玉置神社から瀞峡、そして、本宮。

新刊の発売日だというのに、また世間はコロナちゃんの話題で騒然としているというのに、うちの家族は紀伊半島を北から南に貫く旅の最中です。よく言えば、祈りの旅であり、許しの旅であり、浄化の旅です。

続きを読む

問題を通じて本来の自分を探っていくと、今何をすればよいのかが分かってくる。

両親の夫婦関係がパートナーシップの原型となり、きょうだい間の関係性が人間関係の基礎を作るゆえに、本来の自分を見失い、「問題」がある恋愛(仕事も同じだけど)を繰り返すようになるものです。
その問題から本来の自分を見てみると、今何をすればよいのかが分かります。

はじめまして!
いつも興奮してブログを読ませていただいております。私にはお付き合いして3年、7つ歳上の彼がいます。彼は離婚歴1回、子供あり、会社経営者です。彼とは飲み会で知り合い、彼の押し押しからお付き合いに発展しました。

付き合って1年ほどで同棲を始めましたが、始めの1年はまぁラブラブでした(笑)が、2年目に入った頃から彼は仕事三昧で、一緒に過ごす時間がどんどん減っていき、今は月に一度一緒に過ごせたらラッキーくらいになってきました。

セックスもどーんと減り、正直、寂しくて鼻から火が出そうです(泣)

「一緒に過ごす時間を作ってほしい」とお願いするものの、なかなか実現せず、「頑張ります」と言われ、随分たちます。

彼の休日が1年で通算10回あったかな?くらいで、彼の体、大丈夫か?と気になって、わがままも言いにくい状態です。

彼の体などが気になるものの、今の寂しい気持ちから脱出したくて、自分の過去に材料を探しました。

見付かった材料は、「自由奔放な父を我慢する母の姿」と、「私の元カレが自死したこと」でした。

私は4人兄弟の3番目で、優しくしてもらうためにいい子をしてきたことも、もしかしたら関係してるのかな?なんて風にも思うのですが・・・

私、過去の出来事から、根本さんのいう「ロックウーマン」になってるんでしょうか?
それとももともと?
それとも後方部隊?

どのように私自身を変化させていけば今の状況から抜け出して、幸せを感じられるようになるでしょうか?

ネタにしていただけましたら幸いです。
(Hさん)

続きを読む

(ご報告)今回、そいつと一緒にニコニコしながら参加する日が来るなんて思ってもみませんでした。

おお、すごい!なんとそんなことが!!!
ほんと良かったです。しかし、すごく成長したって証ですよねー。

根本先生こんちには。先日の産経学園のセミナー終了後に「3年ぶりにきました」とご挨拶に上がった者です。軽妙洒脱な語り口で例え話しもわかりやすくて、サスガ!根本センセーです。
思えば、彼から突然の別れを宣言されてズタボロの状態でたどり着いた神楽坂のセミナーから今回、そいつと一緒にニコニコしながら参加する日が来るなんて思ってもみませんでした。まぁ二人共、いまだに罪悪感まみれなので、アファーメーションはなかなかしんどかったですが、本を読むより先生から直接レクチャーしていただいた方が数倍も理解が深まることは確信できました。ありがとうございました。
帰りは偶然、気の利いた居酒屋を見つけて、いろいろ語り合いながらお互いのこの数年を労い合うという、じんわりとした時間を過ごすことができました。
今も恋愛関係に戻ることなく、曖昧な関係は変わらずですが「私は私、彼は彼」の線引きさえしっかりあれば、人生また面白い展開もあるかも知れないし、そんなことが彼以外の新しい人とあるかも知れないし、なんて思いながらこれからも女磨きと人間磨きを続けていきます。
また次回、先生とどこかでお会いできる日を楽しみにしています。ここまで成長させていただいて、本当に感謝です。先生の益々のご活躍をお祈りします
(Yさん)

両親が与えてくれなかったものは自分が与えに来たもの。

子ども時代に欲しいけどもらえなかったものは、パートナーから手に入れようとするのですが、でも、やっぱり手に入れられないことが多いんですよね。
なぜなら、それはあなたが持っている才能とつながっているから、と解釈するからです。

根本先生
いつも心の整理をするきっかけを頂いています。ありがとうございます。私はヒステリックな母親と母親のいる場所では影を潜める父親、妹、弟という家族構成で生きてきた自立系長子的武闘派女子です。このたび人生最大の●●に直面しています。病気がわかり手術をすることになりました。「試練」「壁」などの言葉ではなく、「何かを得られる機会」、もしくはちょっと無神経な角度から「贈り物」かもしれないと思っています。というのも・・・

子供時代から「大変な病気をすれば」「事故に遭えば」「働きすぎて倒れてしまえば」人(両親)は私に優しくしてくれるんじゃないかと思ってきました。

数年前うつ病になり一人暮らしから実家へ戻りましたが、両親は特に変わりなく、私への無関心のなかでやっぱり生きていくことになりました。
そして手術が必要な病気が見つかったんです。母が25年前に手術をした病気と同じものでした。さぁこれでさすがに私の恐怖や不安に寄り添ってくれるよね?と思ったのですが、母親からは怪しげなサプリを勧められたり「どんな気持ちでお母さんが生きてきたかわかってんの!?」と叫ばれ、父親からは「簡単に切るな!人間に与えられたものを一つでも失うことの重大さを考えろ!」と怒られ、斜め上からの過剰な反応を受けることになるんですね。え、切らずに放置したらそのうち手遅れになるんですけど?的な。

まあ結局40年近く望んできた“寄り添い”というものを、自分の欲しいカタチで得ることはできないと理解したわけです。

そこで私は、決断をするのにも先に進むのにも誰の支持も得られないんだ、私は独りなんだ、と思いました。
夫や彼氏がいたらもっと親身に寄り添って人生を伴走してくれるはずなのに、と感じました。でもこれも実は両親に対して望んでいた「心配してくれるはず」というのと同じ、、、ですよね?

これに気付けたことはすごく意味のあることだと思う。でも心配なのは「私は独りだ」という思いを強めてしまった気がすることです。
あぁ人生をサポートしてくれるパートナーが必要だ(それはこんな家庭のある人では務まらない←笑)、私をまるっと支えられるような男性を見つけなきゃ(はぁと)と思いもしますが、私はこのままで将来幸せなパートナーシップを築けるでしょうか?
「独りだ」という人生をかけた証明を覆したいんです!その方法をぜひご教示くださいませ。
(Mさん)

続きを読む

「待つ女」が好評です!>『え?呼んだ?』ってくらい私の事だ(笑)

この記事、とても好評です!」という話をこちらのブログでしたところ、続々皆さまからの声が届いております。
ありがとうございます。

みんな、待ってたのね!待つ女だけに!?(しょうもなさすぎて、すいません・・・)

続きを読む

もう後戻りできない一線~これ以上近付いたらヤバい!という怖すぎる一線~

パートナーとの心の距離がどんどん近づいてくると、ある瞬間に「これ以上近付いたらヤバい」というできごとが起こります。
今回のAさんにとってそれは「転勤&同棲騒動」なわけですが、そこで想像を絶する怖れが出て来たりするんです。
そのラインのことを「もう後戻りできない一線」と言います。
さあ、ここをどう越えていけばいいのでしょう?

平成のAです。
神戸での罪悪感セミナーありがとうございました。その後の話がしたくて連絡しました。
罪悪感のせいで色々と困ったことが起こっているなあというのは変わりません。
ただ、抗っても仕方ないので、「罪悪感あるなーなかったら良いけど、あっても別に大丈夫。今までも抱えてきたんだから。」と思えるようになったのは、自分の中の成長だなと思っています。
あと、先生の例の尊書をまだ拝見させて頂いておりません笑。それほど罪悪感を直視するのが怖いようです笑。もうすこし時間がかかるかもしれませんが、まあその時まで待とうと思います。

ただ、待ってくれないことも起こっています。
彼との同棲です。会社の転勤で彼が住む区へ移動することが決まりました。まさかです。今の住んでいる場所からも片道1時間かければ通えなくはないエリアです。
ただ、彼の方から、同棲してもいいよと話がありました。
わー潜在意識はえぐいことしてくるなって感じです。
顕在意識は、人と距離を縮めるのが怖い野良猫を発揮しています。なんなら関係を破壊してやろうかという気持ちにも一瞬なりました。
会社の転勤なので、夏までに決めないといけません。あと2ヶ月くらいです。どうしよう。。。ただただ怖いです。家事も苦手だし、家庭環境も最悪で育った、でも結婚はしたいし。
彼は結婚前に同棲したい主義らしいです。え、合わなかったら別れるの?それも無理―!

若人にご指導ご鞭撻をお願いします。
(Aさん)

続きを読む

やりたくないことはやらなくてもいいのか?それとも、やった方がいいのか?

どちらも正解なんですが、「自分で選択する」ということがまずは大事ですね。
そして、思考に偏るんじゃなくて、ちゃんと感情や感覚、直感に意識を向けることも忘れちゃいけないと思うんです。
そうした決断への流れも最後にご紹介しています。

いつも楽しみに拝見しています。
リクエストは「やりたくないことはやらない」についてです。
書籍やブログなどで、提唱いただいているかと思います。

「やりたくないこと」に
(1)食わず嫌いだったけどやったら楽しかった
(2)成果を上げられた場合にその喜び
(3)結果はともなわずとも助けてくれた人たちとの出会いや得難い経験
(4)同じ道を歩もうとしている人への灯となる、
などの多くの可能性が秘められていると思うため、「やりたくないこと」を「やらない」ということは、その可能性を捨てることではと考えてしまいます。

現在までいろいろありましたが、過去の経験であのイベントがなければよかったのにと思うことがなく、人生無駄な経験は無いと感じています。

しかし上記一見前向きなアイディアとも思いますが、私は何かに腹をくくった武士のような、沈鬱な思いをかかえ日々生きております。
「やりたくないことはやらない」は私の中で魅力的であるため、引っかかっているのだろうと思われます。
根本さんの鮮やかな文章で、腑に落としていただければと思います。
ますますのご活躍をお祈りしております
(Hさん)

続きを読む