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自分が加害者になってしまった場合、そんな自分を許すのはなかなか難しく感じるものです。
いい人ほどその罪の重みを過剰に感じ、何年にもわたって自分を責め続けてしまいます。
そうしてなかなか自分を許せなくなるのですが、もしかしたら、その犯した罪だけで自分を責めているわけじゃないのかもしれません。
罪悪感を持ち続けるメリットがもしかしたらあるのかもしれません。
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いつも面白いブログありがとうございます。
ネタ応募させていただきます。
私はいじめをしたことがあります。
その出来事と、どう向き合えばいいか、わかりません。
もう何年も前のことなのに、まだとても胸が苦しいです。
自分が被害者の場合は、相手を許すことに、取り組めばよいですが、
自分が加害者の場合は、何に取り組めばよいのでしょうか。
自分を許すなんて、とても考えられません。
何度かカウンセリングでも、このことを相談しました。
カウンセラーさんは、自分をそこまで責めなくていいと言ってくださるのですが、なかなか納得がいきません。
自分をどうしても許せない、という正義感ではないと思います。
私も子供の頃にいじめにあったことがあります。
でも、自分がいじめる側に回ったら、こんなにも誰かを傷つけることがつらいのかとわかりました。
だから私をいじめた人を許したいし、もし自分の子供がいじめをしても、理解してあげたいと思います。
根本先生は、いじめをしてしまった罪悪感について、どのようにお考えになりますか。
どうぞよろしくお願いします。
(Yさん)
たいていの人は加害者になるのがしんどいので被害者を選ぶものでして、加害者になりそうになったら必死に自分が被害者であることを訴えたりもするわけです。
被害者というのは周りから慰めてもらえるし、いろいろと話を聴いてもらえるし、何なら補償だって取れるかもしれないし、「自分は悪くない」と思えるし、何かと“便利”なことがあります。
そして、被害者である以上、相手が悪いんだし、自分は何もしなくて良い、と思えるので大人気なわけです。
一方、加害者というのは罪悪感をたんまり抱えて自分を責めることになるので、基本的には「孤独」です。
その罪をひとりで背負って自分を罰していくものです。
たまに人から「君だけが悪いわけじゃない」とか「そうするしか仕方なかったんだよ」という言葉をかけられることもありますが、少しばかり心がホッとすることはあっても自分を責める気持ちはなかなかなくらないものです。
仮に相手に謝罪し、許してもらったとしても、それを自分が受け入れられなければ変わりません。
だから、どんどん自分を孤独の刑に処し、まるで独房の中で罰の執行を待つような気分になります。
そして、その後の人生はその罪をベースに生きていくことになりますから、自分を幸せにすることから目を逸らすことになります。
さて、加害者と被害者というのは実はイコールでして、加害者は被害者に、被害者は加害者に変わることも多いもので、どちらかを主張する限り出口はありません。
ゆえに「無害者」という言葉が生まれまして、加害者でも被害者でもない立場を目指すことになります。
そんな話も今まで散々してきておりますし、本や動画にものなっておりますので参考にしてみてください。
*「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
*セミナー動画:『私の幸せを阻む「罪悪感」を「愛」で癒して「私」を自由に解放するワークショップ』
*心理学講座動画:『罪悪感と癒着の心理』
*光の瞑想~疲れや罪悪感などを癒すイメージワーク~
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結局のところ、私たちはみな少なからぬ罪悪感を持っているので「自分を許す」ということが人生の課題になっていきます。
幸せになることを許す。
豊かになることを許す。
パートナーを持つことを許す。
ところがその罪悪感が「お前にはそんな資格はない!」と訴えるものですから、自分を許すなんてことは到底できずに、常に自分を罰し続けることを選びます。
まあ、それが罪悪感という感情の正体で、罪悪感くんは彼なりの仕事をちゃんと全うしているだけなのですが、それによって我々は振り回されることになるものです。
Yさんの場合は「いじめ」ですけれど、それ以外にも私たちが誰かを傷つけてしまうことは多くあるでしょう。
犯罪に関わらずとも、誰かを振った、切った、攻撃した、傷つけた、裏切った、八つ当たりした、ズルをした、ウソをついた、ごまかした、等々、日々起きているものです。
要するに自分の良心を裏切る行為のすべてに罪悪感が付いてくるわけです。
だから感じ方は人それぞれで、他の人から見れば「それくらい大したことないよ」と思えるものでも、自分にとっては重大犯罪のように感じてしまうことだってあるものです。
そしてその罪の大きさを実感しているがゆえに自分を正当化することも少なくないものでして、なかなか向き合えないものですね。
だから、Yさんが感じていらっしゃるように自分を許すなんてとんでもないとか思っちゃうわけです。
この罪を背負って一生生きていく、みたいに思っている方も少なくないでしょう。
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Yさんは何どかカウンセリングを受けて、そこまで自分を責めなくてもよい、という言葉を頂戴しているわけですから、少し先の話をしていこうと思います。
まず、あるあるな質問になるのですけれど、Yさんが自分を許さないメリットは何があるのでしょうか?
罪悪感を持ち続けるメリットというか、自分を責め続けるメリットというか。
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例えば、罪悪感を持ち続けているメリットに「防衛」というものがあります。
「わたしは自分の罪をこれだけ責めてますからどうか皆さん、わたしを責めないでください!」
裏を返せば、
「わたしは自分をこれだけ罰していますからどうか許してください」
という態度を取り続けることになります。
つまり、誰かから「お前、あんなひどいことをしたのに何笑ってんだよ!」などと批判されたときのために「防衛」しているわけです。
罪の意識を感じて大人しくしていることで「まあ、あいつなりに反省しているのだろうから許してやろう」という雰囲気を作ることもまた「防衛」の一種です。
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また、罪悪感を持ち続けることで今の状況を納得しようとする向きもあります。
仮に今、幸せじゃない、楽しくない、面白いことなんて何もない、という状況であることを受け入れるために罪悪感が使われるのですね。
「わたしみたいにひどい人間はブラック企業で働くのがふさわしいんだ」
「こんな罪を犯した自分はひどい人と付き合うのがふさわしい」
我慢や犠牲なのですけれど、罪悪感を使って自分を納得させようとするわけです。
また、罪悪感を使うことによって人を遠ざけることもできます。
ほんとうは人が怖い、という思いを隠すために罪悪感を利用するわけです。
だから、ほんとうの問題は罪悪感ではなく、人が怖い、というところにあるのですが、そこと向き合いたくないがために、罪悪感を盾にしているような感じです。
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さらに「罪悪感を持つことによってしなくても良いことは何?」という質問もそこから浮かんでくるわけです。
愛さなくていい。
受け取らなくていい。
幸せにならなくていい。
与えなくていい。
変な話ですけれど、罪悪感を持つことが幸せにならなくていい許可すら出しちゃうわけですね。
だから、そこから「復讐」という心理が見えてくることもあるのです。
自分が加害者である罪悪感というのは隠れ蓑で、ほんとうはその裏に「誰かを許していない」という被害者の心理が隠れている、というものです。
復讐心というのは自分を幸せにしないことで誰かを攻撃するスタイルなのですが、例えば「母がヒステリックで攻撃的だったから散々傷ついて自分を見失ってしまった。そんな母を決して許さない!」という思いがあったとしましょう。
母に散々攻撃されて嫌な思いをした分だけ、自分が誰かを攻撃するのはものすごくイヤです。
だって母と同じことをしてしまってるわけですから。
そうすると誰かを攻撃してしまったときの罪悪感もまたいや増します。
そうして、自分が加害者になり、罪悪感を抱えることによって、自分を幸せにしないわけですが、その状態そのものが「こうなったのはあなたのせいだ」と母を攻撃する姿勢になっているのです。
ちょっとややこしいかもしれませんが、実によくあるケースでもあります。
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そうして「なぜ自分を許せないのか?」という背景を探っていくわけですね。
そして、罪悪感を持ち続けようとする理由を自分なりに理解していく必要があるのです。
ただ、そこまでしても「自分を許したい」とか「幸せになりたい」という思いを持つことができなければ、なかなかここを抜けることはできないでしょう。
「幸せになりたい!でも、罪悪感が邪魔してそれを自分に許せないんだ!どうしたら許せるようになるんですか?」という思いが重要なわけです。
その思いを叶えるために、自分を許せない理由を見つけ出し、それを手放していくことが最初になるのです。
先ほどから「隠れ蓑」の話をしているのですけれど、私たちの心ってのは幾重にも感情が重なっているものですから、目に見えているものが問題の本質とは限りません。
Yさんは誰かをいじめたことで自分を責めていらっしゃるのですけれど、その裏側に別の問題が隠れていることだって考えられるのですね。
先ほどの復讐や被害者の心理などもそうですし、何なら「さらに大きな罪悪感を隠している」ということだってあるのです。
また、そもそもが自分に何ら価値や魅力を感じることができず、自分に自信がない状態をそのいじめからくる罪悪感で隠しているってこともあるのです。
自分を許してしまったら、その無価値感と向き合わなきゃいけなくなるわけで、それはいやだ、罪悪感の方がいい、みたいになってるんです。
だから、しつこい罪悪感を掘り下げていったらもっと目を背けたくなる問題が出てくることもレアではないのですね。
そうして、そのいじめをしてしまった罪悪感と向き合い、掘り下げていくと自分の心の仕組みがよく分かるようになり、本当に向き合うべきものが分かってくるのかもしれません。
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さて、その罪悪感から解放されることを望むのであれば、一般的には「理解」というやり方をします。
そもそも心理学ではまさに「罪を憎んで人を憎まず」という方針で物事を見ていくのですが、「なぜYさんはその人をいじめなければならなかったのか?」という理由を見ていき、いじめざるを得なかった自分の心理を理解していくのです。
人はめっちゃくちゃ気分の良い日に誰かをいじめようとは思わないものです。
ということは、当時のYさんはあんまり幸せな状況ではなかったと言えますが、それはどんな状況だったのでしょう?
他でむしゃくしゃしていたことがあったのか、精神的に余裕がなかったのか、嫉妬や競争心があったのか、その人が恨みを抱いている誰かに似ていたのか、なぜなのかを見つめていきます。
そうして「ああ、そういう状況であったならば(ほんとは良くないことだけど)その人をいじめちゃうのも無理はないよね」という理解に至ります。
この理解がものすごく大切で、被害者に心を向けつつも、加害者である自分の心にも目を向けることを目指すのです。
だから「無害者」の立場に立つことが重要だし、「自分をもう許したい」というモチベが大事になるのです。
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また、その後、何年もの間、Yさんは自分を罰し続けているわけですが、まだまだ懲役が足りないでしょうか?
もう十分自分を責めた。十分すぎるほど自分を罰した。
そんな意識を持ってみて下さい。言葉にしてもらっても構いません。
「私はもう十分自分を罰しました。私の罪は償われました。今日私は私自身を釈放します。私は私が自由の身になることを自分に許します。」
こんなアファメーションを日々呟いてみてもいいでしょう。
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自分を理解して許すというのは罪悪感からすれば存亡の危機なわけですから、大きな抵抗が伴いものです。
しかし、自分を客観視してみれば、「もう許されてもいいんじゃないか?」という思いだって出てきていると思うし、だからこそ、今日はこうしてネタを送ってくださっているのではないかと思います。
さて、どうしましょうか。
もう自分を許して幸せになりたいと思いますか?
それともまだまだ自分を責めておきたいですか?
それを選択する権利はみなさまにあるのです。
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