ベネッセ発行の「サンキュ! 2018年 01 月号
」の160ページからの「長女という役割を背負い過ぎていませんか?」の取材に協力させていただいてます。
ベネッセ社のサンキュ!2018年1月号「長女という役割を背負い過ぎていませんか?」に協力させていただきました。
京都リトリートセミナーを無事終えることができました。
相手を試してしまうのは自分の愛に自信が持てないから。
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よくテストをしてしまうパターンを私たちは持っています。
それは愛される自信がないから、でもあるのですが、その実、自分の愛に自信が持てないからなんです。
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ネタ提供させてください。
いつも恋愛で相手を試してしまう癖があり、毎回このパターンで失恋を繰り返してしまうので、どうにか抜け出したく質問したくメールしました。
毎回仕事が忙しそうだったり、自分の世界やこだわりがある人に惹かれて付き合うのですが、毎回自分のことが優先されず不満が募り、結果として「私の方を見てよ!」「私ってあなたにとって何なの?」などと責めてしまいます。そして相手を疲れさせ困らせてしまいます。
困ったことにかのキムタクのように「ちょ、待てよ」と引き留めてほしい欲求があるのかもと思います。私が死んだらどうする?私がいなくなったらどうする?などありもしない質問もしてしまいます。
それで引き留めてくれなかったら失望して、相手の愛情を疑ってしまいます。また、自分以外のことに熱中されるとどうしてもこっちを向いて構って欲しくなってしまうのです。
毎回相手を疲れさせて、付き合い始めは愛されていたはずなのに波風を立ててしまい、結果として離れて行くのを見つめつつ、フン、やっぱり私を愛してくれる人はいないのね。と変に納得している部分もあります。
素直に愛し愛され安定した付き合いがしたいはずなのに、どうしてこうなってしまうのでしょう?私は男性不信というか、人間不信なのでしょうか?私は何がしたいのでしょう?わからなくなってしまいます。
良かったらネタ提供として取り扱ってくだされば嬉しいです。よろしくお願いします!
(Sさん)
セックスレスが嫌で離婚したいんだけど、いざ離婚しようとするとその決意を覆しちゃうのはなぜ?
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離婚に限らず、目標をもう少し先に置いてみてそこにワクワクすると目標が通過点になったりします。
また、優先順位を出してみると意外と満たされてることに気付いたり、あるいは、いざ動くことに抵抗があったり。
そして、何よりもほんとは旦那とセックスしたい私がいるのかもしれません。
答えはやはり自分の心の内にあるんじゃないでしょうか。
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根本先生こんにちは。過去のブログを読み漁ってもわからなかったのでリクエストさせてください。
私は旦那との性の不一致と言いますか、セックスレスで悩み、寂しくて浮気をしたこともありました。
浮気をした後はスッキリしたり、罪悪感があったり、でもやはり自分がしたいのは旦那と向き合うことだと感じたので、夫婦関係を良くしようと頑張っていました。
今考えたらそれも犠牲心からだったのかもしれません。旦那が望む妻とはどんな妻なのか?常に考え、ニコニコして、飲み会には快く送り出し仕事も家事もこなしていました。
ですがやはり自分に限界がきてしまい、セックスレスの寂しさや孤独感を訴えてしまう、そんなループの繰り返しでした。
自分の生きたいように生きる。それを考えると旦那とのパートナーシップでは実現できません。もう俺には性欲がないとバッサリ切られてしまっては、努力のしようがないと思いました。
このままなんて辛いし子供もいないし、幸せなパートナーシップを築いて子供を持つには離婚してやり直すなら今しかないと感じて、離婚を切り出しました。切り出すからには撤回してはいけないと何度も自問自答しました。
なのに、旦那が同意した途端とてつもない絶望と不安と孤独感が襲い、1人になるぐらいなら我慢して、セックスレスでも旦那のそばにいたいと思ってしまったのです。あんなに苦しくて悩んで出した結論なのに、旦那には呆れられ、周りにも何を躊躇してるの?と呆れられ、孤独感がますます酷くなるだけでした。
冷静になれば、やっぱりセックスレスなんで嫌なんです。なのにどうして、あんなに決意したはずなのに離婚を覆してしまったのでしょうか?
一時の気の迷いなのか、恐れなのか。自分で自分がわからなくなってしまいました。辛いです。
ここからまた建て直すには、どういった心の持ち方をしたら良いのでしょうか?
離婚するにしても、やり直すにしても、腹がくくれません。自分の決意が足りなかったのでしょうか。
お忙しいとは思いますが、ネタとして取り上げてくださると嬉しいです。
(Sさん)
リトリートセミナー前日~当日。予想外に初冬の京都を堪能しています。
今日から京都リトリートセミナー。前日入りして心の準備を始めます。
地元スタッフご推奨の東山、八坂さんの奥にある長楽館。
金曜日に設定していたオプショナルツアーが予想外の閑古鳥となったため、スタッフと共にお茶をすることにしたのです。

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どこに行っても自分は邪魔者だと感じてしまう心理。
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自己否定があると邪魔者だと思うようになります。
また、誰かを攻撃していると、その投影で自分が邪魔者だと感じます。
そして、自己肯定感があがると、邪魔者であることに快楽を感じられるようになります。
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邪魔者の心理についてご教授願えませんでしょうか。
子供の頃からその場に相応しくない、ここに居て申し訳ありません、的な思いが時々強く出て、いてもたってもいられなくなります。
誰しもそんな状況になることはあると思います。
私は堪え性がないので、我慢出来ず逃げ出すことしばしば。
子供の頃家庭で疎外されていたかというと、むしろく逆で過干渉気味くらいです。
ということは、本心は自己卑下ではなく、尊大で中心的に扱って欲しいけど、それが叶わないので耐えられない、という心理なのでしょうか…?
確かにわたしは内弁慶なところがあります。
慣れて心地よい人の前ではとてもリラックスして多弁です。
そんな自分を恥ずかしく思います。
少しずつでもそんな自分と向き合い成長出来るアドレスを頂けたら幸いです。
(Aさん)
(新刊再び執筆中)人間関係がスムーズになる方法を書いているところです。
3月にフォレスト出版から出る予定の新しい本の執筆をしております。
人間関係の構築に関する本で、できるだけ具体例を入れつつ、読みやすく、分かりやすく、また、「おお!そうか!」と発見を与えられるような、そして何より職場で、家庭で生かして頂けるものになるように頭をフル回転させております。


