その「やりたいこと」は「愛」からのもの?それとも「怖れ」からのもの?

他人軸で生きていた人が自分軸を取り戻すと、なぜか今までたくさんあったモチベーションが消えて、燃料切れみたいになってしまうことがあります。
実はそれ、「怖れ」を燃料にしていたからなんですよね。
自分軸を取り戻していくと「愛」を燃料にできるので、燃え尽きずに済むようになるんです。

LINE@早速登録させていただきました。
根本さんが近くに感じられて心強いです。いつもありがとうございます。
今日はネタリクエストを失礼したいとご連絡させて頂きました。

本当はどうしたいか?という問いを根本さんの心理学で学ばせて頂いて以来自分に問うようになりました。

仕事で非常に疲弊していた時に、「何もしたくない」「癒されたい」となるのはわかるのですが、出来うる限りのストレスを無くし、今ではほぼノンストレスの生活になりました。
ですが、ストレスに紛れてた時の方が色々欲求がありました。
こんな仕事がしたいとか。
こんな人間関係が欲しいとか。
元々すごい他人軸で人と比べてばかりで辛くなったので人と会ったりSNS等をほぼ経って半年になります。
人の目が無くなったら気張ることがなくなり楽になったけど燃料も無くなった感じです。

今唯一ある欲求は日記を書くことです。
行動日記ではなく気になることや考えたいことなどふと浮かんだらそれを気が済むまで書き続けることです。
なぜかというと1番癒されるからです。

私はノンストレスにした結果生きる活力も無くしてしまったのでしょうか?

それともそもそもが何をしてても疲弊し癒しを求める性質なのでしょう?

もしこの癒しの選択を取り続けたらいつか活力が湧いてイキイキと生きれる日が来るのでしょうか?
(Hさん)

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飽き性で臆病な私が「自分らしい世界」を生きる方法

「本来の私」に出会うことはとても素晴らしいことなのですが、その世界にまだ慣れていない自分がいて戸惑うどころか、気が付けば「他人軸」になってしまうことがよくあるものです。
その世界に慣れるためにも、そんな自分を楽しみ、そして、自分らしいやり方(生き方)を創造していきましょうね。

こんにちは。
いつも根本さんのblogの更新が待ち遠しく日々の糧にさせていただいてます。

「飽き性」についていつか取り上げていただきたいです。

根本さんのご本やblogにお世話になり心が解放されて来たらどうやら本来の性格が出てきました。
心が生き生きするようになり、友愛恋愛共にモテるようになったし、
何より憂鬱ばかりだった日々が楽しく豊かになった気がします。
でもその反作用といいますか、唯一悩ましいことがありまして、
それが「飽き性」です。

それで、仕事で主に悩んでいます。
飽き性を自覚してからは、フリーランスになろううと思い会社を辞めました。
でもやっと依頼が来るようになり、それを足がかりにこれから頑張ろうとする時に、また飽き性が出てしまい仕事のやり方とか周りと差別化出来てた自分の特徴を変えてしまうということを繰り返してしまいました。
それで元々少なかった依頼が更に減りました。
飽き性で好奇心旺盛なら、それが満たされる仕事のやり方なり内容にしたらいいのかもしれませんが私は同時に非常に臆病なのです。
だから新しいことをはじめても少しの障害や人の意見ですぐ変えてしまってきました。
だから、保守的に同じことを繰り返すやり方をやりやっと小さな成功を得られたのにまた自分でおじゃんにしてしまいます。

このような飽き性と臆病が葛藤する場合へのアドバイスをいつか頂けたら嬉しいです。
(Mさん)

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新しい私として生きていこうと頑張っているのに現実が変わらないことに苛立ちます。

しんどい人間関係や環境を飛び出して新しい自分に変わるぞ!と決めるのに、なかなか変われないとイライラするものですよね。
でも、その時「今」や「過去」を否定してません?
「自分」にダメ出ししていません?
ワクワクするよなヴィジョンを描けてます?

根本様、初めまして。
「人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本」を高野那々さんから紹介いただきました。
単身赴任で出会った不倫彼としばらくお付き合いしておりました。私は独身です。
半年近くは仲良くできていましたが、奥様にLINEを見られてしまったのをきっかけに、彼は子供に対する罪悪感も口にするようになりました。
逢うのを拒むようになった彼に対して私は、脅迫めいたことを言いながら無理矢理彼と会うような恐ろしい女でした。彼がどんどん離れていくのはわかっていました…

別に彼氏を作ってみてもすぐ別れ、想ってくれる方からの愛は受け止められず、あからさまに拒否してきました。愛情の受け取りが下手なのです。

両親は物心つく頃からいがみ合い、今は別居で冷戦状態。
母は心から父を憎んでいるのか、“私はあの男にいい目に合わせてもらったことはない”と、正月に帰省したときも申しておりました。
そのつもりはないのは解っていますが、私たち子どもの存在まで否定されている気持ちがしてきます。
私は自己表現が苦手で、父親の無関心(今思えば接し方が最初からわからず努力もしなかったよう)な態度から、姉や妹は気性の荒い性格でした。今でこそ二人とも丸くなった気はしますが、根本は変わらず、どうにもならない雰囲気が家族にあります。

幼い頃母から、“あんたもあの男と一緒やな”と、何か言動をしようものなら浴びせられ、どんどん塞ぎ込む子供になっていきました。

でも、家族関係も不倫彼との関係も、すべて手放して、新しい私として生きていこうと決心し頑張っています。
執着を手放せば現実が動き出すとはいろいろなところで言われていますが、私は彼や家族への怒りや悲しみがまだまだ根強いです。
希望の転職先も決定し彼とも距離をおけ、自分の力で幸せになろうと思えています。
でもどこかで、認められたい褒められたい、私に興味を持ってと、童心の私が叫び出す時があります。
現実が変わらないことに苛立っています。
もしよろしければアドバイスお願いいたします。長々とありがとうございました。
(Mさん)

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自分を出すよりも、自分を肯定する方が疎外感から解放されやすい。

自分らしく振る舞うことで職場などで感じる疎外感から自由になることができます。
そろそろ武者修行を卒業して、幸せになることを許可してみてはどうでしょうか?

根本先生へ
いつもお世話になっています。
年明けからブログの幸せ報告を読んでは「私も今年はもう幸せになるからなー」と誰にでもなく宣言しています。温かな言葉と記事をありがとうございます。

さて手放せるものはできるだけ手放し、楽に幸せになりやすい環境を整えているつもりでしたが、今度こそ回避する予定だった問題君が来てしまいました。
私は十代の頃からずっと「見えない壁があるよね」と言われ、社会に出てからは最初は受け入れられても数ヶ月もすれば集団の中で浮き、長くて2年程度で退職するのを繰り返してきました。

先生のブログを読み、自己を振り返れば、それが親密感への恐れや自分が生きていることへの罪悪感などに起因するのはなんとなく理解しています。
親からの虐待や学校でのいじめ、思春期頃に学校の先生や親から性的ないたずらをされたりと思い当たることもあります。自分を汚いと思う劣等感や否定、無力感もまだまだ少なからずあるでしょう。

それでもそれはそれ、今の私は好きなこと楽しいことをしていいし、そこまで悪い人間でもないし、自分も他人も受け入れたいと思えています。

ですが転職ひと月で先輩に「まだあなたのことを私はわかっていないし、あなたも自分を出していなくて、今の私達はもやもやした関係だよね」と言われてしまいました。
何も言われないまま疎外されて居心地が悪くなっていた時に比べれば、言われる分だけ、思うことを伝える機会を与えてもらえるだけ進歩したのだと思います。
もしかしたら私自身が私や誰かに受け入れてほしいと思っているのを、先輩に投影しているのかもしれません。

今まではスルーしてきていましたが、仕事だけでなくこうしたことも伝えてくれる先輩に「壁に弾かれる」思いをさせたくありません。
手放しを進めているパートナーもそんな寂しさや無力感を感じていたのかもしれないと思うと、愛情を受け取り心地よい関係を築けるように変わりたいのです。(いるかもしれない)次のパートナーと、私の幸せのために。
ですがどうすれば自分を出せるのか、そもそも自分って何?何を出すの?どうしたら出ることになるの?から進めません。

長文になってしまいましたが、ネタにできるようでしたら使ってもらえると嬉しいです。
(Yさん)

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自立系同士の恋愛は「与える競争の罠」にハマりやすいから要注意!

与えることが得意な自立系同士の恋愛では、どうしたら与えられるのか?とか、彼が受け取れる与え方とは?などとあれこれ哲学してしまうことがあります。
受け取ることが苦手な自立の人は「与えさせてあげる」と解釈すれば、受け取ることを与えることと理解できます。
そもそも「与えることと受け取ることは同義」なのですから。

根本さん、あけましておめでとうございます。
いつも迷える武闘派女子をお導きいただきありがとうございます。(*^ヮ^*)

最近疑問に思ったことがあり、メールさせていただきました。

私は超絶自立道を歩んでいた野良猫ロックウーマン属性の武闘派女子です。
ですが最近、快く甘やかしてくれる男性と出会い、「え?嬉しいけど、マジでいいの・・・?え・・?」と戸惑いつつ甘えているのですが、ふと思うことがあります。

ん?これ、親子?(^^;
(私)「あれ食べたい」→(相手)「買っておいたよ」→(私)「わーい」
(私)「今洗い物したくない」→(相手)「やっておくよ」→(私)「わーい」
みたいな調子で、私ばかり与えてもらっています。無性に怖くなります。

対等な男女として関係を深めていきたいのに、面倒を見てもらうばかりでは女性として魅力的でなくなってしまうのではと心配になります。
妹としてではなく、対等な男女であり、愛される姫や女王様になりたいです・・・・。
受け取りつつもバランスよく自分を確立していたいのですが、やり方がわからず。。。

子供時代は繊細な母を支え、弟を優先し、我慢しなきゃ、努力しなきゃと自分に鞭を打ってきました。
私は彼を利用して、人に甘えたかった子供時代をやり直しているだけなのでしょうか・・・。

対等な関係を築くには、私なりに与えていくのがポイントかなとも思うのですが、私自身察して先回りしたり気を利かせるのが得意ではなく、彼が欲している「気配り」という愛情表現が苦手です。(T-T)
また、犠牲レベルで与えてしまい大事にされなくなるパターンにはまってしまうのが怖いです。
かといって、私の自然体な与え方(褒める、好きと言う、相手のペースを尊重するなど)は、彼にはまったく刺さらず。。。
自分らしく、かつ相手も幸せな与え方ってなんだろうと哲学してしまいます。

相手にとって妹ではなく、受け取り上手な「姫」として成長していくためには、何を意識すればいいでしょうか?
ネタにしていただけましたら幸いです。(^-^)

(話が変わりますが、根本さんの罪悪感本、ま、待ってましたーーーーー!!!!!!!!
一武闘派として、更に武器に磨きをかけられると思うと・・・!!!!血が滾ります!)(Yさん)

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人に期待し過ぎてしまうのはその価値を十分に受け取っていないから。

せっかく素晴らしい長所があるのに、それが他人軸になってしまうと途端にサービス過剰となって疲れてしまうようになります。
長所はもろ刃の剣。その価値を受け取り、自分軸で生きることがコツです。

根本先生、いつもブログ楽しみに拝読しています!
ネタにしていただきたくメールさせていただきます。

私はすぐに人に期待してしまいます。
私はすごく人に気を遣う性格で、サービス精神が旺盛なこともあり、人にはいろいろなことをしてあげるほうです。
誕生日プレゼントや、サプライズ、何かと世話をしてあげたり。
家族にも連絡はこまめにいれるほうです。
人にしてあげるときは、心底喜んでもらいたくてしています。
でもその反面、同じくらい相手にも期待してしまいます。
で、同じようには返ってこないのでガッカリしてしまいます。
人に何かをしてあげるときは、返して欲しいなんて思ってするわけではないのですが、返ってこないとがっかりするということは、どこかで恩返しを期待しているって言うことになりますよね…・。そんな恩着せがましい自分が心底イヤになります。
じゃあ、やらなきゃいいのに、やっぱり人にしてあげたくなっちゃうんです。
自分で言うのもなんですが、かなり気の利く性格だと思います。なので、私以上に気の利いたことが返って来ないため、がっかりする。。の繰り返しです。
彼氏の誕生日には演出付きで祝ってあげる、でも彼氏には誕生日を忘れられたり、地味なお祝いしかしてもらえない。そして泣きたくなる。家族も同じです。
そんな性格がイヤなのですが、どうしたらいいでしょうか?
根本先生、どうか救ってください!
(Wさん)

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2/24(日)&3/26(火)セクシャリティに特化した人数限定グループセッション

2/24(日)、3/26(火)とも現在満席です。


以前からセミナーやコラボでこのテーマを扱ってきました。

ちなみに、今度もトークライブという形で右京みさほさんとワインなどを飲みながら銀座で開催します。
東京:1/26(土)18:00-21:00 根本裕幸 × 右京みさほ presents リアル交換書簡 セクシャリティを開くトークライブ(銀座)

その一方で、「セクシャリティを扱ったより深いグループセッションを受けてみたい」「性の問題をがっつり向き合えるセッションを受けたい」という声をよく頂いておりました。
「まあ、男性のカウンセラーがやるよりは女性のカウンセラーの方がよくない?」と思って、お友達のカウンセラーを紹介していたのですが、男性ならではのアプローチや視点もあるだろう、と思うに至りました。

個人セッションでは当然、そうした話題も出るのですが、グループセッションは、他の方の話を客観的に聴けたり、それを自分自身にフィードバックできたり、つながりが生まれるので個人ではなかなか気付けない潜在意識のパターンに気付けたり、また、グループエネルギーが扱えるので心の深い部分にアプローチすることができるので、個人とはまた違った効果が味わえます。

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