」

「相手に任せることは、その人が成長することにつながり、育てることになる」

言葉だけとると上から目線に見えちゃうんですけど、それくらいの意識を持った方が自立系な方々は楽に相手に任せられるようになると思います。

「あなたを助けさせてあげるというのはどうでしょうか?」という言葉に目からうろこが落ちた人もたくさんいますねー。

また、「あなたのサポートをしてもらうということは、その人を成長させてあげることになるんじゃないでしょうか?」と伝えたら、「ああ、だからなかなか部下が育たないのか」と合点された方もいました。

肩を借りる、というよりも、肩を借りることでその人を喜ばせてあげる、と解釈すると自立系な方はやりやすいんじゃないでしょうか?

おばちゃんを喜ばせてあげるために荷物を持ってもらうんです。

この意識ができるようになるとパートナーとの間でも相互依存関係が築きやすくなってくるでしょう。

ってことで参考までー!

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 『道端でコケたら肩を借りる?自分で立つ?相互依存、自立、依存。
 


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