人に気を使う人は「自立」ができず、そのまま「相手を察しよう」とすると幽体離脱になる。



元ネタはこちらです。

『あえて「一人力」を鍛えるレッスン。ステップ1:自分自身をしっかり持つ~自立する、ということ。』
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/16865

『あえて「一人力」を鍛えるレッスン。ステップ2:相手を察する~キャッチ力』
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/17133

「まずは自分の足できちんと立つこと(自立)」

 ↓

「そのうえで初めて相手の気持ちを的確にキャッチすることができる」

この流れは鉄板とも言えるもの。

「人に気を遣う人」というのは、相手のことを考えたり、相手の気持ちに配慮したりすることを優先してしまう人なのですが、実はその陰には

「嫌われる怖れ」
「見捨てられる怖れ」
「理解されない怖れ」
「誤解される怖れ」
「頑張らないと認められない怖れ」

などの「怖れ」が隠れているもの。
その怖れを回避するための補償行為として「気を遣う」という現象が生まれているのです。

だから、「気遣い、よりも、配慮を。」という記事も書いたように、本当に相手のことを思うのであれば、まずは自分自身を確立してから、相手のことを考える流れなのです。
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/16580

この「怖れ」が強い“気を遣う”時、私たちは相手のことを見ているようで実は自分自身を見ています。

「嫌われる怖れ」が隠れているとすれば、相手への態度は「相手が喜ぶかどうか?」ではなく、「これで相手が喜んでくれたら、自分のことを嫌わないだろう」という態度になってしまうのです。

この違い分かりますよね?

相手を喜ばせたい気持ち、よりも、それによって自分が嫌われたくない気持ち、の方が勝っているような感じです。

そうすると、常に相手の態度に依存することが分かります??

「相手のことを思って○○してあげたが、それで本当に喜んでもらえるか不安だ。なぜなら、もし、喜んでもらえなかったら嫌われてしまうかもしれないからだ。」

「どうやら喜んでくれたらしい。良かった。ホッとする。これでひとまず嫌われずに済む。」

「でも、本当に喜んでくれているのだろうか?態度が怪しく見えてくる。表向き喜んでくれているけれど、内心はそうではないのかもしれない。どうしよう、、、もしそうだとしたら嫌われてしまうかもしれない」

そんな心象風景が展開されるのです。

そして、これが強くなっていくと常に相手に意識を取られる比率がどんどん上がっていきます。

恋愛編
「相手のことを好きになると相手にどう思われるかが気になって自分を見失ってしまう」

夫婦編
「離婚問題が起きてから常に旦那に気を遣うようになってしまい、振り回されている」

対人関係編
「集まりや人の多いところに行くと、周りの人に圧倒されて疲れてしまう」

仕事編
「会社からきちんと評価されるためにいつも神経を使っている」

みたいなことが各地で起こるようになるのです。

その結果「自分」がいなくなります。
「自分」よりも「相手」を優先するあまり、自分がいなくなってしまうのです。

その状態を「幽体離脱」って私は呼んでます。
魂が自分を抜け出して、相手の方に行ってしまった状態です。

こうなると何かしていても自分がいないわけですから、自分がどんな状態なのかなんて全く気が向かなくなります。

「すっごく疲れていたとしても、それを無視して仕事をしてしまうので、終わった後にどっと疲れが来る。家に帰ると寝るだけ。週末も起きられない」

「パーティがすごく苦手。いろんな人がいるので終わった後はどっと疲れてしまう。そして、自分が誰と会って、何を話したか、あまり覚えていない」

「一緒にいて楽しいはずなのに、相手の表情や態度がいつも気になってだんだん一緒にいるのがしんどくなってしまう。会いたいはずなのに、早く一人になりたいと考えてしまう」

人といるときは幽体離脱して相手の意識に注目しています。
その時、自分が疲れていようが、元気であろうが、しんどかろうが無視されます。
そして、その人と離れたとき、離脱していた魂が自分に戻ってきます。
そうすると、幽体離脱していた間に感じていた感情がどっと戻ってきます。
それでたいていは疲れてしまうのです。

人に気を遣う、というのは依存的な態度。
だから、自分よりも相手を優先してしまうのでしんどいんです。
また、嫌われる恐れなどの怖れを常に抱き続けるのもしんどいですよね。

だから、まずは自分の足で立ちましょう、というのです。

そこでは人の気持ちよりも自分の気持ちを優先するわけですから、冷たくなったような、付き合いが悪くなったような気がするでしょう。

OKです。それくらい犠牲して本意ではないことをしてきたのです。

また、人に言いたいことを言ったり、態度で表したりするので、以前よりも付き合い辛くなったように感じるでしょう。

OKです。それだけ無理をしてきた証ですね。

さらに言えば、自己中心的な自分になっちゃったような気がするかもしれません。でも、思い出してください、まず、自分、そして、相手、の順番じゃないと自己犠牲になってしまい「与える」ということができないことを。
つまり自分そっちのけで相手のためと思って何かしても、それは「与えているフリ」に過ぎないのです。

「形」だけで「与える」ということを示すことはできます。
でも、人は目に見える「形」だけを受け取るわけではないのです。

ファーストフードチェーンで「いらっしゃいませ!ありがとうございました!」とマニュアル通りに言われても、「ああ、心が伝わってくるわあ~」と感じることは稀でしょう。
形としては問題ないはず、でも、私たちはそれだけを受け取っているわけではなく、そこにある気持ち(心)もきちんと受け取っているのです。

「嫌われる怖れ」から何かをしても、それがどんなにいいことだとしても「嫌われる怖れ」も相手に伝わります。

「罪悪感」から補償行為をしても同じこと。
愛以外のものとが伝わってしまうのです。

だとしたら、まずは自分を整えること、ではないかと思うのです。
自分の足で立つことを優先させてあげると、同じ行為にも気持ちや心がこめられます。

自分がほんとに大丈夫な状態だから、相手のことが良く見えますし、相手の気持ちを察することができます。
そして、自分にできること、自分が今、与えられること、自分が貢献できることを選択することができます。

それが本当に与えること、なのですね。

鬼畜生や不義理非人情を私のブログではよく謳っておりますが、それは「まずは自分、次に相手」の法則を意識して頂くためなのです。

さて、皆さん、今、この記事を読んで、「自分」は何を感じ、どう思っているでしょう?
今、「私」を主人公にしてみたら、どんな気分が湧き上がってきますか?

「私」は今、何を望んでいるのでしょうか?

それに素直に行動してみるのもいいレッスンです。

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