ショコラに顔をぺろぺろ舐められつつ、腕や頭を引っかかれつつ、朝が明けました。
休みの日に限って・・・俺より早く起きるんやから・・・と時計を見ると10時半。
納得・・・。
そりゃ、おなか減るわな・・・。
しかも、外はとても明るくて、いい天気。
散歩をせがんでるようにも見えます。
お風呂に入ってアクを抜いて、気分すっきりショコラと出かけてみました。。
外はもう春の陽気で、今年初めて、Tシャツ&ジーンズ(僕はこのスタイルが一番好き)のいでたちで。
おぉ、気持ちいい!!
数日前から外に出ると春の香りが漂ってきてたのですが、それも本格化!!
日差しも「暑いな・・・」と感じさせるくらいのしっかりしたもので、とてもワクワクします。
ショコラも3日ぶりの散歩で、普段よりいっそう挙動不審犬となってあちこちを飛び回ってました。
最近は二つの公園を巡る散歩コースが主流なのですが、一つ目の公園では昼休みのサラリーマンがベンチにごろんと横になって、春の陽気を浴びてました。
二つ目の公園では、いつもの数倍の子供連れのお母さま達がシートを広げ、お弁当を楽しんでいらっしゃいました。
遊具のあるところには所狭しと子供たちが遊びまわってます。
ベンチではOLたちがお弁当を広げてます。
みんな、気持ち良さそうで、楽しそうで、とても穏やかな光景です。
「平和やなあ・・・」
と思わずつぶやいて・・・、じーん、、、となりました。
平和であることって、本当にすばらしいな・・・と。
そんな公園にはもう桜がだいぶ咲いていました。
桜の木をじーっと見ていると、桜の花がとてもかわいく見えました。
←僕や理加が毎年観察している桜の木。
久々に原と食事&お酒に出かけまして、だいぶ遅くなりました。
かつてはお店が閉店する朝五時ごろまで飲んでいたのですが、このところ、ずーっとお利口さんにしてきたので、こんなに遅い(3時に解散)のは久しぶりでした・・・。
江坂で飲んでいたのですが、この街は、車の量が減るものの、人通りは夜中の10時も12時も3時もあまり変わり無いんですよね・・・。
(日曜日の夜というのに)
その不思議さとともに、時間の感覚を忘れて、帰宅して時計を見てからびっくりしてしまいました。
サラリーマンのみんなが「花金」と言いながら、金曜日の晩に時間を忘れて楽しむ気持ちを少し思い出しましたね。
原や僕は月曜日を休みにしてますから・・・29日は休日です・・・。
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パートナーシップで、お互いの間の壁となる要素といえば「不満」や「寂しさ」というのが代表的なものと思われがちなのですが、実は「恥ずかしさ」というのが、隠れたナンバーワンだったりするんですね。
長年付き合ってきたカップルならば「いまさらそんなことするのは・・・」なんて思うことの一つや二つは出てくるものですし、付き合い始めならば、自分をパートナーに晒すことはすごく恥ずかしいものだったりします。
でも、なかなかその「恥ずかしさ」に気付くことは難しくて、こういう話をカウンセリングの場でさせていただいても、
「うん、確かにそうですね!」
という反応よりも、
「え?そうなんですか?うーん。私は別に恥ずかしいとか思うところはないんですけど・・・」
という反応の方が多かったりします。
大人になって、自立して、「自分のやり方」というものを持ち始めると、それが当たり前になり、自分にとっての常識になります。
カップルでは「自分の常識が相手の非常識」になることもとても多く、そのやり方の違いがケンカの素になるんですね。
その時に、自分のやり方を変えたり、相手のやり方を受け入れようとするとき、今までとは違う感覚になるわけで、そこに「恥ずかしさ」が生まれます。
その恥ずかしさが「惨めさ」とか「屈辱感」とか「意地」とか「プライド」を感じさせる要素になるんですね。
でも、その恥ずかしさに向き合い、そこを乗り越えていくと、すーっと腹が据わり、パートナーに対しても、自分の気持ちに対しても、まっすぐに向き合うことができるようになってきます。
何でもできるような気持ちになったり、怖いものがなくなるような気がしたり、また、きちんと物事を見つめる目を感じられたりするようになります。
そこは本当にずんとした、センターにいる感じ、がしたり、あるいは、すごく楽で、自由で、余裕を感じる状態なんですよね。
このところ、カップルカウンセリングがまた増えてきたのですが、そんな恥ずかしさを乗り越えて近づく姿を見て、改めて、そのお互いに向き合うパワーを実感させられました。
相変わらず長風呂を楽しんでいます。
小説を片手に温泉の素を入れて。
一日の疲れや気分の悪さも一発で吹っ飛ぶんですよ。
汗をたくさんかくのでダイエットにもなりそうですしね・・・(笑)
ただ、ショコラがその間、退屈そうにお風呂場を覗いてクンクン泣いたりしてます。
まぁ、許せよ。
ご主人さまの健康の為だから・・・。
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このところ、過食や拒食のご相談や報告メールをいただくことが多いんです。
流れ的に触れておいた方が良さそうな気がするのでテーマに選んでみました。
過食、拒食といっても、いわゆる過食症、拒食症と診断されることばかりではありません。
食べ過ぎるとき、食欲が沸かないとき、という風に捉えてみてもいい内容です。
物を食べる行為というのは、深層心理的には「愛情を受け取る行為」といえます。
赤ちゃんの頃、お母さんからの愛情をおっぱいを通じて受け止めていましたし、その名残もあって、幼少の頃には「口唇期」と呼ばれる何でも口に入れてしまう時期がやってきます。
過食というのは、たくさん食べ過ぎること=愛情が足りないと思っている状態であり、
一方、拒食というのは、食べ物を受け付けられない=愛情を受け取れない状態といえます。
どちらも、状況は違えど愛情を感じられないところが共通していますね。
例えば寂しさを強く感じているときなど、僕たちは愛情に飢えてくることがありますよね。
これは誰にでもあるものです。
その時に食べ物を食べると「満腹感」がやってきます。
その感覚はまるで愛情を受け取ったときのような「安心感」を感じさせてくれます。
その「安心感」を求めて、再び食べ物を口に運んでしまうのが過食です。
だから、それが悪循環にはまると、満腹になっても足りずに、一度胃の中のものを吐き出して、また、食べようとしてしまうのです。
それくらい愛情に飢えている状態なのかもしれません。
でも、それが「誰も愛してくれる人がいない」という状態とは限らないんですね。
彼氏がいても、結婚していても、同じような状態になる方がいらっしゃいます。
そのときは、彼が注いでくれる愛情が自分が欲しているものと違ったり、その愛情を得るために、自分が過剰な犠牲をしてしまっているときなどに「受け取れない状態」として現れるんです。
受け取れない要素としては、他にも「罪悪感」や「恐れ」「不安」があったりします。
「私には彼からの愛情を受け取るような資格は無いの・・・」と感じて。
そして、そこにある愛情を今度は完全に否定するようになると拒食の状態になってしまいます。
意識的に否定していなくても、愛情を信じられなくなったり、強い孤立感、不安感に苛まれるときも同じ状態になることがあります。
何も食べられず、食べる気もせず、食べてもすべて吐いてしまう・・・という。
まるで愛情を受け取ることを拒否するように、食べ物が口に入らなくなります。
とても不安になったときに食べ物を喉が通らないときってありますよね。
先ほど過食のところで書いた「安心感」が感じられない状態を「不安」というわけですから、心理的には自然な流れです。
だから、過食と拒食は紙一重で、繰り返されることがよくあるんですね・・・。
また、愛情を受け取らない状態というのは『自立』の立場なので、精神的に親の元から自立していく頃によく起きやすい状態でもありますね。
そういうときは何をテーマにしたらよいのでしょう?
そう、あなたが誰からの愛情を受け取るということが求められているのです。
それはあなたが求めている誰かからの愛情とは限りません。
あなたの周りの人たちからの愛情です。
それを本当に受け取ることが大切です。
誰かからの愛情を受け取るとき、
そして、あなたがきっと今、誰かを愛していることに気付くとき、です。
久しぶりに飲みに出かけた先で、マスターと季節の話になりました。
「最近、寒いですよね?3月ってこんなもんでしたっけ?」
「うーん。毎年分からなくなりますよね。どうなんでしょうね?」
「桜も咲くというし、あったかいのかもしれないですよね・・・。でも、寒いですよねえ」
「まだ夜は冷えますよね・・・。毎年、今年は異常気象みたいなこと言いますからね(笑)」
そんな微妙な今日この頃ですね。
昼間は公園でお弁当を広げられるような陽気ですが、朝晩はまだセーターが必要な感じで。
マスターとはその後、音楽の話になりました。
昔、おじいさんがジャズ喫茶をやってらしたようで、ジャズ、ボサノヴァ、レゲェなどを彼は愛しているようです。
その遺伝子を引き継いだせいか、その店は居心地のよいジャズがいつもかかっています。
しかも、レコードで。
やはり、酒を飲むときはジャズが一番だなあ・・・と思いながら、マスターお勧めのカクテルを頂いてきました。
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僕たちはよく恐れから物事を選択することがあります。
「浮気されないように、いつも気を使ってました」
「彼に嫌われないように、イヤだったけれど、体を許したこともありました」
恋を続けるための必死なその行動も、時には犠牲になってしまいます。
「本当はイヤだけど・・・、○○が怖くて・・・」という行為のほとんどはそんな犠牲です。
最初はいいんですよね。
気力も体力もあるし。
でも、だんだんそれが当たり前になってくると、やってる方も犠牲をしている分だけ余裕がなくなってきます。
それが余裕のない状態だと気付ければ、まだ、マシな方。
多くの場合は、彼への不満として感じられてしまうものです。
「これだけ○○してるのに、どうして分かってくれないのよ」
そんな気持ちです。
でも、それを彼に訴えると、決まってその答えは、
「俺はそんなこと頼んだ覚えがない。俺は好意でしてくれてるものと思ってた」
だったりして、思い切りハートブレイクしてしまいます。
誰かの顔色を伺ったり、気を使ったり、良かれと思って犠牲したり。
最初は「好きだから」はじめたものが、いつしか、辛くなってしまう裏にはそんな「犠牲」が隠れているようです。
恋愛だけでなく、仕事や趣味でも見受けられることですよね。
本当に自分がしたいこと、好きなもの、に目を向けていく意識が必要なんですよね。
でも、その切り替えって思い切りが必要ですし、長い間、相手に意識を向けてきた分だけ、なかなか切り替えもうまくいかないものです。
もし今しんどいなあ・・・辛いなあ・・・と感じるとすれば、あなたが今現在、誰に、どんな犠牲をしているんだろう?って見つめなおしてみて下さい。
そして、その次に自分に問いかけてみて下さい。
「私が本当にしたいことって何だろう?」と。
答えが出なくてもかまいませんよ。
でも、問い続けてみることがとても大切なんです。
そうすると、あなたの心の奥にある、本当の愛に気付けるかもしれません。
カウンセリングを終えて、妻と子の待つ実家に行こうとしたら雨がぱらぱら・・・。
このところ、よく、雨が降りますね・・・。
僕は雨が降るとその時々の自分の心の状態がチェックできるんです。
余裕があるときは、雨音や雨の景色をじっと眺めたくなって、気持ちもとても安らかになります。
いっぱいいっぱいになればなるほど、「うっとぉしーなー!もぉ!!!」という気分になります。
皆さんも同じだと思いますけど・・・。
25日は・・・行きは後者、帰りは前者でした・・・。
天気と同じで、心の状態も春は変わりやすいようで・・・。
でも、雨音というのは街中に住んでいると、数少ない自然の音で、心が和むことが多いんです。
ぼーっと雨を眺めて、音に耳を傾けてみると、昔の記憶や感覚が蘇ってきたりします。
小さい頃、雨が車の車庫に当る音を聴きながら、遊びに行きたいのに行けなくてぼーっと雨を眺めていたことを思い出しました。
周りの風景が暗くなってしまい、その頃の僕はその景色に流されるように気分も暗くなっていました。
それがいつしか、雨の音を聴くと心が安らかになるようになったんですね。
大人になったからなのかなあ・・・。
自然がたくさんあった田舎を離れたからかなあ・・・。
過ごしやすい室内から眺める雨からは、自分が守られているような安心感も得られます。
ここにいれば雨に濡れることがないからかもしれないし、今日は何もしなくてもいいかな?という気持ちにさせられるからかもしれません。
でも、耳に聞こえる音や自然のものに目を向けると、僕たちの気持ちは落ち着くようにできているようです。
そういえば、1/fゆらぎ・・・なんて言葉もありますね。
波の音、風の音など自然界の音やエネルギーには、心を落ち着かせる周波数を持っているそうで。
面談の時にも、緊張をほぐしたり、心を和らげたり、あるいは、感情を解放していく下準備として、そういう瞑想を取り入れることがあります。
「耳に聞こえる音に、ちょっと意識を向けてみましょう」という風に。
皆さんも、時々、耳に聞こえる「音」に意識を向けてみるといいかもしれません。
時に、ふわーっとした気分がやってきますから。
今更ながら・・・なのかもしれませんが、自分が文章を書くことが好きなんだな・・・と気づきました。
いつしかお客さんや読者の方から、お褒めの言葉をいただくことも増えて、とても嬉しいんです。
ありがとうございます(^^)
僕は何でも影響されやすい人なので、文体なども好きな小説とかテキストサイトとかの影響をとてもよく受けます。
小説家ならば、よしもとばななさん、宮本輝さん、そして、浅田次郎さんかな~。
昔は故・大藪晴彦さんの文章にも影響受けてましたね・・・。
それから、テキストサイトでは、有名どころばかりですが、侍魂、ろじぱら、POPOI、などなど。
節操ないでしょ?(笑)
そういえば、昔、小学生の頃、字がうまくなりたい・・・と思って、クラスの女の子の字を真似てました。
そのせいか、一時期は「お前の字は女文字みたいやなあ・・・」と同級生にからかわれたこともありました・・・。
どうして女の子の字なのか?というと、当時、字がきれいと言えば女の子、でしたからね・・・。
それだけの理由です。
そうすると趣味なんかもけっこう影響受けやすい性格でして、よく言えば好奇心旺盛です(^^)
なんで今日はこんなネタにしたかというと、最近、テレビの影響でこれにはまっているからです。
なつかしのスーパーマリオやらマッピーが移植されて販売されるってことで、飛びついたわけです。
もちろん、本体は「ファミコンカラー」です(^^)
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今起きていることがベストである・・・という考え方があります。
今起きていることは必然である、という考え方もありますね。
カウンセリングでも、今問題が起きているとすれば、その問題が育まれる土壌が元々あった・・・という見方をすることがあります。
例えば、浮気の問題を見ていくとき、今回は旦那さんが他に女性を作ったけれど、タイミングが一つずれていたら、奥さんが男性に走っていたのでは?と思われるケースがとてもよくあるんですね。
自分達はまったく意識していなかったけれど、二人が知らないうちに二人の土地に「浮気の種」が蒔かれ、問題となって、その芽が出てしまった・・・という感じ。
その土地を耕してきたのは二人なのだから、どちらかが悪いわけではなく、お互いの問題として、自分自身の問題として取り組むことが求められます。
誰かのせいにしてしまうと、その人が変わらないと自分もこの痛みを持ち続けることになってしまいますよね。
感情的にはなかなか受け入れ難い場面も少なくないのですが、問題を解決しようという点では積極的に取り組むこともできます。
そうした見方でずっと取り組んでこられた方が、先ほど、その問題から抜け出すことができたそうです(^^)
今日はどんなネタを書こうか考えていたときに、ちょうどその報告メールが届いて、そのメールがあまりにキラキラと輝いていたので、嬉しくなって紹介させていただきました。
お会いした頃に比べたら、本当に変化されましたよね・・・。
その頃のことを思い出して、胸がじーんと熱くなりました・・・。
本当に良かったです。
おめでとう。
・・・。
いい女になったからって、復讐のために自分が浮気しちゃダメですよ(笑)
その誘惑に勝つのが何よりも難しいんですからね!
草なぎ君のドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』最終回、見忘れました・・・(涙)
実家で見ていた妻曰く、とても泣ける内容だったそうで、かなり悔しい思いをしています・・・。
カウンセリングのネタとしても大いに使えるドラマでしたので、とても悔しいです・・・。
ビデオ化が今から待ち遠しいです・・・嗚呼・・・。
あ、そうか、誰かに借りればいいんだな。
ビデオ撮ってる人、いるだろうし。
(そういうときに限って、なかなか見つからないものなのですが・・・)
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最近、カウンセリングやお客さまから頂くメールで
「お子さんが産まれてハッピーな根本さんにこんな暗い(重い、しんどいetc…)内容で申し訳ないのですが・・・」
と、とても気を使ってくださる方が多いんです。
そんな気遣いは不要ですよ、もちろん。
しんどい話を聴くのが仕事ですし、その問題の解決をサポートさせていただくのが僕の本分ですからね。
むしろ、こういうハッピーなときは、ハッピー・エネルギーが勝手にたくさん出ているはずですから、僕的には
「どうぞどうぞ、ご自由にお持ち帰り下さいっ!!」
という感じなんです。
そういうエネルギーは誰かにあげたからといって減るものでもなく、むしろ、増えるものなんですよ。
お金も、使えば使うほど入ってくる・・・そういう言われ方することありますよね。
ハッピーエネルギーも同じです。
「お話して安心しました」
「元気になれました」
「幸せを分けてもらえたような気がしました」
僕は何にもしていないんですけど、そういう言葉がとても心に響いて嬉しいんです。
ああ、この仕事していて良かったなあ・・・と思う瞬間です。
・・・。
未だにカウンセリングを「仕事」と書いてしまうことに抵抗があるんです・・・。
仕事以上のものって絶対あるから。
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そんなわけなのかどうか分かりませんが、4/9までの電話カウンセリング、満席になりました。
ありがとうございます。
相変わらず予約が取り難い状況で申し訳ありません。
予約センターのスタッフにも「もう少し増やしてくださいよ」といわれます。
ご予約を取ってくださった皆さん、お話できること、楽しみにしています。