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「お金」が好きになってもそんな自分に嫌悪感があるケースも少なくないと思います。
それって「お金」に何かを投影しちゃってるんですよね。
それでセクシャリティの問題が隠れていて、それゆえにほんとうにほしいものにブレーキをかけてしまう心理が隠れていることもあるんです。
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根本先生、いつも本当にお世話になっております。
お金に対する考え方について、ご相談させてください。
私は好奇心旺盛で昔から海外の文化に興味があり「いつか世界一周とかしてみたいなぁ~」なんてぼんやり思っていました。
でも、さまざまな世界一周のYouTubeチャンネルや、実際にバックパッカーしている女性の知人を見ていて、「こんな節約して、日々の髪の毛やお肌のケアもできないような旅がしたいわけじゃない…..豪華じゃなくても、普通の宿には泊まりたい…」と思い、自分が本当に求めているものは結局お金なのか!?とすごく自分が汚れているような気分になりました。
だって本当に旅がしたかったら、日々お金を貯めて、目標に向かっていくじゃないですか。でも私はそれができていないんです。そこにコミットしていない。
仕事に関してもそうで、転職をするときに最終面接で”ずっとやりたっかた仕事・昇給の見込みなし”の企業と“好きでも嫌いでもないけどずっと続けてきた仕事・稼げる見込みのある”企業が残り、結局“稼げる見込みのある企業”の方を選びました。
純粋に好きなことをしている人を見ると、自分は汚れているな…とすごく感じます。
私はお金が大好きです!と人前で言うことには全く抵抗がないのですが、実はお金が大好きな自分を汚れていると感じていることに最近気づき、だからお金が寄ってこないのかな?と思ったり。。
なぜ私たちはお金が欲しい!という気持ちをうしろめたく思うのでしょうか。。
(Yさん)
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Yさんからご報告をいただきました。謹んでご紹介させていただきます。
根本先生
先日セッションでいただいた宿題「本気のオナニー」、取り組みました!
まず山1個、越えた気がします…!
ご報告してしまうとそこで満足してしまうような気もして、次回のセッションまで我慢しようかしら…とも思ったのですが(あとやっぱり恥ずかしいし)、でも今の新鮮な気持ちを忘れてしまうのも勿体ない気がしたのでご報告させてください〜。
(18禁な内容がありましたら検閲削除、お願いいたします笑)
「今日『本気のオナニー』やってみるか…」と思った時にまずやってきたのは不安と怖さで、何が不安で怖いのかは自分でもはっきりとはわからなかったんですけど、たぶん、「満足できずに終わるかも」「がっかりしたらどうしよう」というような気持ちだった気がします。
嫌なら辞めてもいいのよと自分に言い聞かせつつ、とにかく自分がしてほしいことをやってあげることにしました。肩や腕をさすってあげるとか、頭をなでてあげるとか。
(そういえば事前に「本気のオナニー」で思い浮かべていたこととはだいぶ違いました)
あ、先まで進めそう、と思って、指入れまして、自分が一番欲しいものって何かな〜と探っていったら、とにかく優しく、柔らかく、刺激とか激しさとかゴツゴツとしたものゼロ、というとこに行き着きました。
たぶんいつもだったら気持ちいいと感じないような内容だったんですけど、欠けたところがない気持ちというか、これが最上級の安心感か…という感じで、とてもとても満たされた気持ちでした。
それで終わっても十分だったんですけど、自分のことをイカせてあげたいなという気持ちが湧いてきまして、そのまま進んでいったら、なんでしょ、イッた後に、気持ちいいというかそれよりも感動を感じてしまいました。
終わってから一呼吸後になぜか涙が湧いてきちゃいまして、めっちゃ声上げて泣いてしまいました。
何の涙かよくわからなかったんですけど、最初の不安が解けた安心感が一番だったかもしれません。
一夜明けて今日も一日中、穏やかで安心感と自信に包まれたような気持ちで過ごせました。
一つ本番を終えた、みたいな気持ちです。
オナニー一つでほんとに自信が湧いちゃうんだ〜とびっくりしてます。
また次に本気を更新しなきゃいけないと思うと、ちょっとめんどくさい気はするんですけど(笑)、出来ないんじゃないか…という不安が無くて「きっと大丈夫」と思えるのが心地いいです。
いったんここに浸って、さらに本気度を上げる、にまたチャレンジしたいと思います。
またご報告させてください〜!
Cさんからご感想をいただきました!ありがとうございます!!
根本先生!
先日はリクエストに応えていただいて(
「性欲が少ないロックマン氏の攻略方法を教えてください!~女性性をね、ただひたすら開き続けるんですよ~」)、本当にありがとうございました!!
降って湧いたチャンスは上記記事を拝見する前に到来しておりまして…
先生は隣で私たちの会話を聞いていたのでは??と思うほど、書かれたままの展開でした。
>愚痴を言ったり、弱音を吐いたり、承認欲求を出したり。
>そうして弱さが出たときにガブリと食いつきたいところですが、それはぐっと抑えて、ひたすら認めて、褒めて、慰めてあげるんですよね。
ここまでシナリオ?通りの展開で…
そして私も先生の予測通り
>そこで「ん?なんだこいつ?弱っちい奴だな」と思わずに、ここでも優しく接することが必要です。
まんま「なんだ?今まで言わなかったようなこと言い始めたけど、何なの?」と思っちゃって、いろいろ言っちゃいました!(笑)
この日までに先生のアドバイスを読んでいれば、ぐっと堪えられたかもと思うと残念でなりませんが、また次回があるような話だったので、その時までに女性性を高めまくっていきます!
(さきほど課金させていただきました!!) 続きを読む
ふせけいこがこちらの本を使った読書会を企画中です!
『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』
みんな大好き罪悪感!なので、一緒に罪悪感について勉強しつつ、より理解を深めて日常にお役立ていただければ幸いです。
読書会はテーマとなる本を読み合って理解を深める場です。
疑問点をシェアしてみんなで話し合ったり、
ワークを一緒にやったり、
それぞれの理解についてシェアすることでより理解が深まったり、
感じたことをシェアして共感し合ったり、
よりテーマについて深堀りする機会です!
ぜひともこの機会をご利用くださいませ!
>>【オンライン読書会】子育ての罪悪感と上手に付き合って幸せ上手になる方法~私の愛に意識を向けよう!
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親から否定されたがゆえに親の愛を求めるのは自然なことですし、だからこそ、親代わりになる夫を選んでしまうのもよくあることでしょう。
ただ、そうして夫に親をやってもらううちに心的成長を果たしまして思春期にたどり着きますと、新たに性的な問題が出てくるというわけです。
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根本先生こんにちは。
性生活について悩んでいるので良かったらネタにして下さい!
私には5個年上の夫がいます。優しく誠実な夫は、私を肯定してくれる貴重な存在です。
私は親からは否定されて育ったので夫の存在に感謝しています。彼には親代わりにして振る舞っている部分もあるかと思いその為か夜の生活はなく、物足りなさを日々感じています。
元々淡白で、セックスは子作りのための行為という感じで、妊娠したらなくなりました。
最初は私もそれで良かったのですが、年々私の性欲が強まり、もうどうすることもできず私からお誘いし無事に2年のレスを乗り越えて致しました。正直夜の相性は…あまり…という感じです。
最近、子供の主治医でどタイプな方に出会いました。夫と同じ年齢の男性です。
診察中は私の目をしっかり見て爽やかにお話し、胸や足も結構見る人で少しドキドキしてしまいます。
本来ならキモ!となるところが、なんだか可愛いとなってしまい、女性として見られているのかなという新鮮な気持ちになってしまいます(変態?)。
甘いルックスで素敵な人だけれど、診察でパーソナルスペースに入ってこられた時は何故か強力な嫌悪感が出てしまいました。これは一体なんなのでしょう。この先生に何か投影しているのでしょうか?
私は自分のことは草食系だと思っています。でも楽しいことや快に流されやすい気がして、男性のいる環境や関わりに極力入らないようにしています。
入ってしまったら適当に身近な人とそういう関係になりそうで、抜け出せなくなりそうだからです。
年々高まる性欲をどうしようかと悶々として、かといって夫と楽しい性生活を送れる気もせず…セルフは全然気持ちよくなくて、人肌を求めてしまいます。
性について、親からも厳しく否定的に教えられ、かなり封印して過ごしていたので爆発しそうで怖いです。このモヤモヤをどう解消すれば私は満たされた人生を送れるでしょうか。分析頂ければ幸いです!
(Aさん)
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Mさんからご感想をいただきました!ありがとうございます!!
元ネタはこちらです。
「女でいることが難しい人生だったけど、ほんとうは女を表現して生きたい。」
根本さま
今回は、「女を表現して生きたい」というネタに、丁寧にご回答いただいてありがとうございました。
見ず知らずの私に、そっとあかりを灯してくれるような文章で、
読んでいるうちに涙が出てしまいました。
雨も降っているので、若干、センチメンタルな文章になってしまっていたら、
お許しください笑。
「女を表現して生きたい」の言葉に、具体的な問いを投げかけられて、
それってどういうことだろう?と考えています。
ただ、生きられなかった場所を表す言葉として、漠然と使っていたのだと思います。
女として開いていく思春期に、肌を喪失し、隠して生きるようになったのですが、
そこで止まってしまっている私の「女」がいます。
外に出たかった、私の「女」、認められたかった「女」。
そう考えていくと、「女」というより、その「女」をも内包した「私」のお話なのかもしれない
と思いました。
愛されないなら、表現しないでおこう、みたいな感じでしょうか。
だけど、別の部分で存在を表現しようとして、空周り。
なんでそんなに必死なの、とそう遠くない過去を振り返って思いますが、
だからといって、別の選択肢で救われたわけでもなく。
「女」の才能は、どうでしょう。
「女」を密かに研究してきたわけではなく、自分の不利さに傷つかないように
目をそらしてきたので、「女」が遠いと感じてきました。
だから、そこには疑問ですが、
「女を表現したい」が出てきたのも、
年齢的に身体が「女」の機能を終えていく今、仕舞い込んでいた願いのようなものが
最後に出てきたのかもしれません。 続きを読む