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チャンスというのは「今の自分が少し背伸びして届くライン」でやってくることが多く、ちょっと頑張らないと手に入れられないものです。
それはちょっと自分がしんどいタイミングであることも多く、そのままにしておくと流してしまいそうになるものです。
そんなときに「後悔しない?」という問いかけをすることで自分らしい選択が可能になるものです。
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カウンセリングって似たような流れが続くことがよくあります。
同じ県の似たような会社にお勤めの方から、これまた内容がよく似た離婚相談をいただいたり、一進一退の婚活事情についてのご相談が連続し、それぞれに「彼って不器用な人なのねえ。それでも好きなら積極的に行った方がええんちゃう?」ってアドバイスしてみたり。
「ずーっと離婚しようかどうか迷ってるんです・・・決められないんです・・・」とか「彼でもういいと思うんですけど、まだなかなか決め切れないんです・・・」という相談が相次いだので、ブログならさりげなく本の宣伝するのになあ・・・手元に今ないしなあ・・・と天井を仰いだりしました。
★そういう人はこの本を熟読せよ!
『7日間で自分で決められる人になる』(サンマーク出版)
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成長してより魅力的になると人は新しいステージに入り、出会う人や仕事に変化が起こります。それはめでたいことなのですが、その一方で注目されたり、憧れられたり、期待されたりといった変化も起こりますね。
そうすると今までは見えなかった問題が浮上してきてそこに意識を取られるようになるのです。
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魅力開花の過程におけるキャパオーバーや拒絶反応への乗り越え方についてご指南頂きたいです。
先日の記事
「好きなこと(遊び)」と「仕事」をつなげる方法~なぜ、たくさん遊ぶ方がビジネスがうまく行くのか?~
うんうんうんとヘッドバンキングの勢いで頷きながら読んでいました。
それで気づきとそれに伴った自分の課題について厚かましくもアドバイス願いたいです!
記事冒頭の「自分を魅力的にすること。これがビジネスをうまく回すうえでもっとも重要な要素だと思います。
魅力的な人に人は憧れますし、その人の話が聞きたいと思うし、その人から商品を買いたいと思うからです。」
これほんとその通りというか、私も実感しました。ほんの少しだけ。。
そうほんの少しで、景色や現実の速度の速さに目眩がしてうまく対応できなくなってしまいました。
注目を浴びたり期待されたりましてや憧れられるなんて自分には耐えられる気がしない。。
試してみたけどほんとしんどかった。。
ただ好きなことを楽しくやって、でもずっと目立たず自由に気楽に、なんて都合が良すぎですかね?
同じジャンルでスタートアップした仲間たちは順調で、変化を難なく受け入れているように思えます(そう見えてるだけで内心は葛藤があるのかもしれませんが)
わたしは出だしこそ良かったのですが、上記通りの予想以上の変化にペースが乱れに乱れてグダグタになってしまいました。
そう、それこそ「遊べ」なくなってしまったんです。
公になってお金が発生したり、全然知らない人からも知られるようになったりしたら秘密の花園じゃないけど、のびのび童心で遊べる感覚がなくなってしまった感じです。
裏庭の自分だけの花園じゃなくて、みんなが遊べるホスピタリティーに溢れたフラワーパークにする技量も愛も私にはない。。
ビジネスにする際に発生する広がりには心の筋トレみたいなのが必要そうに思うのですが、それってどういうメニューがいいんだろうかと頭抱えています。
ちなみに私はスタートダッシュは得意なようで、何かをはじめるのは好きでゼロからイチを作るのには燃えるのですが、イチをニにしたりましてや三にしたり掛け算で拡大するのには全く手も足も出ません。
とりあえず根本さんのボイシー気になる箇所から聴きなおしてメモしたりして考え中です。
(Iさん)
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自分と向き合い始めると、少しずつ本来の自分が見えてくるので、今まで当たり前に付き合ってきた人たちとの関係がギクシャクしたり、人に会うことがめんどうになったりすることがあります。
今まで身に着けてきたメイクが剥がれ落ちてきて素顔の自分が現れてきたからかもしれません。
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いつもありがとうございます!
テーマのタイミングが合う時がありましたら「人付き合いの心理学」についていつかお聞きしたいです。
根本さんのお話をよく聴くようなって自分の心に関心が向かうようになったせいか、以前は苦どころか好きだった人付き合いが物凄く…面倒くさくなっていてそれが今いちばんの悩みごとかもしれません。
先日も恩師を囲む会の連絡が来てもうハラワタ煮えくりかえるくらい「めんどくせー!!!」となりました。
いや、別に嫌な思い出があるとかじゃなくて、むしろ感謝すごくしてるし、なんなら昔の私は幹事まっさきにしてましたからね…。
あと今、勤め辞めて社会的な身分があやふやなことも大きいと思います。
武闘派女子よろしく、私にとってバリバリ働いてるご身分て相当な戦闘服だったんだなぁと思います。
別にみんなの近況とか知りたくないし。
自分のことも話したくないし。
赤の他人とも最近はめんどくさくて。
先日も根本さんのブログ参考に自分が本当に喜ぶ一着が欲しくなって、前は二の足を踏んでた大人ガーリーなブランドに行ってきたんです。
(子ども時代に女の子やれなかった人の話とか他にも色々心あたりあって)
とにかく前から気になってたけど、自分が身につけるにはおこがましいと思ってた服屋さんでお気に入り探ししました。
服探し自体はすごく楽しくて、これっ!て服はその時は見つからなかったけど、少女の自分がすごく喜ぶ感じがありました。
店員さんもお店の雰囲気と同じでとても感じのいい方で、和やかにお話できたのですが、後から少し疲れて。
私は接客業をしてたことがあるくらい人当たりかなりいいほうだし、無理にやってるてより楽しめる方だと思ってました。
でも暫くもう行かなくていいやと帰って来てから強く思ってる自分がいました。
そして結局そのブランドの公式ネット通販でお気に入りを探して買いました。
手にとって感触とか質感とか、それに着てみての感じ方とかが大事だと思ってたのに。
うーん。です。
私人嫌いになってしまったのでしょうか。
根本さんに人付き合いのいろはについてお聞きしたいです。
(Hさん)
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人を動かす動力源は多くが「欲求」なのですが、その欲求から自由になると一瞬、自分の中から熱い思いがなくなってしまいます。
しかし、そこからが本当のライフワークに出会うプロセスが始まるのです。
そして、そのライフワークは内側から湧き上がるものというより、外から「指し示される」のです。
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癒されたらこうしたいあれが欲しいという欲求も無くなって心は平穏なんだけどドキドキワクワクの高揚感が遠のいて、うれし楽しいライフワークも手放してこのまま仏門に入ってしまいそうな読者その1です。
その昔、根本先生のカウンセリング受けたいと毎週予約センターに電話してたのですが、当時から大大人気カウンセラーの根本先生は全く予約取れず仕舞いでした。
なので私はブログを舐めるように読み込み、ありがたいことに近年は怒涛の刊行ラッシュで課題図書を積み上げ女子会もそっちのけでインストールしまくってたら、先月あたりか絶えず忙しく渦巻いてた自責やら後悔やら自己嫌悪やらあれやこれらがどっかにいっちまいました…。
あんなに瞑想やらヨガやらで今に集中するんだ!パワーオブナウだ!この瞬間に生きれば苦しみは消えるのだ!
とマインドフルネスムーブメントにのっかろうとしてた時は何も無かったのに…
あの嵐のそうな感情や思考やらネガティブな渦巻はなんだったんだろか…という感じです。
だからまぁすごくいい感じなのですが同時に欲求もなりを潜めてしまいまして。
前は料理が好きでこんな食材でこんな一皿を作りたいとか常にあったのですが、この頃浮かばないんですよね…
服や映画やその他好きだった諸々も同じで。
そして皮肉なことに欲求は浮かばないのに、実際のそれらへの能力?は上がってるという変な逆転現象が起こってます。
こういう手順で作業すればいいとか、こういう形の服ならスタイリングはこういう方向でとか。
仕事もそうで、前は願望ばかりで手は遅かったのですが、手は簡単に動くようになったけど、熱さがないというか。
こうしたいああしたいていう欲求(クリエイティブ)て満たされないからこそ生まれるのでしょうか?
そんなこんなで、これから嬉々としてライフワークを生きて行くぞ!と考えていたのですが、ビジョンがうまく浮かばなくなってしまったのです。
過去を悔まず未来を思い煩らわなくなったら、未来のこうありたいという青写真も見えなくたったというか。
癒しとライフワーク、又はビジョンと心の平安にについていつかお話しいただきたいと存じます!
(Rさん)
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責任感が強い人ほど常に一定のパフォーマンスを上げることを自分に課すわけですが、人間は動物なので時にはエネルギーが落ちてしまう時期もやってきます。
そんなときに無理したってあまりよいことはないわけで、積極的に怠けることをお勧めしたいのです。
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お弟子さん制度3期のカリキュラムをこの日曜日に終えて、ホッとしたのかドッとエネルギーが落ちてることに気付いたので自分のためにツイートしたネタ。
エネルギーが落ちているとき、というのはたいがい次のような状況で見分けることができます。
□ 体が重たい、だるい。動けるけど動きたくない。
□ 気力が湧かない。
□ 体は動くけど、心が付いてこない。
□ 好きなことをしていてもあまり楽しくない。
□ やりたいことをやってるつもりなのに楽しめない。
□ 面白いものを見てもふだんより笑えない。
□ めんどうだな、と思うことが増えた。
□ 朝起きた時に体が重たい。軽くない。
□ 鏡に疲れた顔した自分が映ってる。
□ 休んでいるつもりだけど自責の念や罪悪感が付きまとう。
□ 何かをするときにいつも以上にえいやっ!と力が必要。
□ トレーニングをしていても体が動かない。
さらにこんな状況もあり得ます。
□ 頑張ってやってるけど成果がいまいちあがらない。
□ やらなきゃいけないことばかりが浮かんで気が滅入る。
□ ややこしい案件がちょいちょいやってくる。
□ めんどくさい奴とやり取りしなきゃいけなくなる。
□ アイデアが全然浮かばない。直感が冴えない。
□ 他人と若干、揉めやすくなる。
□ 誤解やすれ違いが増える。
□ 急いでいるのに赤信号ばかり。
□ 目の前で電車が発車しちゃうなどのツイてないことが多い。
□ 自分がオーダーした料理だけ運ばれてこない。
□ なぜか自分だけが批判の的になっている。
□ 大事なファイルがどっか行ってしまうことが増えた。
□ 料理していたらちょっとしたケガをすることが増えた。
□ 子どもや周りの人に怒る頻度が上がってる。
□ 夜、なかなか眠りに就けない。
□ 喧嘩やイライラしている人を見かけることが増えた。
□ いい感じの雰囲気になってた人と疎遠になる。
□ 何かとトラブルに巻き込まれたりしやすい。
他にもありますがキリがないのでこの辺で。
要するに「意図しないけど不快なことがよく起きる」と解釈してください。
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苦しく辛い経験をしてきて絶望をしていても、そうした問題を抱えられるほどの器を自分が持っているということであり、かつ、それ相応の才能があるからそれくらい苦しむことができるのです。
その痛みを解放し、その才能に目を向けることで人生を一変させ、ライフワークを生きるようになっていくのです。
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家庭内レイプ、家族と絶縁、婚約破棄、不倫などドン底だった人生を、4年ほど前の根本さんの許しのワークショップをきっかけに、人生に光を見いだしたうちの一人です。
子供の頃からずっと自分はゴミみたいな存在で、男は世界の汚物と思い続けた生粋の武闘派こじれ女子。そんな自己愛ゼロの私を救ってくれたのが許しのWSで、心の核爆発からウミがマグマの如く流れ出て、感情解放&トラウマ越えの末、家族とも問題を乗り越え当事者とも和解しました。その節はありがとうございました。
その後はトントン拍子で道が用意され、進めばいいだけというミラクルが起き、死ぬために生を謳歌する素晴らしさを感じています。
ただ、ここ最近、パートナーシップでセクシャリティの壁にぶつかり、一年ほど付き合ってる彼の性欲?に悩んでいます。
彼は外国人で性にとてもオープンで、私が嫌悪感を感じたのが女の子ばっかりフォローしているInstaです。付き合う前から既に2000ほどフォローしていて、付き合い出したらやめるかと思いきや、現在4000を超えて、覗くと一般人のセクシー投稿、グラビア、ホステス、海外ポルノなど様々。
本人は隠しもせず、癖みたいにフォローしてたら増えただけで、メッセージもしてないし、海外じゃ彼女が彼氏のオッパイお尻フォローくらいじゃ誰も何も言わないよ。男だしあるから見てるだけ。といった感じです。
でも、ポルノ系は癖になると鬱を誘発するし、依存や中毒にもなりやすいと言われてます。(彼は両方の傾向を持っているのでそこも心配)さらに、将来子供のことを考えたら、娘が生まれてこんなお父さん?と想像すると気持ち悪くもなります。
これは、私が性に対して潔癖性すぎるのでしょうか?多くの日本人女性には、そんな男やめとけ!って言われそうですが(笑、それを除けば日本人男子なんぞ足元にも及ばないくらい私を愛し尽くしてくれています。
そこでお聞きしたいのが、性に対する潔癖性を越えるにはどうしたら良いのか、もしくは、性に対する思い込みを越えて広い範囲で性や人間というものを捉える場合、何が課題なのか教えてください。
昔の様な怒りの感情はなく、長く続いたレイプによるセクシャリティーへの偏見やブロックのような気もしますが、ここまで立ち直ってセクシャリティの壁にぶつかった以上、愛、セックス、性への固定観念を越えて多様性にダイブしたいです!
(Kさん)
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人に対する愛が強い人ほど罪悪感を覚えやすく、人間関係に慎重な姿勢をとりやすいものです。
でも、そうして自分が完璧になるのを待っていたら時がどんどん過ぎていって何もできなくなりますね。
「今できる範囲で与えられることを与えようぜ!」という提案は、失敗しながら成長していく人の本質を表していると思います。
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自粛期間中に
Voicyにすっかりハマり以来入眠タイムのお供にさせて頂いております。
ほんとよく眠れます。ありがとうございます。
Voicyにコメントしようとしたのですが、長くなってしまいblogに失礼しました。
「与える」というお話がとても気になっておりずっと考えています。
私はこれまで、自分や相手の状況の変化で親しい関係から逃げるということを繰り返しています。
十代の頃から数年毎に何度かやって、約2年前にまた同じことを繰り返してしまい、流石に反省し人との関わりかたを変えました。
無責任なことをしないように最初から関わらないようなスタンスに現在はしています。
依存や犠牲にならないように自分軸を意識して日々過ごしています。
そこでたいへん根本さんのVoicyに助けられています。
本当にありがとうございます。
聞くたびに新しい発見があって、何重にも扉や門がある大きなお城か町のようです。
自分の変化によって新しい扉に気づいたり、開けられなかった扉を開けるようになったりと。
私は純粋な「与える」ということをまだ知らないのだと思います。
両親ともに非常に罪悪感の強いタイプで、故に自分より子供という感じで、愛情的にも金銭的にも裕福ではないけど、十二分に与えられて来ました。
ですが、子供の頃からそれが窮屈でした。
どうしてお母さんは自分のために服を買ったりしないのだろう?
どうしてお父さんは仕事ばかりで趣味や人付き合いもないのだろう?
こんなに尽くして貰って私はどれだけ立派な人間にならなければいけないのだろうか…
でもなれない…
何かを与えられるということは、とても恐ろしいこと。
そういう認識になっています。
与えるとは成熟さが必要なことで、今の自分には無理だと今は強く自覚しています。
それには何より自分軸とは学ばせて頂いているのですが。
それでも生きて行くには未成熟な自分でも社会に身を置かなければいけません。
ただ心の中で、感謝や懺悔をすることに留まっています。
実際に声をかけたり、接触して関係がまた出来るのが怖いのです。
その責任をとる自信が心底ありません。
与える段階に居ない人間が、どう人と関わって行けばいいのか、読み込みが足りないだけで、既出のテーマかもしれませんがいつか取り上げて頂けたら幸いです。
(Nさん)
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