「痩せましたね~」という声を頂くことが相変わらず多い。
昨今ではそれが当たり前になってしまった感もあるが、久々に出会う方などは驚きの表情を見せてくれることもまだまだ多い。
2年ほど前と比べると12,3kgは体重は落ちている。ピークから見れば15kgほど。
嬉しいのだが、服がことごとくブカブカになってしまった点はちょっと悲しい。
どうやって痩せたんですか?と聞かれるので、「あまり参考にならないと思うけど」とか「あまり強くお勧めはしないけど」と前置きしてこんな話をする。
「痩せましたね~」という声を頂くことが相変わらず多い。
昨今ではそれが当たり前になってしまった感もあるが、久々に出会う方などは驚きの表情を見せてくれることもまだまだ多い。
2年ほど前と比べると12,3kgは体重は落ちている。ピークから見れば15kgほど。
嬉しいのだが、服がことごとくブカブカになってしまった点はちょっと悲しい。
どうやって痩せたんですか?と聞かれるので、「あまり参考にならないと思うけど」とか「あまり強くお勧めはしないけど」と前置きしてこんな話をする。
変わらなきゃいけないと分かっているけど変わることができない。
まるで手足をもがれたように自由がきかない状況にはまってしまっている。
どんどん状況が悪くなっているのに、自分からは動けない。
しんどいことすらマヒするくらいハードワークにハマっている。
自分を傷つける相手ばかりを選んでいる。
自分にはなぜか自由がないように感じる。
自分の意志が見えない、分からない。
自分が悪いような気がして我慢するのが当たり前になった。
まるで仕事の奴隷、パートナーの奴隷、家族の奴隷になってしまっているような方に最近よくお会いします。
誰もが自分を特別扱いしてほしいという願望を持っています。
だからラグジュアリーな空間ではそうした演出をいっぱいしてくれます。
リッツカールトンに行けば、到着するや否や「根本さま、お帰りなさいませ」で始まり、以後、何かと話しかけられるときには「根本さま・・・」です。
それに慣れるまではこそばゆいわけですが、ひとたび馴染んでしまうとある種の快楽で、つい名前を呼んでもらいたくてクラブラウンジをうろうろしてみたりもするのです(笑)
「あなただけに特別に案内します」
などと言われたら心がときめいてしまうように、特別扱いされると「自分は大切にされている」と感じ、自己重要性がとても満たされます。
逆に言えば、それだけ普段は「自分は必要なのかな?いてもいいのかな?」という不安をどこかに抱えている証拠なんですよね。
そして、その感覚が強いと自己主張が始まり、“特別意識”という状態が生まれます。
物事は表裏一体で、良いも悪いも思い込みや観念や判断によって決められるものです。
自分が欠点と思うところも見方を変えれば長所になりますし、周りが長所だというところも自分には欠点に感じられることもあるでしょう。
例えば、自分はがさつでいい加減な性格だと責めているのに、人はそんな部分を細かいことを気にしないおおらかな性格だと褒めてくれることもありますし、自分はわがままで感情的で人を振り回してしまうと思っていたら、自由人で情熱的な魅力を持っていると評価してくれることもあるのです。
内面的な変化が表面に出て来るのって少し時間がかかることが多い上に、なかなか気づきにくいものです。
よく「髪だって毎日伸びてるけれど気付かないでしょう?それがある日『なんか伸びたなあ、そろそろ切りたいなあ』という風になるでしょう?」と例えるのですが、内面的な変化もそんな風に起こるものです。
そして、さらにその内面的な変化が外面的な変化を引き起こすにもまた時間がかかります。
自分がほんとうにしたいことに出会えた時、やりくりのためのお金はどうしようか?などとネガティブには考えないものです。
「何とかする!」
と思っているので、何とかなることが多いようです。
また、そのやりたいことで得られる収入とかも本当は考えないようです。
それができるだけで「幸せ」だから。
結果的にはその幸せオーラに人が寄ってきます。
人がお金や情報を持ってきてくれるのです。
失恋をして、その人との復縁はあきらめたのだけど、好きな人がいないというのもまた寂しい。だから、次の人が現れるまでは好きでいよう・・・。
そんなケースに遭遇することもあります。
それが苦しくないのであれば特に問題はないと思っています。
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