過去の自分が恥ずかしく感じるのはそれだけ成長した証~成長して視野が広がった分、かつての自分を否定したくなるもの~



自分と向き合い、本来の自分を取り戻したり、成長したりすると、過去の自分が恥ずかしく感じたり、悔しさを覚えたりすることがあります。
それは急激に成長する思春期に多い感覚なのですが、大人になっても成長した分だけそうした感覚を覚えることもあるのです。
それは祝杯をあげるべき素晴らしい変化であり、より自分らしく生きられるようになる一歩となるのです。

はじめまして。
Voicy、気になった回を何度も拝聴しています。

自分を見つめ直したいと思い、先生のご本を中心に心理学の考え方を学んで自分のことを振り返るようになりました。

そして色々と断捨離というか必要のないものや優先順位がわかり随分と生活がシンプルになりました。
ありがとうございます。

ひとつ、好転反応なのか気になる変化がありそのことについてリクエストさせて下さい。

自分と向き合うようになってから、以前は感じなかった恥ずかしいという感情が強く出てきました。
先生のblogで恥ずかしさや羞恥心について検索させていただいたのですが、私の恥ずかしさは、性的なものではなかったのでリクエストさせていただきました。

前は誘われればどこにでも顔を出すノリの良い人間だったのですが、何か急に恥ずかしくなり出不精になりました。
よく言えば無防備、無邪気。
悪く言えばアホ。
私はそんなキャラクターだと思います。
だから人は警戒心抱かず誘われれ易いのですが、そんな自分がとても恥ずかしく感じるようになりました。

自粛期間の影響もあり、ほぼプライベートのお誘いは全て断りやがて誘われれることも無くなりました。
それが楽でLINEやSNSでの交流も徐々に距離を置き今はこちらもほぼ無くなりました。

根本先生のblogやVoicyでたまにテーマにあがる、自分のレベルがあがって人間関係に合わなくなった、というのとは私は違うと思います。
むしろどちらかと言えば逆で、周りは歩みを進めて、私はついていけない、その輝きが眩しく気後れするといった感じです。

自分をちっぽけに扱ってるという感じも少しあるかもしれません。
よくノコノコ顔出してたよな、と感じるし、賑やかし要員としてだったなと感じるからです。

自分の気持ちと向き合うほどに、恥ずかしさだけでなく、悔しさのようなものも感じます。
愛されてるのはわかるし、ありがたいけど、下に見られてる愛され方じゃない?と。

私は自分を大切にするために1人になる選択をとったつもりだったし、確かに楽になりました。
しかし若干自信が無くなってきました。

自分と向き合う時に出てくる性的ではない羞恥心について、いつか教えていただけたらとてもありがたいです。
(Kさん)

「えー、それも成長じゃん!!」って言われたらどんな感じがします???

自分を見つめ直す。

自分のことを振り返る。

断捨離をして生活がシンプルになる。

楽になる。

というプロセスの中で「羞恥心」という新たなワードが出てきたのなら、それは成長に伴う変化じゃないかと。
自分がより楽に、より自分らしくなっていく上で出てきたことって、必要だから出てきたものであり、必然なんじゃないか?と。

好転反応って気づいていらっしゃいますが、その通りですよねー!と解釈してよかろうかと思います。

人は周りの人間関係との間で少なからず“メイク”をして生きているもので、それは素顔のままではいろいろと都合が悪かったので処世術として自分に施したものです。

※お察しの方も多いかと思いますが詳しくはこの本や動画で。

『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房)

*セミナー動画:心のメイクを落として本来の自分らしさを取り戻すワークショップ3days

そして、自分と向き合うようになると、そのメイクをはがすことになるのですが、そうするってぇと、より素顔に近い自分が出てくるんです。

それが今までの自分と違う分(今までの自分とギャップがある分)、けっこうびっくりしますし、成長しているのではなく、逆に退行しているように感じることがあります。

今まで平気で人前に出ていたのに、それが急に恥ずかしくなる。
それまでノリがよく集まりに顔を出していたのに、それが急に嫌になる。

それもまた素顔のKさんがもたらすものだと思えば成長と言えるんだろうと思います。

その処世術によって施すメイクのひとつに「ピエロ」という役割があります。
(これは本では紹介しておりませんでした!)

明るく元気に振舞い、みんなを笑わせ、楽しませる「チャーマー」という役割です。

※参考)家族の5つの役割~組織・グループの問題解決に役立つ視点~

それもまた必要があって自分に施したメイクですので、素の自分がお笑い芸人なのかどうかはまた別だったりします。

自分と向き合うことによって、そうしたメイクが剥がれ落ちた、という考え方もできるんじゃないかと思います。

また、自分と向き合うことによって実は自分の世界が広がります。
つまり、視野が広くなり、今まで見えなかった世界が見えてくるようになるのです。

Kさんが感じていらっしゃるような羞恥心って、思春期以降に何度も体験するものかもしれません。

中学の時は不動のエースで4番だった子が、野球で有名な高校に入った途端、もっとすごい奴らと出会って自信を失う・・・。

地元ではめちゃくちゃ美人で有名だった子が、モデル事務所に所属した途端、めちゃくちゃ美人な人たちに囲まれるようになって劣等感を覚える・・・。

クラスのみんなをいつも爆笑させてた子が吉本に入った途端、すごい才能の人たちと出会って自分の能力に限界を感じる。

抜群の成績で高偏差値大学に入学したのに、天才たちと出会って一気に自分を見失う。

色々な体験をして自分は何でも知ってるぞ!と思っていた人が、もっと広い世界を知っている人に出会って恥ずかしくなる。

ここに示した例は分かりやすさのために極端なものばかりですけど、似た体験をされた方も少なくないんじゃないでしょうか?

「過去の自分がしていたことが恥ずかしくなる」というのは、心理的に見れば、成長して自分の視野が広がったがために、今の自分と過去の自分を比較することが可能となり、それまでの自分がしていた行いを否定したくなることから生まれます。

つまり、過去の自分を恥ずかしく感じられるくらい自分は成長したわけです。

そして、その自分がもしかしたら本来の自分じゃないかも?という気づきがあったので、今までとは生活が全然違ってしまうんですね。

「小学生までは男子に飛び蹴りをくらわせるようなやんちゃな女の子だったのに、中学に入った途端、大人しくてあまりしゃべらない子になった」なんて話はあちこちに転がっていますが、まさにそんなケースですね。

で、そうした変化・成長というのは思春期くらいに大きく起こりますから、そんな羞恥心はその時代によく体験します。
しかし、大人になってしまうと、そこまで急激な変化は体験しないので、こんな話をするとKさんやその同志のみなさまには「やっぱりあたしって幼いのかな?今頃思春期ってこと?」なんて思われるかもしれませんが、そういうことではありません。

変化の度合いが急激である分だけ、そうした羞恥心に見舞われやすくなるのです。
言い換えれば、それだけKさんは自分と向き合うことによって短期間に急成長されたとみるべきでしょう。

羞恥心というのは人目が気になって、自分のことを恥ずかしく感じるもので、自己嫌悪がそれにあたります。

例えば、学生時代に当時流行したファッション(ルーズソックスだったり、ガングロだったり、スカートの下にジャージだったり、チーマーだったり)にハマっていた自分を、数年後に写真で振り返るとたまらなく恥ずかしい気持ちになったこと、ありませんか?

「なんであんなことしてたんやろ?」とか思ったりするわけです。
そして、恥ずかしく思う分だけ、その写真は絶対人に見せられないと思います。

でも、逆に「ああ、あの時代、楽しかったのー」と縁側で茶をすすりながら懐かしい思い出を振り返る方もいらっしゃるでしょう。

そこにどんな違いがあるか?というと、「無理してギャルをやってた」のか「素に近い状態でギャルをやってた」のかの違いですね。

周りの人に流されたり、必要に迫られたりしていやいやながらギャルになってた人は、その後、素の自分に戻った分だけ恥ずかしさを感じるでしょう。

一方、けっこうそれが素に近く、ギャルであることを楽しみ、謳歌していた人は、懐かしく思い、恥ずかしさはあまり感じられないでしょう。

ということは、素のKさんってのは、たぶん、そのような無邪気でおバカなキャラではないのかもしれません。
そうせざるを得なかった過去があるのかもしれません。

自分と向き合うことによってそんなことにも気付かされたわけですね。

>よくノコノコ顔出してたよな、と感じるし、賑やかし要員としてだったなと感じるからです。
>自分の気持ちと向き合うほどに、恥ずかしさだけでなく、悔しさのようなものも感じます。
>愛されてるのはわかるし、ありがたいけど、下に見られてる愛され方じゃない?と。

ピエロ役を必要に迫られてやってきたKさんが、自分と向き合うことによって、そのメイクを落とし、より自分らしい自分に気付いてきたプロセスってここに表現されていると思うのです。

もしかしたら、自分を必要以上に落とし、ピエロ役に徹し、それでみんなに愛されようとしてきたのかもしれないですよね?
そんな自分に気付いたからこそ、下に見られてるように思えて悔しくもあるんだろうと思います。

でも、何度も繰り返しますが、そのピエロ役をやってきたことは、必要だからであって、何もKさんが悪いわけでも間違っていたわけでもありません。
確かに役に立ったことや、得られたものだってあったかと思います。

しかし、成長したことによってそんな自分を捨て、より本来の自分に近くなってきたわけですから、その当時の自分を責める必要なんて微塵もないわけです。

つまり、当時の自分も自分なりに一所懸命かつ自分らしくふるまっていたことになり、そこかから成長した今の自分もまた自分らしいってことなのです。

そうして過去の自分を受け入れ、許していくとその当時のスキルを今後の人生で使えるようになります。つまり、ピエロをやってきたことだって無駄にはならないってことです。選択肢が増えるってことです。

ということで、自分と向き合うことで確実にKさんは成長したし、より素晴らしい自分になってきたってことが言えるわけです。

ってことはこれからも「どんな自分になりたいか?自分は何が好きなのか?どういう生き方をしたいのか?」というテーマを持って自分と向き合い続けていただければと思います。


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変化や成長は必ずしもよい結果ばかりを生むわけではない。
 


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