ヴィジョンは指し示されるもの~欲求という呪縛から解き放たれて自由になったときに与えられるもの~



人を動かす動力源は多くが「欲求」なのですが、その欲求から自由になると一瞬、自分の中から熱い思いがなくなってしまいます。
しかし、そこからが本当のライフワークに出会うプロセスが始まるのです。
そして、そのライフワークは内側から湧き上がるものというより、外から「指し示される」のです。

癒されたらこうしたいあれが欲しいという欲求も無くなって心は平穏なんだけどドキドキワクワクの高揚感が遠のいて、うれし楽しいライフワークも手放してこのまま仏門に入ってしまいそうな読者その1です。

その昔、根本先生のカウンセリング受けたいと毎週予約センターに電話してたのですが、当時から大大人気カウンセラーの根本先生は全く予約取れず仕舞いでした。

なので私はブログを舐めるように読み込み、ありがたいことに近年は怒涛の刊行ラッシュで課題図書を積み上げ女子会もそっちのけでインストールしまくってたら、先月あたりか絶えず忙しく渦巻いてた自責やら後悔やら自己嫌悪やらあれやこれらがどっかにいっちまいました…。

あんなに瞑想やらヨガやらで今に集中するんだ!パワーオブナウだ!この瞬間に生きれば苦しみは消えるのだ!
とマインドフルネスムーブメントにのっかろうとしてた時は何も無かったのに…

あの嵐のそうな感情や思考やらネガティブな渦巻はなんだったんだろか…という感じです。

だからまぁすごくいい感じなのですが同時に欲求もなりを潜めてしまいまして。

前は料理が好きでこんな食材でこんな一皿を作りたいとか常にあったのですが、この頃浮かばないんですよね…
服や映画やその他好きだった諸々も同じで。

そして皮肉なことに欲求は浮かばないのに、実際のそれらへの能力?は上がってるという変な逆転現象が起こってます。

こういう手順で作業すればいいとか、こういう形の服ならスタイリングはこういう方向でとか。

仕事もそうで、前は願望ばかりで手は遅かったのですが、手は簡単に動くようになったけど、熱さがないというか。

こうしたいああしたいていう欲求(クリエイティブ)て満たされないからこそ生まれるのでしょうか?

そんなこんなで、これから嬉々としてライフワークを生きて行くぞ!と考えていたのですが、ビジョンがうまく浮かばなくなってしまったのです。

過去を悔まず未来を思い煩らわなくなったら、未来のこうありたいという青写真も見えなくたったというか。

癒しとライフワーク、又はビジョンと心の平安にについていつかお話しいただきたいと存じます!
(Rさん)

まあ、なんていい質問!!笑
舌なめずりしながら「うふふふふふ」とニヤニヤしてる筆者がいます(^^)

それにしても素晴らしい!!
ほんとに癒しが進んで「欲」を手放すことができたんですねー。
なんと素晴らしい!!!

予約センターという言葉が出てくるあたり、だいぶ古株でいらっしゃるようで、長年ご愛顧いただきましてまことにありがとうございます(平身低頭)。

でも、まあ、そんなもんなんですよ。ほんと。

今日は若干ディープな話になると思うんですが、「欲」てたいがい「不足感」「不満感」から来るもので、「あれが足りないから欲しい」「まだまだ満たされないからもっとちょうだい」という強い感情ですね。

Rさんも気づいていらっしゃいますね!

>こうしたいああしたいていう欲求(クリエイティブ)て満たされないからこそ生まれるのでしょうか?

ええ、その通りなんですよ。ここで感じる「欲求」というのは不足感、不満感が原動力になるんです。

もちろん、睡眠や食欲や性欲という三大欲求(これがほんとに三大欲求なのかは私はよく分からないけど)などは、生命維持のために必要とされていますので、なくなったら大変なんですけど、けど、ふだん、そんな強い欲求に悩まされることってありませんよね?
ただ、眠い、、、お腹がすいた、、、という感じで。

性欲については少し深い考察が必要で、確かに強い欲求を伴うことは間違いないのですが、そこには「くっつきたい」「甘えたい」「つながりたい」「感情を吐き出したい」「すっきりさせたい」みたいな様々な欲が同時発生的に存在していると思います。
純粋な性欲って「愛」と連動しているものなので、make loveと言われるように、より本能的なものだと解釈できます。

食欲にしても「美味しいモノ食べたい」という欲と、食欲そのものは区別して考えたほうがよくて、美味しいものを食べた時の幸せな感覚を味わいたいみたいな欲求が、食欲に付随していると捉えるほうがたぶん、正しいです。
つまり、純粋な食欲ってのは生命維持に必要な分だけで満たされるはずなのです。

なので、本なりブログなり動画なりセミナーなりで自分と向き合いまくって自分を解放した結果、不足感や不満感がなくなり(つまり、自己充足できるようになり)、結果、今まで自分を動かしていた「欲」というものがなくなってしまったんだろうと思います。

「欲」って大事なものなので私は決して否定しないんですけど、実はそれ、「愛」ではないんですね。

あくまで自分を満たそうとする動機で、ゆえに衝動的な欲求に走ると自分や誰かを傷つけることになります。

そうすると、

>あの嵐のそうな感情や思考やらネガティブな渦巻はなんだったんだろか…という感じです。
>だからまぁすごくいい感じなのですが同時に欲求もなりを潜めてしまいまして。

なんて状態になるんですね。

で、不足感や不満感から来る「欲」がなくなると、それまで欲求によって突き動かされていた自分がいなくなるので、まるで動力を失った機械のように動けなくなります。

ただ、これ、一時的なもので、動力源を入れ替えてる最中だと思って見るといいんです。
つまり、これからのRさんは「人間的な欲求」ではなく、「生まれてきた目的や使命」に基づいて生きようとされている、その転換期だと解釈されると良いのです。

>そして皮肉なことに欲求は浮かばないのに、実際のそれらへの能力?は上がってるという変な逆転現象が起こってます。

この感覚に気付かれたこと、そしてそれを言語化できたことってほんとにすごいことで、がほんとうに素晴らしいんですよ!

それは「感情」で行動するのではなく、「感覚」で行動できるようになっていることを示しています。
感覚は感情よりもずっと深いところにあるもので、心理学では「潜在意識」というより「無意識」という層に属するものとされています。

>仕事もそうで、前は願望ばかりで手は遅かったのですが、手は簡単に動くようになったけど、熱さがないというか。

この「熱さ」というのは、要するに「感情」なんですね。
その感情が癒されて、通りがよくなり、欲求の罠から解放されると、人は感覚的に生きられるようになります。

感情という障害がなくなるため、視野が広がったり、要領がよくなったり、先が見渡せるようになったり、考えなくても手が動くようになったりします。

文章には書かれていませんが、Rさんもそうした視野が広がったような感覚もきっとあるかと思います。

こうした経験は実は誰もが持っているものです。

例えば、車の運転。教習所に通っていたり、若葉マークの頃は不安や怖れに駆られてハンドルを握っていたと思いますし、車線変更の際はものすごく気を使ってウインカーを出したりしていたかと思いますが、すっかり運転に慣れるとそんなことは考えずに「感覚的に」車を操作できるようになっていると思います。

例えば、料理にしても慣れれば慣れるほど「目分量」が当たり前ですし、「レシピ」だって特別な料理を作るとき以外は必要なくなりますね。

そうなると車を運転したり、料理をしたりするときに「特別な情熱」は感じずに自然とできるようになっているものです。

それを「手の内に入れる」なんて言います。

>そんなこんなで、これから嬉々としてライフワークを生きて行くぞ!と考えていたのですが、ビジョンがうまく浮かばなくなってしまったのです。

こんな話があります。「欲求を満たしまくったら何も欲しいものがなくなって、そこから本当の意味でしたいことに取り組める」と。

分かりやすく「お金」を例にとりましょう。

あれが欲しいけどお金が足りない。これをしたいけどお金がかかる。みたいな感じで、私たちの日常生活には「お金」という制約条件がどうしても付きまといますね。
お金が足りない(=不足感)ゆえに、したいことができない(=不満感)という経験を私たちはしているわけです。

しかし、お金が稼げるようになり、お金の心理的ブロックが外れ、欲しいものは何でも買えるようになると人はどうなるか?というと、たいがいの場合「ごくごくふつうの生活」をするようになります。

お金に対する不足感も不満感がなくなり、「何でも買える」という状態になれば、興味はお金を稼ぐことや使うことではなくなります。
そこで本当にしたいことが見えてきたり、何よりも「自分らしいお金との付き合い方」ができるようになるわけです。

でも、違う角度から見れば、それまで必死にお金を稼いだり、貯めたりしてきた「情熱」がなくなってしまいます。

そこで初めて「お金の欲求」がもたらす呪縛から解き放たれて自由になるんです。
そしたら、お金に縛られなくなるわけですから、「これは100均で十分だな」とか「ベッドにはお金をかけよう」とか「高級ホテルを泊まり歩く生活もいいけど、やっぱり自分は貧乏旅行の方が性に合ってるな」と言う風に「本来の自分らしさ」を発揮してお金と付き合えるようになるんです。

たぶん、Rさんはここにいらっしゃるわけです。

そこから本当の意味でのライフワークデザインが始まります。

「自分がほんとうにしたいことは何なのだろう?」
「私に与えられたミッション(使命)は何なのだろう?」

つまり、欲求という呪縛から解放されたRさんは、目の前に真っ白いキャンパスが与えられて、「どうぞ、お好きに自分の人生を描いてください」と言われているようなものです。

ところが、今まで欲に駆られて生きてきた自分からすると「はて?どうしたらいいんだ?」と困惑してしまうんですね。これが「動力源のお取替え中」ということになります。

そして、ここからが今日の本題なのですが、そうした感情よりさらに深い感覚(無意識)の世界において、思考はほとんど役に立ちません。
つまり、頭で考えても分からないんです。

だから、その一つは「過去の行動を振り返る」ということをします。
有名な問いの一つに「今までの人生で一番お金と時間をかけたものは何?」というものがあるのですが、そうして過去を俯瞰してみた時に「無意識にお金と時間を投資したもの」を発見することができます。

その一瞬一瞬では欲に駆られた行動だとしても、欲は満たされれば一瞬収まります。
しかし、過去を俯瞰したときに「ずーっと続けているもの」があるとすれば、それは無意識的な選択によるものだから、それが自分のミッションやライフワークを示唆しているんじゃね?というわけです。

さらに、こういう言葉が用意されています。

「ヴィジョンは指し示されるもの」

「ライフワークはコーリング(Calling)」

つまり、自分が見つけ出したり、考えだしたり、欲求として湧き上がってきたりするものではなく、「外からやってくるもの」なんです。

ただ、正確に言えば、これは「外」ではなく、無意識の層にある使命が「直感」というツールを使って思考(意識)に伝達されるもので、ただ、それが自分の内側から発せられたものには感じられないので「外からやってくる」と感じられるんですね。

・人から「これ、やってみない?」という声がかかる。
・何気なく動画を見ていたら「あっ!これだ!」とインスピレーションがひらめく。
・このところ何となく○○ばかり目にする。耳にする。
・なんだかんだ逃れられずにずーっとかかわっているもの。

そんな風に伝達されるものなんんです。

なので、それらを鑑みまして、私からRさんにお伝えしたいことは「そのままボーっとしとけ!!」です(笑)

やがて「あっ!ああああああっ!!」と気付くものが目の前に指し示されることになると思います。

ただ、そんな感動的な出会いだったら分かりやすいのですが、ほとんどの場合「おぉ、なるほど。そうなのか」とピンとくる感じでさりげなくやってくる方が多いです。

また、それが自分のミッションであればあるほど、一般的には「よっしゃ!これじゃ!やるぞ!」と反応する前に、「なんか怖いわ。めっちゃ怖いわ。めっちゃ嫌やわ」みたいなネガティブな反応が起きることも多いです。(特に経験を積んだ大人ならば)

だから、今の生活を淡々と続けているうちに何かしらが「ふと」浮かぶと思いますので、それを待ってみるのがよいと思います。

「そんなの待てねえ」という場合は、私のライフワークに関するワークをがつがつやってみると良いかと思います。
ただ、その場合、無理に結論を出そうとせずに、遊びとして、まあ、これで見つかったらラッキーやな、くらいのつもりでやるのがお勧めです。

そうすると務めて冷静に「あたしのミッションはどうやらコレらしい」というものが見つかります。そして、心の奥の奥から静かに燃える炎のような情熱を感じ始めることでしょう。

それがどんなものなのか私もものすごく楽しみです。

★ライフワーク本&セミナー動画(本と動画の実習はほとんどが異なってます)

「つい「他人軸」になるあなたが7日間で自分らしい生き方を見つける方法」(あさ出版)

*セミナー動画:ライフワークをデザインするワークショップ~こんなご時世だからこそ、「自分らしい生き方」改めて見つめ直してみませんか?


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ヴィジョンは指し示されるもの~欲求を原動力とするのではなく。
 


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