相手に「ちゃんと向き合ってほしい」と思うのは、やはりコントロールになるんですか?



私たちは無意識に自分の価値観についた言動をするので「自分ができることは相手もできる」と思い込んで、相手ができないと不満を持ちます。
そして、怖いことにその「できること」が「常識」となり「正論」を振りかざすことになっちゃうのです。

いつもお世話になってます!
寂しさの癒し方の感想を載せて頂きましたNです!

現在妊娠中、今までの不満の積み重ねからもう限界と家庭内別居され離婚を匂わせられている状況です。
根本さんのブログ読んだりYouTube(生配信面白かったです!)見たり自分軸奪還のため動いたりしつつ、彼とは近所の夫婦カウンセリングに行ってきました。

カウンセラーさんからも指摘があったのですが
彼は 問題先延ばし・逃げ癖あり・逆ギレな男です。
アスペの傾向もあると思います。
様々な約束も反故にされ、ただ“今”がしんどいから逃げたい、分からない、考えたくない。部屋に籠城し遮断され、向き合うこともせずただ逃げてます。職場の若い子にデレデレLINEを送っています。

彼にちゃんと向き合ってほしいと思うのは、やはりコントロールになるんですかね…。
自分のために手放したいと思いつつ、アスペの彼にそれが伝わるのか?圧倒的に想像力・共感力がない男だぞ?とモヤる自分もいます。
根本さんの記事やワークに前向きに取り組めるときもあれば、もう嫌になり奴を吊し上げたくなる時もあります。

先延ばし無責任逃げアスペ野郎にも、手放しは有効でしょうか…。戻ってばかりで手放し出来るのかも不安です。ネタになれば幸いです。
(Nさん)

Nさんとしては離婚はしたくない、やり直したいというところなのでしょうか?
妊娠されてるわけですし、ここで離婚に踏み切るのは難しいとお感じでしょうか?

頂いた文章からはそこがちょっとはっきりしなかったのですよね。

>彼にちゃんと向き合ってほしいと思うのは、やはりコントロールになるんですかね…。

そうですねー。コントロールになっちゃいますよねー。

職業柄、女子たちの話を聴くことが多いので、この「ちゃんと向き合ってほしい」とか「話し合いをきちんとしたい」とか「敵前逃亡は死を持って償え!」などの思いはヒシヒシと伝わってくるのですが、いつもお話しするのは

「それって彼にできることなんかなあ?」

という“能力的”なところです。

例えば「なんで彼は食べ物を飛ばして服を汚すの?もっと落ち着いて食べられないの?」と妻やスタッフから指摘されるカウンセラーがいるそうですが、彼は「できるんやったらとっくにやってるわ!」と心の中で思っているそうです。

こんなケースは日常に溢れていて、「なんで脱いだ靴下をその辺に放っておいてるの?ちゃんと洗濯カゴに入れなさいよ!」とか「どうしていつも時間を守れないの?」とか「なんで道に迷うわけ?駅からたった3分じゃん」とか「これぐらいできて当然でしょ?できないってことはサボってるってことじゃないの?」などなどあらゆる場面で出てくると思うんですよね。

で、そのときに私たちはついつい忘れがちなのですが、

「自分ができることを相手もできる」

と思い込んでいるわけです。相手に期待しすぎてるとも言えるし、自分と相手が同じだと思っちゃってるとも言えますし、自分を過小評価してるとも言えます。

自分が当たり前にできることを相手もできると思い込んでるので、それで相手ができないと「手を抜いてる、サボってる、私を舐めてる、私に甘えてる、ちゃんとしてない」等々の理由で相手を責めたり、不満を持ったりするわけですね。

地図の読める人からすれば、広告に記載されてる簡略化された案内図を見て「ああ、あそこかー。意外と近いねー」とか言うんですが、隣で見ていた人が「え?どこ?え?どの辺?」と目を丸くしてるのを見て、「なんで分かんないの?すぐそこじゃん?え?マジで?」なんて言っちゃうようなものです。

自分が地図を読めることが当たり前なので、地図が読めない人のことを理解できず、時に怒ったり、バカにしたりしてしまうんですな。

でも、案外私たちは日常的にそんなことをしてることが多く、特に「みんなやってる」という言葉に日本人は弱いもんですから、なおさら「自分ができる=みんなできる=できて当たり前」と思い込むのでしょう。

だから、「彼ってLINEを送っても既読スルーばかりで、全然返してくれないんです」とか「私は彼に好き好きって言ってるのに、彼は全然好きって言ってくれないんです」とか「私は彼とおしゃべりしたいと思うんですけど彼はすぐに話を遮っちゃうんです」などの苦情に対しては、

「それって彼にできることなんかなあ?」

という風に返すわけです。

「え?できないんですか?でも、簡単なことですよ?」とか反応されるんですけど、それってすごく自己中で関係性を壊す危険な見方んですよねー。

ここまでの話は「自分ができることは相手もできると思い込んでる」でしたが、これが少し複雑化することがあるんです。

それが「正論」という奴です。

正論を振りかざしてくる人に対する話は最近書きましたけど、私たちは自分ではそんなつもりはないけれど、正論に走っちゃうことがあります。

「正論を振りかざしてくる人が怖い、という裏にある心理とそんな自分の可能性を見る。」

「問題が起きたらちゃんと当事者同士で話し合うべき」

「お互い思っている気持ちを言い合って理解し合うべき」

「悪いことをしたなら素直に謝るべき」

「相手の気持ちを考えて行動すべき」

みたいな奴です。

これは「自分ができることは相手ができると思い込んでいる」からさらに発展しまして

「自分はできるつもりだけどほんとうにできてるかどうか分かんないけど、こうすべき」

という感じです。

まず、つい自分ができる前提に立っちゃってるんですけど、ほんとうにできてるかは分かりません。

相手の気持ちを考えて行動することもあるかもしれないけれど、そうじゃないときもあるよね?

お互い思ったことを言い合えたらいいけど、遠慮して言えないこともあるし、相手の反応が怖くて言えないこともあるし、仮に言えたとしても自分の気持ちをまんま言葉で表現できるかどうか分からないですよね?

相手に伝えた後に「違うの。あたしが言いたいことはそういうことじゃなくて!もう、言葉が見つかんない!なんて言えばいいの?」とモヤモヤしたことありません?

だから、自分ができるかどうかすら怪しいこともあるわけです。
とすれば、相手ができるかどうかなんてもっと怪しいんですけど、ただこれって正論なので、相手を責めるに十分な論拠を持ってるわけですね。

「悪いことしたいのに何で謝らないの?ふつう謝るでしょ?」なんて相手を追求しちゃうんですけど、「謝ることができない罪悪感が強い奴って意外に多いんだよね」なので、ここでも「それってできることなの?」なんです。

でも、正しいじゃないですかー、それ。
だから、「いやいやできるできないとかじゃなく、やらなきゃいけないでしょ!」なんて思っちゃったりもします。

正しさって怖いですねぇー。

さらにややこしいのが「話し合う」とか「向き合う」という「○○し合う」ということの難しさです。

「話し合いましょう」なんていう表現はよく出てくるんですけど、話し合うってどういうことなんでしょうね???

「お互い言いたいことを言い合ってお互いが納得する結論を出すことじゃないの?」

「肚の中に思っている気持ちをお互いに言ってスッキリさせることじゃないの?」

たぶん、いろんな見解があると思うんですよねー。

で、例えば、Aちゃんは「話し合いとは、私の気持ちを一方的にしゃべって相手にそれを聞いてもらい、かつ、受け入れてもらうこと」と無意識に思っています。
一方、彼氏のBくんは「話し合いとはお互いの思いや考えをぶつけ合うこと」と考えています。

で、そんな二人が「話し合いをしよう」となったんですが、Aちゃんは自分の気持ちをあれこれと話をするんですが、途中でBくんが「ちょっと待った、何それ?おかしいやろ?」と話をさえぎるんですが、Aちゃんからすれば「なんで話を聴いてくれないわけ?」とムカつくし、Bくんは「え?話し合いだろ?異論があったら指摘して何が悪いわけ?」とやっぱりムカつきます。

そうすると穏やかに話し合いをしたいと思っていた二人なのに、お互いの話し合いという言葉の定義が違うがゆえに、肝心の話し合いたい内容とは別のところ(「話を聴いてくれない」vs「自分の考えを言って何が悪い」)で喧嘩になっちゃうんですね。

そうすると話したいこととは違うことで揉めるので、めちゃくちゃ気分悪いんです。

そうじゃない、そういうことじゃない、もう違う!とイライラもするわけです。

「○○し合う」ってのは何でもそうですが、それぞれに定義づけがあるんですよね。

例えば「協力し合う」ってのは皆さんどんなイメージでしょう?

一緒に作業をすることなのか、役割分担して別々に作業することなのか。どっちも「協力し合う」って言えますよね。

そして、本題の「向き合う」ですけど、これがもうめちゃくちゃ難しいんです。

笑い話みたいですが、あるご奥様が「ちゃんと向き合いたい」と家のダイニングテーブルで話をし始めたのですが、彼は何も言いませんし、ちゃんと聞いてる様子もありません。
そこで彼女が「ちゃんと向き合おうってしてるのに、なんであなたは向き合ってくれないの?」とキレたわけですね。

すると彼は「え?向き合ってるじゃん。」と答えたんです。

そう、テーブルを挟んで二人は向かい合わせに座っていたのです。

ということで、ずいぶんNさんの話を放置して勝手にしゃべってきたわけですが、Nさんにとっての「向き合う」ってどういう定義がされているのでしょうか?

そして、その定義は彼にできることなのでしょうか?

ここまで読まれてきておそらくNさんは絶望的な気持ちになっているかと思うんですが(苦笑)、そんなアスペ傾向のある彼と一緒にいることを選びますか?

向き合うことができるかどうか分からない(たぶんできない)彼とこれからも一緒にいることを選びますか?

おそらく、Nさんは彼のことをほとんど理解していない(理解しようとしていない)のかもしれません。常識で彼を判断しちゃってるのかもしれません。

そもそもこの常識というのは「自分が生きてきた世界の話」ですけど。

一方、彼もまたNさんのことを理解していない(理解しようとしていない)のでしょう。
それが寂しくも虚しくもさせるし、怒りだって生みますね。

でも、それは夫婦にとって当たり前で、なんなら結婚して20年経って気付く相手のこともあります。

「自分は彼のことは何も分かってないのかもしれない」と思う謙虚さがあると、思い込みやコントロールは減ります。

うちの夫婦はどっちも優等生をずっとやってきたんですよね。
でも、常識が違うし、考え方も、あり方も違うんで何かと喧嘩をしてきました。

さらに子どもたちは発達障害のケがあって自分たちと全然違います。
だから、ずっと戸惑いながらも「これがこの子の個性かあ」ということを受け入れてきました。
もちろん、受け入れられずに怒っちゃうこともありますけど。

“違いを受け入れる”ってなかなか難しいですけど、でも、子どもたちはただただかわいい存在なので、“受け入れたい”のですよね。

うちの奥さんは姉妹なので、男の子の生態をあまり知らなかったんですね。

だから息子君の「おもちゃを出すときにおもちゃ箱をひっくり返す」とか「電車とか飛行機とか乗り物に興味を示す」とか「ご飯をぽろぽろこぼしながら食べる」といった性質を見て「男の子って・・・みんなそうだったんだ・・・あなただけがおかしいんじゃないんだ・・・」と理解できたことが多いそうです。(息子に救われる父親より)

そんなアスペな彼のことをNさんは愛したいのでしょうか?

それとも向き合うことができない、すぐに逃げる、無責任な人とはやっていけないということなのでしょうか?

「子どもができて父親がいないのはマズいから離婚はできない」という後ろ向きな決断はほんとうはおすすめしたくありません。

ずっと不満や文句や愚痴を溜め込む日々になるのは確定しますし、怒りを我慢しながら生活することは胎教にも子育てにも良くないですよね。

だから、「手放し」の前に「選択」がまずは必要なのかな、と思いました。

ちなみに彼のことを受け入れられるようになるためには、コントロールを手放すことはもちろんですが、彼を「自分と同じ」と無意識に思うことをやめるべく「観察」する習慣をつけるといいんです。

誤解をおそれずに言えば「ペットの生態研究」をするが如く、彼を観察するんですね。

そうすると客観的に見ればめちゃくちゃ面白いことにいろいろと気づくと思います。

参考)https://www.instagram.com/gomi_sutero/

そんな彼の生態を笑えるようになったらきっといい夫婦になるんじゃないかと思う次第です。

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向き合うとか話し合うとかって難しいよね。
 


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