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私たちの中には生まれつきの完璧主義という方もいらっしゃるわけです。
でも、その方はそれが自然だから完璧主義であることに喜びを感じることができ、幸せになることができます。
しかし、同じ完璧主義でも後天的に身に着けた場合もあって、それは本来の自分を抑圧してるから生き辛くなるわけです。
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「平等に接しているのに好意をもたれたり、嫉妬されたりする心理~セクシャリティが豊かであることをもっと受け入れるべし~」の記事、とても興味深く拝読しました。とくに「ちなみに完璧主義で理想主義になりやすい人は本来「自由人(わがまま)」「テキトー人間」「いい加減な奴」「頑張るのは嫌い」「愛嬌がある」「ぶっ飛んでる」「無邪気」「気分屋」「怠け者」「直感が鋭い」「センスがいい」という才能を持ってることが多いです。」
の箇所は、ガガーンと響き、もっとここのお話をお聞きしたいと思いました!
私はまさしくで、完璧主義と理想主義と、そして列挙された特徴すべて当てはまってます(笑)
物心ついてからずっとその相反する性質の葛藤と共にあった気がします。
完璧主義、理想主義の裏に上記のマイペース自由人(変人?)の気質をさらっと見抜いてる根本さんの慧眼にあらためて瞠目中です!
「な、何でバレてんの…?!アワワ…」という感じです。
「規範意識の下の恨み感情」などは欧米の心理学系の本で知って納得してたのですが、根本さんはどういう経緯で相反する上記の気質の関連性を見出したのかめちゃくちゃ気になってます!!
やはり臨床の中でしょうか?
また理想主義、完璧主義は手放すに限る二次障害のようなものとお考えでしょうか?
例えばユング心理学をベースにしたMBTIなどでは、理想主義は生まれながらの気質として分類されています。
(ちなみにネット診断ですが、私はENFPかINFPになるのですが、根本さんのblog読み込むほど感覚タイプのISFPが近いんじゃないかなと感じるし属してる分野もずっとISFP的です)
根本さんなら何でも拾ってくれる前提で説明なしにマニアックネタぶっ込んですみません(笑)
K-POPグループが何組か診断結果をYouTubeに上げてるので韓国好きの方はご存知の性格診断かもです(言い訳)
というわけで、理想主義と自由主義?の関連性のお話や、理想主義は気質ではなく二次障害なのか?などの質問でした。
ご関心頂けたら幸いです!
PS:MBTI、根本さんはどれだろう?と妄想広がります。プライベートは実は無口という私的萌えまくりポイントや俯瞰視点の超越的な総括感はINFJ(作家・カウンセラー多し)じゃないかな~と勝手に萌え萌えさせてもらってます(笑)
(Tさん)
MBTIという名前は聞き覚えがありまして、昔チェックしたことがあったかと思うのですが、改めてネットで診断してみたら「ESFP-A」ぽいです。
「エンターテイナー型」ということですが、まあ、セミナーが好きで人前であれこれしゃべり、カウンターに座れば店主にあれこれ話し掛けて仲良くなったり、同席した他人をナンパしたりするので分からんでもないなあ、というところ。
けど、反面物静かに過ごすこともあって、人見知りでシャイで大人しくて無口なところもありますので、ケースバイケースかなー。結局のところは気分屋でわがままなのですな。
あと解説文を読むとなんか違うくない?と思われる要素がたくさんあるのですけど・・・なんででしょ?2回やってみたけど同じ結果だったので。
昔からこの手の心理テスト、性格診断、占い等は大好きなので(今も通ってる占い師が神戸にいるし)、ついついワクワクしちゃいます。
チェックしてみたのはこのサイト。興味ある方はどうぞ。
https://www.16personalities.com/ja
ユング心理学は私も好きなので体験セッションとか受けてみたいなあ、と思ったんですけど、日程が合わず。いずれチャレンジしてみたいところでございます。
とはいえ、こういう心理テストってのはなかなか難しいですねー。
「どっちもあるなあ」とか「こういうときはこっちだけど、そのときはあっちだよなあ」とか思ってしまいました。だから、INFJ的な要素もきっとあろうかと思います。
昔は内向的な性格(I)だったのですが、この仕事を続けているうちにけっこう外向的(E)になってきたかもしれません。また、けっこう優柔不断なのですが、決めるときはパッと決められるので知覚型(P)ですけど、判断型(J)もどっちもあるなあ、と思っております。
ってことで、個人的にも面白い情報ありがとうございましたー!!
また勉強してみますー!!
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って本題はそこじゃないですね。はい。笑
さて、完璧主義や理想主義というのは先天的なものか後天的なものかというと、まあ、どっちもあるやろなあ、と思っています。
ある程度の素養は生まれつき持っていて、そこに育っていく上での環境によって定まっていくものかなあ、と。
だから、生まれた時は「理想主義:30%」くらいだった人が、いい子を期待されて優等生を演じた学生時代を経て「理想主義:90%」になっちゃうとかね。
とすると、本来の自分は30%の理想主義なんだけど、後天的に60%もそれを背負っちゃってるから生きづらいよね。本来の30%に戻した方がいいよね?という考えです。
具体的に言えば、本来自由人でわがままでマイペースなキャラで、理想主義なところはあまり観察できなかったのに、親がとてもきちんとした人で厳しく躾され、さらに学校生活においても規律を押し付けられたとするならば、
「本来の自由人では私は愛されない。こんなわがままでマイペースでは人から嫌われる」
という思い込みを持ち、後天的に理想主義の仮面をかぶるようになるでしょう。
なんでもきちんとしなければダメだと思い込むようになるわけですし、人の期待に応え、周りを失望させることなく、いい人であろうとします。
そして、自分の本来の要素である自由人気質を思い切り嫌い、自分の中にその要素を見つけると他人から叩かれる前に自分で思い切り否定して隠してしまうでしょう。
そうして、元々自由人であった分だけ、それを旺盛なエネルギーで否定し、真逆のキャラである理想主義な自分を作り上げるわけです。
これは「愛されるために自ら創り上げた仮面」であり、下記の本や動画ではそれを「メイク」と置き換えてどうしたらもっと本来の自分を生きられるのか?という点をテーマにしています。これを補償行為と言います。
*『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房)
*セミナー動画:心のメイクを落として本来の自分らしさを取り戻すワークショップ3days
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これはTさんの疑問のひとつに応えることにもなるのですが、もし、元々理想主義な方が理想主義的な生き方をしていてもそこに問題は生まれません。
それが自分らしい生き方ですから幸せを感じられます。
しかし、本来理想主義でも何でもない人が、補償行為として理想主義を演じているのであれば、それは「右利きなのに左利きで生きているようなもの」なので、かなりしんどいし、そこに問題が生まれてきます。
「問題」とは本来の自分から離れてしまった分だけ大きくなるものですから、理想主義的な要素で苦しんでいるのであれば、本来の自分はそれとは縁遠い世界の住人じゃないのか?という推測が成り立つのです。
これがTさんのおっしゃる二次障害ということになりますかね。
※こうした「問題の仕組み」についてはこの動画に詳しいです。
「セルフ・ソリューションセミナー~自分でも問題が解決できる方法~」
だから、Tさんが本来は「自由人(わがまま)」「テキトー人間」「いい加減な奴」「頑張るのは嫌い」「愛嬌がある」「ぶっ飛んでる」「無邪気」「気分屋」「怠け者」「直感が鋭い」「センスがいい」にもかかわらず、理想主義や完璧主義な生き方をしてるとしたら、相当しんどいだろうなあ、と思うのです。
なので、その部分はカットしてもっと自分らしい生き方をしていこうよー!という提案になるんですね。
それが「理想主義を手放す」とか「理想主義のメイクを落とす」という言い方になりますし、時には「鎧を脱ぐ」なんて表現をすることになります。
つまり、素の自分では愛されないと思ったTさんがそうした本来持っている“長所”を捨てて、分厚いメイクをし、鎧を着込んで生きてるわけですから、肩も凝るし、皮膚呼吸ができなくて苦しくなるよねえ?という話なのです。
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ただ、私の考えですけど、理想主義も完璧主義も自由主義というのも説明する上で分かりやすく付けた名前(レッテル)であって、あらゆる診断テストの結果でもそうですが、あまりそのレッテルに振り回されないほうがいいと思ってます。
結局は「その人本来の個性と今の姿のギャップが大きければ大きいほどしんどいよね」ってわけで、自分らしく生きられたら人は幸せだし、楽しいし、自然と魅力的になるし、きらきらするわけです。
だから、私の場合は理想主義や完璧主義を手放しましょう!と言うわけですが、それがご本人の生き方に合わない場合のみであって、例えば、某映画監督や某演出家のように完璧主義が板に付いていてそれによって素晴らしい作品を創出している方には「それは手放した方がいいです」とは言いません。
完璧主義であることが苦しいのであればそれを手放した方がいいし、それが自分らしいということであれば、むしろ強みとして活かした方がいい、という考え方なんです。
それで私のセッションでは「本来のあなたは○○で△△で××で□□なキャラじゃないかしら?それを封印して生きてきたら苦しいんじゃないかしら?だから、それ、やめたほうがいいと思うんだよねー」という話がよく出てくるのです。
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さて、本来の性質を捨てて、新たなキャラを作り出してまで私たちは「愛されたい」という欲求が強いものです。
でも、同時に「愛したい」という欲求のもあり、愛する人を悲しませたくない、迷惑をかけたくない、失望させたくない、という思いから自分本来のキャラを隠してしまうこともあります。
これらが絡み合って私たちは「本来の自分ではないキャラを生きること」を自ら選択します。
そして、「愛されたい」という受け身・依存的な欲求から生まれる補償行為よりも、「愛したい」という主体的・自立的な欲求から生まれる補償行為の方が手放しにくいのも事実です。
自分を捻じ曲げてでも相手を愛したいわけですから、そこで本来の自分を生きることは、愛する人を困らせることになると感じてしまうんですね。
つまり、そこで罪悪感が出てきちゃうわけです。
この罪悪感を察知するから、私たちはなかなか分かっていても本来の自分に戻ることに抵抗がある、すなわち、補償行為を辞めることが難しいのです。
だから、そこではこんな見方を採り入れることが重要になります。
「あなたの愛する人は、あなたが自分本来の姿を隠して犠牲的に振舞うことを歓迎しているのだろうか?」
愛したいがゆえに犠牲するとしたら、それは相手を喜ばせることになっているのか?という命題ですね。
こう言われてしまうと「そりゃ、まあ、そんなことないですけれど・・・」と口ごもることになると思いますので、「ああ、やっぱり本来の自分を生きたほうがいいんだべな」という結論に至っていただければと思うのです。
ということで、たまには小難しい話もいいっすよね?笑
★自分軸を取り戻すための本。
>『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房)
>「敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法」(フォレスト出版)
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