*
よくテストをしてしまうパターンを私たちは持っています。
それは愛される自信がないから、でもあるのですが、その実、自分の愛に自信が持てないからなんです。
*
ネタ提供させてください。
いつも恋愛で相手を試してしまう癖があり、毎回このパターンで失恋を繰り返してしまうので、どうにか抜け出したく質問したくメールしました。
毎回仕事が忙しそうだったり、自分の世界やこだわりがある人に惹かれて付き合うのですが、毎回自分のことが優先されず不満が募り、結果として「私の方を見てよ!」「私ってあなたにとって何なの?」などと責めてしまいます。そして相手を疲れさせ困らせてしまいます。
困ったことにかのキムタクのように「ちょ、待てよ」と引き留めてほしい欲求があるのかもと思います。私が死んだらどうする?私がいなくなったらどうする?などありもしない質問もしてしまいます。
それで引き留めてくれなかったら失望して、相手の愛情を疑ってしまいます。また、自分以外のことに熱中されるとどうしてもこっちを向いて構って欲しくなってしまうのです。
毎回相手を疲れさせて、付き合い始めは愛されていたはずなのに波風を立ててしまい、結果として離れて行くのを見つめつつ、フン、やっぱり私を愛してくれる人はいないのね。と変に納得している部分もあります。
素直に愛し愛され安定した付き合いがしたいはずなのに、どうしてこうなってしまうのでしょう?私は男性不信というか、人間不信なのでしょうか?私は何がしたいのでしょう?わからなくなってしまいます。
良かったらネタ提供として取り扱ってくだされば嬉しいです。よろしくお願いします!
(Sさん)
そもそも
「仕事が忙しい人/自分の世界があるこだわりの人=私のことを優先してくれない人」
ですよね?
ということは、自分のことを優先してくれない人を好きになるマニアなSさんってことですね???
なぜ、だと思いますか?
大事にされないって分かっていても好きになっちゃうのは?
一番シンプルな見方は親がそういうタイプなの?というところ。
もし、親に大事にされてない、と感じるのならば、「親代わりに彼氏を求める」という恋愛原則に則っていることになります。
どう?思い当たります?
でも、「うちは親に大事にされたけどなあ」と思っていてもこのパターンにハマる場合もあります。
*
それと「ちょ、待てよ」とか言われたい心理。これは男女問わずけっこうあると思います。それがキムタクからだったら、そりゃあ、もう、ずっと待ちます!とハチ公並みの決意をされることと思います。
「愛されてるって感じたい」わけです。私たちはみんな。
ストレートに「愛してるよ」って言われても信じられないので、自分が「これをしてくれたら愛されてるって感じられる」という基準をパートナーに要求するわけです。
Sさんの場合は、「ちょ、待てよ」というセリフを言ってくれたら「ああ、私は愛されてるぅ~!!!」って感じられるんですね。
「激おこプンプンなんだからぁ!!」って言って「よしよし」してもらったら、愛されてるって感じるので、アラフォーでもぷぅーっとほっぺを膨らませて怒りますよね?
向こうから連絡をくれたら愛されてるって感じられる人は、自分が愛を感じたいときは、寂しくても歯を食いしばって我慢して向こうからの連絡を待ちます。
相手を怒らせるようなことを言って、それで真剣にキレた姿を見て、そこまで私のために情熱を燃やしてくれるのね、と感じて愛を感じることができます。
何度も断って、それでも追いかけてきてくれる時に愛を感じられる人は、何でも最初の誘いにNGを出します。
で、1度目は相手も乗ってくれるんですけど、何度もその手を使うと相手も疲れます。
「またか」となって失望されます。
その結果、「再び、私は一人になったのであった」というナレーションが流れるようになるわけです。
なぜ、「相手の愛を試すのか?」というのは「愛を感じたい」からであり、かつ、それは自分が愛を感じられるやり方で試すんですね。
そして、その「愛を感じられるやり方」というのは、年々複雑化していくもので、まるでリアル脱出ゲームのような難解さを持つものもたくさんいます。
すなわち、彼の愛を試そうと思ってあちこちに罠を仕掛けたら、その罠が高度すぎて誰もクリアできず、結果的に「私のことを誰も愛してくれない」とダンジョンの中で引きこもっている武闘派女子も少なくないのです。
*
「愛してる」という言葉をかけられても「他の女にも言ってるんでしょ?この口だけ男!」と思うでしょ?(体験済み)
「そんなことないよ、お前だけだよ」って言われたら、「じゃあ、証拠見せてよ。私だけって証拠を見せなさいよ」って追い込むでしょ?(体験済み)
で、そういう時に強引にぐっと引き寄せられて思い切り抱き締められて「だから、愛してるって言ってんだろ?俺を信じろよ!」って言われると「じゃあ、少しくらい信じてもいいかな?」って思うんでしょ?(失敗するときもあり)
で、そこで「愛されてる」って感じて、それを信じられた分、次にまた愛を感じたくなったら同じことをするんです。
でも、前と全く同じでは感動は半減しますよね?
だから、より刺激を求める形となり、「そうやって抱き締められたら私の気が済むとか思ってるんでしょ?ほんとに私の気持ち、考えてくれてるの?」とまた複雑な提案をするようになります。
そして、彼の困った顔を見て、やっちゃった、と思いつつ、やっぱりこの人は私のことを真剣に愛してくれてない、と思って、それもまたなぜかホッとしてしまうわけです。
こういうパターンは常に新しいものを求める、サプライズを求める女性にやはり多い傾向がありますね。
男性はどちらかというとワンパターンになりがちです。
*
で、どうしたらそんな不器用なことをやめられるのでしょう?
もっと素直に愛を感じて、愛を受け取れないのでしょう?
相手の愛を試すもう一つの心理は「保証」が欲しいんです。
「私のためにそこまでしてくれるんだったらお前を信じてもよかろう」
というわけです。
だから、その手続きは複雑なものになりますね。
なんで保証が欲しいのか?
なぜ、素直に相手の愛を信じられないのか?
自信がないからなんです。
自分がそれだけ愛されるほどの価値や魅力があると思えないんです。
「え?こんな私のことがほんとに好きなの?え?こんなショボい女なのに?胸もないし、貯金もない女なのに?めんどくさいよ?すぐにキレるよ?めちゃくちゃ構ってちゃんだよ?それでもいいの?」って思ってるんです。
つまり、自分へのダメ出しがめっちゃ大きいんです。
それと同時に「自分の愛を信じられない」んですね。
「こんな女が贈る愛なんてしょうもないもの」と思っちゃう部分もあるんですけど、もっと強いところにあるのが、「私が愛している自信がない」でもあります。
どこかで「愛されるから、愛する」という駆け引きがあるのかもしれません。
そうすると「後手」になりますね。
「受け身」であり、「待ち」になってしまいます。
そうすると愛を出し惜しみしてしまうんです。
もったいないですよね。
せっかく素晴らしい愛を豊かに持っているのに。
私たちはつい「思われる」ということに価値を見出そうとしますが、そうした他人軸、受身、依存的な気持ちが強くなると、いつも不満や不安を抱えなければいけなくなります。
相手次第になっちゃいますからね。
だから「思う」ということを大切にする方が幸せです。
つまり「愛する」ということ。
自分の愛に自信がないから、相手を試すようなことをしてしまう・・・頭の隅に入れておいてください。
自分が与えられる愛を与えよう、という意識でいると、相手がどうであろうと気にならなくなります。
自分の愛と繋がっているだけで幸福感が感じられるからなんです。
○根本のセミナー情報
○カウンセリングのご案内
☆根本の著作一覧
☆オンラインスクール「テキスト&動画で学ぶ、めっちゃ使えるココロの法則」
☆DVD/動画配信サービス:心理学ワークショップDVD
☆音声配信サービス:ココロノポッドキャスト