どこに行っても自分は邪魔者だと感じてしまう心理。


自己否定があると邪魔者だと思うようになります。
また、誰かを攻撃していると、その投影で自分が邪魔者だと感じます。
そして、自己肯定感があがると、邪魔者であることに快楽を感じられるようになります。

根本裕幸さま

邪魔者の心理についてご教授願えませんでしょうか。

子供の頃からその場に相応しくない、ここに居て申し訳ありません、的な思いが時々強く出て、いてもたってもいられなくなります。
誰しもそんな状況になることはあると思います。
私は堪え性がないので、我慢出来ず逃げ出すことしばしば。
子供の頃家庭で疎外されていたかというと、むしろく逆で過干渉気味くらいです。
ということは、本心は自己卑下ではなく、尊大で中心的に扱って欲しいけど、それが叶わないので耐えられない、という心理なのでしょうか…?
確かにわたしは内弁慶なところがあります。
慣れて心地よい人の前ではとてもリラックスして多弁です。

そんな自分を恥ずかしく思います。
少しずつでもそんな自分と向き合い成長出来るアドレスを頂けたら幸いです。
(Aさん)

要するにAさんは「姫」ということですね。ふふふ。

「子供の頃からその場に相応しくない、ここに居て申し訳ありません、的な思い」

という一文に共感される方も多いと思いますし、また、子どもの頃はそうじゃなかったけど、今、そうだわ、と言う方もいらっしゃるでしょう。

この感覚にはいろいろな解釈があるんですけど、ポジ、ネガ、どっちを聞きたいでしょうか?笑

「その場に相応しくないなあ、邪魔者に感じるなあ」というのを最近ではアウェーなんて申しますが、その時、私たちはつい「自分が悪い」という視点から解釈しようとします。

自分がおかしい、と思うんです。

例えば、こんな人がいました。
「私、みんなが好きなディズニーランドが好きじゃないんです。何度か行ってみましたが全然楽しめなくて。でも、みんな楽しそうにはしゃいでいるでしょう?だから、私、おかしいのかな、と思っちゃって」

さて、この彼女、おかしいんでしょうか?
いえいえ、違いますよね。彼女の感覚とディズニーランドが合ってないだけです。

私たちはいろんな価値観を持っています。
旧来日本は一つの価値観に集約させようという動きがあって、大多数の意見や考えが「正しい」とされてきたんです。
でも、今はそういう時代じゃなくなって、その価値観がほんとうにたくさん増えてきました。

それは、その分、個性が認められる時代になった、ということでもあります。

だから、一昔前なら「この場に相応しくない」と思ったら、「自分が悪いのだから、その場に相応しい自分にならなければならない」と思う必要があったんです。

けど、今は違うんですね。

「あ、ここは私には合わないわ」

でいいんです。

「それでいいんですか?」

と思うかもしれませんが、それでいいんです。
そうじゃないとこんな様々な価値観がある世の中ではストレスしか感じなくなります。

「私は私」

そう、自分軸でOKなんですから。

だから、Aさんのような姫さまには、庶民どもが通う場所は居心地悪いに決まってるのです。
そら、大衆酒場でおっさんたちがワイワイやってるところに姫様が来てみ?そら、周りもびっくりしまっせ!ってことです。

だから、「その場に相応しくない、ここに居て申し訳ない」と感じるならば、その大衆酒場を出て、自分に合う世界に向かえばいいんです。
やっぱ、姫さまには舞踏会ですかね?

要するに「その場に相応しくない」と思うのは、「身分不相応」だと解釈し、その場を離れるのが正解です。

だから、我慢できずに逃げ出してしまうのは正しい方法なんです。
堪え性なんて要りませんからね。
ちなみに私もサウナに入れば、サクッと出てきてしまうチキン野郎でございます。

でもね、こういう話を聴くと、

「え、でも、そういうことじゃなくて。私は、どこに行ってもそう感じてしまうので・・・」

という風に思われる方も多いと思うんです。
それは自分が姫さまであることを受け取ってないからでもあるんですけど、同時に、「私がおかしい、私がダメである」という思いに固執してるからでもあるんです。

自己否定は知らず知らずのうちに癖となり、自分の意識しないところでも自動的に発動してしまうものです。
だから、自己否定を手放して、自己肯定に置き換われば、自分の意識しないところで常に自己肯定し続けることになるんですよね。
それってすごいでしょ?
意識しなくても自分を肯定してるの。

だから、Aさんの書いてくださった文章をめっちゃ揚げ足取りしてまいりましょう!

「その場に相応しくないのは今の自分にその場が合っていないからでー。
だから、ここは私の要る場所ではないわけでー、
堪え性なんて必要ないし、
逃げるときは思い切り逃げればいいのであってー、
私は姫だから周りの人々にちやほやされたいわけでー、
だから、私を中心にしてくれない場所にはいたくないしー、
あと人見知りなだけで、別に無口でも何でもなくー、
私の審査を通過して心を開いた者には私の言葉を語って聞かせてあげてもいいと思ってるのよ」

というところですね。

はい。そんな私をただ受け入れて愛してあげてくださいね、ということです!

さて、自分のことを邪魔者だと思う心理にはそんな自己嫌悪・自己否定もありますが、もう一つディープな部分にも触れておきましょう。

自分が邪魔者である、という思いを社会に投影したらどういうことが起こると思いますか?
心理学の基本、投影を使うレッスンです。

そう、誰かのことを邪魔者のように扱ってる自分がいる、というわけです。
さあ、Aさんにとって「邪魔者」とは自分以外で言えば誰でしょう?
家族でしょうか?
友達の中にいるんでしょうか?
あるいは、人間はみんな邪魔者という思いでしょうか?

そして、その邪魔者は放置するんでしょうか?
いえ、そうではありませんよね。
心理的に攻撃を繰り返しています。

このパターンは潜在意識の中で人間関係を作るたびに起きて来るので、どこに居ても感じられるものになっていきます。

つまり、もしかするとAさんの中にはそれだけ攻撃性があり、そして、驚くなかれ、Aさんも立派な情熱の女、そう戦士であるということが言えるのです。

そして、外に向かう「お前は邪魔者じゃー!!」という怒りや攻撃性を封じている分だけ、自分のことを邪魔者のように感じてしまいます。

じゃ、Aさんにとっての邪魔者は誰なのか?
それがラスボスかもしれません。

自分が邪魔者である、という環境。
すなわち、アウェー感満載な場所は、とても刺激的なところです。
自分とは違う価値観や考え方や性格の人たちがたくさん周りに居て、その違いを感じることで自分の世界がどんどん広がります。
そして、それが自分の成長に繋がります。

Aさんが成長をしたい、ということであれば、その邪魔者である空間を楽しむこともできるのです。

海外旅行が好きな人はきっとそんな違いを刺激に感じたい人なのかもしれません。
私も時々バリバリのビジネスセミナーなどに参加して、ものすごくアウェー感を感じます。
「日本を変えるぞ!」という夢を熱く語る若い青年の隣で「僕の夢は沖縄に移住することでね」なんて語るのはかなりの勇気が要るものです。
「年商が昨年の1.5倍になったんですよ!」と嬉しそうに語り、喝さいを浴びる経営者の横で、「いや、実は私、自分の年商がいくらかってよく知らなくて」と語るのもまた「は?お前なんなの?」という視線を快感に感じられないと苦しいものです。

邪魔者である、ということは、今、そこで刺激を吸収して、人間的に大きくなろうとしているから、なのです。

だから、違う世界にいるんだから居心地悪くなるのが当たり前だし、逃げ出すのが自然。
それでいいわけです。

私たちは「自分を否定しよう」と思えば、どんな理屈を使ってでも自分を否定します。
でも逆に「自分を肯定しよう」と思えば、どんな理屈を使ってでも自分を肯定します。

それは自分が決められることなんですね。

だから、「自分を肯定する」って先に決めちゃっていいんです。

「えー、でも、分かってはいるんですけど、できないんですぅ~」と思うのは、まだ決められてないから。残念ながらまだまだ自分を否定する気が満々だから。
自分を肯定する気分になるのを待ってたらものすごく時間がかかります。
だから、先に決めちゃって、気分が後から追いかけて来る形でもいいんです。

「自分を否定しない、肯定する。」
これを決めただけで人生を変えた人もいます(確か本で紹介しましたよね?)。

「肯定することが前提」というのは素晴らしいことですね。

ということで、そんな自分軸と自己肯定感を学ぶならお馴染みのこの本ね!

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

 

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