「誰かのためにがんばる」とかいう言葉に反発してしまう!



昔、○○を頑張ってたのにうまく行かなかった、失敗した、裏切られた、というトラウマがあると、○○に対して否定的な思いを持ったり、頑張ること自体がネガティブになってしまったりします。
その自分を許す、がテーマです。

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こんにちは、いつも記事を楽しみにしています。以前から、悩みがあって検索していると、たびたび根本さんの記事がヒットし、参考になり、それ以来のファンです。
30歳の女性です。私の悩みは「他人に優しく」とか「誰かのためにがんばる」とかいう言葉を見たり聞いたりすると、反発してしまう、ということです。

小さい頃から、自分には全くそのつもりがないのに、よく言えば「マイペース」、悪く言うと「自己中」と言われていました。いつも自分はどうやったら周りの人や社会に貢献できるか?と考えているのに、なんでそんな風に言われるんだろうといつも悩んでいました。

大学の時に、所属していたゼミとサークルはかなり厳しく、自己犠牲が賞賛されるような雰囲気でした。(「メンバー全員のために行動しろ」とか「目上の人に礼儀を尽くせ」とか)
その理念にのめり込んだと言うか、自分でも結構そのノリが好きだったり、尊敬できる先輩や先生がいたのもあって、人生でこれ以上にないくらい、サークルのメンバーや、先輩、まだ見ぬ後輩のことまで四六時中考えて、朝から晩まで無償(どころか活動費や学費を払って)で働き、何を自分はすべきか?といつも問いかけ、ベストを尽くせない自分を責めに責めて、結果、かなりひどいうつ病になってしまいました。
さらに、あれだけ尽くして来たのに、複数のメンバーから「裏切り」とも思える行為を受け、自分の死ぬほどの努力は一体なんだったんだろう・・・という思いにかられました。

うつになってからしばらく通ったカウンセリングで、自分を責めないこと、もっと休むこと、逃げたい時は逃げてもいい、と言ってもらい、だいぶ楽になりました。
幸い、うつ病は時間がかかりましたが完治し、現在は研究者の道を歩んでいます。

うつ病が良くなったのはいいのですが、その反動と言うか、冒頭で申し上げた通り、今度は「他人に奉仕する」ことに嫌悪感を感じるようになりました。
「社会に貢献しない人生はダメだ」みたいな記事をみると、すごく腹が立ちます。また、職場は人間関係がよくないのですが、好きな人には親切にできますが、嫌いな人が困っていても見なかったことにしてしまいます。
特に罪悪感を感じないどころか、「ざまあみろ」とまで思っているくせに、「嫌いな人にも親切にしましょう」というような内容の本や話に触れると、「なんで自分はこうなれないんだ?こうなるべきなんじゃないのか?」と思ってしまいます。

あと「逃げてもいい」「手抜きしてもいい」という言葉をもらってから、「仕事を完璧にしなきゃ」などの、向上心全般がなくなり、最低限の義務的な仕事はするけど、いろんなことを人に任せたり、やってもらえることは自分でやらない、という風になってしまいました。今では「昔のように頑張る」ことに恐怖を感じてしまっています。

これでは人生を狭めてしまっているような気がします。アドバイスをおねがいします。
(Kさん)
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Kさん、一言で言えば、ものすごくいい人なんです。
心根の優しい、人の気持ちが良く分かる、そして、誰かのために一生懸命になってあげられる人なんです。ほんとうは。
そして、それはKさんの「才能」を表しているとも思います。

でも、今はそういうことを言われること、すっごく嫌だと思います。
嫌悪すると思います。

なぜかというと、才能ゆえに傷ついてしまったからです。

それが学生時代のゼミとサークルでの出来事ですよね。
まさに水を得た魚のようにその理念に没頭し、情熱的に頑張り過ぎてしまったんですよね。
やり過ぎは何でも毒、とも言いますが、自己犠牲が行き過ぎて、自己喪失になってしまったんだろうと思います。
うつになるのも、行き過ぎてしまってる自分を押しとどめるために体が起こした自己防衛作用なのだろうと思います。
逆に言えば、周りから見ても少し引いてしまうくらい頑張ってたんじゃないでしょうか?

挙句の果てには裏切りとも言える行為にあったんでしょう?
そしたら、そんな風に人のために頑張ってる自分が馬鹿らしくなってしまいますね。
まったくそんなことは意味がない!と思っちゃいますね。

そしたらまったく逆の宗旨で生きるようになったとしても無理はありません。

実はね、裏切られたのは「自分に」なんですよ。
「いつも自分はどうやったら周りの人や社会に貢献できるか?」っていつも考えてた自分に裏切られちゃったんですよね。

分かります?

だって、そんな風に考えて行動したって病気になるし、裏切られるし、理解されないし、という現実にぶち当たったからです。

だとしたら、もうそんなの要らない、そんな考え方間違ってる、そんな方法しないほうがいい、と思っちゃうのも仕方がないと思いませんか。

Kさんが一番許せないのは「他人に優しく、とか誰かのためにがんばる」という言葉ではなく、「他人に優しく、とか誰かのためにがんばってきた“かつての私”」なんです。

あのみんなのために頑張りまくってた頃の自分が許せないんです。
だから、今、あの頃とは逆の生き方になってしまってると思います。
頑張ってる人を否定したり、誰かのためにすることを嫌悪したり、自己犠牲がばかばかしくなったり。

小さい頃から「マイペース」とか「自己中」って思われてきたんでしょう?
だとしたら、「こんだけ頑張ってみんなのためにやってきたのに、そう思われるんじゃ、やるせねーよ。意味ねーよ」って思っちゃうでしょうしね。

その辺の思いの行き違いがなぜ生まれたのかは興味のあるところですが、Kさんは思いを表現するのがちょっと苦手なのかもしれませんね。
不器用って言うか。
「すごく優しい人なのにぶっきらぼうでそれがなかなか伝わらない」とか「すごく情熱的なのに表情が変わらないからそれが分かってもらえない」みたいなところがあるのかな?
とすれば、Kさんは職人的な気質があるから研究職に向いてると思いますよ。

だから、どういう生き方をするかどうかは別として、その時の自分を許してあげることは今の無気力感を抜けるいいきっかけになるんじゃないでしょうか。

学生時代、頑張ってた私に今、会いに行けたら何て言いたいですか?
当時の彼女は何て言うでしょう?
少し話し合いをしてみませんか?

もう少し遡ってあの「自己中」とか言われてた頃の自分に会いに行けたとしたら、どんなことを伝えたいでしょうか?
どんな気持ちになるでしょうか?

最近、同じようなことばかり言ってますが、当時の自分への手紙、子ども時代への自分への手紙を週に1回、2か月くらい続けて見てもらえませんか?

それだけでもだいぶ気持ちが変わって来るんじゃないかと思います。

今は、

>「他人に優しく」とか「誰かのためにがんばる」とかいう言葉を見たり聞いたりすると、反発してしまう

それでいい、と思っておいてください。(これが一番大事なことなのかも!)

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