「才能」は時に「問題」の姿でやってくる。そして、その才能は「人」を通じたほうが受け入れやすくなる。



「昔から人によく相談を持ち掛けられる」
「あなただから、という理由で秘密を打ち明けられる」
「何かと人に頼られる」

分かってくれそうだから?
受け止めてもらえそうだから?
いい子を演じてるから?
あたしだって頼りたいのに。
そんなに受け止められないのに。
もしかして舐められてる?
下に見られてるからそういう扱いされる?
何もできないのに、何もしてあげられないのに何で?
この人は大丈夫と思ってたのに気が付けば甘えられる。
そういうのいらないのに。もう嫌なのに。

そんな話を根本さんにしちゃいけないんですな。笑

「ああ、それ、才能っすね!」の一言で片づけられるから。

ひどい!ひどいわ!って思われるかもしれませんけど。

この間のリトリートセミナーのお話なのですが、ライフワークグルコンなどでもちょくちょくお目にかかります。

「才能が問題になっちゃってる」というケース。

「セクシャリティがとても強い人は性的トラウマを持ちやすい」というお話を昔書いて反響が大きかったんですけど、今回のお話も同じような心理がもたらすものです。

私たちの才能ってのは時に「問題」としてやってきます。
その才能を使わなければ乗り越えられない問題として。

だから、慢性的な問題ってのはあなたの才能を教えてくれるんです。
でも、そこと向き合うのはイヤで、うんざりしていて、そこから逃げ出したいと思うんです。
とはいえ、それは才能なので逃げられないんです。残念ながら。
それを受け入れ、許すまでは。

「人から頼られる」とか「何かと相談を持ち込まれる」ってのは人望がある証拠だし、それを受け入れてくれそうな、分かってくれそうな雰囲気があるってことは女性性がとても豊かな証拠だし、すなわち、癒し人である証なんですけど、そういう状態がいつも繰り返されるのは苦悩ですよね。

ちなみに意外かもしれませんが私もよく相談を持ち掛けられるんですよ。
でも、それにお応えするには基本的に「お金」が必要だし、「時間」だって制限されます。
そりゃあ、立ち話程度で軽くお答えすることもありますけれど、ちゃんと話を聴くならば「お金」と「時間」という制約をかけます。
それは友達に対しても同じことで、それはその人の「コミットメント」を見るからです。

やっぱお金を払ってでも何とかしたい!という思いがある人は変わりやすいですよね。
そんなことにお金を払うなんて!と思う人はそこまでのコミットなんだと思っちゃうわけです。

みなさんも「お金払ったんだから」「この限られた時間しかないから」という制限がかかったほうが真剣になりやすいと思いません?

だから、それを無料で時間無制限でやってらっしゃる方はすごいなあと思うし、しんどくないの?と思いますし、疲れちゃうよね?と思うんです。

それでそういう才能を持つ人は「カウンセラーとかになっちゃいなよ!」と提案するんです。
「自分の才能を使ってビジネスしなよ」ということです。

でも、たいていそういう人は「ええ、やだ」とあっさり拒否されます。
そういう環境に「うんざり」しているからってのもあるし、何も考えずにその才能を使ってるからそれが商売になるとも思えないし、また、商売することそのものへの抵抗もあるだろうし。

ここが「才能」のややこしいところなんですけれど、私たちの持ってる才能ってのは「素でできてしまうもの」なんですね。
だから、なかなか自覚しづらいし、それだけの能力があることを認められないんです。
「え?ふつうでしょ?だれでもできるでしょ?」と思っちゃう。

何か「頑張ってる」とか「努力した」ということに関しては私たちは受け入れられるんです。
「頑張ったから」という理由で。

でも、才能レベルになると「頑張らなくてもできてしまう」ということなので自覚しづらいんですね。

だから、私たちはその才能に気付きにくいですし、そう指摘されたとしてもなかなか受け入れられないですし、ましてやそれが商売になるなんて考えられないんです。

そういうわけで、いろんなカウンセラーに関わってる私からすれば「こいつ、才能あんのに気付いてないんか?否定してんのか?だからあんまり活動してへんのか?もったいねえなあ。」と思う弟子も案外多いんです。

だから、慢性的な問題が見せてくれる才能をちゃんと知り、受け取り、「へー、そうなんだー」と思っておくことが大切ということです。
リトリートセミナーってのはその才能をずーっと見続けていく場ですから、参加してると自然とそこに意識が向くようになります。

でも、そうは言っても受け取れませんよね。
「え?ほんと?」と思って信じられないし、今まで勝手に使ってきたものだから雲をつかむような感覚がするし。

なので、一応、それぞれの提案をするんですよね。

例えば、「いつも人から相談されてばかり」って人は2,3人メンターを持つことをお勧めします。
そのメンターはカウンセラーやコーチでももちろん構いません。

自分が相談できる人を探すわけです。

あ、もちろん、そんな人はすぐに見つからないものですよ。
そっちを見て来なかったから。

「また後輩からややこしい相談持ちかけられたんですー」って言える相手を作るってこと。

できればメンターは恋人とかじゃない方がいいです。
客観的に自分を見てくれる人の方が良いです。
もちろん、その恋人がプロで、自分もそのためのお金を払うってんなら良いですけど。
(恋人がお医者さんや弁護士さんだったら、そっち系の相談するでしょ?けど、検査したり、裁判したりってことになればお金払うでしょ?)

そうして「人から相談されるけど、あたしもメンターに相談する」という「流れ」を作ります。

昨日も書きましたが、こういうときリトリートセミナーでやってるロールプレイってセッションはとても使いやすいんです。

「なんかさー、自分とよう似てるなあって感じる人を選んでくれない?」ってやって自分を客観的に見る現場を作れるから。

そうして「自分と似てる人」を選ぶことができれば、その人に見る魅力は自分のものだし、その人が見るヴィジョンは自分のものだし、その人に「こうすればいいのに」と思うことは自分がやればいいことだし、という風に、「人を通じて自分を知る」ということがよりリアルにできます。

特に「自立的」だったり、「いい人」をやっていたり、「受け取り下手」だったり、「自己承認が苦手」だったり、「とても自分に厳しい」場合、この方法はかなり有効です。

人を通じて自分を見る。

まさに「投影の法則」ですね。

もちろんこれ、日常でも簡単にできますね。

自分とよく似てるなあ、同じだなあ、と思う人を見つけて、その人を「鏡」として認定すればいいんです。

まあ、自分と似てる人じゃなくても私たちの周りの人はみんな「鏡」なんですけどね。
でも、似てる人の方が受け入れやすいでしょ?

だから「あの人はこういうときどうするのかな?」と想像してみれば、自分がどうすればいいのかが分かるようにもなります。

これってものすごく簡単に自分らしく生きる方法でもあると思うのですがどうでしょうか?


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