問題と才能の現れ方~例えば豊かなセクシャリティを持つ女性はヒーラーであり、それがゆえに傷ついてしまう~



「才能」と言うとtalentという意味を思い浮かべられる方も多いと思いますが、心理学ではgiftという表現をして「あなたが生まれたときに神様から与えられた贈り物=才能」という解釈をしています。

もちろん、誰にでもあるもので、あなた自身も例外ではありません。

ところが、この才能。その能力が大きければ大きいほど、その分野においてあなたは苦悩を強いられる、という状況が訪れるのです。

ちょっと想像してみてください。

あなたがもし「平和」という才能を持っていたとするならば、次のどちらの家に生まれようと思うでしょうか?

A.怒号や暴言が飛び交う荒れた家庭
B.家族みんなが仲良く暮らしている家庭

あなたがもし「豊かさ」という才能を持っているならば、次のどちらの家に生まれようと思うでしょうか?

A.とても貧しく、日々の食事にも困る家庭
B.安定的な収入があり、経済的に不安のない家庭

言うまでもないですよね。きっとあなたは「A」の家庭を選ぶはずです。

ところが、当然ながら子ども時代は幼く、人間社会においては力もありません。
両親のケンカを止めようとしても、むしろ跳ね返されたり、逆に暴言を吐かれたりするでしょう。

そして、あなたが「平和」という才能を持っているがゆえに、その才能が活かせない状況に傷つき、罪悪感を覚え、激しく自己嫌悪するでしょう。
しかし、その才能があるがゆえに、何度も傷ついても家族を平和にすることを諦められません。
もちろん、その人は「家族」の枠を飛び出したなら、学校や職場、パートナーシップ、友人関係などの世界においても再び、同じ状況に自分を置くことになるのです。

すなわち、ずっと「争い」の中に自分を置いて、常に「平和」を実現すべく奔走することになるのです。

そうした観点から「問題の影に才能あり」という格言が生まれました。
あなたがずーっと悩んでいる問題があるとするならば、そこにあなたの才能があるのです。

個人セッションやグループセッションをしていると、セクシャリティ(セクシュアリティ、性的魅力)をとても強く持った女性によくお会いします。

セクシャリティというのは性的なエネルギーのことですが、それは生命力そのものを意味しています。

幼少期から性に目覚め、そうと知らずにオナニーをしてたり、性的いたずらや痴漢によく遭っていたり、そんなお話を伺うと、ああ、あなたは生命力がとても強いのね、という意味も込めて「セクシャリティがとても豊かで強いんだよね」という表現をします。

性的ないたずらとか痴漢とかってすごく傷つくものですが、それはその人が持つ才能ゆえ、というのは先ほどの「平和の才能」の例えからも理解できると思います。
(もちろん、感情的に受け入れられないかもしれませんけれど)

そして、セクシャリティが生命力そのものである、という点から見れば、そこには親などからの暴言、暴力などを引き起こすこともあります。
それも大きなトラウマになりますが、その反面、それくらい強いエネルギーを持っている存在、と言えてしまうのです。

話はちょっと飛躍しますが、そのセクシャリティは多くの場合「ヒーラーの才能」と結びついていますし、「異性を癒す才能」と繋がっています。

セックスというのは様々な意味があり、親密感を高め、愛し合う行為であり、お互いのエネルギーを循環させて生命力を高める行為であると同時に、お互いを癒し合うヒーリングの場でもあります。(それゆえ、セクシャル・ヒーリングという分野もあります)
なので、風俗嬢の方とお会いすると「ああ、私と同業者ですねー。私は口だけ使うけど、あなたは体を使ってヒーリングしてるんだから偉いよね~」なんてお話をします。

例えば、ある女性は父親や兄から暴言、暴力を受けて育ちました。
一方で、幼少期からオナニーを覚えて、密かに自分を慰めてきました。

父や兄からのそれは彼女の心に深い傷を残し、男性不信、男性嫌悪から、セックスにおける不感症等、様々な影響を与えていました。
だから、始めは恋愛が全然うまく行かない、というテーマでセッションに訪れられたのです。

そして、話を色々と伺っていくと、彼女はいつも「傷ついた、陰のある男性」に惹かれてきたことが分かってきます。
言い方を変えれば助けが必要な男性ばかりを好きになってきたのです。

「お父さん、お兄ちゃんに、歴代の彼氏たち。みんな傷を負って、癒しや助けが必要な人ばかりだよね」と伝えると、彼女はハッとして顔を上げられました。

セクシャリティを豊かに持ち、癒し人の才能があるがゆえに、その力を必要とする男性ばかりを好きになってきたのです。

ところが、このセクシャリティ、ちょっと厄介なところがありまして、日本では長らく性的なものはタブーとされてきました。

だから、セクシャリティが強い、ということは批判の対象となり、特に同性の母親からそれを抑圧されることがとても多いのですね。
オナニーをしているのを母親に見つかってひどく怒られたり、場合によってはその後長らく「この子は淫乱な子だ」などと罵声を浴びせられることもあるのです。
(おそらく、その母親自身もセクシャリティがとても強く、しかし、それを抑圧せざるを得ない人生を歩んできたのだろうと思います。だから、娘のそれも強く否定してしまうのです)

また、思春期に入り性的な知識が入ると、自分がしていることやされたこと(いたずらや痴漢など)がとんでもないことだと解釈して、自分で自分を傷つけ、抑圧するようになります。

つまり、セクシャリティが強いがゆえに、母親や自分でそれを抑え込むようになるのです。

セクシャリティを抑圧する、ということは、生命力を弱めることになります。

もちろん、隠しているだけでなくなったわけではありません。
潜在意識の奥にはそれはイキイキとして存在し続けています。
ただ、感情レベルで大きな蓋がされていて、表からは見えない(自覚できない)だけなのですね。

ここに矛盾が生まれ、大きな葛藤が生まれます。

才能レベルでは男性を癒すだけの強いエネルギーをふんだんに持ち、傷ついた人を見ると放っておけずに恋愛感情まで引き起こします。そして、その人の痛みを取り去ってあげたい気持ちでいっぱいになります。
しかし、表面上(感情面)では、傷ついた分だけ男性に嫌悪感や恐怖心を持ち、セクシャリティを抑圧している分だけ性的な雰囲気を遠ざけます(不感症になったり、セックスを嫌ったり、女であることを隠そうとしたり)。

これが「恋愛がうまくいかない」「問題のある人ばかりを選んでしまう」「傷ついた人ばかりと付き合って、自分も傷つく」「親密になるとどちらかが逃げ出してしまう」等々の問題を生むんです。

じゃあ、どうすればいいのか???

「まずは自分にはその才能がふんだんにあることを認めましょう。そして、性的な自分をもっと解放してあげましょう。もちろん、だれかれ構わずヤリまくれ、ということではなく、自分の性的欲求に素直になるだけでいいです。オナニーを純粋な喜びとして捉えましょう。セックスをヒーリングの場として意識しましょう。自分が持っているそのエネルギーが男性を癒すことを思い出してください。きっと今までもそうだったはずだから。」

「ただ、そのエネルギーは宝物のように大切なものだから、それを与えるかどうかは自分自身でコントロールできるようになりましょう。例えば、癒すことを仕事やボランティアとして捉え、パートナーはあなたにとってオアシスになるような人を選ぶ、とかね。それは風俗嬢になれってことじゃなくて、セラピストでもいいし、ヒーラーの看板を掲げてもいいし、カウンセラーを名乗ってもいいでしょう。もちろん、パートナー専属のヒーラーでも構いませんよ。でも、一番大切なのは自分にはかけがえのない、素晴らしい才能がある、ということを知っておくことです。」

かつてのクライアントさんたちの中には、実際セクシャルヒーラー的なお仕事をしている方もいれば、セラピストやエステシャンとして活躍している人もいます。カウンセラーとして恋の悩みを引き受ける方もいれば、家族を癒すことにライフワークを見つけた人もいます。

まずは、自分がそれだけ素晴らしい才能を持っていることをただ知り、受け入れることが大事です。

そして、その上で「私」を強く意識することをお勧めしています。
それだけ強いエネルギーをお持ちなので、自分で自分に振り回されたり、男性の欲求に振り回されたりすることが多くなります。
だからこそ「私」というものを強く意識して、しっかり自分の足で立つ(=自分軸)が必要になってくるんです。

その上でその才能をどう活かすのが一番自分らしいかを一緒に考えていきましょう。

さて、今日はもう一つの側面をお話ししましょう。

男性は自立し、競争の中に身を置き、傷ついている分だけ癒しを求めます。
その時、セクシャリティがとても豊かな女性に光を見て、その女性を求めるようになります。
ただ、意識的には「セックスがしたい」とだけ思うものですけれど。

しかし、実際距離が縮まり、体を合わせると、その喜びや癒しを感じる一方で、彼女がそれだけ強いエネルギーを持っていることに強烈な恐怖心を覚えます。

ひとつは、その彼女に依存してしまうのではないか?という恐怖。
ひとつは、その彼女の持つエネルギーに飲み込まれてしまうのではないか?という恐怖。

そのエネルギーが素晴らしいものであればあるほど、彼女や彼女とのセックスに溺れてしまうことに恐怖を覚えるのです。

だから、ある男性はその女性を敢えて遠ざけます。
だから、ある男性はその女性を力づくで支配しようとします。
だから、ある男性はその女性を否定し、その存在を抹殺しようとします。(ちなみにこれが「魔女狩り」と呼ばれるものの心理的な側面のひとつだと思ってます)

素直にそのエネルギーに身を委ね、セクシャリティの中で喜びと癒しを感じ、それと同時に、その包み込むような女性性の中で母親に抱かれるような安心感を受け取れたら、、、問題はまったくないのですが、それを心底求めている一方で、強く恐怖してしまうのです。
自分が自分でなくなってしまうことを怖れるのです。

自らのその才能を活かすために「サレンダー」というのがひとつのテーマになります。

身を委ねる。
流れに身を任せる。
信頼して待つ。

そんな意味を持ちます。

男性ならば、その女性の持つ豊かなセクシャリティにただ身を委ねるのです。
女性ならば、自らが持つその豊かなセクシャリティをただ信頼するのです。

それは「自分を越える」という意味になります。

それができると人は天や地とつながり、完全なる安心感を得て、迷いがなくなり、私が私であり、私が宇宙そのものであることを受け入れられます。
神様と自分が対等である意識を手に入れ、そして、ただ喜びの中で生きることが可能になります。

もちろん、これはひとつの理想論で、生きているうちにこの域に達してしまうと、それこそ生きてる意味がなくなる(向こう側の世界に行けばそうなるんだから)ので、欲求や罪悪感などの様々な制限を用意して、この地球で楽しみを見出そうとしているのですけれど。

だから、そういう世界を体感する瞬間を持ちつつ、日常は欲求にまみれて生きるのが、人としての幸せなのかもしれない、と思っております。

今日の話を無料アプリのvoicyで音声でラジオみたいに聴けます!

セクシャリティという素晴らしい才能について。
https://voicy.jp/channel/962/60704


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