私たちの中にある「愛したい私」と「愛されたい私」が生み出す葛藤について~「私はいないほうがいい」という罪悪感の裏にあるもの~



「自分に代わりはいくらでもいる」という思いは「自分は毒である観念」の現れ方のひとつなわけですけれど、その裏には「愛したい私」が「愛せなかった」体験が積み重なっているとも言えます。
そして、同時に私たちのもう一つの側面「愛されたい私」が行き場を失っているからこそ、出てくる気持ちでもあるのです。

根本先生こんにちは。いつもお世話になっております。

「自分が毒であるという観念」の講座、申し込みました!
なかなかうまくいかない人間関係と自分自身の心や言動を本気でなんとかしたいと決意し、今年ようやく自分の奥底に眠っていた無意識の思いや両親への問題など、だいぶ気づきや許しを得ることができました。

私の気持ちを深く掘れたのですが、

相手は私の代わりなんてすぐに作れる。
私より他にいい人がいるし、その人といた方が相手は幸せだ。
むしろ私は相手の幸せの邪魔になる。
それなら私はいない方がいい。私なんかいない方が相手の幸せになる。

自分を受け入れてくれるなら誰でもいいんじゃないか。
私は貴方のことが大好きで愛していて大切だけど、貴方はそうじゃない、私である必要なんてないんだ。
所詮、その程度の気持ちしか無いんだ。

という思い込み・決めつけと

私だって他でもない私がいいんだってぐらい愛されたかったし大切に思われたかった。
私を選んでいてほしかった。
私はその人が大好きで愛していて大切で、その人とずっと一緒にいられて、かつ、相手も私と一緒にいて喜んでくれたり幸せに思ってくれたりするなら(それらを与えられたなら)、それが一番いい。

という本音があることに気づきました。

そして、両親から始まり特に深く関わった人間関係において、私なりにずっと自分の本音は抑え込み相手の幸せを願い優先してきたことを知りました。
すごく痛いけど実は私の願いは叶っていて、一方で私の本音は叶えたことがない。

しかもよくよく思い出してみると相手が私のことを大切に思ってくれていたこと、特別に思ってくれていたこと、私と過ごして楽しくハマってくれることの方が多かったかも…(思い違いじゃなければ…)と気づいたり。人の愛を受け取れるようになってきたのか涙がよく出るようになりました。

今度こそ自分の本音を大切にしつつ、大切に思う人たちの気持ちをちゃんと聴きながらたくさん与えられたらなと思うのですが、自分の存在価値に自信も無く、やっぱり私はこのままいない方がいいんじゃ…と引っ張られるし(今人間関係から距離を置いています)、自分が大切に思われていた場合の感覚も、そうだとしてまた壊れたらと思うととても怖いです。

あと一歩な気がします。どうしたら自分を信じられますか?
講座でもヒントを得られたらなと思っています。
(Yさん)

Yさんの気持ちに共感される方ってとても多いんじゃないかなあと思うわけですけどいかがでしょうか?

「自分がいないほうがいい。その方が相手は幸せだ。」とか「べつに私じゃなくてもいいんでしょう?」という思いはまさに「自分が毒である」という観念に他ならないのですし、その裏側には「ほかの誰でもない私だけを愛してほしい」というニーズが隠れているのもまた共感される方が多いと思うのです。

自分の本音を大切にしたい、と思うのならば、まずはそうしたニーズを受け入れていくことが一歩目になるかもしれません。

「自分ってほんま強欲やなあ」と思えるくらい、今まで抑圧されてきた「自分のニーズ」に目を向けるんですな。

私だけを見てほしい。
私だけを愛してほしい。
私を選んでほしい。
私がいなきゃダメって言ってほしい、感じてほしい。

「貴方」に対してはきっとそんな思いが根強く残っていると思います。

そもそも子どもってのは自分が愛されるべき存在だと知っているので、愛情を求めるわけですね。

その一方で、大好きな人を愛したい気持ちも大きいですから、愛情を惜しみなく与える存在でもあります。

「愛されたいし、愛したい」という一見、相反する“ニーズ”を持っているわけです。

そして、その両者が満たされることってあんまりなくて、たいていは志半ばになるものです。

例えば、両親がいろいろと忙しく余裕がなく、子どもに割く時間が十分取れなかった場合、「愛されたい私」は寂しく、不満を抱えるものです。

その一方で、「愛したい私」はその両親に迷惑をかけぬよう、少しでも両親が楽になるよう、いい子になったり、お手伝いをしたり、両親を助けようとしたりするんですね。

で、Yさんはどんな事情があるかは分からないのですけど、「愛されたい私」はあまり満たされず、「愛したい私」の方が満たされるような感じだったと思うのです。

それが、

>私なりにずっと自分の本音は抑え込み相手の幸せを願い優先してきたことを知りました。

ということなんだろうと思います。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
*セミナー動画:『私の幸せを阻む「罪悪感」を「愛」で癒して「私」を自由に解放するワークショップ』
*心理学講座動画:『罪悪感と癒着の心理』
光の瞑想~疲れや罪悪感などを癒すイメージワーク~

で、私たちは幼少期の親とのかかわりをベースに人間関係を築いていきます。

Yさんや同志のみなさまは「愛されたい私」を抑え込み、「愛したい私」を前面に出して人間関係を構築してきたと思うのですね。

つまり、Yさんの言う本音というのは「愛されたい私」の気持ちなんだろうと思われるわけです。

一方で、「相手の幸せを優先する」ということが不幸だったか?と問われたら、おそらくその回答はNo!!!!だと思うのです。

それは「愛したい私」がしてきたことですから、こちらも本心だったろうと思います。

で、これが「成功法則」になるんですね。

だから、つい恋愛でもビジネスでも「愛したい私」を前面に出すようになるし、しかも、それがけっこう成功しちゃったりするわけです。

そうするとますますこの成功法則にしがみつくようになります。

ところが、「愛したい私」は各方面で満たされるのですが、隠されている「愛されたい私」はどんどん不満を募らせます。

「なんで私ばっかり愛するのよー。愛してくれてもいいじゃなーい!!」という。

それが何かのきっかけで爆発を起こしたり、「なんかうまくいかねー」と問題に気づいたり、ボロボロになるまで疲れちゃったりしたときに、あれ?と気づくわけです。

それで「あたしは本音をずっと隠して生きてきたんだー」と思うようになるわけです。

まあ、自分なりに学んだ処世術(成功体験)である程度はうまくいったけど、なんか違うって気づいちゃった、という感じでしょうか。

あるいは、その処世術が仕事では役立つけど、恋愛では全然うまくいかねー、と気づく感じでしょうか。

Yさんのようなパターンを持つ方は「自立系武闘派女子」という種族にはたいへん多いものでして、ここまでのお話を読みながら「これはあたしだ!」と戦慄されてる方が数億人ほどいらっしゃると思うのですけれど、要するにそういう方は「与え上手なんだけど、受け取り下手」という問題としてくくられちゃうものです。

くくられるのってのは不本意だと思うんですけど、まあ、便宜上のことだと了解してくださったらありがたい次第でございまする。

「与え上手、だけど、受け取り下手」

このセリフで一気に動悸が始まった方もいらっしゃると思うのですけれど、大切なのは、それが「処世術」つまりは、「成功体験」に基づく生き方だということを受け入れることが大切です。

それでうまく行っちまってるもんだから、そのやり方に執着してしまいやすい、という見方もあります。(←これ、案外重要です。無自覚なことが多いものですから。)

成功体験なものですから、どんな人間関係でも与えることに意識が向き、相手を喜ばせようとしてしまうわけです。癖なんですよね。

そうすると受け取ることなんてすっかり忘れてしまい、「いやいや、あたしのことはいいですから、まあ、おひとつどうぞ」なんてやってしまうわけです。

ところが、ここでひとつ大問題がありまして、「愛されたい私」は抑圧することにし、「愛したい私」を前面に出してやってきて成功体験を得てきたのですけれど、じゃあ、十分な成功体験になっているかというと、そうは問屋が卸さねえんです。

両親のためを思って「愛したい私」が頑張ったわけですけれど、両親はそれで幸せになれたのでしょうか?

パートナーのことが大好きで「愛したい私」が大活躍したわけですけれど、その人とは幸せになれたのでしょうか?

ここに「罪悪感」(無力感)が生まれるんです。

十分に助けてあげられない、自分なんて無力な存在だ、と自分を責めるようになるんですね。

だから、愛する人を幸せにするために、ここで、もっと頑張って「愛したい私」ががんばるんですね。

100やれば十分なところ150、200をやろうとするんです。

この「100」までは「愛」なのですが、残りの「50」「100」は「補償行為」と呼ばれるものになります。

だから、しんどいんです。

「なんで私ばっかり」と思う根拠になるものですし、燃え尽き症候群の原因になるものです。

そして、そこで得た罪悪感(無力感)がちりのように積み重なると、「自分なんて何の役に立たない。自分なんて相手を幸せにできない。そんな自分はいなくてもいい。」という感情に行きつきます。

なんなら「助けようと思って手を差し伸べたのに助けられなかった。」という罪悪感から「自分がいないほうが相手は幸せだったんじゃないか?」なんて思うようにもなります。

こういう体験が繰り返されると「自分は毒である観念」に結びつくわけです。

少し頂戴なストーリーを描いてみたのですが、ご理解いただけましたでしょうか?

※ちなみに「自分は毒である観念」はそうした無力感・罪悪感の積み重ねだけでなく、セクシャリティからも生まれてくるものです。その説明は割愛します。

ということで、こうした経緯をたどっているのであれば、目の付け所は次のようになります。

1)自分がやってきたことのすばらしさ(価値)を受け取る

「愛したい私」がやってきたことに改めて価値を見て、その成果をちゃんと受け取る。

特に「存在価値がない」なんて思っている方はこの項目は指定強化選手です。

2)補償行為を手放す

愛したいがゆえに、相手のために頑張りすぎちゃう(相手を優先してしまう)癖をどう手放していこうか?

これはいきなりは難しいので、1)を優先させるといいでしょう。

3)隠れたニーズとどう向き合っていくか?

「愛されたい私」が長らく放置されてるんですけど、どう満たしてあげましょうか?

Yさんのおっしゃる「本音」というのはこの3つを指すのかしら?と思うんですけどいかがでしょうか?

このところの取り組みによって、それぞれある程度進んでいるかと思いますので、どれもゼロからのスタートではないと思います。

その上で、「今できること」に注力していくことにしましょう。

特に3)にフォーカスが当たっているときって、1)をスルーしてしまいがちですし、つい癖で2)まで気が回らないことがよくあるものです。

さて、やっぱり3)については今までほとんど未経験なものですから、難しいですよね。

だから、まずは「愛されたい私」の声をじっくり聞いてみることです。

そして、肝心なのは「愛されたい私をまずは自分が満たす」ということです。

つまり「愛されたい私を、愛したい私が満たしてあげる」ということです。

自己充足のひとつと言ってもいいですし、自分を大切にすること、なんだろうと思います。

ここに「誰か」が絡んでくると、その人の意向もあれば、自分のニーズもありますし、さらに「愛したい私」が出てきちゃう可能性もあるから急にやるのは難しいのです。

だからよく私は「愛したい私」のままだと難しいから「愛させてあげる」という風に切り替えるとまだやりやすいんじゃないかな?と提案しています。

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