結婚することは親を見捨てること?~罪悪感を使うのではなく幸せのリーダーシップを取るということ~

年齢を重ねた分だけ親を年を取るわけで、そうすると自分が結婚して幸せになることがまるで両親を見捨ててしまうような罪悪感をもたらすことがあります。
そんなときは罪悪感ではなく愛を選び、まず自分が幸せになることを目指します。

根本先生の罪悪感の本を読み、自分の罪悪感に悶絶している自武女です。

好きな人が遠い距離にいて、恋愛自体は抵抗ないのですが、いざ「結婚」の二文字が会話に出ると身体がゾワっとするんです。

なんだなんだ?と思って探ってみると、年老いた両親を残していけないという「親を見捨てる罪悪感」に辿りつきました。

でもその反面、実は「親の面倒は絶対にみたくない!」という親不孝な部分も強くて。

今年、父親が癌になり、さらに透析も間近ということで、母親一人では辛いだろうなという思いはあるのですが、親の面倒で一生を終わりたくないとも思っています(そんな自分に自己嫌悪)。

近くに兄もいるのですが、兄と兄嫁の性格上、絶対うちの親の面倒なんて見ないだろうなという諦めもあり、そうすると私しかいない。

でも面倒をみるのは嫌だから早く結婚して離れたいという焦り。

パートナーシップというものも体験し学びたい、自分だけでなくパートナーとの世界も創りたいという願望。

最近やっと自分の人生を生きる覚悟が決まりつつある中で板挟み状態です。こういう場合はどこから手をつけたら良いのでしょうか?

ご教授いただけると幸いです。
(Aさん)

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「子育てをしないとダメだ」という思い込みから自由になれません!~自分が何を選択したのか?自分の価値観は何なのか?をしかと受け止めようぜ~

「子どもを産まないのは女として価値がない」という思い込みを持っていて、それで自分責めにいそしんでいらっしゃる方も珍しくありません。
でも、よくよく話を聴いてみれば「子どもを産まない」ということを自らが選択されてるんですよね。

根本先生、いつも大変お世話になっております。
今日はあるあるかもしれませんが、何年も私を苦しめている悩みを相談させてください。

私は自分が子どもだったころから子どもが大好きで、子育てへの夢もたくさん持っていて、なかば趣味で児童心理学などを学んでいました。
これは親との関係に苦労した自分について学ぶ意味でも大変興味深かったからでもありますが、なによりも子どもの成長にとって、大人に何ができるのかということにとても興味があったのです。

結果社会人になってからも本業の仕事(フリーランス)をしながらアルバイト的に子どもと関わる仕事をずっとしてきて、資格も取りました。
子どもたちに愛をもって接してあげたいというのは、最初は苦労させられた親への復讐的な、「わたしは絶対子どもたちにあんな思いをさせない!」という仕返し的意味もありましたが、親との確執の癒しが進んできてもやっぱり子どもたちと関わることが純粋に大好きです。

ということで、子育ての準備万端!なんて勝手に思っていたのですが20代、30代とまわりの結婚・出産をながめていたらいつのまにか自分が40手前になり、自分はこのまま出産を経験しない可能性がでてきて、それを受け止めることができずに驚愕しております。

ちなみに結婚願望がなかったわけではないのですが、私は好みが極端にせまく、私の現在好きな人は彼の事情により結婚などは難しく、彼とだと多分子どもをもてないだろうなと思っています。
かといって自分が一番好きな人をあきらめて、結婚・出産のために他のパートナーを探す、という選択肢も自分のなかでは何か違和感があって、そんな気になれません。

前向きになれるときは、「そんな選択をするのも私よね♪」と受け入れられるのですが、それでも出産・子育てをしている人を見るとそれだけで自分に価値がないような、子育てを経験していないという劣等感を強く刺激されてしまいます。
「子育てをしないとダメだ」というのが自分の思い込みだというのはわかってるのですが、長い間の夢だったこともあり、この思い込みから自由になれません。

根本先生、どうしたらいいですか??(T_T)
(Aさん)

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ちゃんと付き合う人とカラダの相性が良い人がいつも合いません~愛あるセックスとは何なのか?そもそも愛とは何なのか?~

意外にあるこの体と心の不一致問題。実はそこに性に対する罪悪感があることが多いのです。
それによってアンダーグランドでのみセックスが楽しめるようになってしまうのです。
その上で、愛あるセックスとは何かについて考えてみたいと思います。

根本さんこんばんは。母が父とのセックスをあまり好きでない、ということを思春期のときに聞かされて20代を迎えた場合、このときわたしはどうすれば良いでしょうか。

私は、ちゃんと付き合う人と、カラダの相性が良い人が、気づけばいつも繋がりません。

過去、多くはないですが、付き合っていた彼氏のキスや匂いがあまり好きではなく別れてしまった事がそのうち2回程あります。なので付き合う前提でデートするときなど、心は良くても相手との5感の相性は大丈夫かなど不安になります。
そして現在、セフレがいますが性癖や匂いがどストレートに刺さってしまっており、手放せず可愛がってしまっています。でも彼を愛せるかと聞かれると疑問なので本命にはしていません。ちなみに初めの頃は彼も恋愛モードでしたが私が食ってしまったので関係が曖昧になりました(いや、私がそうした、のかもしれない)。

母と父は、同志としてパートナーとして仲がよく、2人を敬愛していますが、私が高校生~20代前半のときに母は「よそでしてきてほしい」とか「あんまりそういうことは好きではない」、まぁそんなことを何回か言っていました。
後は私が小学生の頃、ちょっとえっちな少女漫画などを買ったときは母がこっそりそれを読み、買うのを禁止されたりなどもあります。

よく師匠が仰る、愛のあるセックス、というのが分かりません。
この分離している感覚はどうしたらよいのでしょうか?ワークショップ、動画等ご紹介ございましたらせっせと課金させていただきますので笑、どうぞよろしくお願い致します。先生へ愛を込めて
(Hさん)

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「好き」と伝えることが恥ずかしくて「バカ野郎!そんなこと言えるか!」みたいな気分になってしまうんですど何とかなりますでしょうか?

コミュニケーションってスキルなのでレッスンをすれば誰でもそれなりにできるようになるものです。
だから、諦めずに続けていくこととその原因を見ていくことで、抵抗なく愛情表現・感情表現ができるようになっていくでしょう。

初めまして。
いつも根本先生のブログを楽しみにしております。
私は気が強く行動力もあり自武女だとは思いますが、よく取り上げられている方々とは少し違う気がしたので、ネタ提供させていただきます。

私は結婚して13年たち、夫とは紆余曲折ありながらもなんとか円満に過ごしています。
普段はスキンシップなどはほとんどない夫婦ですが、たまに夫から「好き」と言ってきたり、「お前はどうなんだ(俺のことをどう思うのか)」と言ってきたりします。
私は結婚前はまだ若かったので積極的に自分から好きだとか言ってましたが、最近は全く言いません。
夫のことは好きな時と嫌いな時があるものの、総じて好きですが、「好き」と恥ずかしくて言えません。
武士や昔の男性みたいに、「馬鹿野郎!そんなこと言えるか!」みたいな気分になります。

それ以外にも感情表現は薄い方で、ドライだと子供の頃から言われてきました。
とにかく「好き」を含めた感情表現全てが恥ずかしいです。
歳をとって平気になった部分もあるし、より恥ずかしさを感じる部分もあります。

なぜ自分がこんなに恥ずかしい気持ちになるのかわかりません。
…が、父は私に輪をかけて恥ずかしがり屋?だと思います。一人娘ですが名前で呼ばれたことがなく、父親らしい父親像とは正反対のタイプです。(孫や母の名前も呼びません)
父は感情表現がない訳ではないですが、変わり者で、他人を褒めたり怒ったりすることはほぼないです。
でも私のことを大切にしてくれてるのはとてもよくわかり、仲良しです。
そんな父の血を引き継いでいるのかとは思いますが、頑固親父みたいに感情表現をできないままでいていいのか不安になります。

ちなみに母も感情表現が豊かな方ではないと思います。割とクールなタイプですが、恥ずかしがり屋ではないです。

問題に思うのは夫に対してだけではなく、自分の子供に対して「好き」とかを言うのも恥ずかしいところです。
でも言ってあげた方がいいと思うので、かなり頑張って言うようにしていますが、ぶっきらぼうな言い方になってしまいます。
無理して「好き好き」と言ってたら慣れるものなのでしょうか?
(Kさん)

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自分が持つ魅力や才能を隠したり否定したりしてもなくなるもんじゃないし、むしろ問題を創り出しちゃうから、その活かし方を考えたほうがいいよね?という話。

魅力や才能は光と影を創り出すもので、例えば「カリスマ性」という魅力を持つ人は周りの人に注目されやすかったり、期待されたりするので、それに応えようとすればするほどその魅力で苦しむことになるんです。
だから魅力を否定して隠したくなるんですけどなくなるもんじゃないんですよね。

根本さん、こんにちは。Yと申します。
私はわりと恵まれた人生を歩んでいると思うのですが、誰かの生きがいでいることについて、時々、とても疲れてしまいます。
思えば、人の好意に応える人生であると自覚しており、贅沢な悩みかもしれませんが、しんどいなと思う時があります。
夫も両親も、夫の母も私と過ごすことを何より楽しみにしてくれていて、生きがいのように思ってくれています。
そのことは大変ありがたいのですが、私が心底満たされる時はひとりでいる時なので、しんどくなる時があります。
親子、嫁姑というよりは、まるでファンのように目を輝かせて、私との時間を楽しんでくれます。
唯一、弟のお嫁さんだけは、おそらく私のことをあまり好きではないと思うのですが、会いたいと思われることもなく、私に関わらないでいてくれるので、むしろすごく気楽で、私自身は弟のお嫁さんを嫌いではないです。
これ以上、私がいないと駄目な人を増やしたくないので、子供も作るつもりはありません。
思春期の時から、異性には勝手に好かれて、そのことで面倒になることも多く、ひとりでいる時が一番癒されます。
とても恵まれていると思いますが、誰かの生きがいでいることが疲れてしまうのは変わっているのでしょうか?
何かを要求されるわけでもなく、ただ、ありのままの私に対してキラキラした目で楽しそうに過ごしてくれるのですが、ひとりになると、ものすごくホッとして、そんな自分に罪悪感を持つことがあります。
根本さんの見解を聴かせて下さると嬉しいです。
(Yさん)

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自分の意志で生きようとすると厳しくも愛してくれた叔母に罪悪感を覚えてしまう。

「家」の束縛からどう抜け出して自由になるか?というテーマです。
厳しくしつけられた一方で、面倒を見てくれた感謝もあれば、自分も大好きだった叔母の存在は、自由に生きようとする際の足かせになることがあります。
そこを脱して自分らしい生き方を手に入れるための心のあり方を考えます。

いつもブログ見させてもらってます。
ちょうど罪悪感の記事があったので、書かせて頂きました。 

私は四姉妹の長女として産まれました。昔ながらの家で祖父母や叔母も一緒に住んでおり、実の母にほっとかれてた私は叔母を母親のように慕っていました。
可愛がられながらも家の考えや価値観など厳しくしつけられ、また、母は家柄や価値観が違う家から反対されて結婚したので、母親似だった私は母親みたいにならないようにと育てられました。
小さい頃は叔母の事が大好きなものの、いつも顔色をうかがって暮らしていました。
18歳位の時に摂食障害になり、そんな中、大好きだった叔母が急に亡くなりました。
毎日吐いてボロボロになった私に実の母が何とか理解しようとしてくれるようになり、私も立ち直り母親とも小さい時ほどわだかまりはなくなりました。

ここ何年か前位から自分軸で生きていない事に気付き、根本さんの本に出会い、読みまくり「そっか、自分のしたいでいいんや!」と思って実行しようとするのに、ギリギリで「いいの?私の意志で生きていいの?」と叔母の思うような人で生きてない自分に罪悪感が出てきて、なかなか消えません。
本当は実の母親に甘えたいし大好きて言いたいのにここにも叔母に悪いような気がして(叔母と母は仲が悪かったので)罪悪感で言えません。
あともう少しで、と思う所で罪悪感に足を引っ張られる感じです。

もし何かアドバイス頂ければ嬉しいです。もう自分で生きたいです。
(Mさん)

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体調不良が続くときの心のあり方とは?~「起きることはすべて正しい」し「それが今の自分なんやからしゃあないやん」ということ~

体調がすぐれない状態が続くってのはほんとうにストレスで、自己嫌悪に思い切りハマってしまうと思うんですね。
しかし、それは逆効果になりますから、そんな状態をできるだけ前向きに受け入れられる心のあり方をお話ししたいと思います。

やりたいことが沢山あるのに体調不良がなかなか治りません。

私は根本先生のブログが大好きな33歳の自武女です。ブログを読み漁り、ボイシーを1日8時間以上聴いているうちに内なる自武女の表現欲が爆発し、映画ライターになりたいというライフワークにも出会えました。感謝です。

一応カブト探しもしていて、仕事で会った人とデートしたりしていたのですが、「気持ち悪っ」という事が相次ぎ、それを境に夏ごろから体調がおかしくなり、「どうやらコロナ後遺症」という事で半年ほど安静に過ごす日々をおくっています。

その後、急に訪れた廃人生活に気がおかしくなり、「体調不良なんかじゃない。あたしは働くんだ!」とイキって更に悪化してしまいました。ちなみに症状は「動悸・息切れ」です。

ドクター曰く、身体だけじゃなくて脳疲労も悪化の原因になるとのことで体調が悪い日は文章を書くのもあまりできず、気分がすぐれないので落ち込みがちになります。

なんか、社会から切り離されたようで孤独です。自分を励ましてはいるけどそれもカラ元気というか、虚しい。本当だったら11月にはグループコンサルに参加してて、自武女のお姉さまたちからセクシャルエナジーを沢山浴びれたはずだったのに。。

この状況をどうやったら肯定的に受け止められるのかわかりません。また、ほんとは精神的なものがきっかけなのかも?とモヤモヤしてもいます。

病気のときの気持ちのあり方など、再度レクチャーいただけたら嬉しいです。
(Mさん)

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