内なる男性性と女性性を統合したらどうなる?そして、その自分を通して見える未来ってどんな景色?



リトリートセミナーが終わってもう4日が過ぎ、相変わらず東京にいる私は怒涛のスケジュールをこなしています。
体のメンテナンスにも行きましたが、動画撮影・個人セッション・お弟子さん制度7期リアル講座となかなかの濃度。
その間に会食の予定もありましたし。

3日間のセミナーってふつう疲れるんですけれど、リトリートセミナーってのはそんな疲れが残らず、むしろ元気になっているのが面白いところ。
とはいえ、それなりに神経を使いますから多少そちらに疲れは出るのですが、不思議なほど体が軽いものなのです。

さて、リトリートセミナー3日目もまた自武女らしいシェアが相次ぎまして、ヴィジョンやライフワーク、そして、才能という言葉が盛んに飛び交っておりました。

慢性的な問題やトラウマの陰には、それが慢性的な問題になるだけの、そして、トラウマになり続けるだけの「力」があるんです。
問題を持ち続ける、というのはそれだけで膨大なエネルギーを費やしますし、何度も繰り返し訪れたり、ずーっと意識に残り続けるってことは相当なストレスにもなります。
だからこそ、その裏側にはその人を輝かせる「才能」がある、と見るんです。

問題の陰に才能あり。

例えば、育った環境の中で早くに自立し、男性性をたくましく成長させてきた女性は(まさに自立系武闘派女子ですけれど)それくらい強い男性性を持てるくらい、豊かな女性性を持つものです。

しかし、その女性性はずっと抑圧されたまま、自立的でとても「男らしい」人生を歩むことになります。(いわゆる「あんた、中身は男だよね!」という人生ね)

そうすると仕事はバリバリこなすようになり、周りからの評価も高く、同時に女子たちからの憧れになるんですけど、女性性が豊かな証拠に見た目とか雰囲気とかはとても女性的だったりするんです。いわゆる「かっこいい女性」であり、まるでタカラヅカの男役のような感じです。

そんな女性も恋をすると一気に女性的な部分が出てくるものです。

でも、その女性的な部分は長らく抑圧されてきたものですから「まるで少女のような」「とても恥ずかしがり屋の」「とても依存的な」「とても幼い」部分が出て来ちゃって、そこに強い嫌悪感を覚えます。

「恋愛をすると重たい、イヤな、執着ばりばりの自分が出てきてそれがすごくイヤ」というわけです。

だから、恋愛においても女性性ではなく、男性性を使うようになってしまいます。

何かと彼と張り合ったり、自分がちょっとでも下に見られるとカチンと来たり、彼よりも自分が優秀であることを証明しようとしたり、競争心がめちゃくちゃ出てきて「主導権争い」が始まります。

例えば「お前」なんて呼ばれたら「は?」と思って戦闘モードになる。彼が仕事で評価されるとなんか悔しい。彼のできないところを探して指摘する。という風に。
あるいは、彼にすごく尽くして砂糖漬けにすることによって「自分が優位に立ってコントロールできるようにする」という戦略に出る女子もいます。

その象徴がセックスで、メイクラブとか愛し合うという行為ではなく、ベッドをリングに見立てた「時間無制限一本勝負」みたいなプレイになってしまいます。
いかにテクニックで相手を凌駕するか、いかに相手をイかせるか、に全精力を傾ける感じです。

そうして彼との間で「男の座」を奪い合うんですけれど、ほとんどの場合、女子の圧勝となりますので、カウンセリングなんかを受けると「男女がひっくり返ったようなカップルだねえ」と言われるようになるのです。

さて、そうして男性性と女性性の葛藤を抱えた武闘派女子は別に男を倒すことを目的に生きているわけではないのに、その内なる葛藤を投影して「上司」「同僚」「会社」などの男性性と戦い続けてしまいます。「負ける」ということが大嫌いなので「勝つ」にこだわっちゃうんですね。

だからそういう方々は神様が「えっとー、あなたは女の子のはずなんですけど・・・」と婦人科系に問題を与えて気付かせてくれようとするものです。

さて、そうなると表面意識では「結婚したい」「出産したい」「あたたかい家庭を築きたい」などと思うのですが、一向にそんな気配は訪れません。

別に男性性をそんな鍛えたかったわけでもなければ、男に勝負を挑む人生を望んでいたわけでもなく、ただ、そうせざるを得ない環境に育っただけなんです。

だから、男性性で成功を収めていても「ヴィジョン」は見えません。
別にこの会社で社長になるとか、独立してバリバリ稼ぐとかにはあまり興味がないんです。

そして、女性性を抑圧してますから、もちろん女性性側からも「ヴィジョン」は見えません。
「結婚して、子どもを産んで、穏やかで明るい家庭を築きたい」という願望もなくはないのですが、それとて「うーん、現実感が・・・」「あたしにそんなことができるのか?」「いや、子どもを産んだって仕事は続けるぞ!」みたいな思いがあって気持ちはあまり盛り上がらないんですよね。

なので、これからのことを考えると「虚しさ」や「寂しさ」がやってきます。
だから「考えないようにしよう」と思って蓋をする一方で、何となく「絶望」のようなものを感じます。

リトリートセミナーって「象徴」を目に見える形で扱えるってのが大きな強みです。

「自分の中の男性性を表す人を選んで」という風に、見えないものも人を使うことによって目に見える形にできます。

彼女の中では男性性と女性性が常に戦っているから、男性性を表す人と女性性を表す人を向き合わせることでそれを表現することができます。(実際そこで喧嘩してもらうわけじゃないですけど)

そうして心の中の状態を人を使って表現し、そのバランスを取っていくように人を動かすのがロールプレイセッションです。
私がかれこれ20年近く取り組んできたセラピーなんです。

さて、その男性性vs女性性の葛藤に意識が取られてしまうから、その向こう側にあるはずのヴィジョン、未来が見えなくなります。

これ、ほんとうによくある現象で、仕事においてもパートナーシップにおいても「先が見えない」「ワクワクする未来が描けない」「自分がほんとうに欲しいものが見えない」「でも、このままじゃイヤだ」という問題がある場合、この男性性と女性性の葛藤を疑ってみるといいかもしれません。

そのヴィジョンは葛藤を起こしている男性性と女性性が「仲直り」(専門用語では統合)することによって見えてきます。

目の前の争いを鎮めれば、その先の未来も見えてくるでしょう?というわけです。

ここでロールプレイセッションが賢いのは「じゃあ、あなたの中の男性性と女性性を足したような人を選んでね!」というやり方を使えることです。

そして、その人を通じて未来を描けば、ワクワクするヴィジョンも見えてくるってもんです。

これら、すべて感覚的なものですし、直感的なものです。

しかし、そうしてマインドの中の状態をちゃんと人を通じて表現してあげると、男性性と女性性の統合や、その先にあるヴィジョンも「感覚的に」捉えられるようになるんです。

だからこのセッションは「感じる」ということがとても大事です。

ただただ感じる。すなわち、考えない。

男性性と女性性を統合した感覚。そして、その統合した姿を受け取る感覚。そして、そこから美しい未来を見る感覚。

その感覚を自分の心の中にインストールしていくことで、人生は確実に変わり始めます。

こうした感覚的な変化というのはすぐに形となって現れることもありますけど、多くは数週間、数か月後に気付かされるものでもあります。

「なんか自分が変わったな」と思って振り返ってみたら、ちょうどあのリトリートセミナーを基点に変わり始めたような気がする、、、という風に。

この「男性性と女性性の統合(仲直り)」というのは自武女のみなさまにとっては大切なテーマになることが多いものです。

自分の中の男性性と女性性が仲直りするとどんな自分になるのか、どんな感覚がするのかを「想像」してみてください。
この想像もまた潜在意識、無意識にアプローチする方法のひとつ。

その自分を感覚的に捉えられたら、その自分が見るワクワクする未来をまた想像してみてください。

もしかすると自分がほんとうに求めているものがおぼろげながら見えてくるかもしれません。


あわせて読みたい