cocoromarche
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常識を疑え!?~常識に振り回されて他人軸になっていませんか??~

知らず知らずのうちに私たちは「常識」に支配されているのかもしれません。
しかも、その「常識」は、よくよく見ると、自分の周りの人たちが考えている(信じている)ことで、自分の常識、他人の非常識ってことが意外とよくあるものです。
なので、その上で「自分がどうしたいか?」という自分軸で生きることがすごく大事だと思うのです。

こんにちは。
以前、私に萎縮する彼のことで相談させていただきました。
載せて頂いて、本当に感謝しております。
あの時点で3年半付き合い、3年セックスレスで、どうしても男女関係は無理だと言われお別れしようということになり、同棲解消しようとなった時にコロナ騒動になり、引っ越しが延期になってしまいました。
このコロナ騒動なら仕方がない、仕事もあるし周りに迷惑をかけたくないし、こんな時期に引っ越しなんぞ非常識だと。。
わたしの気持ちとしては、まだ好きだから未来のない一緒にいる時間がつらいのです。
今私の仕事が休みになっていて、どうなるか分からない状態で不安なのはありますが、まぁなんとかなるかと思ってます。
というか、一生セックスレスで心が通わない日々を送って死ぬくらいなら、仕事がなんとかならなくてそのまま死んだ方がマシだと思ってしまうくらいのおかしな心の状態になっております。
でも世間は自粛ムードで、みんな生きるのが第一になっている雰囲気の中で、もちろん私も周りの人に迷惑をかける行動はダメなのもわかっていて、私は非常識なことを言っていると思いますが、この気持ちはどうしたらいいのでしょうか。
とりあえずじっとして、落ち着いたら行動するというふうに気持ちを切り替えるのが賢明なのでしょうが、切り替えられません。。。
彼は地に足をつけており、私はフワフワしていて現実が見えていないのでしょうか。こんな時に大切にしてくれる彼と結婚するのがいいんじゃないかと言う人もいて。。
もうとにかく鬱々としており、つらいです。

聞いて頂いてありがとうございました。根本さんも、どうかお身体大切になさってください。
(Mさん)

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自分が放っているエネルギーで世界は創られている~あなたは今、どんな世界に住んでいる?~

怖れを放っている人にとって、世の中は怖いところになるでしょう。
愛を放っている人にとって、人々は優しく、輝いていて、助け合うでしょう。
怒りを放っている人にって、世界は常に争いが絶えないところになるでしょう。

自分が放っているエネルギーによって、世界は創られているのです。なんせ、すべて投影ですから。

根本先生

はじめまして。
根本先生の本やブログに出会い、自分に似ている方への教えにいつも感銘を受け、救われている毎日です。

さて、とても苦しいことがあり、初めてで緊張しながらもメールをさせていただきました。

私は小学校の先生をしています。2年前に布団から起き上がらなくなり、3ヶ月休養したことがあります。
これまで10年間、辛くて辛くて、やめたいと思いながらも、心の中では実は辞めたくないのか今も続けています。

どうしても辛いことがあります。
私は子どもたちの前に立つと、全員に真剣に話を聞いてもらっていないこと、自分に注意を引きつけることができないことで自分を否定してしまい、理屈より何より古傷が痛み、自動的に自己否定、自己嫌悪にとらわれてしまいます。
他にも子どもに話しかけるにしても、「あの先生の方がいいよね、面白いし愛があるし。」とこれまた自動的に自分を卑下する感覚でいっぱいになり、案の定子どもから「あの先生の方がよかった。」と言われることもあり傷つきます。
一時期は、あいさつが返ってこないだけですごく苦しく、「やっぱり私はダメなんだ。」を繰り返し味わっていました。

私は過干渉&無視の母と「役立たず」等暴言を言う父に育てられました。
本当は子どもを思い、悩みにも耳を傾けて支えられる存在になりたいと思っています。
しかし、カウンセリングに通ったり色々な方のブログを長年読み漁り、少しずついい方向に向かっています。
最近はライトワークに出会いたく、火に対して言いようもないワクワクを感じ、(危ない人じゃないんですが)キャンプや暖炉など、趣味の方向性も見えてきました。

私生活が安定してきたために、余計仕事で苦しい気持ちになりたくない気持ちが増してきました。

落語を見ていて、観客を悪者にしてしまう方もいれば、同じ観客でも一瞬で良い人の集まりにしてしまう達人もいて、その辺りの仕組みも知りたいです。

根本先生に読んでいただけると思うだけでドキドキしますが、ネタにしていただけたら嬉しいです。
(Nさん)

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(新刊執筆中)新刊を書いている裏で、今週は2冊のゲラが飛来するという事件が勃発。しかも明日から東京出張なのだ。

今日もコツコツ執筆をする。がっつり集中して書く、というよりはちょこちょこ空き時間を見つけて書く、という感じ。
私はたぶん、こっちの方が向いている(集中力が続かないタイプということか!?笑)

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「疲れた時に読む本」、9刷になったら帯がデカくなりましたっ!笑

最近はこっちの本が発売されたので、こちらの本の方が見かけることが多いと思いますが、

この大和書房さんが作ってくださった前作の本、

『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』

これがけっこう評判をいただいておりまして、9刷34,000部となりました。

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「そこそこ」という言葉に気をつけろ!~自分の気持ちに妥協したり、蓋をしたりしてないか?~

「そこそこ楽しい」とか「まあまあうまく行ってる」とか「それなりに幸せ」という言葉を使うときって、あまり楽しくないし、うまく行ってないし、幸せじゃないって気持ちも含んでますよね?
つまり、そういうネガティブな気持ちに蓋をして、今の状況に妥協しようとするニュアンスで使われることが多いと思うんです。だから、実はとても危険な言葉だと思うのです。

仕事への「執着」、転職について悩んでいるアラサー男子です。私は、幸いにも幼い頃からやりたいと思っていた仕事に就けているのですが、ここ3年くらい転職したい気持ちがあります。今の仕事が心から楽しいとは言えませんが、そこそこには楽しいです。残業もほとんどなく人間関係も良好で収入も安定しています。

しかし、働いているうちに、人が好きなことに気づき、教師や看護師のような仕事がしたいと思うようになりました。
実際に働いてる人に聞くと、今の仕事よりも忙しくなりプライベートの時間が減るのは確実で、収入もとんとんかちょっと下がるかもしれません。
転職したら後悔するかもしれないなという思いもあり、要は今の仕事に「執着」しているんだと思います。
ただ、そのような仕事に転職さえできれば今より人生が楽しくなるという様な「〇〇を手に入れれば幸せになる」という考えも、〇〇に「執着」しているということになる気がしていてどのように整理すれば良いかわからず混乱しています。

色々と考えるほど焦りが出て、満足に眠れなくなってしまいました・・。

仕事への執着や転職については、どう考えれば良いですか。
やはり行きつく先は自己肯定感でしょうか。
(Sさん)

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今はまだ余裕をこいてコツコツ書いていますけど、たぶん、6月に入ったら怒涛の追い込みを要求されるのです。それが分かっていても・・・(笑)

ちょっとずつ前進。
義務にかられ、焦りながら原稿を書くのはやっぱり精神衛生上も、文章に乗るエネルギー的にもよくないので、楽しみながら書き綴るのが大事です(と思ってます)。

このところ、「書く」ということが「日常」になりつつあるようで、自然な行動になってきたように思います。

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体調が崩れるほど誰かを熱狂的に崇拝してしまう心理

崇拝と言っても意味は広いのですが、体調を崩すほどに崇拝してしまうとすれば、それは心の中に何らかの「渇望」が広がっていると解釈できます。
それはおそらく無価値感や劣等感と呼ばれるもので、その多くは完璧主義や比較・競争といった思春期に端を発する行動にあると思うのです。

「崇拝」についてリクエストします。私は、有名人、天才肌の人、手の届かない相手等、羨ましく感じる「才能や魅力」のある人を好きになると、崇拝してしまう事に気がつきました。

生きてる、死んでる、現実、架空、関係なしに…です。

「彼らに愛され、認めて貰えるような人間になりたい」
「彼らはすごくて、自分はちっぽけだ」と思い、体調が崩れたりする事があります。

崇拝の対象がいる時は、幸せも感じますが…
のめり込みすぎて、妄想も止められず、胸も締め付けられ、全てを乗っ取られる感じがして辛いです。
でも、手に入らないモノを憂うのもまた気持ちいいような…
自分がキモいです。笑

私自身、小学生の頃、友人に崇拝のような輝いた目で見られ困ったことがありました。
最初は仲良くしていましたが、何でも私の言うことにはYESなので、それではダメだよと思い、不完全な部分をあえて表すのですが、余計好きになられ…。
段々、つまらない、鬱陶しい、怖い、という感情から離れてしまいました。
それから、誰かと親密になる事を避けるようになった気がします。

それなのに…自分も同じ事をしています。

どうして人は誰かを崇拝してしまうのでしょうか。
しっくりくる答を探せなかったので、回答していただけたら幸いです。
(Kさん)

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