3歳になる息子に障がいがあることが分かって胸が張り裂けそうです。



なぜ、胸が張り裂けそうなのか?それはお子さんに対する愛があるからです。
愛があるから悲嘆も不安も怖れも出てくるし、罪悪感も抱えてしまいます。
そして、その愛とつながりながら、どうこの障がいを理解するかを考えていきましょう。

こんにちは
かれこれ10年以上根本さんのブログや書籍を拝読しています。

 

もうすぐ3歳になる我が子が、障がいがある事が分かりました。
どう受け入れたらいいのか、人生初めてのことで胸が張り裂けそうです。消えてしまいたいです。

大好きだった息子が、別の人になってしまったようで、涙が止まりません。息子はそのまま変わらないのに、病気が分かったら、全てがひっくり返ってしまったようです。今まで可愛いと思っていた面も、悪く見えてしまいます。
そして、息子の将来が心配です。

どうやって気持ちを立て直して、一緒に前に進んでいけるか、教えていただけると嬉しいです。
(Yさん)

それはショックというか、どうしていいのか分からなくなりますよね。
お気持ち察するに余りある状況かと思います。
私も子どもがいますが、障がいが見つかったとしたらどうなってしまうか分かりません。

質問を頂いてから数か月経っていますから、状況も気持ちも変わっているかもしれません。

それはもう胸が張り裂けそうになるのは無理もないことで、将来のことを考えても不安と心配は尽きないと思います。

私も長年このお仕事をしているとYさんと同じ状況の方とお会いすることもあります。
また、うちの子もちょっと変わっていまして、幸いふつうじゃない学校に通わせることができているので何とかなっていますが、通常の学校だったらたぶん大変だったろうと思われます。

どんな障がいなのかも気になるところです。
肉体的なものなのか、知能的なものなのか、それとも内臓の疾患などによるものなのか。
発達障害やADHDなどはだいぶメジャーになりまして、うちの子もたぶんそうだし、その親(=私)もその気がありますし、クライアントさんのお子さんにもよく耳にします。

障がいが分かったときというのは、例えば大人であっても自分に重大な病気が分かったときと同じように「否定」から入るものかと思います。

「まさかうちの子が」という風に。

そして、あまりのショックに泣いて暮らすこともあれば、その事実を見ないようにする場合(逃避)もあります。

そして、その後、これから先のことを考えて不安と恐怖が襲ってきますね。
障がい児を育てられる親御さんは「私が居なくなった後のこの子の人生はどうなるのか?」を考えて悲観するあまり無理心中を図ろうとする方もいらっしゃいます。
絶望しかなくなってしまうのです。

また、そんな子供に対して特に母親は強い罪悪感に苛まれます。
私のせいでこんな風になってしまった、と。
ごめんなさい、ごめんなさい、と子どもに謝って毎日を過ごすお母さんもいらっしゃいました。

お子さんの障がいがあると分かった時点ですぐに受け入れようとしない方がいいと思います。

今まで可愛いと思っていた部分が嫌いになっても良いです。

お子さんの顔を見るたびに不安と絶望の表情を浮かべてしまうのも無理はありません。

「子どもの前で泣き顔を見せてはいけない」などというのは古い考え方だと思います。
じゃんじゃん泣いたらいいと思います。

今のその気持ちをただ感じることが大事です。

否定し、悲観し、絶望し、不安になり、悲しみ、嘆き、そして、誰かのせいにしたくなり、罪悪感でいっぱいになり、何もやる気がなくなり・・・。

そんな自分をありのままに受け入れることがお子さんの障がいを受け入れることよりもずっと優先順位は上です。

そして、その方が早くその状況を抜け出すことができます。

忘れちゃいけないのはYさんの中には今もお子さんに対する愛がちゃんとある、ということです。

障がいが分かったことで胸が張り裂けそうになるもの、涙が止まらないのも、可愛かった仕草が悪く見えるのも、そこに母親としての愛があるからです。

そして、その愛は決して滅びることはありません。
もちろん、今はそんなことは感じられないかもしれませんが、別に感じなくてもいいです。

嘆き悲しみ、怒り、自分を責め、何でこんな目に遭わなければならないのか苦しんでも構いません。

どれくらいかかるか分かりませんが(おそらく数週間~数か月以内に抜け出せます)、だんだん心がその状況を受け入れていきます。

強がったり、前向きになろうとしたり、無理に明るく振る舞ったり、無理やり受け入れようとしたりすると、その期間は長引いてしまいます。

激しい嵐もやがて去るように、その感情もやがて去り、心がこの状況を受け入れられるようになっていきます。

その時、再び、お子さんへの愛を感じることができるでしょう。

「この子はこの子だ。この子は私が守る!そして、この子が生きやすいように私も一緒に生きていく」

そんな決意も新たになるでしょう。

また、こうしたことをきっかけに夫婦の絆も深まりませんか?
ご主人はご主人でお子さんのことに悩み、考え、何とかしようとするでしょう。

できるだけ夫婦で話し合いを持つことが望ましいです。
悲しい時は泣いて慰め合うんです。

そうして夫婦の絆がお子さんの障がいによってより強固なものになっていくとしたら、それはお子さんが与えてくれた恩恵なのかもしれません。

さて、そうした上でお伝えしたいことは山ほどあります。

同じ障がい児を持つ親御さんのネットワークを探してみてください。
もしかしたら病院で紹介してもらえるかもしれませんが、SNSやネットで簡単に見つかると思います。

また、この子が生まれてきた意味と目的について深く考えてみるといいでしょう。

「この子が障がいを持ってくることを自らが選び、そして、母親として私を選んでくれたのはなぜなのだろう?」

子が親を選ぶのは私の中では常識になっています。
うちの息子がママを選んだのは「かわいいから」だそうです。

「ママを選ぶときな、“仮予約”みたいなこともできんねん。でも、“確定”ボタンを押さないと他の子に取られちゃうかもしれないから、僕は早めに“確定”ボタン押してん」

そんな風に息子は自慢げに話してます。もちろん、ママも喜んでます。

だから、Yさんのお子さんもすべて分かった上で生まれてきていると信頼していいと思います。
障がいを持つこともすべて了解です。

そもそもお子さん自身は障がいを障がいとして捉えてはいませんよね。ひとつの個性であり、特徴だとしか思っていません。それを様々な平均値や医学的見地を加えて「障がい」と定義しているだけです。

この辺も様々な解釈ができますね。
「この基準を使えば障がいだけど、この世界ではそれはふつうのことだ」
という風に。

この辺のお話については次の情報が役立つと思います。

〇池川明先生のサイト
http://ikegawaakira.com/

〇映画「かみさまとのやくそく」
https://norio-ogikubo.info/

病気や死についてもそうですが、Yさんなりの「理解」を作っていくことがお勧めなんです。

自分が安心し、喜び、そして、お子さんに感謝ができる考え方や見方はヤマほどあります。

私はよく「物事はすべてニュートラル。その観察者が勝手に色を付けている」と言いますが、お子さんの障がいに対しても言えることです。

だから、今はそれを悲しみやショックや悪いことして色付けをしてしまうわけですが、いつでも塗り替えることが可能です。

そして、それを自分の心が喜ぶ方向で選択できたらいいですよね。

だから、まずは今の感情をそのままに感じて認めてあげましょう。
そして、何とかしたい、前向きになりたい、この子をもっと愛したい、守りたい、そんな思いが芽生えてきたら今日紹介したような「自分なりの意識」を確立して参りましょう。

〇内なる「愛」とつながる2日間。

6/23,24 軽井沢プレミアム・リトリートセミナー
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/29926


ひろこさんよりこんなメッセージを頂きました。ありがとうございます!!


私も随分悩み、自分を責め、周りを責め、いろいろもがいた末に、こどもを受け入れられました。私の場合、受け入れられると、障害のある子はギフトになりました

🥰

私も池川明先生の「こどもが親を選んで生まれてくる」という考え方に救われました。私なら大丈夫だと、わが子に選んでもらえたんだと、うれしくなりましたし、他のいろんな障害のある親子もそうなんだー、とほっこりした気分になりました。

あとは

★元養護学校教員の山元加津子さん(かっこちゃん)の本で、障害のある子がいろんな特殊能力をもっていたり、とても心がピュアなことを知り(「ゆうきくんの海」という本が最初の一冊で号泣でした)

★「1/4の奇跡」というドキュメンタリー映画で、いのちの尊さや、障害があってもそれぞれ素晴らしい、いうことを理解し

★ 村上和雄先生の「遺伝子のスイッチ」の話で、障害のある子の「遺伝子のスイッチ」がON・OFFの設定がちょっと違うだけ、ということを知り

知的障害のあるむすことの暮らしがだんだん面白く感じるようになりました。

このこにはどんな面白い「遺伝子のスイッチ」がONになってるのかなー、という目で見ています。


障害の程度にもよりますけど、受け入れられない場合も見てきました。

・片親が耐えられずにげる → 離婚
・両親ともに耐えられない → 祖父母が育てる・施設で育つ

それぞれ決めてきた人生のシナリオによるのでしょうけども・・・。


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