「大量の仕事を押し付けられる」というパターンが何をしても変わらないのですがどうしたらいいのでしょう?

慢性的なパターンというのは案外自分が見たくない(見えない)能力、才能を示していることがありまして、だから、カウンセリングやヒーリングを受けるたびに状況が悪化しているように見える現象が起きたりするのです。
やはり「自分を知る」ということがとても大切な気がするのです。

根本先生、こんにちは☆
いつもブログとても楽しみにさせていただいております!

今日ご相談させていただきたいのが、何年も心理学・ヒーリングを学び、お弟子さんのカウンセリングも受けているのに変わらないパターンについてです。

それが“大量の仕事を押し付けられる”です。
それにより鬱になって、休職もしたのですが、また同じことが起きています。
業務改善をしても、また別の方向から仕事が増えるのです(他支店からの業務移管やお客様の増加、チームメンバーの退職など)
かなりの金額を課金しているのですが、この仕事のことについては悪化しているとさえ思える状況です。
定番の罪悪感を扱ってもらいましたが、さらに悪い方向に行っています。
そこで気付いたのが、私は休職前は居場所作りや存在証明として、大量の仕事をこなしていたように思います。
今は大量の仕事をこなすことにそのメリットはもうない、圧倒的にデメリットのが大きいと頭では思っているのです。
しかし潜在意識はもうメリットはないと気付けていないから、その習慣(大量の仕事をこなす)だけが続いてしまっているのでしょうか?
これが根本先生がブログで仰っている、古い自分や価値観なのでしょうか
(Kさん)

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(GSご感想)「女性性とセクシャリティとサレンダーとコミットメント~実習メインのグループセッション~」のご感想をご紹介!!

1月29日、2月12日、13日、26日、4月5日、9日、24日、6月18日、19日、8月6日、9月3日、10月22日、29日、2023年1月14日、2月25日、4月22日、29日、6月24日、9月9日、2024年2月3日開催の「女性性とセクシャリティとサレンダーとコミットメント~グループセッション」のご感想をいただきました。ありがとうございます!!

「【キャンセル待ち】東京/大阪/オンライン:女性性とセクシャリティとサレンダーとコミットメント~実習メインのグループセッション~」
根本さん、先日はありがとうございました。
会場に入った時に「寒い中ありがとうございます〜」と迎えてくださった根本さんの雰囲気と、心地のいい音楽、お香の匂い、加湿器、女子の好きそうなクッションなどなど、いろんなものに「ああ女子・・・」って和みました笑
セッションが始まる前も雑談で私たちの緊張をほぐしてくださったり、いつもブログで拝読している毒舌キャラ(関西人としては好きなツボです笑)もちょいちょい感じられたおかげで、終始リラックスして参加することができました。
セッションでは事前課題でまとめてきた文章の奥にある言葉になっていないところまでも読み取っていただき、「そうそう!そうなんです!」と頷きながら受けさせていただきました。ワークでは瞬時に深いところにタッチする感じがあり、涙が止まりませんでした。こんな自分は愛されるはずがないと思い込み、分厚い仮面と鎧の奥にずっと隠してきた裸の自分を自由にしてあげた時、体がラクになった感覚と安心感がやってきました。根本さんのゆっくりした柔らかな語り口での誘導がとても心地よかったです。
他の参加者の皆さんのテーマも自分と共通する部分があり、根本さんが皆さんにされる質問も「私だったらどう答えるだろう」と自分と照らし合わせながら聞いていたので、グループセッションでしたが、まるで3時間ずっと個人セッションを受けているような感覚にもなりました。
他の参加者さんのセッションをされている時におっしゃっていた「まず自分が女であることを楽しめること」という言葉が印象的でした。私も長年、自分が女性であることをなきものにしてきた感覚があり、パートナーや男性たちに「私を女性として大切にしてほしい」と相手に対してばかり思ってきました。ですがこれからは、その前にまずは私自身が女性であることを楽しめることを意識して、女性としての自分を自分で愛でてあげたいと思いました。
濃くて深くて、優しくて柔らかくてあったかい時間をありがとうございました。
(Oさん)

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燃え尽き症候群からの回復期は動きたいけどやる気がないって葛藤の時期になるんですけど、そこにはほんとうの自分が顔を覗かせてることが多いものです。

燃え尽きてしまった頃ってのは何もできずにただただしんどかったと思います。
しかし、そこから数年経って回復途上にあると余裕が生まれた分だけ「動かなきゃ」けど「動きたくない」という葛藤が出てきます。
これこそ、古い私vs新しい私の争いなのですが、そこでちょっと女性性に全振りするってのもありじゃね?というお話を今日はしています。

いつもメルマガ欠かさず読んでいます。
個人事業主の私ですが、2年ほど前に燃え尽きて休職してからやる気が起きず貯金を切り崩して生活をしています。

以前はやる気!というか頑張らなきゃ!と常に気を張っていた部分があったので今はお金はないですが、理想の家に引っ越して心もゆるゆる穏やかに過ごして幸せではあるのですが仕事に対してこれをやりたい!とか自分の好き!もあんまりなくて…動けません。

以前からのお客様は、「先生前よりもずっとどっしりと芯が通ったようなより魅力的になりました」と言ってくれる方もいて、気を張らなくなったのでそれは私も感じているのですが、やる気がなくなりました。
これやりたいなと思ってもメニュー作るのめんどくさないと手が止まったり。

引退後の老人の様なゆったりした毎日を過ごしています。最初は、今は休む時だよなんて言葉をもらって確かにそうだな、と思ってそれでいいと思っていました。

根本さんの本当にお金がやばくなって来たら人って動くからというお話や、エネルギーをネガティヴからポジティブに変換する時期の過去のメルマガを読んでは該当するなと感じていたのですが、期間長すぎない?そろそろやばいよな?甘えだよな?と思ったりします。

予約もないのでパートに出ようかなと求人欄を見てもやっぱり組織では働きたくない!と胃がキリキリしてきます。

まだ30後半、独身、将来が不安、貯金はなくなっていく。でもその日暮らしのようなそれでもいいと思っている自分もいてそれが、またびっくりで。生きることが怖いのかもしれません。寂しいのかな。

今私に何が起こっているのか、どんな時期にいるのかなど分析していただけたらと思って送りました。よろしくお願いします。

先日、母に病気が見つかり来月から看病に帰省します。親の死を意識し始めて一層、精神的にも経済的にも自立しなければとまた思った次第です。自立したいです。

どんな状態でも生きてさえ生きてくれたらいいと思う気持ちと、もう親を頼れないなどと思う気持ちを見つけて自分の依存心にがっかりもしました。
(Fさん)

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「自分を知る」とはどういうことなのか?どうすれば「自分を知る」ことができるのか?

非常に難解かつ厄介なテーマなんです。
シンプルと言えばシンプルだし、複雑に見れば複雑です。
そして、ここには「自己肯定感」が非常に重要な役割を担ってるんです。
すなわち、自分を知ること=自己肯定感そのものとも言えるのです。

こうなりたい、という気持ちと、本来の自分に合うものが反発していて、いつも前者をとってしまい、苦労することが多いです。

また、本来の自分に合うものも、よく分かりません。憧れや理想から、そうではない自分のことを正確に判断できていないんだと思います。

周りに聞いたら分かるかと思ったのですが、周りの人からは「人に頼ったり甘えたりするのが下手」「根をつめすぎるところがある」「落ち着いている」「意外にせっかち」「受け身体質」「一人でも平気なタイプ」「自分をアピールするのが苦手」等の答えが返ってきました。

他人に聞いても、分かりませんでした。自分を知るのって難しいです。どうしたら自分を知ることができますか?
(Kさん)

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自分らしく生きるようになったらアンチが増えて攻撃されるんですけど放っておけばいいんですかね?

いい子ちゃんを長年やっていた人が自分を解放して自分らしく生きられるようになると、そんな自分をよく思わない人たちがアンチ化します。
また、変化が急激な分、行き過ぎてしまうこともあるんですよね。
でも、少なくとも生き方が変わったのですから人との付き合い方も変えていく必要があるんです。

毎日楽しく拝見しております。

私のパーソナリティですが、おそらくここの読者さんにも多い長女型いい子ちゃんを長年やり、押し込められてきたアンダーグラウンドが暴れて鬱などの時期を経て、30代でいい感じに自己を解放しはじめ自分らしく楽に生きる力を手に入れ出したアラフォーです。

さて、最近の気づきと悩みですが、
「え、人間ってこんなに嫉妬とか他人軸に左右される生き物なの?それを踏まえて発言するの難しいな…」
ということです。

私は、比較的性善説に近い感覚で多くの人と付き合いを広げ深めていく形で生きてきて、「人間関係に超恵まれて生きてる」と思ってますし、単純に「関わった人みんななるべく幸せだといいね」くらいに思って生きてます。
人が自慢話をしていても(うるさいなと思うことはあれど)あまり気にならないし、人のことを羨ましいとかずるいと思うこともあまりなく、それぞれみんな自分の人生生きたらええやん、というスタンスです。

いいことがあったら「聞いてー!うれしー!」と言いたいし、それを聞いたら「え、やったじゃん!!」と言いたいしというシンプル極まりない感覚で生きてます。
(昔はもっと周りに対して忖度力が高かったと思いますがどんどん弱まってます)

が、そのフルオープンな感じ、能天気な感じが鼻につくと時折言われてしまったり、他人の「あの人ムカつくよね、ずるいよね」という話に乗らないことでイラつかれたり、「幸せそうでムカつく」と言われたり…たまに疲れます。
(基本はそんなこと言わない人たちに囲まれて生きられているのですが)

子供の成長につれ人間関係が否が応でも広がってきており、「私が私のままでフラットにいると、なんか浮く?」と悩むことが出てきました。
せっかく自分を解放したのだけれど、昔のように忖度力や迎合力を持ったり、大人しくしてた方が生きやすいのか??うーん、、、

そんな風に思いたくはないんですが、最近そう思わざるを得ないことがちょこちょこ続き、近しい人に気兼ねなく本音を話すことを躊躇う瞬間があったりします。

私に足りない、必要な心構えなどあったら教えてください。
(Eさん)

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体調不良が続くときの心のあり方とは?~「起きることはすべて正しい」し「それが今の自分なんやからしゃあないやん」ということ~

体調がすぐれない状態が続くってのはほんとうにストレスで、自己嫌悪に思い切りハマってしまうと思うんですね。
しかし、それは逆効果になりますから、そんな状態をできるだけ前向きに受け入れられる心のあり方をお話ししたいと思います。

やりたいことが沢山あるのに体調不良がなかなか治りません。

私は根本先生のブログが大好きな33歳の自武女です。ブログを読み漁り、ボイシーを1日8時間以上聴いているうちに内なる自武女の表現欲が爆発し、映画ライターになりたいというライフワークにも出会えました。感謝です。

一応カブト探しもしていて、仕事で会った人とデートしたりしていたのですが、「気持ち悪っ」という事が相次ぎ、それを境に夏ごろから体調がおかしくなり、「どうやらコロナ後遺症」という事で半年ほど安静に過ごす日々をおくっています。

その後、急に訪れた廃人生活に気がおかしくなり、「体調不良なんかじゃない。あたしは働くんだ!」とイキって更に悪化してしまいました。ちなみに症状は「動悸・息切れ」です。

ドクター曰く、身体だけじゃなくて脳疲労も悪化の原因になるとのことで体調が悪い日は文章を書くのもあまりできず、気分がすぐれないので落ち込みがちになります。

なんか、社会から切り離されたようで孤独です。自分を励ましてはいるけどそれもカラ元気というか、虚しい。本当だったら11月にはグループコンサルに参加してて、自武女のお姉さまたちからセクシャルエナジーを沢山浴びれたはずだったのに。。

この状況をどうやったら肯定的に受け止められるのかわかりません。また、ほんとは精神的なものがきっかけなのかも?とモヤモヤしてもいます。

病気のときの気持ちのあり方など、再度レクチャーいただけたら嬉しいです。
(Mさん)

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おぼろ豆腐メンタルが、せめて木綿豆腐くらいになれば岩の鎧を脱げるんでしょうか?~もしかしてその奥にさらに違う自分がいるのかもしれないよ?~

よく自分のマインドは「強い私」と「弱い私」二重構造だと思ってしまうものなんですが、心ってのはもっと深く、さらにその奥に別の私も隠れているものなんです。
だから、より深く自分を見つめることでさらに新しい自分が発見できるのです

こんにちは!いつもブログや書籍などでお世話になっています。
ネタのひとつに取り上げていただけるとうれしいです。

質問は、

「わたしの岩の鎧の中にいたのは、とろふわおぼろ豆腐メンタルの自分だったので、この世を生きるためには鎧を着続けないと生きていけない。
だって少しの力でぐちゃぐちゃになってしまうもん。
岩の鎧を脱ぐために、せめて木綿豆腐ぐらいになることはできますか?」

です。

最近やっと「自分ってロックウーマンかも…?」と自覚できるようになりました。

幼少期に両親との関わりの中で、「この親は変わらない。だから、自分がなにも感じないようにすればいい。そうすれば、なにも問題が起こらない」と、心を石化させる術を心得ました。

そのおかげで、思考的、感情が表出されない、我慢強い、鈍感なマシンのような人間に成長。

そこから、ハードワーカー、燃え尽き症候群、パートナーシップの問題を経て、このブログに辿り着きました。

おかげさまで、自分と向き合い続けていると、ようやく両親に対して怒りの感情が湧いてくるようにもなりました。

そんな中、幼少期の自分をイメージすると、岩の鎧を着ていたので、鎧をはいで中を覗いてみました。

すると、繊細で、敏感で、弱くて、傷つきやすい、とろふわおぼろ豆腐みたいな自分がいて、「裸のまま外には出られない!」と思わずまた蓋をしてしまいました。

「岩の鎧は、弱いわたしがぐちゃぐちゃにならないように、守ってくれてるんだな」と温もりを感じて脱げなくなりました。

わたしは今世は岩の鎧で生きていくしかないのでしょうか?

それとも、おぼろ豆腐メンタルが木綿豆腐ぐらい強くなる日はくるのでしょうか?

わかりにくい質問ですが、根本先生のお考えをぜひお聞きしたいです。
(Sさん)

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