大人な私たちが「受け取る」ためには理由が必要!?~楽してうまく行ってもいいのにね~



「今週は頑張ったから」という理由を付けてケーキを食べたことってありませんか?
私たちには罪悪感があるので、素直に成功を受け取ることができず、何かしら理由を付けたり、ドラマを作らないといけないと思い込んでるみたいです。
ほしいものをほしい!と素直に言えるようになることがまずは大切みたいです。

根本先生こんばんは

「あなたは頑張ってほしいものを手に入れてきたタイプなんですか?~頑張ってないときの方がうまくいってるとかないですか?~」

この記事も含めて根本先生のブログ読んでると人生ってそんな形もアリなの???と目から鱗がぼろぼろ落ちていく気持ちがします。

私の成功法則って何かなと振り返ってみたんですが

「必死に考えて努力して、一旦失敗した後やってくる」

というなんとも それ成功なの?みたいなパターンで・・・

●一生懸命勉強する→志望校に受かる→燃え尽きて不登校
●ブラック会社を捨てる→全然次が決まらない→嘘みたいなルートで次が決まる
●一生懸命下調べして内見して親にも相談して決めた部屋→体に不調がでて住めない
→一度も見ずに契約した部屋→快適

直近だと仕事で違和感のある忙しさというか、理不尽がものすごく重なって忙しくなっていたんですが、ちょうど根本先生に

「自己犠牲」のパターンを手放すと「与え上手な人」になる。

これで取り上げていただいて犠牲はやめていこうと思っていたこともあって、ふと「いつもと違う選択をするぞ。全部。」と思い立ち、クオリティを守るのをやめ、言われた通りできる範囲しかせぬとし、いつもなら責任感と罪悪感が邪魔して自分の予定をキャンセルして休日出勤するところを人にお願いし、いつもなら一人で全部やろうとするところ人に分担しまくり、結果ミスをしました笑 疲れてたとしか思えない凡ミスを。

人を巻き込んで大事になるようなミスを出したことがなかったのですが、人をがっつり巻き込み、いろんな人に頭を下げて、自分も対応に追われ「やっぱりこんな仕事辞めちまうかーーーーー!」と思っていたら

昇進しました。

な なんで・・・?
いつもとちがうことしたのと昇進が結びついてるわけじゃないのかもしれないけどタイミングがよすぎて笑ってしまいました。
私も頑張り教の教義に基づいた行動が裏目に出るタイプなんでしょうか。
はたまたこれはこういう型なのか・・・。

また そうやって評価されてみて、みんなによかったねと言われたりしてなんだかものすごく不安になってくる自分がいます。
はやく逃げ出さないとまずいって不安になってしまってどうもうまくよかったと思えない感じがしてこれだとどれだけいいことが起きてもうまく受け取れないんじゃないかと思いました。
これも自己否定とか犠牲的な部分が反応してるのか単純に変化が怖いだけなんですかね・・・

取り止めがなくてすいません。ネタになればうれしいです。
(Kさん)

映画や小説などの物語を紡ぐ場合、ショートならば「N」、ロングならば「W」でシナリオを書くらしいのですね。

このNとかWというのは文字通りのアップダウンで、主人公がまずトラブルに遭い、それを何とか頑張ってクリアしてハッピーエンドというのがN、せっかく頑張ってクリアしたのにまたダメになり、そこで周りの人の助けやらなんやらを得てまたうまくいくようになるという物語がW。

やっぱこのアップダウンがあって初めてドラマが生まれ、共感を呼ぶということなのですね。

みなさまも「うわ。こんなところで便意が。ヤバい。これは緊急事態だ。ここから最寄りのトイレはあそこだが結構混みあうから一か八かになってしまう。それならば少し遠いがあまり利用者の少ないあっちのトイレを使うべきか。しかし、尋常ならぬ状況ゆえ、そんな悠長なことは言ってられぬ。ここは最寄りのトイレに賭けるしかない!」と思って駆け込んでウンコをひねり出したときの快楽、喜び、安堵感、解放感ってたまらないでしょう?(数日前の筆者の体験より)

ふだんのうんこよりも遥かに感動があるでしょ?

まあ、Kさんの話もそういうことなんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。

え?ウンコとあたしの人生を一緒にするな?

た、たしかに。。。でも、まあ、パターンは似てますわな。

そして、こういうパターンも実際存在するんです。

「苦労しなければ喜びを手に入れてはいけない」

「苦労して得た成功ほど喜びがデカい」

例えばみなさまは映画を見に行った際、最初から順調に成長し、大した苦労もせずに成功して豊かになるストーリーに感動を覚えるでしょうか?

やっぱ苦難の連続とか頑張っても頑張っても報われないとか絶望的な状況とかがあって、そこから成功していくストーリーの方が共感しませんか?

Kさんのストーリー、

>「必死に考えて努力して、一旦失敗した後やってくる」

なんてほんと観客の共感を呼ぶものですよね!
だからKさんの人生をぜひ映画化してみたらよいと思うのです!

「受け取るには理由が必要」という“大人の事情”があるんです。

自立系なみなさまには特にね。

意中の人からの愛を受け取るにも理由がいるでしょ?

「やっぱ2,3回は断らせてもらわないと軽い女だと思われちゃうでしょ?だから、それでもちょっと強引に『でも君が好きなんだ!』って押してほしいんだよね!」という奴です。

そして、それは感情的な面だけでなく、より深い潜在意識や無意識の領域においても言えるパターンなのかもしれません。

まあ、そういう意味では〝頑張る教”と言ってもいいですし、そこから派生した“苦労大好き教”と言ってもいいでしょうね。

さて、相変わらずその記事の反響が大きいのですけれど、やっぱり私たちってどこか「楽して成功しちゃいけない」と思っているんです。

親世代やその上の世代が苦労してきたから、というのもありますし、いまだに軍国教育が続いている点も大きいのかもしれませんが、「頑張らなくてもうまくいく」とか「楽して成功する」みたいな言葉にはすごく抵抗を覚えるのですよね。

むしろ、そんなことを言おうもんなら「怪しげなビジネスセミナーじゃね?」とか思われちゃう次第ですし、「頑張らなくても月収100万!という広告に惹かれて申し込んだらものすごく頑張らなきゃいけなかった」みたいな悲劇もあったりするものです。

でも、結局のところKさんはここだけ切り取れば楽してうまく行ってるんですよ。

・会社 → 嘘みたいなルートで次が決まる
・家 → 一度も見ずに契約した部屋が快適
・仕事 → ミスしたのに昇進

けれど、それはさすがに受け取れねえ、と。
そんなんでうまく行ったら面白くない、と。

そういう訳でその前段階に

・会社 → ブラック会社を捨てたが全然次が決まらない
・家 → 生懸命下調べして内見して親にも相談して決めた部屋が体に不調がでて住めない
・仕事 → ミスをして周りに迷惑をかけまくって頭を下げまくった

という“ドラマ”を置かないといけないんです。

「今の家、すごく快適なんだ。けど、苦労したんだよー。実はこの家の前に一度契約した家があったんだけど、そこ、あれこれ調べまくったのに体調崩すような家だったの!」とう風に“言いたい”んです。

成功を受け取るためにはそれなりの苦労が必要、という思い込みが私たちには根付いているのかもしれないのです。

夕方、サラリーマンが大衆酒場で言うわけです。

「やっぱ労働のあとのビールは美味いねえ!」と。

そして、週末の昼下がりに大衆酒場で言うわけです。

「昼から飲むビールは美味いねえ!」と。

結局ビールは美味いって話なのですが、そこに何らかの「前置き」が必要なのかもしれません。

※ビールのどこが美味しいんだよ!という方は「アイス」「ケーキ」「とんかつ」あたりに置き換えていただけると良いかと思います。

Kさんの話からちょっとズレるんだけど、自分が欲しいものを買うときに、食べたいものを食べるときに、嬉しいことが起きたときに、何かと“前置き”という名の“言い訳”をしていませんか?

「今週は頑張ったから、1つくらいケーキ食べてもいいよね」
「ちょうどお出かけ用のバッグを探してて、ルクアを歩いてたらかわいいバッグがセールになってたから買ってもいいよね」
「けっこう大変なことが続いてたから、少しくらいいいことがあってもいいよね」

こういう“言い訳”をふだんからあれこれしちゃっていません?

もちろん、対外的に体裁を保つために無理やりやってまーす!という方は別に構いません。本音が別ならね。

でも、ときにはそうやって自分を納得させようとして言い訳使ってるケースもあるでしょ?

それがまさに「受け取るには理由が必要なんだよね」って話なのです。

素直に受け取っていいと思いません?

いきなり話はディープになるのですけれど、受け取るために理由やドラマが必要になるのは罪悪感があるからです。

ケーキを食べることに罪悪感があるから「今週は頑張った」という正当な理由を創り出して自分を納得させようとしているわけですね。

快適な家をすんなり手に入れることに罪悪感があるから、それを受け取るためには一旦、体調が悪くなる家に住まなきゃいけなかったのです。

「楽して幸せになったらバチが当たるぞ!」くらいの思いが私たちの心の中には眠っているのかもしれません。

だから「頑張ったから」という理由を創り出して成功しようとするわけです。

けど、「頑張ること」と「成功」って必ずしも関連性がないですよね。
頑張ってもうまくいかないことなんて山ほどあるし。

「成功」を受け取るために、「頑張った」という“言い訳”が必要なわけです。

心理学的に見れば成功ってのは「成功することを自分に許可した瞬間に起こる」ということです。

罪悪感は自分に成功を許可させない感情なんです。

だから、美味しいビールにありつけたときに「罪悪感」が出てきてしまい、「労働した後だからまあ許してーなー」と正当化したくなるのです。

「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカバー21)
*セミナー動画:『私の幸せを阻む「罪悪感」を「愛」で癒して「私」を自由に解放するワークショップ』
*心理学講座動画:『罪悪感と癒着の心理』
光の瞑想~疲れや罪悪感などを癒すイメージワーク~

そんなKさんには「楽して成功してもいい」という許可をぜひ出していただきたいところですが、それよりもこっちの方が受け取りやすいですかね。

「なんだかんだ言ったって結局うまく行くんだよ」

ぜひこれを座右の銘くらいにはしてほしいと思います。

そして、これからも自分では想定していない問題がやってきたり、しんどい状況が来るかもしれません。

そしたらこう思ってみるんです。

「うしししし。このあとにはものすごいご褒美が来るぞー。何かなー?」

ディープに見るのであれば罪悪感を癒していくことです。

そして、やはりもっと自分の気持ちに素直になることです。

たぶん、元々すごく素直な人なんだろうと思います。
それを正直に出しちゃって大丈夫だと思います。(多少波風は起こりますが気にしないようにしましょう。)

罪悪感に捉われずに許可を出すには、やはり自分を愛することなのです。

もっともっと自分を喜ばせてあげることだし、もっともっと自分を楽にさせてあげることだし、もっともっと自然体で生きるようにしていくことです。

まあ、結局のところ、そこから「ライフワークを生きようぜ!」という話になってしまうのですけどね・・・笑

でも、少なくとも「欲しいモノは欲しい」と素直に認められるようになることが必要なのかもしれませんね。

◎オンライン:8/7(水)20:00-21:30 講座「ライフワークとは何か?ライフワークを生きるとは?そのために今何ができるのか?」

◎7/20(土)東京、8/10(土)大阪:1DAYリトリートセミナー~ライフワークやパートナーシップと向き合い、自分を深く知る1日を~
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/50757

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忙しすぎて辞める人。暇すぎて病める人。(主婦の友社)

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