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いい人は元々いい人なんだけど、もっといい人になろうとして頑張りすぎてしまいます。
その裏には「怖れ」などの感情が隠れていて、まるで脅迫されているかのように「相手を好きになろうとする」わけです。
でも、それって補償行為なのでほんとうに相手のことを好きになったわけじゃないんです。
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28歳の男性ですがブログの記事に共感しているので、自分は女性性が強いような…?不思議な感じがしています。
「嫌い」という感情についてお聞きしたいことがあります。
仕事では良い人を演じてしまっていて、頼まれれば何でもやる「都合の良い人」という立ち位置でした。
うつ病や適応障害になるまで働いていたので職場環境が悪いのかと思いきや、私の中ではそうではなく、我慢して自分の感情の行き場がなくなってしまい、結果大爆発!!ということなんだと思います。
中でも「嫌い」という感情がわかりません。嫌いという感情は自分の中では持ってはいけない感情で(接客やサービス業だったせいもあるかしれません)人に認めてもらうためにはどんなことがあってもその人のことを好きになるか、いい面を見つけようとしてしまいます。
それでも「嫌い」と感情を表現する人のほうが世渡りが出来ているように見えるので、良い人を美徳としてきた人生にカルチャーショックが起こっています。
人に優しいだけでは利用されるだけで、この先食べていけないということを知ってしまいました。
かといって人を嫌いになるのにもすごい抵抗感があります。これからの人生どうすれば人を嫌いになることが出来るのでしょうか。
(Sさん)
ご質問だけ見るとなかなかシュールな感じがするものですけど、たぶん、共感される人もそれなりにいるんじゃないかなあ?と思う今日この頃です。こんにちは!
さて、人を嫌いになっちゃいけないと思っている方にちょっと意地悪な質問があるんですけど、
「人を嫌いになっちゃいけないってことは、もちろん自分のことも好きだよね?」
自分も「人」ですよね?
だから、自分のことも嫌いになっちゃいけないですよね?
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さて、「嫌い」が分からないということは「好き」もよく分かんないと思うんですけどいかがでしょう?
場合によっては「感情」もよく分かんなくなっちゃってるかもしれません。
「怒り」は感じられますか?
何かに対する「欲求」はありますか?
ライフワークを探す実習に「好きなモノ100個、嫌いなモノ100個挙げよ」という課題があります。
「好き」だけでなく「嫌い」に注目することも大事なんです。
同様に「得意」に対して「不得意・苦手」にも注目したります。
でも、Sさんのようにいい人を演じてきてしまうと「人を嫌いになる」ということがとんでもない罪悪のように感じてしまうものです。
そして、嫌いな人がいることによって罪悪感を覚えるだけでなく、そんな自分はまだまだ未熟だ、とか、嫌いになるなんておこがましい、とか、そんな自己否定までセットで付いてくると思うんです。
それって苦しいですよねー。
で、嫌いになることを禁じると、おそらく他の感情も抑圧せざるを得なくなることが増えると思うのです。
好きなモノが分からない。
何がしたいのか分からない。
楽しい、うれしいがよく分からない。
つまり、今の状況が「快」なのか「不快」なのかがよく分からなくなるものです。
そうして感情を抑圧し始めるとどんどん思考的になっていきます。
「どうしたいのか?」ではなく「どうしたらいいのか?」「どうすべきか?」で行動するようになります。
「何が楽しいのか?」ではなく「どうすれば嫌われないか?」「どうすれば必要されるのか?」を考えるようになります。
「ワクワクすることは何か?」ではなく「自分には何が向いているのか?」「自分ができることは何なのか?」をひたすら探すようになります。
だから、人生がどんどんつまんなくなっていきます。
そして、だんだん「笑う」ということもできなくなります。
愛想笑いや、ビジネススマイルは得意になりますけれど、お腹を抱えて笑うなんてとてもできなくなるんです。
でも、感情ってなかなかなくならなくて、そこには「なんか虚しい、うら寂しい、なんだか悲しい」という思いが出てきたり、未来に対して希望が感じられなかったり、この先生きてても意味あんのかな?などと思い始めたりします。
要するに人生がどんどん退屈になっちゃうんですよね。
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Sさんはたぶん元々いい人なんですな。優しいし、人の気持ちを考える方でもあるでしょう。
で、そういう人はデフォルトで優しいので、ふつうに行動していればそれで良いのですが、おそらく思春期頃からでしょうか、完璧主義だったり、理想主義のようなものが頭角を現してくるんですね。
そうすると「もっと」優しくなろうとし、「完璧な」いい人になろうとするし、自分により負荷をかけるようになるんです。
長所を伸ばす!というのはいい言い方なのですが、この理想主義や完璧主義の裏には「怖れ」や「自己嫌悪」が潜んでいるために、「優しくならなければいけない」「いい人でなければ人から嫌われる」という脅迫観念の元で頑張るようになります。
これ、めちゃくちゃきついし、負担だし、そもそも全然楽しくありません。
だから、ストレスがめちゃくちゃ溜まってしまい、何かのきっかけに爆発するか、まったくの無気力になってしまうものです。
言ってみれば「テストで100点取ったのに全然満足できず、120点を取ろうとしている」ようなもんです。もちろん、そのテストは100点満点なんですが。
でも、Sさんはなんでそんな良い人を演じるようになったのでしょう?
言い換えれば、そこまでいい人にならなけれならない理由は何だったのでしょう?
お母さんが過干渉だった?
お父さんが厳しかった?
周りのきょうだいや同級生などとめっちゃ比較された?
学校でいじめとか何かあった?
Sさんが良い人でいることはもう習慣化されてるわけですから、そこには長い歴史があるんですね。
だから、いつからそんな風になっちまったんだろう?ってことを考えてみることは、その習慣をやめる上でもとても意味のあることなのです。
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「いい人」が習慣化する裏には、「いい人でいるメリット」をたくさん知っていると同時に、自己正当化も現れます。
いい人でいると起きる良いことをざっとリストアップしてみてください。
たぶん、すらすらと出てくると思うんですが、そこには「~されない」などの「ない」がついた否定形もけっこう多く含まれるんじゃないでしょうか?
それは怖れや自己嫌悪をベースに「いい人」をやっちまってるからなんです。
「人に嫌われない」
「孤独にならない」
「バカにされない」
みたいな感じで、「ない」の言葉が列挙されてるとしたら、そこには「人に嫌われる怖れ」「孤独になる怖れ」「バカにされる怖れ」があるんです。
これは先ほどの「いつからいい人になったの?」という質問と同じものでもあります。
そして、ついでにそんな「いい人をやってしまっていた相手」を思い浮かべてみてください。
で、たぶん、そこで「お母さん」とか「お父さん」とか「きょうだい」とか「同級生」とか「先生」とかいろいろと名前が上がってくるかもしれません。
そうして、今度は
>人に認めてもらうためにはどんなことがあってもその人のことを好きになるか、いい面を見つけようとしてしまいます。
という話から、その認めてもらいたかった人、いい面を見つけようとした人たちを思い出してみてください。
そしたら、試しにこう言ってみてください。
「お母さん、嫌い」
「お父さん、嫌い」
「お姉ちゃん、嫌い」
「店長、嫌い」
みたいに出てきた人たちに「嫌い」と言ってみてください。
声に出した方が効果的だし、1回ならず何度か繰り返し言ってみると良いです。
まあ、そこで膨大な嫌悪感、罪悪感などが出てきて気分が悪くなるかもしれませんけど、それはそれでいいんです。それが「抵抗」というものだし、「嫌いになっちゃいけない」と思っている分だけ嫌悪感が強いんです。
で、ここで自分の感情をチェックしてみるんです。
好きな人に対して「嫌い」と言ってみると、嫌悪感とか罪悪感より先に「え、嫌いじゃないもん」という反応がかえってくるものです。
でも、そこで気分が悪くなるほどに罪悪感や嫌悪感が動くとすると・・・「ほんとは嫌いなんだけど、嫌いになっちゃいけないから、好きになろうとしてる」のかもしれません。
かもしれないのであってそれは確定的な話ではないのですが、一つのヒントになります。
もちろん、正確に言えば「好きな人の中にも嫌いな部分って存在するよね?」という話なので、彼らの中にも「いいとこともあるし、好きな部分もあるし、嫌いな部分もあるんだよね」なんです。
「人を嫌いになっちゃいけない」という人は、相手を100%好きになろうとするんですよね。
でも、それってなかなか難しいんです。
なんぼ大好きな人でも生まれたてほやほやのウンチの匂いは好きになれないと思うんですよねー。
だから100%大好き!ってのはいわゆる盲目的というやつかもしれません。
Sさんが相手のいい面を見ようとしたり、好きになろうとしたりするのは人間関係を構築するうえですっごく大事なことなのですが、100%を目指すと途端に苦しくなります。
「あいつ、こういうイヤな部分もあるんだけどさー、でも、あんないい部分もあるから憎めないんだよねー」って感じです。
でも、怖れや自己嫌悪、罪悪感などから相手を好きになろうとすると100%を目指すことになるんですよね。
それってやっぱりできないことをやろうとするのでただひたすらしんどいですよね。
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さて、好きとか嫌いってのは感情で、感情はコントロールできないので「好きになろうとする」とか「嫌おうとする」というのはけっこう虚しい努力だったりします。
「好きになろうと思うってことは、好きじゃないってことだよね?」ってことでもあります。
そして、冒頭の質問文。
「じゃあ、自分のことは好きだよね?」という質問にもけっこう引っ掛かりがあると思うんです。
で、おそらくなんですけど、たぶん、Sさんには嫌いな人がふつうにいるはずです。
けど、その嫌いという気持ちを認めることができないだけなんだろうと思うのです。
だから、嫌いになるにはどうしたらいいのか?という質問に対しては、いやいやもう嫌いな人はいるじゃん?ってことになるわけです。
そんな素直な気持ちを認めようとしてください。
そして、できるだけふだんから自分の気持ちに目を向けて素直になろうと思ってください。
今日の空は気持ちいいのか。
朝飯のパンは美味しいのか?
シャワーを浴びるのは気分がいいのか?
紅茶とコーヒーだったらどっちが好きか?
今、自分はどんな気持ちなんだろう?
今の気分は快なんだろうか?不快なんだろうか?
女性性が強い男性も少なくないんですけど、女性性が強いってことはきっとそうした感情も感じられるはず。
そうして意識をしていくとまず最初に起きるのは「嫌いなモノがいっぱい!嫌いな人がいっぱい!」という現実です。
今まで認めてなかったものがぶふぁーっと目の前に現れるからですね。
だから、それは「そういうもんだ」と思っといてください。気分悪いけど。
そして「嫌いになってもいいんだ!」と自分に言い聞かせましょう。
ついでに「人を嫌ってもいいんだ!なぜならば○○だからだ!」と○○に当てはまる言葉を10個以上探し出すのもいいワークですね。
で、嫌いだけじゃつまんないと思うので「好き」を探すレッスンもしていきます。
お寿司は好き、コーヒーが好き、漫画が好き、ゲームが好き、東京が好き、海が好き、なんでも構いません。
好きだと思えたものをスマホのメモ帳に「好きなものリスト」として書き込んでいきましょう。
そうして「好き」と「嫌い」がはっきりするようになると毎日がもっと色づいてくるようになります。
たぶん、その方が楽しいですね。
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『どうしたら人を嫌いになれますか?』
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