(12/23)なぜ自分を粗末に扱ってしまうの?

昨日のこのミニコラムで、過去の3つの「自分を大切にするには?」がうまく表示されませんでしたことをお詫びします。
修正済みです・・・。

「え?うそ。あたしは見えたけど???」
と言う方は、プロフィールページのトップ
/profiles/nemoto/
からいらしてくださった方です。

いや、ディレクトリ構成の都合で、直接ミニコラムに飛んでこられた方には「Not Found」になってしまっていました。

ほんと、申し訳ありません。

*--*--*--*--*--*

さて、年末が近づく今日この頃。
随分と冬らしい天気になってきましたね。
曇天の空が何とも寒々しく見えた一日でした。
日暮れが早いので、一日があっという間に過ぎていくような気がします。

でも、冬になると強調されるのが、我が乳児のほっぺ。

ともあれ、ほっぺフェチである我ら夫婦は今日も飽きずに新鮮な乳児のほっぺを吸い倒してます。
平常時は吸い付く傍から顔を背けられるので、ドサクサに紛れてみたり、力づくで吸い付いてみたり、色々テクニックを駆使しなければならないのですが、実はミルク飲んでる間が狙い目です。
奴は両手に哺乳瓶を持ち、一心不乱にゴクゴク飲んでますから、その頃美味しそうなほっぺは、まさに無防備状態。
やはり妻がミルクやる回数が多いので、毎食、乳児のほっぺに吸い付き倒しているようです。

*--*--*--*--*--*

今日の僕はネモトヒロユキ君のために、食後の美味しいコーヒーを立ててあげました。
また、今日はいつもより早めに寝かせてあげる予定です。

「こいつはいきなり何を言いだすんだ?」と思われた方は昨日のミニコラムを参照下さい。

*--*--*--*--*--*

ここ数日、新たな実験的試みとして、前日のコラムネタを引き継いで話を繋いでみようとしているので、今日もチャレンジしてみたいと思います。

さて、自分を大切に出来ない背景を少し掘り下げて見ましょう。

どうして自分よりも人に意識を向けてしまうのか?
どうして自分をちっぽけに扱ってしまうのか?

というところです。
細かく見ていけばもうこれは各論になっていきますんで、大風呂敷を広げて一般論にてお話します。

簡単な見方としては、自分をちっぽけに扱った誰かがいた・・・なんてのはいかがでしょう。

お母さんもいつもいっぱいいっぱいで、子どもにまで手が回らなかった・・・
お父さんは仕事が忙しくて、全然遊んでくれなかった・・・
なんて場合には、直接自分を粗末に扱われたわけではないんですけど、やはりこの傾向が見られることが多いです。

もちろん、暴力(暴言などの言葉の暴力も含め)などがある場合にはなおさらですし、特に長女の方に多いですが、お母さんのお母さん役をやってきたような場合なども同じような感じです。

「自分をちっぽけに扱った誰かがいた・・・」
は言い変えると
「子ども時代に、子どもらしく過ごせなかった」
となるのかもしれません。

そうすると精神的には早く自立し、周りよりも早く大人になっていく一方で、心の中に「満たされない子ども」の部分を残してしまうようになるんです。
分かりやすく言えば、心の中に実際の年齢以上に成熟した部分と、とても子どもの部分と両方を抱えているような感じです。

これは誰の中にもありますが、育った家庭環境によっては顕著に出てくるケースが多いんです。
子どもは親の期待に沿おうと一生懸命頑張りますし、親が辛い顔をすると自分のせいにしてしまうくらい思いが強いものですから、親や周りが早く大人になることを求めたとしたら、自分の欲しいものを我慢してまでそれに応えようとするんです。
ちょっといじましいくらいの頑張りですよね。
でも、大人になった今、その時代を振り返ったとしても、そうは感じられないことも多いので、すぐにはピンと来にくい方もいらっしゃると思います。

そういう方が大人になると「私はまだまだ子ども。もっと自立して大人にならなければ」と厳しく自分を扱い、人には優しく、時に犠牲的に振舞います。

そこでは、自分が大人であることを受け入れ、認め、褒めてあげることが大切です。
(それが昨日のミニコラムの趣旨ともいえます)
そして、子どもの部分に対しては、成熟した大人のハートで包んであげることが目標です。
その際に、パートナーやカウンセラーのサポートを受けることも大切なことですね。

そうすると、成熟した部分は「自信」や「慈愛」などのギフトを贈ってくれますし、子どもの部分は「無邪気さ」や「抵抗しがたい魅力」などを授けてくれるようになります。

そう、もしあなたの心の中に、取り残されたような子どもの心があったとしても大丈夫なんです。
寂しそうに、無表情にしているその子が、笑顔で元気な子どもになったとしたら、あなたにとても大きなプレゼントを与えてくれるんですから。

(12/22)自分を大切にするには?(4)

21日は冬至でしたね。
かぼちゃは食べましたか?
ゆず湯には入られましたか?

僕は花王のバブ「ゆずの香り」をぽちゃんと入れて、一応、冬至のシキタリにしたがってみました。
既に日付が変わっていることに気付いたのはお風呂に入った後だったんですけど、まあ、そんなことはお構いなしに妻ご愛用の防水CDプレイヤーを聴きながらちょっとした長風呂を楽しんできました。
(定価、こんなに高いものだったのか・・・。ちょっとびっくりしました。)

このCDプレイヤーには「ボーカルカット」という機能がありまして、カラオケのようにボーカルを消して、BGMやコーラスだけにしてくれるものです。
試しにお気に入りのサザンなんぞをかけてみまして、ボーカルカットボタンを押してみると、確かに桑田さんの声だけ消されてます!

おぉ、すばらしい。

妻は毎日のようにこれをお風呂に持ち込み、歌いこんで、日々の鬱憤を晴らしています。
“家内安全”のためにも、これは使える逸品かと思われます。

でも、カラオケと違って歌詞がテロップのように流れるわけじゃないんですよね・・・。
だから、歌詞を覚えるという脳みそがまるで無い僕にとっては、この機能はあまり使い道が無く、単なるCDプレイヤーとなり下がってます。

でも、お風呂で音楽が聴けるってのは、昔からの憧れでして、とても良い気分ですね。
気が付けば時間が経ってますし、長風呂のお供には最高かと・・・。

*--*--*--*--*--*--*

さて、昨日は「自分を見つめることが大事なんですよ」ということを言いたかったわけですが、カウンセリングの中でそういう話題になるということは、
「自分よりも人に意識を向けてしまう」
⇒「自分を粗末に、ちっぽけに扱ってしまってる」
という背景があります。

じゃあ、自分をどう扱えばいいんでしょう?
自分を大切にするってどういうこと?
自分に優しく、とか言うけど、どうすればいいの?

という疑問がふつふつと湧き上がってくるものだと思います。

これはもう永遠のテーマとも言えないこともないので、時あるごとに具体的な方法を模索し続けているような気がします。

ので、このテーマはミニコラムでも過去に何度も扱ってみました。
2/5のコラム
3/10のコラム
10/5のコラム

日付は違いますが、すべて「自分を大切にするには?」というタイトルのものです。
いや、ほんま、今回で4回目ですね。
飽きますか?
しつこいですか?

今回はですね、またちょっと違う方向からお話させていただこうと思います。
人に気を使いすぎる傾向がある方は、その人のことをとても大切に扱ってあげています。
きっと性根が優しいんです(断言)。
やり過ぎるくらい与えたり、気遣ってあげたりできるわけですから、心のうちはとてもキレイなものを持っているんです(再び断言)。

ということは、自分を他人のように扱ってみる、というのはどうでしょうか?
友達にしてあげるように、自分にしてあげる。
パートナーにしてあげるように、自分にしてあげる。

こう言われたら、即「げっ、気持ち悪っ」とおっしゃる方も少なくないでしょう。
もし、そう思われたとしたら、自分自身を「気持ち悪いもの」として扱ってしまってる証拠です。

それってナルシズムじゃないの???
そんなことしたら自己中になっちゃうんじゃないの???
と疑問を持たれるとしたら、そんなあなたには是非試して欲しいな、と思うんです。
何故かと言うと、この見方というのは、言い方を変えれば、あなたの友達の立場からあなたを見る、あなたのパートナーの立場からあなたを見る、ということでもあります。
だから、自己中どころか、きちんと相手の気持ちになって考えてあげることに他ならないんじゃないでしょうか?

もう少し具体的に・・・。

もし、あなたの大切なパートナーが「はぁ、疲れたよー」という顔をしてるとしたら、どんな言葉をかけてあげたいでしょうか?
「お疲れさま」とか「マッサージしてあげようか?」とか「ゆっくりお風呂に浸かっておいでよ」とか「愚痴聞いてあげようか」とか、色々あろうかと思います。

自分が疲れてる時も、やはり自分にそう言ってあげましょう。

もし、お風呂に入ってパートナーの体を洗ってあげるとしたら?

もし、一緒にご飯を食べるとしたら?
一人の時はほんと適当な食事で済ましてしまう、という奥様。
多いんじゃないでしょうか?

いつもそうする必要はないんですが、せめて、一日一回、5分でも、そうして自分をいたわってあげる時間を作ってみてもいいんじゃないでしょうか?

ちなみに今日の僕はネモトヒロユキ君を長めにお風呂に入れて、疲れを取ってあげました。

その程度でいいんですよ。

(12/21)パートナーシップに安定はダメなの?

最近ネタ振りが長すぎて、本題になかなか入れないので、今日は別立てにしてみました。

長々と乳児ネタの後に急に大人な話されても拍子抜けするでしょう?

(ま、書いてる僕の気持ちが切り替わりにくいってのもあるんですけど)

*--*--*--*--*--*

昨日に引き続き、パートナーシップついて。

昨日のネタ

昨日は「罪悪感などから相手に気を使いすぎて、相手が自分のことを思ってくれてることに気付けない」というお話をさせていただきました。

対人関係にも関連しますが、相手に気を使いすぎるとどうしても自分の気持ちが後回しになってしまうので、表面的な付き合いになりやすいんですね。
「夫婦ならば、仲は良いし、よく話もするんだけど、でも肝心な話はできてないような・・・」
なんて気持ちがする時は、案外、このパターンであることが多いです。

相手に気を使うっていうのは、とてもエネルギーを使いますから、それだけで疲れてしまいます。

セックスレスのご相談も多いんですが、夫婦関係を伺ってるとこのパターンに当てはまる方が現代は多いのかもしれません。
優しさの裏返しでもあるので、ここで自分を全否定する必要なんてありませんよ。
方向転換することが求められているだけです。

気を使う方は、セックスでも相手を満足させよう、イカせようと気を使います。
相手が満足してくれてるかどうかが気になります。
一方で、自分のことはどうでも良くなっていきます。
まだ、付き合いが浅く、セックスが新鮮だったり、相手を満足させたいって気持ちが強いうちはいいんですよね。

でも、だんだん慣れてくるとセックスそのものに面白味を感じなくなります。
特に結婚したりすると。

その心理の裏側には私達が夫婦関係に安定を求めてしまうことがあります。
結婚することを「落ち着く」なんて表現したりします。

特に、相手に気を使う分だけ、より強く安定を求めてしまうものです。
気を使うのは嫌だし、疲れるから、気を使わなくてもいいように関係を固定化させる(安定させる)べく、頑張ってしまうんです。

でも、パートナーシップって落ち着いてしまうと、ちょっと問題だったりするんですよ。
いつも仲良く話をしてた夫婦が突然離婚したり、ケンカばっかりしてる夫婦が案外離婚しなかったりって現象がよく起こるのも、そうした安定を求めすぎてしまうせいかもしれません。

パートナーシップで大切なのは、リスクを犯し、常に変化し続けようとすることです。
これは仕事や生き方そのものにも当てはめられる心理学の格言なんですね。

パートナーシップって、元々は全くの他人だった人が、他の誰よりも近い距離に感じられる不思議な現象なんですよね。
そして、お別れすれば再び全くの他人になってしまうことだってあり得ます。

つまりは、ゼロから無限大までもっともフレキシブルな距離感を持つものなんです。
だから、安定性を求めてその関係を一箇所にとどめてしまうとなると、それだけでおかしなことになってしまいます。

そのリスクを犯すってのはハラハラドキドキした感覚を伴います。
長く付き合ってると「トキメキを感じなくなった」って別れ話になることもあるでしょう?
リスクを犯してない分だけ、トキメキは無くなります。
これは相手の問題でもあるかもしれないけれど、「トキメキを感じられない」自分自身の問題なんですよね。

こうしたマンネリの問題、セックスレスの問題は、何らかのリスクを犯すことで乗り越えていくことができます。
もし今あなたがパートナーに気を使いすぎてたとしたら、リスクを犯すことは大きな方向転換になります。

でも、どんなチャレンジをしたらいいのか?なんてすぐには思い浮かばないかもしれません。
まずは、自分の心を見つめていきましょう。
いつも相手ばかりを気にしてたのかもしれませんから、これもすぐにはうまく行きません。

自分がどうしたいのか?を見つめてみると、自分がいかに人に気を使いながら生きてるかが分かってしまったりします。
気を使ってる分だけ、何も出てきませんから。

だから、ちょっと時間をかけたり、誰かと話をしながら、そこを見つめていきましょう。

例えば、こんなのはいかがでしょう?

「自分がパートナーからどんな愛情が欲しいのだろうか?」
「どんなセックスをしたいんだろう?」
「二人でどんな世界を創っていきたいんだろう?」
それぞれのテーマで、原稿用紙最低5枚のレポートを作成するように!

なんて・・・。

こういうテーマに取り組んでみるのも、一種の「リスクを犯す」ことになりますから、お勧めです。

(12/21)やっぱり男の子?

哺乳瓶を両手で持って自分でミルクが飲めるようになったのを見て、乳児の自立を感じる今日この頃です。

あとは、飲み終わった後にポイッと投げ捨てるんじゃなくて、きちんとシンクまで持っていってもらいたいな。
洗え、とまでは言わないからさ。
ほら、パパだってママに何度もそう注意されて、食べ終わったお皿を持っていけるようになったんだからさ。

ハイハイもできるようになったんだし。

*--*--*--*--*--*

そんな乳児のために、今日は買い物先でおもちゃを購入してあげました。
床や物に当ると「ぽよ~ん」とか「痛いっ!」って音や声が出る棒状の代物です。

さっそく乳児は大喜びで、ぶるんぶるん振り回して床やらソファやら自分の体やらにぶつけてました。
しかし「痛いっ!」って声がするたびにきゃっきゃっきゃっきゃ声を挙げて喜ぶ彼女を見ていると、これは密かな「SMの女王様養成ツール」なのではないかと思ってしまうのです。
乳児の行く末が非常に気になるのですが、しかし、喜んでる姿を見ると、ついつい与えてしまうのが親の情というわけでございまして・・・。

きっと開発者は男性で、夜な夜なその手のクラブに通い詰めるうちに、このおもちゃを思いついたのではないかと・・・。

*--*--*--*--*--*

ちなみに奴は、帰りのタクシーの車内でわけの分からない奇声を挙げてご機嫌な様子だったんですけど、それを見た運転手さんから、
「男の子はそれくらい元気がなくっちゃね」
と言われてました。

女の子に見えるように、外出時は小さな髪止めをつけてるんですけど、それくらいでは最早ダメらしいです・・・。

ま、本人は日本語分かりませんから、そんな誤解を受けても平気なもんで、運転手さんにニコーッと愛想振りまいてましたけどね。

(12/20)気付けない想い

うちの乳児は最近、カウンセリングのため自宅を出るときに「行って来ま~す」ってバイバイをすると、手を振ってバイバイし返してくれます。

嬉しそうな、満面の笑みで。

「もちろん、奴はバイバイの意味など分かってないに違いない。」
と堅く信じることにしています。

ま、そのうち泣きながら「パパ、行っちゃ嫌だ!」と駄々をこねられる日が来るんでしょうね~。
ふふふ。

ちなみに奴は、ハイハイをしながら疲れてきたり、行き止まりにぶつかると、もう、この世の終わりのような絶望的な態度で泣き出します。
顔を床にうずめて泣き喚くので「もう、俺の人生は終わったんだー!」という主張をとても強く感じられます。
(「俺」って感じなんですよね、その態度は)

しかし、乳児の感情表現というのは、ほんま、常に全身全霊を傾けてるって感じで、感心するばかりです。

生まれて9ヶ月しか経ってないというのに、教えられることは、ほんと、山積みです。

*--*--*--*--*--*

そんな乳児と四六時中一緒にいる妻も、だいぶ母親然として参りまして、乳児の扱いも慣れたもの、堂々としたものです。
寝かしつけようとする際には、起き上がろうとする乳児の頭を優しく諭しながら布団に押し付けてます。
座ってる椅子の足元をハイハイして「ママ、抱っこ」を要求する乳児をさりげなく無視し、生協で購入した「お米で作ったシフォンケーキ」を美味しくほおばってます。(これはマジ旨かった)
見たいドラマ(「夫婦。」にうちの奥さんもはまってまして)が始めると、乳児を抱っこしてあやしながらも、見入ってます。
乳児用の冬物のジャンパーを、気合十分、ネットオークションで競り落としてます。

逞しくなったものです。。。

ちなみにそんな乳児に対してパパである僕は、まだまだ恐る恐るってところがあるのかもしれません。
自分ではそんなつもりないですけど、あんまり要領得ないことが増えてきましたから。

でも、やっぱりそれだけ頑張ってて、強くなっても、甘えたい気持ちは変わらないんですよね。
うちの奥さんの凄いところってのは、そういう甘えたかったり、疲れてたり、そういう気持ちをちゃんと言えるってところなんかもしれません。
我慢して、気を使いながらですけど、言ってくれるのと、黙ってるのでは、家の気温が5℃ほど変わると思います・・・。

故に僕はとても楽させてもらってます(色んな意味で)。
多謝!

*--*--*--*--*--*

上のような流れを引き継ぐわけではないのですが、自分に余裕がなくなると、パートナーや周りの人が自分のためにしてくれることが分からなくなります。

で、自分ひとりが頑張ってるような気持ちがしてしまいます。

「あたし一人が頑張って・・・」と思うとき、ほとんどの確率で相手も自分と同じくらい頑張ってます。
しかも、始末が悪いことに自分のために頑張ってくれてたりするんです。
(そうは見えないんだけどね)

自分は家事やパートに一生懸命で、彼は仕事に一生懸命で、となると、接点が少ないですよね。
(特に話題の接点がなくなります)
そうすると、お互い相手のために一生懸命頑張ってるのに、それを表現する機会が無くなってしまうんです。

で、見せ合うのはお互いに疲れた顔。
疲れてると甘えたくなり、怠けたくなります。
だから、「今日くらいはご飯作ってよ」とか「たまにはゆっくりさせてくれよ」とか「俺は疲れてるんだ」とかいう主張になって、こういう場合は大抵ケンカになります。

「俺だって何とかしようって頑張ってるのに、お前はちっとも分かってないじゃないか!」
と言われ、むっかー!ときて、
「あんたに何が分かるっていうのよ!何もしてくれないじゃないの!」
と切り替えしたことのある女性も多いんじゃないでしょうか。

ケンカはせずともそんな雰囲気になってくると、意地になったり、プライドが邪魔して、例え相手の気持ちに気付いたとしても、「絶対、認めるもんか!違うに決まってる!」と思い込みたくなります。

僕たちは皆、自分が完璧でないことに自己嫌悪しています。
故に相手に対して罪悪感を抱きます。
「自分は十分なことをしてあげていない」と。
これは罪悪感の中でも特に感じにくい「何もしていない罪悪感」というジャンルに属します。

その罪悪感から、問題が生まれます。
相手のために犠牲までして頑張るのは愛情があるからに違いありません。
でも、その犠牲の根っこにあるのが自己嫌悪や罪悪感だとしたら、それを晒すのはとても怖いんです。
捨てられる恐れ、軽蔑される恐れを感じますから。
だから、強がるほか、無くなります。

そして、その罪悪感は相手の思いを受け取ることすら拒絶させます。
自分のためにしてくれてることに気付かない振りをしたり、踏みにじってしまったりしてしまいます。

そして、またそこで罪悪感を積み重ねていきます。

その結果、誤解が膨れ上がって離婚や浮気、セックスレスなどの具体的な、目に見える問題に発展していきます。

自分のその罪悪感や弱さ、不完全さを認めるにはとても勇気が要ります。
でも、それを本当にパートナーにオープンに出来たときに、今まで感じたこともないくらいの安堵感を抱けるでしょう。
「かけがえのない相手」として見つめられる瞬間です。

そして、それと同じくらい大切なのは、相手にもやはりそういう部分があるということに気付き、認めてあげましょう。
愛情があるが故に、弱さや不完全さを隠そうとしてしまうんです。
それを許してあげることも、また愛情です。

さて、もうすぐクリスマスですね。
もし、あなたがパートナーにプレゼントをあげるとしたら、何をあげたいでしょうか?
もちろん、予算や実行可能性なんて無視してもらって構いません。
どんな理由でそれを贈りたいのか?というのがとても大切。

その理由が、見えなかった自分の気持ちを見せてくれますし、プレゼントを贈ることは相手に自分の気持ちを伝える絶好のチャンスになります。

最近、カウンセリングさせていただいた方々から、とてもいいお話を伺いました。

「自分のわがままでいい車を買ったのに、妻はずっと前から同じ車でだいぶガタが来てて、随分我慢させてるから、新しい車を買ってあげたい」

「私や実家のせいでなかなか気の休まることが無いだろうから、1週間くらいのクリスマス休暇をプレゼントしたい」

お互いに相手が自分のことをそう気遣ってくれてるなんて、全然気付けなかったんです。

「妻に誕生日やクリスマスのプレゼントなんて全然買ってあげたこと無かったけど、先日、安物だけどマフラーに簡単なメッセージを添えて寝てる妻の枕元に置いたんです」

その思いはきっと通じてるはずです。

パートナーがいらっしゃらない方、ましてや、最近ハートブレイクした方にはかなり痛いお話だったかもしれません。
でも、そこで初めて気付ける思いもあるはずです。
相手の人に今、自分が贈れる最高のプレゼントって何でしょうか?
もしかしたら、目の前から立ち去ることを贈るのがベストかもしれません。
あるいは生まれ変わった自分を贈りたくなるかもしれません。
痛みを越えて与えようとする姿勢は必ず先に生きてきますから、勇気を持って考えてみて下さい。

(ご本人たちの許可を頂くのを忘れてたんですけど、いいお話なので引用させてもらってもいいかな?と掲載させていただきました。問題だったら、言ってくださればすぐに削除します)

12/11 福岡・心理学講座

ご参加ありがとうございました!
アンケートにて頂きましたご質問に回答させていただきます。
参加されていない方にもできるだけ分かりやすいようにお答えしてるつもりですので、どうぞお時間のある時にお楽しみ下さい。

*心理学講座(福岡)*
2004/12/11(Sat) 13:00~17:00 『自分に自信を持つ方法』
2004/12/11(Sat) 18:30~20:30 『ヴィジョンを見つけよう!』
天神・オフィスハミングバード西茂ビル7F会議室

続きを読む

(12/16)大阪にて&嫉妬について

今夜はこの冬一番の冷え込みになるようで、あれだけ夏は暑い日が続いたのに、ちゃんと寒くなるんだな・・・なんて思ってみました。

そういえば、今日カウンセリングルームから虹が見えました。
ちゃんと色分けされていましてキレイで、ほんと何年ぶりかに見たんでめちゃくちゃ嬉しかったです。

*--*--*--*

福岡からは飛行機で飛んで帰ったんですけど(いつの話かというと月曜日の出来事です(笑))、大阪空港へは瀬戸内海から富田林の辺り(PL学園で有名なPL教団の塔が見えるからすぐ分かる)を旋回して大阪の街並みを見ながら着陸するんですよね。
ずーっと家や街が続いてて「大阪って大都市なんだなあ」と今更ながらに思わされたり(そういえば、大阪府って人口が883万人もいるらしいですね。いや、びっくり)、昔住んでた街が見えて懐かしく思ったり。
カウンセリングルームのある江坂の近くも通るんですよ。
自宅のマンションもちらっと見えて、ちょっと感動。
「ふむふむ、ここが東大阪の辺りだな」とか「都島かー」とか思いながら。
見知ったビルとか道とか川とかが見えると、やっぱり嬉しいですねー。

やっぱり窓に顔を押し付けてずーっと眺めてました。

*--*--*--*

福岡から帰って久方ぶりに会った乳児はイグアナからトカゲくらいに進化しておりました。
はいはいするスピードが速くなっててビックリ。
あとママの姿を求めて泣き喚くのも成長の証なようで、だんだん人間らしくなってきてます。

このまま甘えん坊になっていくのかもしれないけど、それはそれで本人が将来しんどいだろうから、自立させることも大事だし、でも、かわいいから、ついつい甘やかしてしまうんじゃないかと思ってみたり・・・。
匙加減って難しいですよね。

*--*--*--*

「嫉妬」について。

嫉妬って感じたくない感情の中でも、ピカイチの存在感を放つもので、この感情が出てきたらもう大変ってな感じです。

「うわー、あたし、やな奴ー」
と思えるうちはまだまだ余裕のある証拠で、闇に潜むような暗い嫉妬心ともなると、どろどろっとした陰湿な気配が漂ってきます。

奪う、奪われる、という感覚。
失う、手に入れる、という感覚。
見捨てられる、という感覚。
全てが恐れと結びついて、正気じゃなくさせてしまう場合もありますね。

そして、権威や権利を行使したり、脅迫したり、どんな手を使ってでも、その感情から逃れようとするのかもしれません。
「夫婦なんだから」とか「家族だから」とか言う手をついつい使ってしまうのかもしれないし、
「このヤロウ!」と怒りに任せて力づくで押さえ込もうとする場合もあるでしょう。

嫉妬って、一言ではそんな恐れや自信の無さが作り出すものなんですけど、もっとよくよく見ていけば、無価値感も罪悪感もごっちゃ混ぜになった感情なんですよね。
だから、自分でもよく分からないし、もうどうしようもないように思えてしまいます。

心がそのまま持っていかれるような感じもする場合もあるでしょう。

自分がそれを感じたとしたら、素直になれって言われても難しいのが本音。
でも、できるだけ自分自身を見つめる勇気が求められる瞬間です。

そこで感じてるのは、自分自身の一番のウィークポイント。
一番見たくないところ。
でも、それを見つめようって覚悟が要りますね。
自分の弱さを受け入れる、
自分の未熟さに謙虚になる、
白旗を振る、負けを認める。
屈辱的かもしれませんが、そこからまたスタートし、成長していくことができるんです。

これはもう、その時の自分自身の意志、“選択”にかかってきます。
「できな~い」と思ってしまうんですけど、そこを「よっしゃ」と腹括る勇気が求められます。

だから、普段から小さな嫉妬を感じるたびにそれを受け入れたり、友達や誰かにそれをコミュニケーションしながら、その感情に慣らしていくのがベストなのではないでしょうか。
いきなり大きいのがどーんと来たときに何とかしようって言っても難しいです。

逆に嫉妬される立場に回ったとしたら、その人は自分の価値を見てくれているということ。
なかなかそういう態度には見えないかもしれませんが、「ありがとう」と受け取ってあげることが大切ですね。
ムゲに扱ってしまうと、もっと強い攻撃がやってきます。
相手の人が感じている、上に描いたような気持ちを受け入れ、理解してあげることが肝心です。
これもまた、勇気が要ることですね。