気遣い、よりも、配慮を。



気を遣う、は自己犠牲で自分自身が消えます。
配慮する、は与える姿勢で、自分自身がちゃんとそこにいます。

似てる言葉ですが、私はちょっと違う使い方をしています。
「気を遣う」と「気を配る」という意味で。

今日はそのニュアンスの違いを感じ取っていただければ幸いです。

気を遣う、というのは、感情としては「怖れ」があります。
・嫌われないように
・怒られないように
・誤解されないように
・孤立しないように
・バカにされないように
・○○だと思われないように、気を遣うわけです。

だから、神経をとても使いますので疲れてしまいます。

怖れから来る行動は、すべて自己防衛的な態度となり、自意識過剰になっていきます。
例えば、「部長は機嫌が悪いから怒らせないように気を遣って丁寧に説明をした」なんて場合を見てみましょう。

丁寧に説明をするのは本来相手に分かりやすくするためであり、理解してもらうため、なんですけど、それが「気を遣う」という形になると「怒らせない」というがその動機になります。

そこでは意識は「自分」を向いていて、自己防衛的(保守的)な態度になるんです。

こうした意味での「気遣い」をあちこちでしていると、人のことを考えているようで、実は自己中心的な意識になってしまいます。
先の例では、実際部長が怒り出さなかったとしたら正解であって、分かりやすく部長に説明して企画を通す、といった本来の目的は一切重要視されていないのです。

例えば、こうした「気遣い」というのは男女関係や人間関係では顕著に出てきます。

「彼氏に嫌われるんじゃないかと恐れているAさん。彼の意見にNoと言うと嫌われると思うので、彼の意見を全部受け入れています。時にはそれは違うんじゃないか、と思うこともあるけれど、それを言って嫌われたら元も子もないので、そうだよね、と話を合わせています。でも、だんだん一緒にいるのが辛くなってきてしまいました。」

というようなケースです。
これは「彼、彼女」の関係でもそうですけど、「会社、従業員」の間でも頻繁に起きてることですよね。

こうした気を遣った行動は「犠牲」と言い、自分の気持ちを押し殺して相手に合わせる態度を作り出すので、とても疲れてしまいますし、その「嫌われないこと」が最優先課題になるため、彼を愛する、とか、会社に貢献する、とか、相手を喜ばせる、といった主体的な行動がとりにくくなってしまいます。

そして、何よりも「気を遣う」弊害は、相手の印象に残らない、ということなんです。

確かに「嫌われない」かもしれないし、「怒らせない」かもしれません。
けれど、存在感もなくなってしまいます。
そうすると恋愛であれば「一緒にいても面白くない」という印象を与えますし、職場であれば「あいつ、いるのかいないのか分からない」なんて状態になってしまうのです。

また、気を遣われる方にも、その怖れが伝わってしまいます。
怖れがある、ということは、びくびくしてるわけですから、どう隠したつもりでも態度に出てしまいますよね。
怖れがあるときに大きな声ではきはきと話すことはできませんし、笑わせたり、楽しい会話をしたり、という発想にはなかなか結び付きませんよね。
あくまで「無難な」行動や会話になりますし、声も態度も小さくなってしまいます。

そして、人と人には感情は共鳴していくんですね。だから、気を遣う人が感じている怖れは相手に伝わって、相手も緊張したり、気を遣わせたり、ということになるんです。

だから、その人間関係はそのままでは破たんしてしまうのです。

一方、「配慮」というのは「気を配る」ということで、あくまで自分自身が主人公です。
配慮ができる、ということは、心に余裕があり、視野が広く、また、相手に与える姿勢ができていることを表します。

部長が不機嫌だったときに「怒られないように」と怖れに入るのではなく、「どうしたら、その機嫌を直してあげられるかな?好きなサッカーの話でも振ってみようか」みたいな与える態度を取ることができます。
地に足が着いているイメージでしょうか。

犠牲ではなく、与える姿勢なので疲れはありません。

そして、与えられる方にもその愛情が伝わるので、それまで不機嫌だった態度を改める可能性も少なくありません。
もし、仮に、怒られたりしても、そこに恐れがありませんから素直に「ごめんなさい」が言えるでしょう。もちろん、後には引きずりません。

配慮ができる、ということは、自分があって、他人がある、という意識があることです。
自分に余裕がなければ、相手に与えることができませんから、自分自身を大切にすることを優先します。

例えば「不機嫌にしてるからちょっと事情を聞いてあげたいな」と思ったとしても、「でも、今は自分も余裕ないんだよな。それは相手のためにもならないから、まずは自分に余裕を取り戻すことを優先しよう」という風に考えられる人が配慮のできる人の姿勢です。

自分に余裕がないのに、相手の話を引き受けたら、それは犠牲になってしまいますし、下手すれば共倒れですよね?

ちゃんとそうした自己管理ができる状態にあるのを「配慮」というのです。

そして、その状態にあるときは視野が広がって様々な気づきも訪れます。
「うちの部長ばかりに気を取られていたけど、隣の部署の部長も機嫌悪いぞ。さては2人の間で何かあったな?」とか見えたりしますし、相手の様子がちゃんと見えるので、仮に地雷を踏んでしまっても爆発させる前に対処できたりするんです。

だから、やはり「まずは自分自身」なんですね。
自分に余裕ができて初めて、与えることができるのです。(受け取ることも同様ですが)

気遣いと配慮の違い、ここでお話ししたような意味では使ってらっしゃらない方もいると思いますが、その真意を汲んで頂けたら幸いです。

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