欠点を欠点として受け入れるとうまく生きられる、というお話を昨日した。
引き続き今日は、そんな自分を許してあげよう、という話をする。
「そんな自分」とは、今のあなたそのものである。
何かができる自分はOKなのだが、何もできない自分はNGだと誰が決めたのだろう?
→そう私自身です。
欠点を欠点として受け入れるとうまく生きられる、というお話を昨日した。
引き続き今日は、そんな自分を許してあげよう、という話をする。
「そんな自分」とは、今のあなたそのものである。
何かができる自分はOKなのだが、何もできない自分はNGだと誰が決めたのだろう?
→そう私自身です。
私たちはつい完璧なものを目指してしまう。
穏やかになりたいと思えば思うほど、自分に怒りが許せなくなり、寒いのに電車がなかなか来なくてイライラしている自分はダメだと思ってしまう。
そういうときも、穏やかな気持ちで待っているべきであると決めてしまうのである。
そんな理想の自分と私たちは常に戦っている。
「こうすべきなのに、できない」
「本来はこうあるべきなのだ」
という姿に連戦連敗なのである。
カウンセリングのイメージでしょうか。「別れる」ということが悪いことのように思え、なかなか相談し辛いという“ご相談”を頂くことがあります。
「もっと頑張ればやり直せるかもしれないのに別れを考える自分がダメな気がする・・・。」
先日、友人と和歌山の温泉に浸かりに行ったときのことである。
そこは23.5℃の源泉(炭酸泉)の湯船と、それを41.5℃に温めた湯船、38℃のちょうどいいぬるさに温められた湯船と様々なお湯を楽しめる仕組みとなっている。
浴槽の淵はただれたように温泉成分で鍾乳洞のごとき造形を築いており、それだけでも興奮してしまう仕組みとなっている。
さて、その23.5℃の冷たい源泉に浸かっていた時のことである。
付き合い始めた頃は驚きや新鮮さもあって感謝していたり、奇跡のように感じたり、すごく嬉しかったりした、彼の長所、魅力、二人の共通の話題。
でも、長い付き合いになるにつれて、それが当たり前のものに変わっていってしまいます。
男女関係のカウンセリングでの「あるある」なのだが、付き合いが長くなればなるほど、お互い、自分と相手が同じであるように誤解してしまうようである。
自分の価値観と相手の価値観が違うことくらい“頭では”重々承知なのであるが、意識していない領域では、なかなか思いが及ばないことが多い。
ゆえに、自分の価値観を相手に押し付けてしまうことも多いのである。
一言でいえば「あなたの常識、相手の非常識」なのである。
そうした例は枚挙に暇ないが、例えば、こんなものがある。
「私は悪いと思ったら素直に謝るタイプ。だから、彼はこの件で一切謝罪がない。ってことは、悪いとは思っていないんだわ」
「体の調子が悪ければふつうは病院行くなりするよね?少なくても仕事休むよね?彼、大丈夫、大丈夫って言って、全然気遣わないの。変じゃない?」
「ふつう遅刻するときは事前に一言連絡してくるよな?あいつ、全然何も言ってこないし、遅れてきても全然悪びれないんだぜ。おかしくないか?」
「何かというと、将来どうするの?私たちどうなるの?って聞いてきて、ほんとウザいんだよな。そんなのわかんねーじゃん。これからどうなるか、なんてさ。」
忘れられない昔の彼、いませんか?
あんな人はもういないな、と感じていたり、あんな恋は二度とできないだろうな、と遠い目で見てしまうような彼。
「今、また彼と付き合いたいか?」と聞かれたら、「それはないんだけどな」と思います。執着してるわけではないんだけど、でも、ある意味絶対的な存在として心の中にいるかつての彼。